EP6 大阪④
工場での仕事は2交代制だった。朝のシフトは7時から夕方の4時まで、夜のシフトは16時半から日を跨いで夜中の1時までである。夜のシフトには残業がある事が多い。もちろん残業があった方が儲かるので嬉しいのだが、とにかく体がキツくてご免被りたかった。
『おい、ケンヂ、元気ないな!もっと胸を張って歩け!』
いつも優しく接してくれる社員の皆さんに叱咤激励され、なんとか続けていたが、毎朝目覚ましが鳴る前に指や手が痙攣して目が覚めるのに辟易していた。
『こいつは新しいタイプの地獄だな。』
ケンヂがボソボソと呟くと、班長に背中を強く叩かれる。がんばれの意味らしい。社員さんの事を本当に尊敬していた。僕たち期間工よりもお給料が低いそうだ。もちろん期間工にはボーナスがないので、トータルの支給額は社員の方が多いのだが、腹が立たないのだろうか?。一度だけ社員さんにどうしてこの仕事を続けていけるのか聞いてみた事がある。答えは誇りだった。この自動車会社で働いている事。製品のクオリティーの高さを支えているのは自分達であるという事、あとは家族のためだそうだ。
『どうだ、ケンヂ。あと一年位続けられたら社員に推薦してやるぞ。お前は真面目だからな。』
班長はいつもそう言ってくれるけれど、僕は苦笑いするしかなかった。たぶん半年が限界だな。そう自分でも分かっていた。この仕事は本当にキツイ。
『日に日に男前になっているわね。仕事が少年を男にするんだわ、きっと。』
家族連れが賑わうファミリーレストランで、リカさんは僕に笑いながら言った。リカさんとはたまに会う関係になっていた。僕の仕事が朝番の日の夕方や、日曜日などにバイクでツーリングに行ったり、お茶をしたりした。リカさんと2人きりの時もあったが、リカさんが友人を連れてくる事も多かった。きっと大阪で独りぼっちの僕をみかねて優しくしてくれているのだろう。その優しさがたまらなく嬉しかった。人を拒絶することで精神の安定を図るしかなかった僕にとって、リカさんとその友人達との時間は心のリハビリのように作用していた。もしかしたら普通の人のように生きていけるのかもしれない。淡い期待を抱いた。
『半分死に体です。この仕事は半端なくヤバいです。続けられない自信しかない。』
僕がそう返すとリカさんはもっと笑ってくれた。
『そうよねぇ、キツいってよく聞くわ。二交代制でメンタルのリズムはだだ崩れだし、工具は重たいし、部品はもっと重たいもんね。毎日が筋トレでしょう?続かない人の方が多そうだもんね。』
『昨日も1人逃げました。連絡がつかないそうです。』
リカさんは爆笑して僕の肩をパンパンと何度も叩いた。柔らかくて細い手だ。この人の恋人になれる人は羨ましいなと思った。
『リカさんは仕事の不満とかってどうしているんですか?』
『決まっているじゃない、バイクよバ・イ・ク!バイクでかっ飛ばすの!もちろん法定速度は守るのよ。法定速度でブレーキをギリギリまで遅らせて、コーナーに侵入するの。リアタイヤは滑り、ハンドルは逆を切っている。クリッピングポイントでリアタイヤはグリップを取り戻し、アスファルトを蹴り上げるの。そして最短で、最速でコーナーを脱出するのよ。』
リカさんは長い髪の毛を後に髪留めでまとめて3連のダイヤのピアスを覗かせていた。リカさんが力説するたびにピアスが揺れてキラキラ光る。
『聞かなかったことにします。僕のバイクはもちろん、リカさんのバイクもコーナーを攻めるバイクじゃない。』
『パリダカで優勝したエンジンを載せているのよ?エリートの直系なのよ。』
『僕は安全運転至上主義なんで、リカさんとは分かり合えません。』
両手を’挙げ、観念しましたのポーズを見せた。食事が運ばれてきた。僕はハンバーグで、リカさんはクラブサンドウィッチだった。
『私が運転も教えてあげるわ』
食べ終わった後のコーヒーを飲みながらリカさんは言った。
『”も”っていうところに大人の女性を感じます。ワクワクしてきました。』
と笑って返すと、リカさんは真剣な眼差しになって僕にピッタリと体を寄せた。顔がとても近い。緊張して体がこわばる。リカさんはほんの少しだけ暖かい香りのする香水をつけていた。
いつになく強く睨んでくる。目線を外さない。
『あなたはね、19歳らしくないの。まったく全然19歳らしくないの。いい?そのへんの19歳はね、もっとバカでアホでテレビの話をするか、女の子を押し倒すことだけしか考えていないの。でもあなたは違う。過去に何があったか知らないけれど、もっと19歳らしくしたら?』
『世の中の真面目な19歳が聞いたら怒りますよ?』
リカさんは距離を全然離さない。むしろ縮めてきているくらいだ。
『まあいいわ、少しづつね。少しづつ矯正してあげる。私はね、しつこいのよ。で、このあとどうする?。』
『リカさんと2人きりでボウリングしたいです。』
『よっしゃ!負けたらラーメン奢りね。』
『今食べたばかりじゃないですか!』
僕たちはボウリング場に消えた。
冷たい表情しか見せてくれなかった大阪の街。今日は少しだけはにかんだ笑顔をくれた。