第八話
神崎さんと神崎さんの神様が来てもうすぐ一月となる。あと三日ほどで神崎さん達は故郷に帰る予定だ。だから、今日は午後から社で、尾関先生と、神崎さんと神様達とお別れ会をしている。場所は、社の裏手、山側の縁側だ。夏の日差しがまだまだ強いが、日陰は少し涼しい夏の終わり。この一月いろいろな事があったが、神崎さん達に会えて良かったなと思っていたその時、強い風がびゅんと横切るように通った。
咄嗟に目をとじたぼくは、今のは何だったんだとそっと目を開けた。
「ん‥‥?ふんどし?」
ぶふぁっと吹き出して、神崎さんの神様と僕の神様がわっはっはと笑う。僕等の目の前には、ふんどしのように白くて、ふんどしと同じくらいの幅で、ふんどしくらいの長さの布がふわふわと波打ちながら漂っていたのだ。横廻しの紐がないだけで、どう見てもふんどしなのだから、ふんどしだと言って何が可笑しいのだろう?神様達はまだ笑っている。
『失礼なやつじゃ』
ふんどしの先端が僕の方を向いてそう言った。
『ははは、若、此奴は風の神じゃ』
『ふふふ、ふんどしとはまた上手く言ったものじゃ』
『くくくっ』
神様達に口々にそう言われ僕は血の気が引いた。
「ごめんなさい!風の神様だとは知らずに失礼な事を言いました」
慌てて謝ると風の神様は『許す』と、許して下さった。
『ところで、そなたが新しい“よりどころ”か?』
「はい」
『儂は、この国の東側を一回りしてきたところなのじゃが、これから二月はかなり多くが寄り道をしてそなたに会いに来るぞ。中之門が今年は混みそうじゃ。そのつもりでおるように』
「寄り道?なかのもん?」
『御三方、説明任せたぞ』
『『『承った』』』
そしてまたびゅんと強い風が吹いて、風の神様はいなくなっていた。
僕が神様達に説明をお願いしたら、口々に話すものだから、私がご説明致しますって、尾関先生がわかりやすく教えてくれた。
あと二月すると神無月となる。神無月は、神様達が常世にお集まりになる。これはこの国の者なら誰でも知っているが、どうやって常世に行くのかを人の子は知らない。
この国には、常世に通じる『上之門』『中之門』『下之門』と呼ばれる特別な鳥居が三つあるそうだ。僕の村から一番近いのが『中之門』で、たくさんの神様達が、よりどころ―――つまり僕―――会いたさに、例年より早く旅立ち僕に会いに“寄り道”して来るそうだ。
わざわざ僕に会いに来るなんて、百年ぶりとはいえ“よりどころ”とはそれほどのものなのかと僕は恐縮した。確かに僕の神様は、神崎さんの神様と神崎さんが来る前も、そんな事を言っていたが、改めて重大なことなのだと思い知った。
神様が御三方もいるし、この際だから、聞きたかったことを聞いてみようと思った。
「“社の遣い”と“よりどころ”ってどう違うんですか?」
「願いによって神様を生むのが“よりどころ”、既にいる神様が気に入って選ぶ人の子が“社の遣い”ですよ」
尾関先生が答えてくれたけど、僕はそれだけじゃない気がした。でも、尾関先生も神崎さんも、神様達もそれに何か説明をつけようともしない。聞いてはいけないのか?それともまだ僕は知ってはいけないのかわからなかった。
「神様が常世に行く“中之門”はどこにあるのですか?」
「‥‥‥それは、“よりどころ”には明かされることはない。なんと言えばいいかな。ある条件を満たせば知ることになる、かな」
尾関先生は、言葉を選びながらそう言った。
「尾関先生と神崎さんは知っているのですか?」
「「‥‥‥」」
二人は顔を見合わせた。すると、無口な尾関先生の神様が、どろどろとした体を少し弾ませてこう言った。
『知っておる』
神様を生む“よりどころ”より、“社の遣い”の方が知り得る神様に関わる知識が多い。なぜだろう?そして時々感じていたこの違和感は何だろう?
その疑問も飲み込んで、そこからはたくさんの神様達の話を教えてもらった。
さっき来た風の神様。
海辺の村で、魚の干物を作っていた漁師の妻がいた。ある日、海立が漁村を襲ったそうだ。多くの人の子が儚くなった。村も壊滅した。海から来たその海練
僕は、その話にも違和感を覚えた。社の遣いがい
でも、神様達も尾関先生も神崎さんも、それに違和感を感じていない。
この違和感を口に出してもよいものなのか?
そもそも、社の遣いがいない神様がいることに僕は驚いたのだけど、それに関しても誰も疑問にすら思っていない。
そう言えば、僕の村には、尾関先生の社以外にも社と呼ばれる場所―――鳥居がある場所がいくつかあるが、社の遣いがいるのは僕が知る限り―――僕が生まれてからは尾関先生しか知らない。
少しずつ積み重なる違和感と疑問。
僕はまだ知ってはいけないのだろう。
楽しげに話す神様達と社の遣い達に、羨望と、嫉妬と、素直に聞けもしない自分に不甲斐なさを感じた。