表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

気まぐれな神が寵愛する箱庭

強欲な国の輝ける斜陽

作者: すずき あい

ずっと書いてみたかった、王道の婚約破棄、ざまあものです。設定ゆるゆる。


シリーズの世界観は繋がっていますが、単体でも大丈夫です。

プロローグ


「殿下。殿下が明日賜る毒杯の毒は、数千人に一人の割合で、効かない者がいるのをご存知ですか?」


深夜、耳が痛くなるような静寂に包まれた神殿に、乾いた声が静かに囁いた。



----------------------------------------------------------------------------------



1始まり


その日は、王太子である私の婚約者を選定する為の茶会が開かれていた。



高位貴族の令嬢達が集められ、華やかに装い一見すると和やかに茶と会話を楽しむ空間。しかし、水面下では王太子妃、やがてはこの国の女性の頂点である次期王妃が確約された座を巡り、見えない火花が散っていた。


私はどれも同じようなドレス、同じような顔をした令嬢の相手に内心うんざりしながらも、頭の中では各令嬢の採点をこなして行く。この国の至宝、とまで言われる私の隣に立ってせめて見劣りしない相手を選ぶのが王族の務めだ。


だが、やはり似たような相手ばかりを見比べるのに飽いて、少し理由を付けてその場を外した。普段誰も来ないような庭園の隅で一息つこうと足を向けると、そこには先客がいた。


令嬢と騎士が、ガゼボに座って楽しげに会話をしていた。その二人の距離間は適切であったし、少し離れた場所には侍女も控えている。

しかし何故か私は、その光景に言いようのない苛立ちを覚えた。


令嬢の顔立ちは目を惹くような華やかさはなかったが、淡い金色の髪に淡い紫の瞳を持つ儚げで可憐な印象だった。身にまとっているドレスや宝飾品も、目を見張る程ではないが高位貴族に間違いない品だ。


私の婚約者を選定する茶会に来ているにもかかわらず、何故こんな場所で騎士と隠れて談笑しているのか。選ばれる筈もないと高を括るにしても、顔も見せないとは随分と見た目と違い傲慢で不敬な令嬢だ。


茶会にいた令嬢達とは違い、柔らかな微笑みを騎士などに向ける姿に腹が立ち、私は気がつくと令嬢の手を掴み、そのまま茶会の場へと連行した。共にいた騎士が「お待ちください」と制したが、私の護衛騎士に取り押さえられた。



「母上」


会場に戻ると、様子を見に訪れた私の母の姿があった。私は好都合とばかりに連れて来た令嬢を母の前に放り出すように立たせた。勢いがあったせいで令嬢が少しよろけたことを不快に思ったのか、母の眉が微かに寄った。しかも令嬢は今にも倒れそうな顔色で不恰好な最敬礼を取る。その姿に、周囲にいた令嬢達からもざわめいた気配が上がる。


「これ()良いです」

「今、何と」

「これで、良い、と申し上げたのです。私の婚約者はこの令嬢で、と」

「…!そんな…!」


頭を下げていた令嬢が、許可もしていないのに顔を上げた上に発言までしたことに、周囲も咎め立てるようなどよめきが走る。


「手配をしておけ」


私の側付きの侍従に任せると、ここにはもう用もないので母を促して共に戻ることにした。

背後では何か騒がしい声が聞こえて来たが、面倒な婚約者選定を早く済ませられたことに機嫌が良かった私には、気にもならなかった。



----------------------------------------------------------------------------------


2歪み


婚約者に指名した令嬢は、辺境の地の伯爵令嬢だった。王都にタウンハウスもない貧乏貴族で、後ろ盾は領地が接している辺境伯家のみで、王城に来る為にその辺境伯家のタウンハウスの世話になっている程だった。

仮にも次期王太子妃がそのような環境ではならないと、その日のうちに王城に居を移させ、翌日から王太子妃教育が始まった。


私は王太子としての役割があり多忙の為に顔を合わせることは殆どなかったが、教育係の話では貴族令嬢としての作法は最低限で、王族としての知識や心構えなどがかなり不足していると聞いた。王太子の婚約者選定の為に、各家門では幼い頃から令嬢に厳しく教育を施して来た。そんな令嬢を差し置いて選ばれたにもかかわらず、そのような基本的な準備も怠る家など取り潰してしまえばいいと貴族達の間で囁かれているのは私の耳にもすぐに入って来た。


その話ももっともだとは思ったが、それで取り潰してしまうのは選んだ私の矜持にも関わる。仕方なく母方の祖父に当たる宰相に手を回してもらい、母の兄が当主である侯爵家の養女として体裁を整えた。私の義理の従姉妹としたことで、他の貴族達もじきに静かになった。



それから二年ほど経ちどうにか王太子妃教育も身について、彼女も辛うじて人前に出せる程度には取り繕えるようになった。初めて見かけた時の騎士に向けていたような()()()()()顔をすることもなくなり、王城での贅沢な生活のおかげで美しさも増した。

かつての田舎者でみっともなかった彼女を知る者達はこぞって「さすが殿下はお目が高い」などと口々に言った。すっかり王太子の婚約者らしく美しくなった彼女を連れ歩くことは、私の手柄を周囲に見せつけることに等しく、私も満更ではなかった。



そんな折、辺境で魔獣が大量発生するスタンピードが起こった。王家は近隣の領主に騎士団を派遣するように申し付け、魔獣は王都には近付けるなと厳命して、騎士だけでなく平民も大量に送り込んだ。その甲斐あって魔獣はほぼ辺境で殲滅させられ、大した税収もないような寂れた辺境の領地がひとつ、壊滅しただけで済んだ。

送り込んだ者達も半分以上が死んだが、国を守った栄誉を讃えると壊滅した領地に記念碑を建てた。大半が平民であったので、これほどの名誉はないだろうと思った。


だが、その領地がどうやら彼女の出身地であったらしく、その知らせを受けた彼女はみっともなく泣きながら領地に行かせて欲しいと甘えて来た。ただでさえスタンピードの後処理で忙しい最中に、立場を弁えない彼女を叱責したが、さすがに婚約者に対しての気配りは必要かと思い直し、後からわざわざ王家縁戚の者を新たな領主にして家名を繋いでやった。それを聞いた時に礼の一つもなかったので思わず手を上げてしまったが、後日感動のあまり言葉が出なかったなどと見苦しく言い訳をして来た。が、私の寛容さを示してやることにして互いになかったこととしてやった。


「せめて家族の墓参に行きたいのです」

「もうとうに亡くなった者にすることもなかろう。祈りたければどこかの神殿で祈れば足りることだ」


尚も言い募る彼女に、養女になった時点で家族は侯爵家だと時間を掛けて言い聞かせた。この件については私だけでは手に負えず、母上や侯爵家の手を煩わせてしまったことは、我ながら未熟であったと思う。



そんな風に何度も私を困らせる婚約者に次第に嫌気がさして来た頃、本当の私の従姉妹、彼女にとっては義妹が成人を迎えた。あれ以来常に表情を凍らせたような冷たい婚約者に比べて、従姉妹は明るく華やかでありながらしっかりとした作法も知識も身につけており、従姉妹とはどれだけ話していても飽きなかった。

やがて周囲からも、形だけ体裁を整えた侯爵令嬢よりも、血筋の正しい本物の侯爵令嬢の方がより王太子妃に相応しいとの声が高まって行った。


国王である父も王妃の母も、祖父の宰相、側近の令息達、そして従姉妹本人も、口を揃えて婚約者を交代させることが引いては国の為に繋がると言った。しかし一度私が決めてしまったことを覆すのは世情的にはよろしくない。何せ平民の間では、全てに恵まれた王太子の一目惚れとして吟遊詩人達がこぞって題材にしている程評判が高いのだ。

迷っていた私に、誰かが今の婚約者に罪を被せて王太子妃には相応しくないと断罪して婚約破棄してしまえばいい、と提案して来た。

私は側近達と愛しい従姉妹と策を考え、それを両親と祖父にも見せた。誰も文句のつけようのない完璧な計画だった。


私達はその計画に従って、大規模な建国記念の夜会で彼女を糾弾した。そして綿密に作り上げた彼女の罪を公表し、その場で婚約破棄と、従姉妹との新たな婚約を結ぶことに成功したのだった。


王家の慈悲深さを対外的に示す為、彼女は王城内の神殿に幽閉して、ほとぼりが冷めた頃に修道院に送ることとした。


その日の夜会は、愛しい女性を婚約者にすることが出来、友人達と立てた計画も大成功に終わって最高の日になった。


しかしそれから一年後、私が父から王位を継承して同時に婚姻式も挙げるという準備に追われていた頃、反乱が起こった。

その反乱は周到に計画されていたらしく、内部にもかなりな裏切者がいたことから、大きな被害も出さずにあっという間に城内は制圧された。


先導していたのは私の叔父にあたる王弟で、その右腕として辺境伯当主が先陣を切って近衛騎士団を壊滅させた。そのまるで人の形をした魔獣のような強さと恐ろしさに、城内の貴族はなす術もなかった。


私を含めた王族や、国の中枢を担っていた高位貴族は、顔に飛んだ血もそのままに玉座に就く叔父と、頭から血を浴びたような赤い髪の辺境伯の前に引き立てられた。


「国王陛下は、一人隠し通路から逃走したところを私が斬った」


叔父はそう言って、拭っただけの赤い手の平をかざして見せた。


父は、自分しか知らない隠し通路から逃げ出そうとしたが、城下ですぐに正体が判明して斬られたという。


「色が地味なだけの上質なシルクを纏った平民など、どの世界にいる」


その時の叔父の顔は、笑っているのに泣いて見えた。


そこで、叔父により次々と明かされる事実を知らされ、ある者は誤解だと泣き喚いた為にその場で辺境伯に首を落とされた。ある者は最後まで聞くことが出来ずに気を失って、どこかに連れて行かれた。


私は。


私は、私の知らなかった事実と罪を暴かれて、そこから先は何を言われたのか覚えていない。


かつて私の婚約者だった彼女は、あの時共にいた騎士と婚約を交わした挨拶を騎士団長にする為に王城を訪れていて、最初から王太子の婚約者選定の茶会の招待者ではなかったこと。そのことを幾度も訴えても、全て王家に潰されたこと。教育係や、他の令嬢にひどい嫌がらせを受けていたこと。そして真実を話せないように、魔法で強制的に誓約をさせられていたこと。


目の前にいる、憎しみの炎を宿した目で見下ろして来る辺境伯はあの時の騎士で、スタンピードが起こった時は三男だった彼は王城で騎士を務めていた為に生き残り、辺境伯を継いだということも初めて知った。


「私は、彼女が望んでいたと…」


思わず漏れた言葉が辺境伯の耳に届いたのか、視線だけで首が落とせるのではないかと思うほどの怨嗟のこもった目で見られて、私はそれ以上声が出せなかった。


「本来ならば、婚姻までの期間、家族と共に思い出を残す為に穏やかに領地で過ごす筈だった…」


辺境伯の低く呟いたその言葉と共に、私の脳裏には泣いて故郷に帰りたいと縋る彼女の姿が思い出された。今更ながら、どうしてあれを私の気を引きたい為の我儘だと断じたのだろうか。


その答えは、誰も出してはくれなかった。



----------------------------------------------------------------------------------



3断罪


私と王妃の母、そして元宰相の祖父と婚約者の従姉妹。更に親友とも言える側近三人は王族の血筋として毒杯による処刑となった。表向きはそうだが、おそらくあの夜会で元婚約者を断罪した罪だろうということはうっすら理解していた。祖父や従姉妹はともかく、側近のうち二人は王族との縁戚ではない。

そもそも遡れば、辺境伯は自分の婚約者を救う為に密かに動いていたところを、あの夜会の婚約破棄から王位簒奪を目論んでいた叔父と手を組んだのだと聞いた。あの断罪がなければ、王族を嫌っていた辺境伯は叔父とも協力はしなかっただろう。


私は、自らの愚かさで怪物を誕生させ、破滅に導くものに成長させてしまったのだ。




王城内の神殿に幽閉された私は、冷え切った独房の中で膝を抱えていた。


ここに幽閉された者は階の違うところに収容されているので、互いに言葉も交わすことすら出来ない。もし会えるとすれば、処刑時だろう。


ふと、何かズルリズルリと引きずるような音が聞こえる。その音は次第に近付いて来て、私の独房の前で止まった。


「誰だ」


思わず震えてしまいそうな声を抑えて、私は鋭く問いかけた。すると、返答はなかったが代わりにガチャリと鍵の開く音がして、ゆっくりと独房の扉が開いた。


「何者だ」


そこに立っていたのは、神官のローブを纏った白い髪の老人だった。長く伸ばした髪で顔は半分隠れていたが、僅かに覗く口元は深い皺が刻まれ、皮膚も乾いている。そして袖口から見える指先も枯れ枝のようだ。


「我が国の尊き太陽、王太子殿下に拝謁賜ります」

「私はもう廃されて処刑を待つ身。そのような礼はやめてくれ」


恭しく頭を下げて老人に、私は不快感を覚える。特に足元が覚束ない老体で、よろめきながら言われても苛つくだけだった。


「このような夜更けに何をしに来た。暗殺でも目論んでいるのか?」

「滅相もございません。わたくしはただ、その高貴な御身が不遇を受けることに耐えかねまして、参上した次第にございます」


老人の口から漏れる言葉は、歯が抜けているせいかひどく聞き取り辛かった。そして言っている意味が分からず私は首を傾げた。


「貴様などと話す気はない。さっさと消えろ」


この王城内の神殿は建物全体に結界を施されていて、食事や着替えなどを運んで来る時以外に人は配置されていない。中で万一のことが起こっても、そもそもが処刑を待つような罪人が収容されるような場所だ。幽閉された罪人には何が起こっても構わないと思われているのだろう。

だからこの老人が独房の扉を開けたところで逃げることが不可能なのは、元王族の私が一番よく知っている。


「殿下。殿下が明日賜る毒杯の毒は、数千人に一人の割合で、効かない者がいるのをご存知ですか?」


私は老人を追い出そうと立ち上がり掛けたが、その言葉に動きを止めてしまった。



老人に導かれるように、私は階下の礼拝堂へと向かった。老人は足も悪いのかひどく緩慢な動きであったが、私は黙ってその後をゆっくり着いて行った。


「体質、なのでしょうか。稀に毒の効果がなく、死を免れる罪人がおります」

「その者はどうなるのだ?毒杯以外で再度処刑されるのか?」

「いいえ。その者は神により赦された者として、無罪放免となって城下に解放されるのです。勿論、身分は平民とはなりますが」


老人は壁を這うように階段を降り切って、中央の礼拝堂の扉を開けた。


礼拝堂の中は、耳が痛い程の静謐が支配していた。


奥の祭壇には台が設置されていて、そこに何か乗っている。


「あれは…」

「あれが明日、殿下に渡される毒杯にございます」


目を凝らすと、そこには7個のゴブレットが並んでいる。


「前日に罪人の名を刻んだゴブレットに毒入りワインを注ぎ、祭壇に捧げて神の判断を仰ぐのです。もうあの中にはワインが注がれております」


少し近付いて眺めると、月明かりの差し込む祭壇の上は思ったよりも明るく、目が慣れて来ると刻まれている名前も判別出来た。覚悟はしていたが、やはり自身の命を奪う毒杯を前にすると体の奥から震えが湧き上がって来る。


「殿下、こちらはその解毒剤にございます」

「なっ…!?」


思わず声を上げそうになって、慌てて手を口に当てる。

老人は微かに震える手で、手の中にすっぽりと収まってしまう小瓶を差し出して来た。


「これを全て入れれば、一人分の毒は中和されます。たった一つだけ手に入れることが出来ました。どうぞ殿下の手で、正しき判断をなさってください」

「これが…一人、分…」

「はい。これをあのゴブレットに入れれば、明日の処刑で生き延びて外に出ることが出来るでしょう」


もうすっかり死を覚悟していた私の前に、このような奇跡が起こるものだろうか。手渡された小瓶は軽く、ひんやりとしていた。寒いはずなのに、口の中がカラカラに乾いて、額には汗が滲んでいた。


「何故…何故お前がここまで」

「わたくしはかつて王家に忠誠を誓った者。どうか、殿下の御心のままに」

「では、どうしてお前がその手で実行しない」


「わたくしは、贖罪者にございます」


老人が袖のローブを捲ると、手首の辺りに焼きごてで押された魔法紋が現れた。


贖罪者とは、一度死にかけたが奇跡的に蘇った者で、神に全ての罪を赦されていると言われている。そして次にその者が神の国に行く際に、多くの罪を背負って行ってもらうように、その贖罪者の紋を持つ者は多くの土地をさすらい歩いては人々の罪を負い、人々は彼らに施しを与えて出来る限り長く生かしてやるのだ。

その生き方は決して恵まれたものではない。どこかに定住することは赦されず、どんなに年老いてもさすらい続けることを義務付けられている。そして誰かを傷付けることは魔法で禁じられていた。それは自分で自分を傷付けるのも出来ない為、自死も禁じられる。多くの贖罪者は、各地でどんな理不尽な目に遭わされようともすぐに死ぬことは赦されず、死ぬ寸前で回復薬を与えられては放逐される。それが生涯続くのだ。


「わたくしは自らの手で入れることは出来ないのです。ですから、殿下、貴方様の正しい判断を」

「私の、判断」

「わたくしではその場を見ることも許されておりません。しばし礼拝堂の外でお待ちしております。くれぐれも、ゴブレットには触れませぬよう。あれに触れると、すぐに警備兵が貴方様を斬り捨てるでしょう」


老人は深々と頭を下げて、礼拝堂を出て行った。



----------------------------------------------------------------------------------



4因果応報


翌朝早く、朝食ではなく真新しい着替えが届けられた。生地は粗末であったが、きちんと糊の利いた真っ白なシャツに袖を通すと、不思議と引き締まった気分になった。

着替えを届けに来た者に連れられて礼拝堂に赴くと、同じタイミングで連れて来られた皆と顔を合わせた。



「これより、刑を執行する。皆、祈りを捧げるように」



祭壇の前に立った神官の言葉だけが礼拝堂に響いた。

ここに集った全員、誰も口をきかなかった。ただ淡々と刑を受け入れているようだ。確かに私達は愚かで大きな罪を犯した。しかし最期は人の上に立つ覚悟を持った者らしく、粛々と受け入れている。その最期の光景の美しさに、私はただ穏やかな気持ちになっていた。


「それでは皆、無事に神の御許に辿り着きますことを」


神官の言葉と同時に、私は目を閉じて一気に毒杯の中身を呷った。


「ぐっ…!」

「ごぶぅ…」


周囲でガタガタと激しい音がして、くぐもった声と生臭い臭いが鼻を突いた。



目を開けると、そこは顔を背けたくなる凄惨な光景が広がっていた。

私以外の者は皆床に倒れ、血ともワインともつかない吐瀉物と汚物にまみれ、意味をなさないうめき声を上げながらのたうち回っていた。そして身体中を掻きむしり、容赦ない力が込められているのか皮膚が裂けて鮮血が溢れる。


「これ、は…?」

「自傷で死ぬ前に早く処置しろ」


思わずへたり込んだ私の頭の上から、凍り付くような冷たい声が降って来た。呆然と顔だけを上げると、かつて玉座の横に立っていた辺境伯が私を見下ろしていた。

何故彼がここにいるのか理解出来ずにいると、不意に体を押さえつけられて額に激痛が走った。


「ああああああっっ」


思わず声を張り上げ、拘束が解かれると痛みの元を押さえて蹲った。目の前がチカチカするような痛みに、堪えることも出来ずに溢れた涙がぼたぼたと床に染みを付ける。


何が起こっているか分からず混乱し、周囲は阿鼻叫喚と悪臭が充満して、この世のものとは思えない様相になっていた。


「何故…っ何故こんなこんな…っ」

「何故?」


蹲る私の視界の端に、白い裾が映り込む。最初の激しさは多少治まったものの、ひどい激痛を伴う額の疼きを堪えて視線を上げると、昨夜の私に解毒剤を渡して来た贖罪者が立っていた。相変わらず表情は見えないが、覗く口元は裂けたような笑みの形を作っていた。


「昨夜皆様にお渡しした解毒剤は、実は毒薬でございました」


老人が何故か朗らかに歌うように宣言すると、あちこちから呻き声が怨嗟を含んだように大きくなった。


「ゴブレットに入っていたのはただのワイン。そう、この刑は、生きたいと目論んだ者に死を、死を望む者には死ねぬ贖罪を与えるものなのですよ!」

「とは言え、すぐに殺して楽にしてやるのも癪だったからな。毒薬は致死量の半分にしてやった。そうだな、これからそのまま一年程掛けてゆっくりと内臓が腐って行く激痛に耐えれば無事に死ぬだろうさ」


老人の言葉を継いで答える辺境伯の言葉も、まるで弾んでいるように聞こえる。


「途中、何も知らぬ民から回復薬を与えられて、寿命が伸びないことを祈っておりますね、皆様」


私は、私だけに与えられたと思っていた解毒剤が、全員に与えられたのだとようやく気付いた。そして皆が皆、自分が助かろうと自らのゴブレットに毒を注いだのだ。


「まさか…」

「ああ、この女はもう死んだな。まあ、致死量だからな」


私が嫌な確信に辿り着いて顔を上げた時には、婚約者の従姉妹は可愛らしかった顔を原形もない程歪めて、体を海老反りにした姿で事切れていた。掻きむしった無数の喉の傷に、ドス黒くなった顔からダラリと垂れ下がった舌。いくら愛しいと思っていても、正視するのも憚られる惨たらしい死に顔だった。


「殿下、ここには実のお母上もお祖父様も、親友も、命を掛けて愛した婚約者もいらしたのに、()()殿()()()()()()()()()()()()()()のですね」


老人の声が、考えないようにしていたことを代弁してしまい、私の心を深く抉り取った。


「う…うわあぁぁぁぁっ!」

「そして自分は愛した女性にとどめを刺した訳ですか」

「や、やめろ!やめてくれ!」


私の心がへし折られ、ただ涙を流すことしか出来ない。


どのくらい時間が経ったのか、手袋をした兵士が死んだ従姉妹を粗雑に麻袋の中に入れようとしていた。


「何を…」

「捨てるのですよ。ゴミと一緒に。獣や虫が食べてくれるでしょう」

「ま、待ってくれ、せめて、弔いを…」


「『もうとうに亡くなった者にすることもなかろう。祈りたければどこかの神殿で祈れば足りることだ』でしたね、殿下?」

「あ…お、前は」


老人が急に私に顔を寄せて、ニタリと笑った。近付いて来たことで、長い髪の隙間からギョロリとこちらを凝視している薄紫の目が見えた。覗き込まれたその目は焦点が合っておらず、まさしく狂人のそれであったが、その美しい色合いは間違えようがなかった。


「まさか…そんな。お前は修道院に入れたと…たった一年で、どうして」

「ひと月です、殿下」


老人と思っていた贖罪者は、紛れもなく元婚約者であった。しかし私より年下だった筈の彼女が、髪は真っ白になり痩せ衰え、どう見ても老人にしか思えない姿になっていることが信じられなかった。

うなされるように呟いた私の言葉に被せるように、辺境伯の固い声が遮る。


「私が婚約者を救出したのは、あの婚約破棄があってからひと月後でした。その時には彼女はもう今の…いや、今よりももっと酷い姿になっていた」


辺境伯は、私の胸倉を掴んで引っ張り上げた。座り込んだ状態だった私の体は腰が浮くほど持ち上げられて、シャツの襟が首に食い込んだ。


「どうしたらひと月で人間一人をあんな状態にまで追い込めるか、一度体験してはいかがです?」


獰猛な殺意を正面から浴びせられて、私はただ息を吸うだけで精一杯だった。何かを言おうにも、喉の奥が痺れたように動かない。


「こいつらを別々の場所に放り出せ」


辺境伯は不意に興味を無くしたように私のシャツを離し、他の兵士に命じてまだ呻き声を上げて芋虫のように蠢くだけの母達を連行させた。


「殿下。貴方だけは最後の最後に愛する女性を助けようとした。あいつらよりも羽虫程度にはマシだと思って」


辺境伯は、息を吐いて少しだけ元婚約者を見た後に私に向かって僅かに眉を下げた。


「彼女よりも辛い目に遭ったと思ったら辺境領へ来い。俺が早めに命を終わらせてやろう」

「慈悲に、感謝する」


私は、生まれて初めて、心から自分の意思で頭を下げていた。



----------------------------------------------------------------------------------



5後日談


「辺境に戻ってしまうのか」

「私も彼女も、王都には良い思い出はありませんから」

「そう言われると返す言葉もない」


王弟から国王へとなった男は、名残惜しそうに辺境伯に語った。しかし彼の決意は固く、取り付く島もない。


「彼女はあれからずっと?」

「はい。これまでも復讐の為に辛うじて正気を保っていたのです。それが終わった今、その糸が切れてしまったのでしょう」


元王太子達を断罪した翌日、目覚めた彼女は何の反応も示さなくなっていた。ただ人形のようにぼんやりと目を開けているだけで、話しかけても触れても無反応のままだった。医師に診せても、神官に治癒魔法を掛けてもらっても、彼女の様子が変わることはなかった。


「あの左手、何か持っているのか?」

「さあ…保護した時からずっと握りしめたままなのです」

「そうか」

「陛下。我々はそろそろ失礼いたします」

「…達者でな」

「ありがとうございます」



まだ反乱がおさまったばかりでどことなく落ち着かない喧騒を抜けるように、一台の馬車が辺境領に向かって走っていた。

辺境伯は、隣で眠ってしまった彼女に肩を貸しながら、起こさないように左手首に押された贖罪者の魔法紋を優しくそっと撫でた。


彼女は冤罪であることがバレないように、裁判もなしに毒杯で処刑される筈だった。もはや疲れ切っていた彼女は、彼らの思惑に反して解毒剤を渡されてもゴブレットに入れなかったのだ。

そして望まぬ形で生き残ってしまった彼女は、贖罪者の魔法紋を押され、城外に放逐される寸前で辺境伯が救出したのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



「やっと、帰って来られました」


辺境領に戻る前に、彼は密かに彼女を連れてとある場所に降り立った。


この場所は、かつて彼女の両親が治めていた伯爵領。今は王族の血縁が治めているが、かつてのスタンピードの被害から殆ど復興は進んでいない。領主が自分の城の周辺のみに金を掛けて、領民への手は差し伸べられておらず、領民は次々と隣の辺境領に逃げ出していた。

その為辺境伯の彼とは折り合いが悪く、領民泥棒と難癖を付けては金銭を請求して来ていた。そんなこともあって、彼はこっそりと領内に入るしかなかったのだ。


悪趣味なものに建て替えられた城の裏手に、前伯爵家、つまり彼女の家族の墓があった。殆ど手入れされずに半ば埋もれたようになった墓標の前の草をかき分けると、苔むした中に微かに見知った名前が見える。

少し期待を込めて彼女の様子を眺めたが、それを見ているのかいないのか、ただいつものようにぼんやりと佇んでいた。


彼は諦めて、一人で墓標の前に跪くと、手を合わせた。


どのくらい祈っていただろうか。不意に背後で小さくポチャリ、と音がした。振り返ると、彼女が城の側の井戸の脇に立っていた。彼は慌てて彼女に駆け寄ると、そっと抱き寄せて井戸から距離を取った。いつもの様子ではうっかり井戸に落ちかねない。


「ん?左手が…」


ふと気がつくと、常に何かを握りしめた形になっていた彼女の左手が、緩く開いていた。彼がそっと手を取ったが、そこには何もない。


「さあ、もう行こう。また連れて来るから」


城の者に見咎められると色々と厄介なことになる。彼は自由に彼女の墓参が叶うように、領主との話し合いを急がねば、と心に決めた。



彼の決意は、一年後に思わぬ形で叶えられることになった。


彼が辺境領に帰参した直後に、伯爵領領主が謎の奇病に罹り、領主をはじめとして城にいた人間の大半が亡くなり、生き残った者も逃げ出してしまった。

王都より検分に訪れた医師が領主の遺体を確認したところ、内臓の殆どが溶けて原形を留めていなかったと言われている。


そのような不審死を遂げた場所では領主のなり手が見つからず、結果的に伯爵領は隣の辺境領に統合されたのだった。



不審死が相次いだ元領主の城は誰も住むことはなく、長年放置されてやがて朽ちて行った。

城の形が完全に失われ僅かに土台を残すのみになった頃、その側には美しい花畑が広がっていた。かつての領主の妻がこよなく愛した花畑だと伝えられていて、領民達も長くその場所を愛したと言われている。



----------------------------------------------------------------------------------



エピローグ


その後王国は流行病が蔓延し、たった数年で人口が半分近くにまで激減した。国力は一気に衰え、短い期間で国王が何度も入れ替わった。

傲慢な王家に神の怒りが降り注いだ為だとも言われていたが、現在の研究ではこの国の風土病が流行病を誘発していることが原因だとされている。しかし、諸説が多く未だに原因の特定はされていない。


この暗黒期とも呼ばれる国の混乱は、100年以上経った今でも影響を及ぼしていると、歴史書には記されている。

お読みいただきありがとうございます!


連載ものの合間に息抜き的に思い付きました。


数年後、国内各地で「血まみれ贖罪者」という怪談が子供達の間で流行るようになります。地域によって「アタシ綺麗?」と聞かれるとか「グリース」と3回唱えると逃げ出すとか、都市伝説化して行きます。

後年、贖罪者が流行病の媒介になっている可能性が高いと判明し、贖罪者の制度は消失しました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ