注文したピザが届くのが遅すぎていつまで経っても自殺できない
お昼時のファミレスは実に騒がしい。特に今日は休日らしく客席は人で殆ど埋まっており、注文の品を持った店員が厨房とテーブルを慌ただしく往復していた。
「注文、全然来ないね」
向かい合わせに座る黒澤三香は、待たされているこの時間をむしろ楽しんでいるように見えた。彼女は商品を注文してから三十分経った今でも不満げな様子を見せることなく、のんびりと頬杖をついてどこか遠くを見ていた。
「ドリンクバーでも頼むか?」
対して俺は普通に不満を持っていたし苛ついていた。それは注文した商品が来ないからでもあるが、それよりもまずこの女に対する不満が強い。
昼飯をなににしようかと考えていた矢先にこの女から食事の誘いが来たのはいい。問題は、わざわざ人を食事に呼びつけたくせに現地集合場所が近所のファミレスだったことだ。
普通、もっと洒落たとこ行くだろ。
これだったら、コンビニで適当に弁当買って済ませたほうが時間を無駄にせずに済んだじゃないか。
「うーん、そうしよっか」
「うし、じゃあ……」
俺は追加注文をするべく、テーブルの端に置いてある注文タブレットに手を伸ばした。
「あっ、待って!」
「えっ?」
結構大きめの声で制止される。いきなりでかい声を出されたものだから俺はびっくりして、思わず席から立ち上がってしまった。
ビビり散らかす俺。三香は、そんな俺にポケットから取り出したスマホの画面を見せてきた。……そこには、”ドリンクバー無料”と書かれている。
「クーポン使いたいの。こっちのほうがお得でしょ?」
「ああ、まぁ。うん」
苛つきよりも呆れが勝ってしまった。俺はタブレットを三香に手渡し、なるべく彼女の顔を視界に入れないように窓の外を眺めていた。
「あっ利木! なんか期間限定でいちごのパフェがあるらしいよ! 頼もうよ」
「まだ飯食ってないだろ、いらないって」
「あっ、こっちのチーズモリモリマルゲリータも美味しそう! 利木、チーズ好きでしょ?」
「さっき俺が頼んだ」
もう金だけ置いて帰ろうかと本気で考え始めている自分がいる。態度に出すのはビンボーゆすりに抑えてはいるが、それでもテーブルが微かに揺れてしまっていて、時間が経ってすっかり温くなってしまったコップの水面が揺れている。
「あっ、ねぇねぇ」
「今度はなんだよ……」
「なんで急に連絡返してくれたの?」
水面の揺れが止まるのと、脈打つ俺の心臓が一瞬だけ止まるような感覚が、微妙に重なる。俺は、敢えて彼女の方を見ないままに適当な返事をした。
「忙しかったから返せなかっただけ」
「高校生の頃から働いてたっけ? 私の記憶が正しければ、君はあの頃バイトすらしてなかったと思うんだけどなぁ」
彼女の方を見ようとした。どうしても見てみたくなってしまった。
今どんな顔をしているのか、どんな面をしながらこんなヘラヘラした声を出しているのか。それでも俺は彼女の方を見ないし、意識的に目を背けている。
からん、と。右耳にガラスが鳴るような音が響く。
きっと三香が水を飲んだのだろう。横目で見ると、テーブルの上に置かれたグラスの水かさが先程よりも少し下がっていた。
「私ね、ここに来るまでずっと考えてたの」
横目で見る彼女の表情はよく見えない。
視界の端で揺れる黒い髪が、危うく俺が視線を向けてしまうように誘惑してくる。
「なんで私にこっぴどくフラれた君が。……あの日からなんの返事もしてくれなかった君が、いきなりこの誘いに乗ってくれたのか全然わかんなかった。でも、会ってみて分かったの。”ああ、やっぱりそうなんだ”って」
暫く、黙った。
視界の端に映る彼女は、あまり動いていない。……やがて、再び言葉が紡ぎ出される。
「利木はまだ、私のこと好きなんだね」
「……」
「だから最後にするつもりで、今日会ってくれたんだね」
正直、全部図星だった。
ここまで見抜かれ、言い当てられるものなのだろうかと驚く自分がいた。でもなにより、こうして自分の秘めた心の内を……自分自身でも気づかないぐらい深いところに押し込められた叫びを、わざわざ掘り返してくれたことへの安心感が、あった気がした。
知ってもらえた、可哀想だって思ってもらえた、俺なんかのために心を痛めてもらえた。
俺の生涯で一番大切な人に、一番大好きだった人に、一番一緒にいてほしかった人に。
「腹いっぱいだよ、もう」
もう十分だ。
もう、満足だ。……俺はポケットの中から、全財産である野口英世を取り出し、三香の方へと差し出した。受け取ってくれ、そう言おうとした俺の手が、妙にしっとりと温かく熱く包まれた。
「……なにしてんだよ、これじゃあ」
「私の目を見て」
引き寄せられるように、見る。
そこには、今にも泣きそうな三香の真っ赤な腫れ顔があった。
「ごめんなさい。私は、やっぱり貴方のことを男の人として見ることはできないの」
でも。
そう言って、千円札を握る俺の手を、三香は更に強く上から握りしめてきた。
「大事な友達だからさ。……いなくなってほしくないなぁ、って」
いかないで、と。
言われている気がした、頼まれている気がした。
(ああ)
なんて酷い女なんだろう、なんて残酷なお願いをしてくる人なんだろう。
少しだけ、俺は期待していた。”貴方が好きだから死なないでほしい”とか、”私が貴方を支えたい”とか、そういう……同情とか哀れみでもなんでもいいから、大逆転をちょっぴりは期待していたんだ。
「……俺」
「大変お待たせしました〜! チーズモリモリマルゲリータと、チーズinハンバーグです!」
目の前に差し出されるチーズが下品なぐらいに盛られたピザ、三香の前に置かれるジュウジュウと音を立てるハンバーグ。
「……あっ、えっと」
「いただきます!」
そう言って、三香はさっさと箸を取り、ガツガツとハンバーグを食べ始めた。熱いだろうに、すごい勢いで食べている。……そして三香の視線が真っ直ぐに、俺の脳内に直接語りかけてきた気がした。
「……ぁ」
食べることは、生きることだ。
「……いただきます」
手を合わせ、飯を食らう。明日を生きるための食事の時間を、彼女と一緒に過ごす。
これが俺の、彼女の懇願に対しての精一杯の答えだった。