貸本屋の妖魔本コレクター
春も過ぎ去り梅雨が近付く早朝。
私は自警団の自室で仕事着に着替えている最中だった。
突如先輩が部屋にやって来たのだ。
「おはよう絢音、今日はお休みだ」
あいさつと突然の事に私は先輩にじと目を向けた。
「先輩、着替え中なんだけど。あと休みって急過ぎない?」
「あ〜? ならさっさと着替えてしまいなさい」
言われて私は手早く仕事着に着替える。
いつも通りの服装に先輩は不満気な眼差しを向けて来た。
「休日なんだからお洒落でもしたらどう?」
この仕事着は動き易いし、私が休日中でも自警団が見張っているという証になる。
とは建前で着物を用意して着替え直すのが面倒だったのが本音だ。
「事前に言ってくれれば着物用意してたよ。それで如何して急に休みなの?」
私は何故休みになったのか。その理由を尋ねると先輩は笑みを浮かべて。
「働き者の後輩をたまには休ませてあげないとね」
その口振りでは私だけが休みのように聴こえる。
「先輩は休まないの?」
「あ〜、当然私も休みさ。ま、珍品探しに出掛けるけど」
なんだ先輩も休みで安心したわ。
私一人だけ休みだなんて申し訳ないもん。
「じゃあ今日は何をしようかな? 小鈴の所で本でも借りようかな」
急遽休みになったから如何やって時間を潰そう。
それに今日の晩は満月だ。だから夜支度の用意もしないと。
「先輩、今日は満月だから帰らないよ」
「不良ね。年若い子が夜遊びだなんて」
そんな事を揶揄い気味に言われた。
「妖怪としての影響を与えたくないからね」
満月の日は私の妖気が特に強まる日で、妖怪としての特徴が現れる日でも有る。
性格も価値観も変化してしまうから何かの拍子で里の人間に危害を加えないとも限らない。
だからそれを避けるために私はずっと満月の日は里の外で過ごしてきた。
あぁ、満月といえば慧音先生も貯まった歴史の編纂で忙しいだろう。
「分かっては居るけどね。あ〜、今日は一人寂しく一晩過ごさないといけないのね」
「そこはお互い様という事で」
温室育ちの半妖にとって一晩一人で過ごすってのは孤独なのだ。
▽ ▽ ▽
急遽休みになった私は自室で読書にでも明け暮れようかと思ったけど、今日は天気が良いから外に出ないと勿体ないと思った。
だからこうして適当に人里をぶらついている訳なんだけど。
「今のところ平和ねぇ」
なんて陽気な事を言うと、私の足取りはいつの間にか鈴奈庵に向かっていたらしい。
気が付けば目の前には鈴奈庵だ。
そろそろアガサクリスQ先生の新作が出ないかなぁ?
幻想郷で推理小説なんて流行らないなんて思ってたけど、読んでみればこれがまた面白い。
外の世界の推理小説は読んだ事が有ったけど、あれは専門用語と外の世界の価値観と技術ばかりで意味不明で共感も有ったものじゃなかった。
だけどアガサクリスQ先生の推理小説は幻想郷向けの書物だ。
今ではすっかり推理小説といえばアガサクリスQ先生と呼ばれるほど、幻想郷では大人気ね。
販売はいつかなぁ。なんて期待に胸を膨らませていると店の中から長机を引っ張り出した小鈴が出て来るではないか。
「絢音、丁度いい所に」
「それを何処まで運べば良いの?」
「さすが! 話しが早くて助かるわぁ。これを広場までお願い」
「それで今日は何を宣伝するのかな」
「ふふっ、絢音が大好きなアガサクリスQの新作よ!」
「!? 小鈴! 手伝う代わりに!」
「分かってるよ。ちゃんと絢音の分も確保しておくから」
そうと決まればさっそく行動開始ね。
私は小鈴が苦労していた長机を受け取り広場まで駆け出して行った。
▽ ▽ ▽
アガサクリスQ先生の新作は販売開始の宣伝と共に瞬く間に売れてしまった。
今日が休みでも無ければ私は買い逃していたことだろう。
ありがとう先輩! 先輩のお陰で新作を買う事ができたわ!
さっそく本を買った私は小鈴と鈴奈庵に戻った。
「今回はどんな内容なのかしらぁ〜」
本を両手に頬が緩む。
そんな私を見ていた小鈴は、
「甘味を食べてる時並みの反応を見せるよね」
「次はいつ販売なのかって楽しみだったからね。時間の概念が酸味な私にとってこれも楽しみな一つなんだ」
「絢音なら何百年も新作を待ち続けそうね」
「何百年後までに鈴奈庵が残ってればね。ってそれ以前に著者が亡くなちゃうじゃん」
「もしかしたら何百年後にはアガサクリスQ先生と同じレベルの小説を出す人が居るかもよ」
むむ、それはそれで楽しみになるわね。
「そういえば話しは変わるけど、最近妖魔本の方は如何なの?」
「順調に数を増やしてるよ。最近は妖魔本の入手方法も増えたしね」
「暴走とか乗っ取られる心配をしてるんだけど」
「大丈夫よ。霊夢さん達から的確なアドバイスを貰ってるから」
「それなら安心だけど」
「そういえばさ、絢音が書いた物は妖魔本にならないの?」
興味津々に書かれてもなぁ。
一応私の悩みの種の一つなんだけど。
「夜は満月の晩に限らず微量な妖気が溢れちゃうからさ、気を付けてないと筆に妖気が宿ちゃうんだ」
それで活動日誌を一部だけ妖魔本化させたことが何度有ったことか。
その度に先輩にドジっ子ねって揶揄われたことか。
っと私がその話をすると小鈴の眼が輝いてるではないか。
「あのねぇ、妖魔本化するって言ったけど文字が人間に読めなくなるだけで書いてる内容は普段のとは殆ど変わらないのよ?」
「でも妖魔本コレクターとしては絢音の書いた日誌も価値有る資料になるわ!」
「人のうっかりミスを資料扱いしないでよ」
何処までも妖魔本に目が無い小鈴に飽きれた様子を見せると、彼女は何か気になったのか尋ねてきた。
「絢音ってもしかして夜なら妖魔本が読めちゃったりするの?」
「うーん、満月の晩ならはっきり読めるようになるけど、普段は一部しか読めないよ。私にはまだ妖怪の言語に対する知識が不足してるからね」
何故妖怪化すると読めるようになるのかは、きっと妖怪の血がそうさせてるのだろう。
「それなら読み書きを習って行く」
「いやぁ、やめておくわ。あんたの事だから妖魔本の量産目的だろうし」
「ちぇ! 折角妖魔本が増えると思ったのに」
残念ながら世の中そう上手くは出来ていないのだ。
ただ、小鈴の誕生日には妖魔本を贈るのも悪くはないのもかしれない。
どうにも妖魔本を諦めきれない小鈴の様子に小さく笑っていると、
「絢音! 探したわよ!」
呼び声に振り向くと息を切らした稗田阿求の姿が有った。
私を探すほどの用事とは何だろうか? 何か事件でも起こったのだろうか?
阿求の来訪に私は人知れず不安を抱いていた。