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EP7 大阪⑤

微睡の中に微かだが自分を意識している。完全には寝ていない状態だ。自分はもっと寝たいのだと自分に言い聞かせる。言い聞かせれば言い聞かせるほど意識がはっきりしてくる。でも体は睡眠を欲し、絶対に起きてやるもんかと鉛を抱かせられたようにベッドに張り付いて起きられない。微睡と覚醒の狭間で指がピクピクと痙攣を始める。まるで信号を送るみたいに。その小さな痙攣はやがて少しずつ大きさを増していき、痛みとともに微睡の敗北を、そして覚醒の勝利を宣言する。手の甲をハンマーで殴られたような痛みと共に指が激しく攣って目が覚める。




『くそっ、マジで痛え。』


手の痛みで目覚まし時計が鳴る前に起きるのが当たり前になってきた。起きたらまず指や手の甲を痙攣から解放するためにマッサージをするのが日課だった。指を曲げたり伸ばしたり、直接揉んだりして体温の上昇を助けてやると指は比較的動き曲がるようになる。でも以前のようには曲げ伸ばしはできない。インパクトレンチによる手への衝撃がすごすぎるためだ。


いつまでこれを続けるのかと毎日考えた。この仕事は給料が良いのは事実だ。19歳の僕に他の方法で同じ額の給料をくれるところなんてない。しかし、寮に住めば当たり前だが寮費を徴収されるし、毎日の食費などでどんどんお金が消えていく。実家から通える人はお金が増えていくかもしれないが、そうではない僕にとって、精一杯貯金しても大した額にはならなかった。


『酒もタバコもやらない、遊びもお金のかかるものは行かない。それでこれだけしか貯金できないのか。体のことを考えたら割に合わないよな。でも実家に帰りたくない。それは負けの気がする。』


続けるか辞めるかの堂々巡りで毎日悩んだ。体重も来た時よりも五キロ近く減った。鏡を見ると無精ひげを生やし、頬はげっそりとこけ、目の周りは黒く窪んでいた。2ヶ月切っていない髪はボサボサで、帽子を被らないと収拾がつかなかった。


これでリカさんに会ったら嫌われるな、次の休みは髪を切りに行こうと考えた。




初めての大阪での散髪は緊張した。上手に大阪弁を話せないからだ。大阪では大阪弁を話せないととにかく不便なのだ。不便という言葉が間違っているとしたら、代わりに不憫だと表現したい。


なるべく新しいシャツを選び、バイクで埃っぽくなっていた黒い皮のブーツを、捨てる予定だった靴下で満遍なく磨き、人に不快感を与えない格好だと確認してから新大阪まで電車で出た。別に散髪ぐらい近所でもできるのだろうが、大阪弁を話せない人がいても不思議ではない、新大阪の新幹線口付近のほうが気が楽だろうと思ったのだ。適当にお店を選び、短くしてくれと頼み、あとはひたすらに目を閉じて話しかけられないようにした。理容師さんは最初のうちは色々と話しかけてくれたのだが、僕がはぁ、とか、へぇとかしか返事しないので、早々に諦めてサービスに集中していた。髪が短く切り揃えられ、洗髪の後に髭を剃ってもらった。眉も整えてもらい、最後に肩のマッサージもしてもらった。鏡を見るとそこにはどこにでもいる少し体の大きな19歳の少年がいた。生き返ったみたいだった。素晴らしいお仕事だと思った。


こんなお金の使い方ができるんなら、もっと早くに来るべきだった。理容師さんに丁寧にお礼を言い、お店を出る時に店名をしっかりと脳に刻んだ。来月もう一度ここにくる、そう誓った。しばらく歩くとお腹が空いたと感じたので、お昼ご飯を探すことにした。




散髪をして街を歩くと、たまに鏡に映った自分を見る。昨日の自分とは全然違う好青年がそこにいて、とても嬉しくなった。そうだ、服を買いに行こう。今日はもう散財しても良い日にしよう。とくに高級な服を買う必要はないけれど、清潔感のある真新しいシャツを着るくらいの贅沢は良いだろう。こんなにも一生懸命働いているんだからシャツくらい買ってもバチは当たるまい。そう思ってアメ村まで足をのばしてみた。




本当はリカさんに選んで貰えたら良かったのに、そう思いながら白いTシャツを2枚と白の無地のシャツを買った。これで春らしい格好ができる。ご満悦になり、しばらく歩いて休日を満喫し、寮に帰ると着信ありの伝言が貼ってあったので、確認するとリカさんだった。早速公衆電話に行き、指がすでに覚えてしまった番号にかけた。


『あんたね、どこに行っていたのよ?その前に携帯くらい持ちなさいよ。携帯が嫌ならポケベルを持ちなさい。』


最近のリカさんは僕に対してお局さんかのようにうるさい。


『ごめんね、ママ、でもね、ママしか連絡くれないからとても割高になるの。』


そういうとリカさんが大声で笑ってくれた。この人が笑ってくれたらとても嬉しい。


『今日、今からそっち行ってもいい?ファミレスに行かない?もちろん割り勘だけど。』


文法的には質問文だが、その口調にはNOと言わせないような迫力がある。


『そう言って貰えるととても嬉しいです。女性に一円でも払わせるのは忍びないんですが、背に腹はかえられないので、割り勘でお願いします。』




僕は嬉しくなって今日アメ村で買ったシャツに着替えて、待ち合わせのファミレスに向かった。リカさんとの食事もおしゃべりもとても楽しい時間だった。そして次回服を買いに行く日には1人で行くんじゃないとお叱りも受けた。とても嬉しかった。今度会える日にはリカさんにズボンを選んでもらおう。




大阪での日々も悪くないなと思った。仕事を3ヶ月延長しようと決心した。



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