第二話
僕の国は、世界で一番神様の多い国だ。
八百万の神様達は、最初の神様達を除き、多くの神様は“人の願い”によりお生まれになると言われている。
神様の殆どは、至る所にある大小さまざまな社に住まわれている。社は、山であり、池であり、大樹であり、岩であり、建物であったり、神様毎に異なるが、共通するのは鳥居と呼ばれる人の世とを隔てる結界を司る門があることだ。
社で神様のお世話をされるのが、社の遣いで、尾関先生もそうだ。神様が気に入った人の子を社の遣いとしてお選びになるのだ。社の遣いは、神様のお姿を目に映すことが出来、お声を賜る事も出来る特別な存在だ。
尾関先生は、よく僕等に神様からお聞きしたという“神様のお話”をして下さる。
例えば、八百万の神様達はそれぞれ何かを司っているが、その“何か”が種々雑多だ、という話。
平和や幸せ、健康、富、知性、繁栄、良縁などを司る神様もいるが、驚くようなものを司る神様がいらっしゃる、と。
そのひとつが、盗人の神様だ。
戦乱の世の時代、敵方に寝返り、元主君のいくつかの拠点の屋敷の絵図を持ち出されてしまった。そんなものが敵方に渡れば、寝首を掻かれることになる。偵察の結果、持ち出された絵図は明日には敵方に本当に渡ってしまう事がわかっていた。
取り戻す機会は今夜しかない。
とても忠義の厚いお侍様が、不忠の者から絵図を取り戻す為、一心不乱に願い生まれたのが、盗人の神様。神様のお力添えで、お侍様は、誰にも気付かれることなく見事絵図を盗み返したそうだ。
今でも盗人だけが語り継ぐ社で盗人から崇められているとか。
昔、都で雅なお方が、見すぼらしい道端の死にそうな子を哀れに思い、金平糖を一粒手渡した。子は、地面に頭を擦り付け礼を言い、走って粗末な小屋にいる幼子にそれを与えた。
妹だ。
初めて見る桃色の甘いお菓子をそれはそれは美味しそうに食べ妹は喜んだが、食べる物はなかなか手に入らず、その冬に妹の命は今にも尽きようとしていた。最後に妹が幸せそうに笑ったのは金平糖を与えた時だ。ひもじくただ死にゆくよりも、最後にもう一度だけ金平糖を食べさせてやりたいと、兄は雅なお方の御屋形に、恵んでもらうべく足を運んだが一掃された。
足を引きずり粗末な小屋に戻ると、もう幾ばくもなく死にゆく妹。絶望した時に、金平糖の神様がお生まれになり、あの幸せな菓子を口に含んだ妹は幸せの中逝くことが叶った。
今では、金平糖を扱う菓子屋が信心を捧げている。
神様方のお話は、面白かったり、奇妙であったりして、いつも僕等はわくわくしながら尾関先生にお話を強請った。
神様は、ここ百年は新しくお生まれになっていないらしい。
その理由は教えてはもらえなかったが、百年も前なんて僕には大昔すぎて、お伽噺のようで、そういうものかとその時は思った。
六歳の時、僕の家に女の子が来た。
父と母の友人の娘で、一山越えた隣の町のお役人の一人娘の春子ちゃんだ。
彼女は、生まれた時からとても病弱で、殆どの時間を布団の上で過ごす。
一山越えた隣の町は、新しい鉱石が発見され、採掘で雇用が増えた。出稼ぎにと移住者が増えた。人が増えれば、家が建つ。店も増える。そしてまた人が増える。荷が行き交う。近年稀に見る発展を遂げ、村から町へ急成長をした。
春子ちゃんの両親は、町の発展に伴いとても忙しい。
元々は、自然豊かな土地だったが、急激な町の発展は自然を奪い、雑多な賑やかな町へと変貌を遂げ、雑音の多い空気の悪い環境に様変わりした。
だから、静養の為に春子ちゃんをうちでしばらく預かることになった。
春子ちゃんとはじめての顔合わせは、とても印象的だった。
母に付いて、廊下の先の我が家でも日当たりの良い部屋の戸を引き、中に入る。
温かい春の風が窓からそよぎ、燦々と光るお天道様の明るさのお零れが丁度良い塩梅で、中にいる彼女をくっきりと浮かび上がらせた。
―――なんて色の白い透き通った子なんだろう
布団に入ったままこちらを真っ直ぐ見つめる彼女の顔は、とてもとても白かった。雪の山の神様の娘だと言われても納得してしまいそうなほど。いつも一緒に野山を駆け回って遊ぶ、近所の女の子達とは違う生き物に思えた。
「ほら、ご挨拶なさい」と言う母に急かされ、挨拶の言葉を口にしたが、たった今挨拶した言葉を、何と今言っただろうと呆けてしまうほどに、その浮世離れした白さに魅入られた。
「春子です。よろしくお願いします」
薄く微笑む春子ちゃんは、とてもとても弱々しく見えた。
僕は、父と母から、春子ちゃんの話し相手になるように、と任を受ける。「可哀想な子なのよ。優しくしておあげなさい」と。
僕はこう見えて多忙だ。
朝早く起きると、まずは家の裏手のご先祖様が眠る小山に今日も精進します、と祈る。
それから顔を洗い、すぐに父と共に体を鍛える。僕の家はこの村一番の大地主だ。一帯を我が家のご先祖様が、その昔に戦の手柄に帝より直々に賜ったのだ。だから我が家の男子は、武士の心得を鍛えながら学ぶ。
朝食後は、尾関先生のいらっしゃる社に通い勉学に励む。この村では、社が小さな子供達の勉学の場となっている。
我が家は、広大な土地を小作人に貸し与えている。ここは、とても豊かな土地だ。収穫したり加工した作物を取り扱う商売も手広く行い、村人達を富ませ、飢えさせない為に堅実に努めてきた。その為には学も必要なのだ。だから正しい知識とその使い方を学ぶ。
そして大いに遊ぶ。なぜなら僕はまだ子供だからだ。父も母もよく遊び、喧嘩もし、人となりを学べと仰る。
そんな多忙な中、毎日でき得る限りの時間、僕は春子ちゃんの部屋に通った。
春子ちゃんは、熱を出し寝込むことも多いが、そんな時は、枕元に原っぱで積んだ花や、山で取れたアケビやイチジクなどの実をお土産に置いた。
少し体調の良さそうな日は、たくさんの話をした。と言っても、僕が一方的に話すばかりだけれども。なぜなら春子ちゃんは、あまり自分から何かを話すことがないからだ。質問をすれば答えてくれるが、自ら話すことは殆ど、いや、一度もない。
そんな口数の少なさに最初は距離を感じたけれど、嫌な顔はされないし、いつも同じように春子ちゃんは薄く微笑むから、嫌われてはいないと思う。
自然豊かな土地で空気もよく、ゆったりと流れるこの田舎の環境は、春子ちゃんにとって合っていたのだろう。秋になる頃には、来た当時より寝込む時間も少し減るようになってきていた。
でも、同じ六歳の春子ちゃんは、とても小さく儚く見えて、目を離すと消えてしまいそうな感覚を覚える。
僕には小さな弟が二人いるが、やんちゃな小さな弟達よりも、よりか弱い存在に感じるのは、春子ちゃんが病弱だからだろうか、それとも女の子だからだろうか。
そうして冬が訪れ、また春になり、季節は巡り、春子ちゃんが来て二度目の冬が訪れた。
この冬は、秋の終わりが早く訪れとても寒く、あっという間に村を雪が包みこんだ。季節の変わり目を見逃すほどの冬の訪れに体がついて行かなかったのだろう。順調に回復していた春子ちゃんが風邪を引いてしまい、一向に治る気配をみせなかった。
白い透き通った肌は青白く、苦しげに身を震わせる。
最近は本当に来た頃より顔色も良くなってきていたから、その変化に僕はとても狼狽えた。
僕は、毎日お見舞いに通ったけれど、春子ちゃんの枕元で汗を拭ったり、毎朝神様にお祈りをすることしか出来ず、他に何かしてあげれることはないかと考えるばかり。
悩んだ僕は、尾関先生に相談することにした。
「尾関先生、春子ちゃんに僕は何かしてあげたいのです。でも何をしてあげれば良いのかわかりません。神様に春子ちゃんが早く良くなるように祈ることしかできません」
「若は優しい子だな。ひとつ聞いてもいいだろうか?」
尾関先生は、いつも穏やかな方だ。一度も人を咎めたことはない。子供たちが喧嘩をしても互いの話をしっかりと聞いてくれ諭してくれるような本当に出来た人なのだ。
だから、僕は全幅の信頼を尾関先生に寄せているし、尾関先生は物知りで、しかも社の遣いもされている特別な方だ。必ず僕の悩みを解決する糸口を与えて下さると信じていた。
「はい」
「なぜ若は春子ちゃんが早く良くなりますようにと祈るのかな?」
「春子ちゃんに元気になってほしいからです」
「本当に?」
本当に?と問われ、僕は言葉を失った。なぜ尾関先生にそう聞かれたのかわからなかった。本当にわからなかった。
僕は、本当に春子ちゃんに元気になってほしいと思っている。
なのに、それを疑われているのだ。
何も言えない僕に、いつものように優しく微笑む尾関先生は、
「神様がね、よく考えるようにと仰せだよ」
と言い、もう今日はお帰り、と玄関まで僕を見送った。
神様が仰った、ということは、神様には僕の本心がそうじゃないと思われている、ということだ。
そう思うと、僕は途端に悲しくなり、とぼとぼと夕日を浴びながら家路に着いた。
「ただいま戻りました」と、戸を開けると「若、春子さんが―――」と、通いで来ている手伝いの朝子さんが、急げと僕の手を取った。
急いで草履を履き捨て、春子ちゃんの部屋へ飛び込むと、今にも儚くなりそうな春子ちゃんがいた。
弟達は隅で泣いていて、お医者様や大人達は悲壮な顔をしている。
「今夜を越せるかどうか‥‥‥」
お医者様のその言葉が、僕の頭に木霊する。
そして、僕は大人達が止める声も聞こえず、裸足のまま夕闇へ駆け出していた。
春子ちゃんが死ぬ―――
後悔に憐れみ、絶望。
そして、走り辿り着いたのは、尾関先生のいる社だった。
「尾関先生、は‥‥春子ちゃんが‥‥死んでしまう―――」
涙にまみれ、ぐちゃぐちゃな顔をし震える僕を尾関先生は抱きしめてくれた。
―――男は声を上げて泣いてはならん
歯を食いしばっても止め処無い涙に、更に絶望する。
僕には何もできることがない―――
なのに、出た言葉は
「神様に願いたいです」
尾関先生は何も言わず、僕の手を引いて、社の奥の部屋―――蝋燭が一本灯る以外何もない部屋―――に連れて行った。
僕は、ゆらゆらと灯る蝋燭が何故か神様のような気がして、蝋燭に向かい、目をぐっと瞑り、願った。
春子ちゃんを死なせないで。
春子ちゃんに死んでほしくない。
春子ちゃんが元気になりますように。
僕は一心に願った。
尾関先生から教えてもらった神様達が起こした奇跡の数々。そんな奇跡に縋りたくて。
死にそうな春子ちゃんを元気にすることはもう人の子にはできない。
できるなら神様だけだ。
何度も願い、はっとする。
つい、数時間前に交わした会話。
『なぜ若は春子ちゃんが早く良くなりますようにと祈るのかな?』
『春子ちゃんに元気になってほしいからです』
『本当に?』
『神様がね、よく考えるようにと仰せだよ』
僕の本当の願いは何だ?
何のために祈るのか?
今にも春子ちゃんが儚くなりそうで一時も無駄にできないと言うのに、僕は祈るのを忘れ自分を問いただした。
そして出た僕の“本心”を神様に叫ぶように答えた。
そして僕は、尾関先生の社の神様に教えてもらった奇跡に縋り、見事に奇跡を起こした。
新しい神様が、百年ぶりにお生まれになったのだ。
新しい神様は、死にゆくはずだった春子ちゃんの命を繋ぎ止めてくれた。
あっという間に、元気になった春子ちゃんに、僕は生まれて初めてあることをぶつけられる。
僕個人への明確な“悪意”だ。
春子ちゃんは、満面の笑みで言う。
「あんたのことは最初から嫌いだったのよ。ふふ。あんたなんか死んじゃえ」