信長に囚われた我らの国ともまた違う異邦人の尋問に立ち会ったこと
先ほどまで述べてきたように、信長の権勢は天下に広く知れ渡っていたから、彼の膝下である岐阜の城下町には、様々な人が往来していて、その様はわれらヨーロッパの最も繁栄している町と比較してもなんら遜色を取ることはないほどだった。城のある山の麓には、彼に仕える数々の貴人たちが住まう邸宅が有り、更にその下の平地には、異教徒たちが住まう木や泥、藁などで作られた家並みが広がっていた。しばしば信長は自らの高貴さを隠し、その町の道を市井の人と違わぬ身なりでその身体の側に護衛も付けずに歩いたが、同時に彼はひどく暗殺を恐れてもいたため、実際には彼が街へ赴く際は彼から約十ブラサほど離れて四方を囲うように、人目に付かぬ形で兵を置いていた。その兵は一見、市民のようないでたちをしているが、その実は、軍事的な専門の訓練を受けた伊賀者と呼ばれる精強な武者なのである。
聖天使ミカエルの日の午後、私とアロンソ修道士は、和田殿より信長から異国人と思しき人間を捕らえたので、検見の際に意見を乞いたいから伴天連の誰かを見繕って登城させよとの使いを受けたと聴かされた。先ほど記したように、信長が岐阜の町を歩いていた際、見慣れぬ異様な風体の人間がいたのを見つけたとのことだった。岐阜の町は内陸にあったので、そのころ我ら伴天連衆の他の異国人はおらぬはずだった。若干、堺の町には商人の中国人やマカオから流入したインド人、遭難して流れ着いたベルベル人などがいるという噂話はキリシタンの間でもあったが、彼らを統括する立場にいる和田殿でもその異国人の仔細を知らぬとのことだったので、私とアロンソは訝しみながらも言われた通り、その日のうちに登城した。
信長は城門までわれらを出迎えた。そして愛想良い笑みのうちに、我らと彼の間の積年の交誼についての挨拶を交わしたあと、件の異国人については実際に見るよりほかないといった旨を述べた。更に付け加えて言うには、われらにとってもまこと奇妙であるやもしれぬとのことだった。われらはそののち、城の警護の者のうちでも特に屈強な武士二人に案内され、ある館とそれに付随する十五ブラサ四方ほどの庭に通された。その館と庭は罪人の断罪や市民の陳情を聞くために専ら用いられるものだった。庭は三方を城を縦横に巡る高さ二ブラサほどの壁に囲まれ、正面に小さく、しかし頑強に造られた門と、館の中にある貴人用の出入り口を別にすれば、一度庭に入った者を易々と外に出さぬように造られていた。これだけでも巧妙なこの国の建築技術を感ずるに十分だが、更に驚くべきことに、われらのいる館は庭に向かった部分をある種のレールに沿って移動可能な紙の壁面とすることで、その全てを開放すれば、屋根の下、板敷の床の上にいながらにして、庭の全体を見渡せるようになってもいたのであった。
われらが到着して間もなく、件の異国人が正面の門から庭に連行されてきた。異国人は一人だけであった。日本の常の方法では、ふつう罪人は木の棒と共に藁を編んで作られた太い縄で縛られるが、この罪人はそうではなかった。ただ両手を体の前で縛られ、そこから伸びた二本の細縄を兵士が握っているほかは、なんらの拘束もされていなかったのである。
異国人は、どこの国の人間かわからなかった。一見してわれらヨーロッパの人間ではないが、インドやマカオに住む者たちにも似ていなかった。肌の色はどちらかというとわれらに似て白かったが、その目鼻立ちは日本人に特有の面相を呈していた。服装はわれらと同じで、シャツを着て、ズボンを履いていた。背丈は日本人の常より高く、われらに迫るか、或いは抜き去るほどだった。彼を連行してきた兵士二人が普通の日本人の背丈だったので、殊更にその異国人の背の高さは際立った。
異国人が庭の土に直に跪かされてから暫くして、裁判官が館に入ってきた。続いて供回りの兵士が数人と、御伽衆と呼ばれる貴人の子弟が数人、和田殿と、最後に信長が貴人用の入り口から館に入ってきて用意された座椅子に座った。信長が着座するのを待ってから、裁判官が異国人に対して「名前と生国を述べよ」と問うた。以下はそれ以降の遣り取りを、あたう限り再現したものである。
「名前は園加賢多郎、出身は常世なり」
「なにゆえにこの岐阜の地に参るや」
「ゆえは無し。知らずのうちに来る」
「園加とは苗字(日本における家族名のこと)なりや」
「然り」
「苗字を持てど帯刀せざるは如何」
「われが来たりし世では生まれてのちに一人として帯刀をせず。いくさの無きがためなり」
「われが来たりし世とは如何。常世なりや」
「然り」
「汝の申す常世はいずこにあるや」
「常世は日の本のうちにあり。いにしえは穢土と号す」
以後その異国人—園加は常世についての説明を繰り返した。その殆どは、われらには理解がつかぬことばかりだった。だが推察するに、園加は自らが未来から来たと主張しているようだった。常世とはこの異教徒たちにとっての永遠の世界である。その世界の住人が偶然こちら側の世界に来る際は、われらの時代のどこかに漂着する、とのことだった。園加は明らかに動揺していた。その様は、忌まわしい悪魔が彼の口を借りて話すことに対し、彼自身が恐れ慄いているようだった。
裁判官からひとしきり質問がなされ、それに対する要領を得ない応答が繰り返されたあと、信長が直接、その異国人に問いただした。
「しかるに、汝はわれらが死したのちの世から来たということになるが、さにあるか」
「然り」
「さにあらば、どれほど下った世から参るや」
「約五百年後なり」
「われの業績は汝の世でも有りや」
「ただ史書の中にのみある」
「この岐阜の町もまたさなりや」
「岐阜の名は残るなり。しこうして岐阜の城も残れども、そはこの城にあらず。史書を通じ、この城に似せて作られたる模造物なり」
「汝のことば聞きがたし。故郷の訛りなるか」
「さなり。標準語と号す。常世のことばなり」
「汝刀を持たざるに、いくさの無きがためと先ほど申した。何故なるや」
「日の本においてはいくさ無し。外国では有り」
「日の本は何故いくさの無くなる」
「今よりのちに天下静謐が為されるなり」
「そは誰が為すや」
「豊臣秀吉と号す者なり」
「われが誰かわかるか」
「あなたは蓋し、織田信長なり」
「わが諱を発するとは何事なりや」
「わが世ではあなたは姓と諱にて巷間語らるるなり。他意なし」
このやりとりについて補足する。日本においては、個人を表すのに様々な名を用いる。私はこの文書において、しばしば信長と表記してきたが、これは実は諱である。諱とは、その個人にとって一番重要な名であり、個人の存命中は口に出すことを憚られていた。
「汝が後の世の者なりとせば、われの死すべきときを知るにやあらめ」
「憚りながら、われはあなたの死すべきときは知らず。ただ場所は知る。本能寺と号す」
「本能寺はいずこにありや」
「京の都に有り」
「なにゆえにわれは死せるや」
「別心によりて死せる」
「誰の別心か」
「明智光秀と号す者なり」
「その明智光秀の別心はなにゆえなりや」
「ゆえは知らず。のちの世に残らざりき」
「われの死に様を述べよ」
「あなたの是非も無しとの一言が残るのみ。本能寺は炎上せり。あなたの身体は見つからざり。首もまたさなり」
「後の世におけるわれの評価は如何」
「英雄なり。冷酷なり。目新しきを好む。現実を尊ぶ。無駄を憎む。あなたは数多の物語にて語らるる。われは史書に疎けれど、そのわれですらあなたを知ることが証左なり」
「われの物語とは、いかようなものなりや」
「一例を挙ぐならば、あなたが女となる。あなたとわが世の男が恋仲となる」
これを聞いて、信長は大笑した。この冷酷な主君は、しばしば激昂すれども平生から誰にでも気安く接したが、前後なく破顔することは稀だった。彼は異常なほど自らの名声を気にかけていたので、園加がやむなく述べた悪魔の言葉に対して満悦したらしかった。彼は打ち震え、脇息と呼ばれる支えにもたれかかった。日本においては、罪人を断罪する際、その罪人が最も油断した際に行われるので、よもや信長はそうするためにこれほど笑っているのではないかと思うほどだった。しかし、そうではなかった。
「全く是非も無し。園加とやら。汝の話の真偽は問わず置くべし」
ひとしきり笑ったあと、そう言って信長は、われらへ目を向けた。
「次はこの伴天連衆と話すべし」