30.『鉄壁令嬢』、研究者から聞いた崖を素手で登る。
ドゥニーは身体に魔力を纏ったまま、崖へと手を伸ばしている。
つかめる場所は、わずか。
その人が登るには適さないものを掴んで、登っていく。
命綱はない。
落ちたところで『鉄壁』の加護を持つドゥニーは怪我一つしない。
だからといって、落ちるかもしれない危険があるのに登っていくドゥニーは恐怖心というものをどこかに忘れてきているのかもしれない。
ドゥニーが徐々に上へ上へと向かう中で、聞いていた通りに魔物が襲い掛かってくる。
翼や羽を持つ小型の魔物が一斉にドゥニーに群がる。嘴や爪、その歯でドゥニーへと襲い掛かるが、『鉄壁』の加護により逆に彼らがはじかれる。
――その魔物たちからしてみれば、なすすべもなく落ちていくはずの獲物が全く傷一つつかないので意味が分からないのだろう。
ドゥニーは崖を素手で登っている状態なので、両手が塞がっている。
その魔物たちの攻撃は、彼女には効かない。
とはいえ登っている最中に襲い掛かられると少しだけ煩わしいものである。
「よいしょっと」
ドゥニーは片手と足で自分の身体を支えると、もう片方の手で器用に襲い掛かってくる魔物を殴った。一瞬でも気を抜けば、彼女はそのまま地面へと落下してしまうことだろう。怪我はしないが、登りなおすことが面倒なので彼女は手を放さないように細心の注意を払っている。
一通り襲い掛かってくる魔物を片手で撃退すると、そのまま彼女はまた崖を登り始めた。
下を見下ろせば、もう既に地面は遥か下。砂漠を歩く人や魔物たちが随分小さく見える。
(ここまで高い場所に登ったのは初めてかも。それにこの崖、まだまだ高いのよね!! 人工物の建物から飛び降りたことはあるけれど、それよりもずっと高くて……、うん、なんてワクワクするのかしら!!)
落ちてしまったらなどという恐怖心は彼女にはない。
ただあるのは、好奇心だけである。
随分登ってきたわけだが、その崖はまだまだ続いている。
――時折、上から石などが落ちてくることもある。しかしそれでも彼女は動じない。
石が落ちてこようが、些細なことでしかないから。
その身でそれを受け止めたり――。そうすれば石の方が砕ける。
石を思いっきり片手でぶん殴ったり……。結局のところ、壊れるのは彼女ではなく、落下物の方である。
「楽しい……!!」
寧ろ落下物が落ちてくることに対して、彼女は楽しんでいた。
落ちてくるものは、この崖の上にあるもの。彼女にとってみたことのないものが落ちてくるとそれはもう楽し気だ。
落ちてくるものは様々で、その落下物に関しては地面へと落ちるころには跡形もなくなくなっているだろう。
だからこそ、崖の上から何が落ちてくるかを知っているのはこうして登ったものだけである。
自分だけしか知らないことが増えていくこと。
自分が見たことのないものをこれから見れること。
それを思うだけで、果てしなく続く崖を登るという行為もドゥニーにとっては興奮することでしかなかった。
ちなみに上へ登れば登るほど、彼女をそのまま落としてしまおうと襲い掛かってくる魔物は巨大なものになった。
下の方ではまだ小さな魔物だった。しかし、上へ行けば行くほどその魔物の身体も大きくなる。ドゥニーよりも大きな魔物が襲い掛かってくる……というのは人によっては恐怖だろう。でもやっぱり彼女は怯えない。
また上へ行くにつれて、崖に空洞が現れたりした。その空洞には崖を這いずり回る黒い虫のような魔物が住んでいるようである。その魔物も例にももれず崖を登っていく生物を攻撃する習性があるようだ。
黒い魔物にまとわりつかれる、愛らしい少女。
……他に誰かが居たら恐ろしい光景である。そういう状況でもその少女がにこにこと満面の笑みを浮かべているというのは余計に恐ろしいだろう。
時折ドゥニーはそれらの魔物を払い落としたり、食べたりしながらひたすら上を目指す。
「おぉお」
崖の上。
ドゥニーが目指しているその場所が目前となってきた時、大きな音がした。
そちらにドゥニーが視線を向ければ、赤い体毛の鳥の魔物がいる。
その魔物はこれまで彼女に襲い掛かってきた魔物よりも強そうに見えた。それでいて崖の上を目指すドゥニーに怒りの鳴き声をあげている。
彼女に攻撃するも、全くきいていないと知るや否や次はドゥニーの掴んでいる部分を攻撃しはじめた。そこを切り離せば、彼女が落下するだろうというのを理解しているらしい。
(ここまできて、落ちるのはごめんだわ。また登りなおすのも楽しいかもしれないけれど、折角ならこのまま上に行きたい!!)
死ぬことはない。
ただもう一度登りなおすよりも、このまま上に登り切りたい。
彼女はそう思っているので、その魔物を無視してそのまま一気にその崖を駆けのぼった。
魔法を行使して、休む間もなく凄まじいスピードで。崖を猛スピードで這い上がっていく少女というのは、中々不気味な光景である。
「ふぅ、ついたー!」
そしてドゥニーは、そのまま駆け上がりようやく崖の上へと、未知の領域へとたどり着いた。