第一話
「兄様、今日も手伝いですか?」
上の弟が下の弟の手を引き、玄関で草履を履いている僕に声をかけてきた。
ここ十日ほど、全く遊んでやれてない。
「そうだよ。神様に頼まれたからね。手伝いが終わったら必ず遊んでやるから、弟と仲良くするんだよ」
「約束だよ」
「ああ、約束だ」
弟達には寂しい思いをさせてしまうが、今僕は神様のお手伝いをしているのでもうしばらく我慢して貰わなければいけない。
僕の村の端には、都へ繋がる大きな川がある。川を運ぶ船が行き交うとても賑やかなで華やかな川だ。
その大きな河から分岐した小川があり、小川の途中にそこそこ広い河原がある。昔はこの小川ももう少し大きな川だったそうで、その名残がこの河原だと言われている。
僕は最近毎日この河原に神様のお手伝いをしに通っている。
「おはようございます」
僕が挨拶をすると、のらの神様と、その社の遣いである川上さんが挨拶を返してくれる。
「おはよう。今日もすまないね」
『今日も元気じゃな。すまぬな、だが、頼むぞ』
「はい!」
僕はあの日、百年ぶりに新しい神様を生んだ。
そして、神様が見えるようになり、神様の声も聞こえるようになった。
僕の神様は、人魂のようなぼわーっと淡く光るふわふわと浮かぶ何か白いものだ。人魂は見たことはないけれど、きっと僕の神様に形が近いんじゃないかと思っている。
神様が見えて、声も聞こえるから、僕も尾関先生みたいに社の遣いになったのだと思ったら、どうやら僕はそうじゃないらしい。
社の遣いは、神様が気に入った人の子を社の遣いとしてお選びになると言われているが、僕の場合は、僕の祈りで神様が生まれたので、社の遣いとはその理が違うらしい。
僕は百年ぶりの、現在この国唯一の神の依拠―――よりどころ―――と神様達に呼ばれる存在になった。
「若、今日はあの大岩付近にしよう。俺は左側を探すから右側を頼めるか?」
「はい、川上さん!」
川上さんは、とても背の高い人で、歳は十九。都よりもっと北の村の出身で、薬屋の次男。
とっても気さくで楽しい人なのに、何でか女の人が来るとあっという間にどこかに消えてしまう少し変な人だ。よくわからないけど、女の人が苦手らしい。でも、女の人でも苦手じゃない人もいるみたいで、僕の母や手伝いの朝子さんとかは大丈夫らしい。よくわからない。
川上さんの神様には、社がないそうだ。
僕は、神様には必ず社があると思っていたから最初聞いた時はびっくりした。
「なんで社がないんですか?」
「少し言葉に語弊があったな。正確には、今は社がないんだ。社が行方不明なのさ」
「え?!」
「ほら、俺の神様はね、長いこと社の遣いがいなくて、祈る人もいなくなって、のらの神様になってしまったんだ。社の遣いのなり手を探し回ってたそうでね、二百年ほどかけてやっと見つけたのが俺みたいでさ」
「二百年?!すごいですね!」
「だろ?社の遣いになって、神様と一緒に神様の社へ向かったらさ、二百年前に社があった場所にはもう社がなかったんだ。神様と俺はどうしようと慌てたんだけど、神無月に全国の神様が常世に集まるらしくて、常世で俺の神様が、探しものの神様にお願いしたら、この村の小川にある河原にあると教えてくれたのさ」
「探しものの神様がいるんですね」
「ああ、有り難いことだ」
川上さんの神様は、二百年も社に帰っていなかったからかなりお力が陰っているらしく、声も弱々しい。見た目は、二本足で歩く真っ白な鼠で、尻尾は兎のように丸いし目も赤い。そしてなぜか、時々片足で立ってふらふらしていることが多い。神様の振る舞いはいろいろと不思議だ。
尾関先生を通じて、僕は川上さんの神様の社を探すお手伝いを頼まれた形で、毎日手伝いに来ている。
実は、僕が“よりどころ”になったことを家族や村の人達は知らない。社の遣いの尾関先生は知っている。“よりどころ”だとわかれば百年ぶりで騒ぎになるから黙っているようにと神様達に言われている。
だから、尾関先生から神様の手伝いに僕が指名されたと、父と母に伝えてもらい許可をもらった。じゃないと、学問や鍛錬で僕には時間がなかなか取れないからだ。僕の日常は忙しいのだ。
僕は、僕の神様と大岩の右側で、たくさんの丸石をかき分けて社を探す。川上さんの神様の社は、手の平くらいの大きさの硯だそうだ。
「神様、やっぱり社になるような硯ですから立派な硯なのでしょうね」
『若よ、社だから立派なものだとは限らないぞ』
「そうなのですか?社なのに?」
『社とは現し世に形あるものなら何でもよいのだ。そこらの石ころでも、割れた茶碗の破片でも社と成り得る』
僕の神様も僕のことを「若」と呼ぶ。
生まれたての神様なのに、何でかこの村や僕の家族に妙に詳しくて、僕の知らないこともよく知っている。なぜなら、生まれて二日目には、僕の家の神棚に迷うことなく向かい、供えてあるお酒をぐびぐびと飲み、倉の酒樽の場所にも一直線に進んでお酒をばれないように盗み飲んでいるからだ。
「神様、盗み飲んじゃ父様に見つかって怒られちゃうよ」
『なぁに、若の父も昔っから三日に一度は儂のように夜中に盗み飲んどるからの』
「え?!」
神様が生まれて六日目の夜中には、神様に無理やり起こされ、父が倉でお酒を盗み飲んでるところを目撃させられた。神様は『ほらの』と、機嫌良さそうに言い、父が良いなら神の儂も飲んで良い、と、頻繁にお酒にありつく酒飲みな神様だった。
何で、そんなに詳しいのか聞いてもはぐらかされるけど、きっと神様はそういうものなのだと今なら何となくわかる。
神様たちは、僕等人の子とは在り方も違うのだから。
日も高くなり、昼時。川上さんの分も、と持たされた大っきな握り飯を河原で川上さんと二人で頬張る。具は、おかかだ。
『いつもこやつの飯まで悪いな。有り難いことじゃ』
川上さんの神様は、いつも遠慮がちに感謝を伝えてくれる。そしてなぜか片足で立っている時にそう伝えてくれる。片足は感謝の姿勢なのかな?
この国では、社の遣いは、とても大事にされる存在だ。だから、遠慮なんていらないし、むしろお役に立てたと、家族は皆喜んでいる。
次の握り飯は多分昆布だな、と手を伸ばしたら丸い握り飯はころころ転がってしまった。
慌てて追いかけ、手に取ると、握り飯は海苔のおかげでそこまで汚れず、これなら食べられそうだとぱくりと食いついて、やっぱり昆布だ!と思ったところで目についた黒く平べったい丸い石が妙に気になり手に取った。
「あ!!!」
『お!!!』
僕と僕の神様は同時に声を上げた。
黒く平べったい丸い石は、黒く艷やかな硯だったのだ。
「川上さん!硯です!社です!見つかりました!」
「ああ、本当だ、硯だ」
僕は、慌てて握り飯を置いて、両手で包むように硯を持ち、川上さんの神様に「こちらで合っていますか?」と、近づけた。
川上さんの神様は、全身の短い毛がぶわっと広がるように波立たせ、「ああ、これじゃ、儂の社じゃ」と、声を震わせながらやっぱり片足で立っていた。
「川上さん!」
そう声をかけ、川上さんに硯―――社―――を手渡したのだが、その瞬間、川上さんが時が止まったようにぴたっと動きを止め、一切の表情をなくしたのだ。
あまりの変化に僕は恐ろしく、言葉を失うが、それよりも川上さんが心配で、「川上さん!川上さん!」と必死に呼びかけた。
なんの反応もしない川上さんに、どうして良いかわからずただただ呼び続ける僕に、僕の神様が言った。
『若、大丈夫だ。しばらくかかる。落ち着け』
「神様、何が大丈夫なのです?」
『それは言えん。いつか若にもわかる。でも、大丈夫なのだ』
しばらくってどのくらいだろうと、呆然としていると、意外にそのしばらくは早くて、川上さんの体がビクッとしたかと思えば、同時に川上さんに表情が戻り、異常が戻った。
「心配をかけたね。社を見つけてくれて助かった」
すごく優しい目をしてふわりと川上さんは僕にそう言い、振り向き、川上さんの神様に向かってこう言った。
「お久しゅうございます。長い時が経ったのですね。私を見つけて下さると思っておりました」
『ああ、長うかかった』
なんだか、川上さんだけど川上さんじゃない。川上さんの神様になぜか久しいと言い、僕は川上さんに得体の知れなさを感じずにはいられなかった。
川上さんの神様も、得体の知れない川上さんがさも当然のように答えている。
僕の戸惑いを感じた僕の神様は、
『人が変わったわけではない。むしろ取り戻したのだ。今は意味はわからずとも、そのうち分かる。人は変わったわけじゃないのだから、今まで通りで良いからの。社の遣いとはそういうものだと思えばええ』
と、ますますわけがわからないことを言う。
神様関連は、そういうものが多すぎる。
けど、やはりわけがわからず戸惑う僕に、川上さんはいつもの川上さんのように声をかけた。
「若、俺は俺だよ。社が戻って、神様にお力が戻られたから、それでああなったのさ。驚いたろう。でも、心配いらない。社の遣いはそうなるものだからさ」
「そういうものなのですね‥‥‥」
いつもの気さくな川上さんだった。声の調子も表情も川上さんだった。
こうなると、僕の神様の言う『人が変わったわけではない』や、川上さんの「俺は俺だよ」を信じるしかない。
いつか僕にもわかる時が来るという。いつかが今日なのか、明日なのか、十年後かはわからない。知りたいような、知っては後悔するような‥‥。
それからは、いつもの川上さんで、社を無事見つけることができたと村の皆に報告し、世話になったお礼だと、暫くの間畑などの手伝いをして、故郷の都よりもっと北の村へと帰っていった。
帰り際に、川上さんは僕の髪をわしゃわしゃと撫で付け、
「のらの神様が、社の遣いを長い年月探されることはそうあることじゃない。珍しいことだったんだ。だから、全てののらの神様が社の遣いを探していらっしゃると思っってはいけないよ。きっとまだ若には意味がわからないだろうけどさ、もしまたどこかでのらの神様に出会うことがあったら、あまり社の遣いの有り無しを聞かないであげてほしい」
少しおどけながら、でも川上さんの目は真剣で、言われた言葉をよく理解できなかったけれども、それはすごく大事なことなのだろうと僕は思った。
「はい、そうしたいと思います」
川上さんは、ありがとう、と言うと、傍らで片足を上げて少しぐらつく川上さんの神様とお互い目で何かを確かめ合うように、うん、と傾き合っていた。鼠のような川上さんの神様の表情は、人の子の僕にはやっぱり鼠にしか見えなかったけど、なんだかとても嬉しそうな表情に見えた。