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第一問 どこで番号札を落としたか

 養老(ようろう)須磨子(すまこ)は、アラームの音で目を覚ました。時刻は午前七時。

 携帯端末を手に取り、画面を見ると、メッセージが届いていた。


 お母さん>起きてる?


 須磨子(すまこ)は端末を操作した。


 養老(ようろう)>うん


 お母さん>八時頃、迎えに行くからね


 養老(ようろう)>うん


 須磨子(すまこ)はしばらく布団でぼんやりしていたが、意を決して上半身を起こした。掛け布団を蹴り飛ばし、服を脱ぐ。

 クローゼットから制服を取り出して、袖を通す。洗面所へと向かい、顔を洗った。鏡には、目つきの悪い短髪の女が映っている。

 持ち物を整理して、準備は完了。

適当に時間を潰していると、気付けば時刻は七時四十五分。

 彼女は鍵を持って玄関を開けると、外へ出た。

 廊下を歩き、エレベーターに乗って一階へとおりる。

 自動ドアをくぐり、マンションの前の歩道で待機。

天気は晴れ。静かな朝である。

 今日は、T高校の入学式。

 (この一年、辛かったな)

 そう、去年、須磨子(すまこ)は多忙を極めた。

 志望高校のランクを突然二つ上げたせいで、半年ほど一日十時間は勉強する日々が続いたのだ。

 (それもこれも、全部あいつのせいだ)

 五分ほどその場で待っていると、黒のラパンがやってきて、須磨子(すまこ)の目の前で止まった。助手席側の窓が開いて、母が笑顔を見せる。

 「おまたせ」

 「うん」

 須磨子(すまこ)が助手席に乗り込むと、車はすぐに発進した。

 「ってやば、須磨子(すまこ)、あれ持ってきたよね?」

 「あれって?」須磨子(すまこ)はシートベルトをしめながら尋ねた。

 「番号札。たしか、持ってないといけないんでしょ?」

 「あーうん、大丈夫……、たぶん……」

 「いま確認して。昔っから忘れっぽいんだから」

 「はいはい……」

 須磨子(すまこ)はポケットに手を突っ込んだ。指先に硬い物が触れたので、それを取り出す。掌ほどのサイズのそれは、白くて薄い楕円形で、表面に黒字で番号が書いてある。

 「あったよ」

 「そ。よかった」

 「うん」

 「……須磨子(すまこ)も高校生かぁ」

 「だね」須磨子(すまこ)は手をブレザーのポケットに突っ込んだ。

 「なんだか感慨深いよぉ。ついこの間まで、よちよち歩きの赤ちゃんだったくせに」

 「中学の入学式のときも同じようなこと言ってたよ、お母さん」

 「そうだっけ?」

 「うん」

 「よく記憶していらっしゃる」母は運転しながら左手で須磨子(すまこ)の頭を撫でた。

 「危ないよ……」

 「やっと高校生になったんだからさ、イメチェンしたら?」母は息をついた。「須磨子(すまこ)が短髪以外の髪型にしてるところ、わたし何年も見てないんだけど」

 「私も見てないなぁ」

 「あと、目つきが鋭すぎるよ須磨子(すまこ)は。常に睨んでるみたいで、怖い」

 「……そう? 私は嫌いじゃないんだけど、自分の目」

 「あとあと、雰囲気が暗い。話しかけにくいオーラが滲み出てるのよ、貴女から。せっかく容姿は整ってるんだから、もっと愛想よくしたほうがいいよ」

 「……」

 「あとあとあと、言葉遣いがさ、もう少し……、こう……、女の子らしい口調を心掛けられないの? 変な奴だと思われるよ、それ」

 「あの……」須磨子(すまこ)は微笑んだ。「どうしたの、突然……」

 「これから輝かしい高校生活を送る須磨子(すまこ)に、助言しているのよ」母は溜息をついた。「いいなぁ、高校生。私も、もう一回やりたいなぁ……」

 「そう……」

 「あ、そうそう、張り切って入学式から友達つくろうとするの、やめたほうがいいわよ。こいつ必死だなって、見くびられるからさ。どうしても話しかけたいなら、入学式って何時からですか? みたいな事務連絡から切り込むのよ」

 「大丈夫、一言も発さずにやり過ごすから」

 「……ったく」

 しばらく雑談していると、車はT高校の駐車場に到着した。車外に出て、辺りを見渡す。

 T高校の敷地は巨大な正方形となっていて、辺の中心から垂直に伸びるメインストリートが図形を真っ二つに分断している。分断された東側の敷地には、校舎や体育館があり、西側には部室棟や剣道場、柔道場、射撃部の施設などがある。おおよそ、課外活動に利用するか否かで分けられているようだ。

 駐車場を出て、幅十メートルほどのメインストリートを横切る。メインストリートには、イチョウの樹がズラリと並んでいて、等間隔にベンチが備えられている。レンガ調の地面が中々洒落ていた。

 (誰もいないな)

 須磨子(すまこ)須磨子(すまこ)の母以外、周りに人影はない。

 (まぁ、まだ入学式まで一時間近くあるからな)

 人ごみに揉まれるのが嫌なので早めに出発したのだが、どうやらそれが功を奏したようだ。

 母と並んで歩き、真っすぐ体育館へと向かう。体育館の出入口に備えられている受付で、須磨子(すまこ)は名前を記入し、資料を受け取った。

 体育館の中はガランとしていて、少しだけ肌寒かった。手前に保護者用のパイプ椅子群があり、奥に新入生用のパイプ椅子群がある。壇上には花が並べられていた。

 「それじゃ、私は適当に座って待ってるから」

 そう言うと母は保護者用の椅子に腰かけた。

 須磨子(すまこ)も自分の席を探す。

 (えっと、番号札……)

 自分の席の位置は番号札に記載されている。須磨子(すまこ)はブレザーのポケットに手を突っ込み、目的の物を探した。

 (……あれ?)

 硬い感触が伝わってこない。

 手を引き抜き、反対側のポケットも探る。が、こちらからも番号札は出てこなかった。

 (おいおい……)

 胸ポケットも確認する。

 ない。

 内ポケット。

 ない。

 スカートのポケット。

 ない。

 反対側……。

 ない。

 念のため、ブレザーのポケットの中身を全て出した。

 しかし、出てきたのは携帯端末とハンカチ、財布、マンションの鍵だけ。

 念のため、ハンカチと財布に番号札が紛れ込んでないか確認する。

 しかし、やはり無い。

 (どっかで落としたんだ)

 須磨子(すまこ)は舌打ちをした。

 (えっと、番号札を最後に見たのは……)

 母の車の中だ。

 つまり、

 (落とした可能性のある場所は、お母さんの車の中か、駐車場から体育館までの間、そのどちらか)

 須磨子(すまこ)は、その場でしばらく立ち尽くしていた。

 (ったく、どうして割と重要な持ち物を落とすんだ……)

 もう一度だけ、ポケットの中身を全て確認する。

 ブレザーのポケットには、携帯端末、ハンカチ、財布、マンションの鍵。

 胸ポケットと内ポケット、スカートのポケットには、そもそも何も入っていない。

 (探しにいく、か……)

 だが、そのためには体育館から出ていかなければならない。

 つまり、保護者用のパイプ椅子群を横切る必要があるわけで、そうなれば、母が須磨子(すまこ)の姿に気付くのは必至。

 (絶対事情を聞いてくるよなぁ、お母さん)

 母は、須磨子(すまこ)の落とし物癖、忘れ物癖を非常に問題視しているので、番号札を紛失したことがバレたら、まず間違いなく不機嫌になるし、注意される。

 (できれば、それは避けたいところ……)

 しかし、番号札が無いと、自分の席の位置がわからない。

 (……とりあえず、いったんトイレいこ)

 須磨子(すまこ)は動き出した。


 【2】


 トイレから出てきた須磨子(すまこ)は、ハンカチで手を拭きながら体育館の中を眺めていた。

 (ちょっと人、増えたな)

 新入生用のパイプ椅子群に、ぽつぽつと生徒の姿があった。

 (……あ!)

 起死回生のアイデアが須磨子(すまこ)の脳裏に突然浮かんだ。

 (そうか、たぶん、椅子は五十音順で並べられてるから、生徒の苗字を確認すれば、私の席の位置がわかるかも)

 思い立ったが吉日、須磨子(すまこ)はすぐに行動した。

 まず、生徒の苗字を確認し、席が五十音順か否か判断する。

 が、五人の苗字を調べたところで、須磨子(すまこ)はもう嫌になってしまった。

 (恥ずかしいなぁ)

 生徒の苗字を確認するためには、その人の正面に立ち、胸元にある新入生用の飾りの名札をガン見する必要がある。

 (こんなこと続けてたら、ヤバい奴だと思われる)

 須磨子(すまこ)は溜息をついた。

 (いいや。もう、探しにいこう。このままじゃ座れない……)

 踵を返そうとした、そのとき、

 「あの」と、声をかけられた。

 須磨子(すまこ)はゆっくりと振り向く。

 目の前には、男が立っていた。

 きめ細かい白い肌。

 くねくねとウェーブした前髪。

 はっきりとした目と、スラリとした鼻筋。

 身長は、須磨子(すまこ)の頭ひとつ分ほど高い。

 「これ、君のじゃない?」

 そう言うと、男は番号札を差し出した。

 「……え?」

 「この番号札、君のでしょ?」男は口元を上げた。「違った?」

 「あ、いや……、たぶん、そうです」

 「だよね」

 「……」

 「いや、受け取ってくれないかな」

 「あ、はい」須磨子(すまこ)は男から番号札を受け取った。

 「じゃあ」

 そう言うと、男は背を向けてその場を去った。

 (……ビビった)

 突然、えらく容姿の整った男が話しかけてきたのだ。

 須磨子(すまこ)は少しだけ汗をかいていた。

 男から渡された番号札を頼りに、須磨子(すまこ)は自分の席を見つけ出し、座ることができた。

 座ってから、ようやく気が付く。

 (私、お礼言ってないじゃん)

 須磨子(すまこ)は思わず舌打ちした。

 そこまで頭が回らなかった。

 (嫌だなぁ……、頭の回転が遅い奴だって、絶対そう思っただろうな)

 須磨子(すまこ)は、その男の胸元にあった名札を思い出した。

 (月見里……恭介。ツキミザトキョウスケって読むのかな)

 携帯端末をポケットから取り出して検索してみたところ、月見里(やまなし)と読むようだ。山が無いと月見ができるから、月見里(やまなし)と読む、と解説されている。

 (こういう言葉遊びみたいな苗字って絶滅しないかな……。小鳥遊(たかなし)しかり、わかりづらいだけだと思うんだが)

 若干気持ちの悪いことをしている自覚があったが、須磨子(すまこ)月見里(やまなし)恭介(きょうすけ)の名前でネット検索をかけた。入学式が始まるまで暇なので、仕方がない。

 すると、検索結果の一番上に、水泳大会のHPが出てきた。アクセスすると、何やら関東水泳大会の記録が表示されたので、少し調べてみる。

 ややあって、彼の名前を発見した。どうやら、中学のとき月見里(やまなし)は、メドレーリレーの選手だったようだ。さらに、彼の所属するチームはその大会で優勝していることがわかった。

 (へぇ……)

 水泳か、と須磨子(すまこ)は心の中で呟く。

 (忌々しいあいつも、確か水泳部だったな)

 そこまで考えて、須磨子(すまこ)は首を振った。息を吐き出して、頭をからっぽにする。

 (……わざわざお礼を言いにいくのも、大げさだよな)

 月見里(やまなし)の顔を思い出す。

 (ま、向こうは既に私のことなんて忘れてるだろうし、いいか)

 そう結論付けて、須磨子(すまこ)は入学式が始まるのを待った。


 【3】


 入学式は無事終わった。入学式といってもメインは事務連絡にあり、推奨される高校生活の過ごし方、単位の取り方、進級の条件、理系と文系の選択、進学・就職について、などなど、眠くなる話を延々と聞かされただけだった。

 新入生たちが一斉に立ち上がり、体育館から退出していく。須磨子(すまこ)は人が減るのを待つため、携帯端末をいじりながらしばらくその場で待った。

 そのとき、隣のパイプ椅子に誰かが座った。

 ふわりと薄く甘い匂い。

 (まさか……)

 横を向くと、案の定、そこには月見里(やまなし)恭介(きょうすけ)が座っていた。

 「こんにちは」

 「……こんにちは、月見里(やまなし)さん」須磨子(すまこ)は少し汗をかきながら、続ける。「あの……、さっきの番号札、どうもです」

 「あーお気になさらず」月見里(やまなし)は目を丸くした。「よく、僕の苗字読めたね」

 「え?」

 「みんなツキミザトって呼ぶんだ、初見のとき僕のこと」月見里(やまなし)は微笑んだ。「初めてかも、一発で読めた人」

 「ああ、いや、たまたま知ってただけ」須磨子(すまこ)は心の中で舌打ちした。迂闊だった。

 「ふぅん?」月見里(やまなし)は目を細めた。「君の苗字も凄いね……。養老(ようろう)って……、インパクトあるなぁ」

 「はぁ」

 「ねぇ、突然だけど、もしかしてさ、君、お姉さん居る?」

 一瞬、須磨子(すまこ)は反応できなかった。

 その話題が出てくることを、彼女は全く予想していなかった。

 「……姉を、知っているんですか?」

 須磨子(すまこ)の姉は、須磨子(すまこ)のひとつ年上で、現在高校二年生。実家から千葉県内の進学校へ通っている。幼少期こそ姉妹として普通に仲が良かったが、ここ数年は殆ど口をきいていない。

 (できれば、もう二度と口をききたくないな)

 須磨子(すまこ)がT高を志望した理由が、これだった。

 つまり、母が「T高に受かったら一人暮らしをしてもいいよ」と言ったので、姉と距離をとるために猛勉強し、無事合格し、現在に至るのだ。

 「うーんと、なんて言ったらいいのかな」月見里(やまなし)はポケットに手を突っ込んだ。「水泳大会でさぁ。あ、僕、水泳やってるんだけどね。何度か見かけたことがあるんだよ、君のお姉さんを」

 「はあ」

 「珍しい苗字だったから、たまたま覚えてて……、で、同じ苗字の君を発見して、もしかして妹なのかなって」

 「たぶん、はい、あってると思います……」

 「やっぱり?」月見里(やまなし)は微笑んだ。「ねぇ、連絡先教えてくれない? 君のお姉さんのさ」

 「ああ……」なるほど、と須磨子(すまこ)は頷く。話の方向性が見えた。「別に、いいですけど」

 「ほんと? やった」

 「そんなに可愛かったですか」皮肉交じりに尋ねる須磨子(すまこ)

 「え? ま、まぁ、そうだね、美人だよね」月見里(やまなし)は口元を上げた。「そういえば、そんなに似てないよね、君と、君のお姉さん」

 「私と姉、どちらのほうが、人に好かれやすいと思いますか」

 「ええっと……」月見里(やまなし)は苦笑した。「なんだろ、なんか棘があるな……。僕、なにか失礼なことした?」

 「いえ、これが素なんで、気にしないでください」

 「面白い人」月見里(やまなし)は微笑んだ。「もうちょっと話そうよ」

 「ええ……?」

 須磨子(すまこ)はチラリと後ろを見て、母親を探した。

 パイプ椅子は、既に八割ほど空席となっているので、すぐに見つかる。

 案の定、母は遠くからこちらをガン見していた。

 (見るなよ……)

 とりあえず、須磨子(すまこ)は姉に許可をとってから、姉の連絡先を月見里(やまなし)へと送信した。

 「ありがとう、養老(ようろう)さん」月見里(やまなし)は端末をポケットに仕舞うと、立ち上がった。「ちょっと飲み物買わない? 奢るよ」

 「自分で払うから、奢らなくていい」

 須磨子(すまこ)も立ち上がって、彼の後を追う。歩きながら財布を取り出した。トイレの脇にある扉を開けて、体育館の外に出ると、目の前に自販機があった。

 須磨子(すまこ)はポケットから財布を取り出そうとした。

 「……あれ」

 「どうしたの?」

 反対側のポケットも確認する。

 「いや、財布が無くて……」

 「財布なら、持ってるじゃん」

 「え? あ……」

 須磨子(すまこ)の右手にはしっかりと財布が握られている。

 彼女はドッと汗をかいた。

 「眼鏡をかけたまま眼鏡を探す、みたいな?」月見里(やまなし)は口元をあげた。

 「……ベッドにスマホを投げようとしたら、逆の手に持ってた飲み物をベッドに投げちゃった、みたいな」

 「……? ……」

 月見里(やまなし)はコーヒー、須磨子(すまこ)はポカリを購入した。

 「チラっと見えちゃったんだけど、なんか、養老(ようろう)さんやけにお金もってない?」

 「ん? ああ……」須磨子(すまこ)は財布の中身を見た。五万円ほど入っている。「仕送りの金、貯金箱に移すの忘れてた」

 「仕送り?」

 「うん」

 「寮?」

 「違う」

 「もしかして、一人暮らし?」

 「そゆこと」少し自慢げな須磨子(すまこ)

 「うわぁ、珍しいね……」月見里(やまなし)は目を丸くしている。「一人暮らしの高校生って、たしか相当レアだったと思うんだけど。親が億万長者なの?」

 「そんなことは無いよ」

 実際、須磨子(すまこ)の母は市役所職員、父は金融庁職員なので、億万長者とは程遠い。

 「そっか、一人暮らしか……」月見里(やまなし)はニッコリと微笑んだ。「それなら、放課後は毎日みんなで養老(ようろう)さんの家に寄って、どんちゃん騒ぎだね」

 「嫌だよ、そんなの」

 「僕、麻雀卓もっていくから」

 「嫌だっつの」

 その後、二人でしばらく雑談した。受験勉強のこと、水泳部のこと、趣味のこと、家族のこと……。

 (私って、こんなにお喋りな奴だっけ)

 やはり、若干アガっているのだろう。もっと冷静で理性的で機械的な人間になりたいのだが、なかなか難しい。

 そのとき、ガチャリと音がして、男子生徒二人が談笑しながら扉から出てきた。彼らは、須磨子(すまこ)月見里(やまなし)の姿に気付くと、会話をやめ、自販機へと向かった。須磨子(すまこ)月見里(やまなし)は、彼らのために道を空けた。

 一瞬、沈黙。

 「……それじゃ、そろそろ解散しようか」月見里(やまなし)はポケットに手を突っ込んだ。「養老(ようろう)さん、お母さんを待たせてるみたいだし」

 「あ、うん……」

 どうやら、さきほどの須磨子(すまこ)の視線の動きを、月見里(やまなし)は観察していたようだ。

 「またね、養老(ようろう)さん。同じクラスになれるといいね」

 「……さよなら」

 背中を向けて歩き出す月見里(やまなし)

 (……)

 気付けば須磨子(すまこ)は、口を開いていた。

 「月見里(やまなし)君」

 「ん?」月見里(やまなし)がこちらに振り向いた

 「えっと、別に、大したことじゃないんだけど……」

 「うん」

 「……」

 まずい、特に用があるわけでもないのに声をかけてしまった。

 なにか言わなければ。

 必死に話題を考える須磨子(すまこ)

 そのとき、ふと思いついた。

 「私の番号札って、どこで拾ったの?」

 「え?」

 そうだ、番号札だ。

 紛失したと思っていたのに、月見里(やまなし)が持っていたので、なにか可笑しいな、と思っていたのだ。

 すっかり忘れていた。

 「番号札。月見里(やまなし)君が届けてくれたけど、どこに落ちてたの?」

 「ああ……」月見里(やまなし)は頷いた。「えっと、女子トイレの前に落ちてたよ」

 「女子トイレ?」

 「うん」

 女子トイレの前……?

 (それは、えっと……)

 番号札を落としたのは、駐車場から、体育館までの間のはず。

 (……)

 なのに、番号札が落ちていたのは、体育館の中にある女子トイレの前。

 「……どうしたの?」月見里(やまなし)須磨子(すまこ)の顔を下から覗き込んでいる。

 「……えっとね……」須磨子(すまこ)は彼の顔の近さに驚いて、一歩引いた。「たぶん私の勘違いなんだけど、番号札を落としたのは、駐車場か、駐車場と体育館の間かなぁって、ずっと思ってたから……」

 「というと?」月見里(やまなし)は何故か興味津々といった様子で尋ねた。

 「うんと、どこから話せばいいのかな……」不毛なことをしているな、という自覚を抱きつつ、須磨子(すまこ)は説明をする。「朝、ポケットに番号札があることを、私は車の中で確認したんだ。それで、T高に到着して、駐車場を出て体育館へ私は向かったわけ」

 「うんうん」

 「で、受付を済ませて、体育館の中に入ってから、ポケットを確認したら、なぜか番号札が無くなってたんだ。何度も隈なく探したのに見つからなかったから、間違いない」

 「ふぅん……?」月見里(やまなし)は少し微笑んだ。「それじゃ、番号札は体育館の外……、つまり、駐車場と体育館の間に落としたはずだね」

 「でしょ? なのに、体育館の中の、女子トイレの前に番号札が落ちてたって……、その、月見里(やまなし)君は言うわけで、これは、その、どういうことかなって……、まぁ、そんだけ」

 「なるほど……」

 「……」

 「……」

 「ま、たぶん、私がちゃんとポケットの中を探せてなかっただけだね」須磨子(すまこ)は苦笑すると、片手を軽く上げて月見里(やまなし)の横を通り過ぎようとした。「それじゃ……」

 「ねぇ、養老(ようろう)さん」月見里(やまなし)は微笑んだ。「ちょっとさ、上着を脱いでくれる?」

 「は?」須磨子(すまこ)は目を丸くした。

 「……」

 「……」

 「……あの、別にやましい気持ちはないからね。こんなところで変態を発揮するわけないじゃん」月見里(やまなし)はニコニコしている。「嫌なら断ってくれてもいいよ」

 「いや、まぁ、いいけど……」

 須磨子(すまこ)は怪訝な顔をしながら、渋々ブレザーを脱いだ。

 「で?」須磨子(すまこ)は脱いだブレザーを畳みながら尋ねる。

 「そのブレザー、ちょっと貸して」

 「はぁ……」

 月見里(やまなし)はブレザーを受け取ると、ポケットを調べ始めた。

 須磨子(すまこ)は徐々に後悔し始めていた。

 (変な奴……)

 もし、月見里(やまなし)が特段に容姿の整った男でなければ、須磨子(すまこ)はさっさと帰っているだろう。

 しばらくブレザーをまさぐった月見里(やまなし)は、一度クスっと笑うと、ブレザーを須磨子(すまこ)に返却した。

 「……なるほどなるほど」月見里(やまなし)は微笑んだ。「やっぱり、そういうことだ」

 「どういうこと?」

 「この事件の問題点は、ズバリ、番号札を落とした場所です」

 「事件……?」

 「しまったはずの番号札が無い、落とした可能性があるのは、駐車場から体育館までの道すがら」月見里(やまなし)は前を向いた。「なのに、実際に番号札が落ちていたのは女子トイレの前。……養老(ようろう)さんは、この矛盾をどう説明する?」

 「矛盾も何も……、私の探し方がイマイチだっただけでしょ?」須磨子(すまこ)は少し考える。「本当は、番号札はポケットの中に入ってて、私がそれに気づかなくて、で、トイレに行ったときにポロっと落したんだ」

 「でも、ポケットの中はちゃんと探したんだよね、養老(ようろう)さんは」

 「うーん、まぁ、そこだけ腑に落ちないけど、探し漏れがあった以外に、説明のしようが……」

 「うん、それじゃあ、ポケットの中はちゃんと探していた、と仮定したら、どんな可能性がある?」

 「そんなこと言われてもねぇ……」

 「大丈夫、想像力を働かせれば、わかるから」

 「……」

 須磨子(すまこ)はムッとした。

 (こいつ、さては……、既に答えがわかっているな?)

 目を細め、月見里(やまなし)をじっと見据える。

 (それで、答えのわからない私を見て、内心ほくそ笑んでいるんだ。こんなのもわからないのかって……)

 彼女は、月見里(やまなし)に聞こえないように深呼吸をすると、うっすらと微笑んだ。

 (いいだろう……)

 須磨子(すまこ)はゆっくりと口を開いた。

 「……ひとつ考えられるのは、月見里(やまなし)の言っていることが嘘、という可能性かな」

 「へえ?」月見里(やまなし)は眉を上げた。「続けて?」

 「本当は女子トイレの前に番号札は落ちていなくて、駐車場に落ちてたんだ。で、月見里(やまなし)はそれを拾って、私に届けた」

 「なんのために、僕は嘘をついたわけ?」

 「うんと……、それは……、私と仲良くなりたくて、適当なことを口走っちゃったとか?」

 月見里(やまなし)は吹き出した。「凄いね、一目ぼれってこと?」

 「まぁ、そういうことになるかな」

 「面白い」月見里(やまなし)は微笑んだ。「ほかには?」

 「ほかには……、うーん……、ほかには……」須磨子(すまこ)は腕を組んだ。「たとえば、外に落ちていた番号札を誰かが拾って、女子トイレの前まで運んで、そこに落とした、とか」

 「なんのために、そんなことを?」

 「えーっとぉ、つまり、その、嫌がらせだよね。私に対する」

 「嫌がらせをしたいのなら、拾った番号札をわざわざ女子トイレの前まで運ぶのではなく、隠したり持ち帰ったりしたほうが効果的なのでは?」

 「そこは、気が変わったとか、良心の呵責とかで、説明できる」

 「うん、まぁ、確かに」月見里(やまなし)は微笑んだ。「で、養老(ようろう)さんは嫌がらせをされるようなことをしたわけ?」

 「特にしてないと思うけど……、ほら、私って目つき悪いから、それが癪に障った人がいるのかも」

 「凄い目だね。接客のバイトとか出来ないじゃん」月見里(やまなし)は飲み終わった缶コーヒーをゴミ箱に入れた。「で、ほかには?」

 「ほかに……、いや、もう無いけど……」須磨子(すまこ)は思いついた。「あ、そうだ。番号札が、こう、一人でに動いた可能性もあるよね」

 「一人でに……? トイ・ストーリーみたいな?」

 「えっとね、そういうことじゃなくて……」須磨子(すまこ)は自分の発想の言語化を試みた。「えええっと、つまり……、誰かの靴の裏に、偶然わたしが落とした番号札がハマって、それで、偶然女子トイレの前に落ちた、みたいなことを言いたかった」

 「よくそういう突飛なことを次々と思いつけるね」月見里(やまなし)は目を丸くした。「ほかには? って聞くだけで、無限にアイデアが出てくるじゃん」

 「いや、もう打ち止め」須磨子(すまこ)は溜息をついた。「なぁ、答え教えてくれよ。わかってるんだろ? どういうことなのか」

 「まぁね」月見里(やまなし)は微笑んだ。「ヒントは、財布」

 「財布……?」

 「そろそろ、僕、帰るから。答えがわかったら、連絡してよ」

 「え、ちょっと」

 「じゃ」

 そう言い残すと、月見里(やまなし)はあっさりと去っていた。

 (財布……?)

 須磨子(すまこ)はポケットから番号札を取り出し、眺めた。

 白くて薄い楕円形のプラスチックに、番号が記載されている。

 しばらく須磨子(すまこ)はその場で考えたが、やがて諦め、母親を探すことにした。

 須磨子(すまこ)は番号札を持った手をポケットに突っ込んだ。


 【4】


 母を発見した須磨子(すまこ)は、二人で体育館を出て、メインストリートを横切り、駐車場へと歩いた。

 車のドアを開けて、助手席に乗り込む。同時に、母も運転席に乗り込んだ。

 「で」母はエンジンをかけながら言う。「なんだったの、あの子」

 「あの子って?」須磨子(すまこ)はシートベルトをしめながら返事をした。

 「須磨子(すまこ)と話してた、あのイケメンよ。アイドル顔よね。可愛い感じ。それに、スタイルも良かったわ。180センチぐらいあるんじゃない?」

 「うーん、175ぐらいだと思うけど」

 「高校一年生でそれだけあれば、十分十分」母は車を発進させた。「名前は?」

 「月見里(やまなし)っていう人。向こうから話しかけてきた」

 「向こうから?」母は目を丸くした。「さすが、私の娘……。優秀な男が集ってきてしまうのね、こちらにその気がなくとも」

 「まるで蛾みたいだね、それ」

 「……」

 母は目を細めてこちらをじっと見た。

 「前を向いて運転して」須磨子(すまこ)は携帯端末を操作しながら言う。

 「……どうしてこんなに捻くれちゃったのかしら」母は溜息をついた。「高校生活中に、上手いこと人格が矯正されるといいんだけど……」

 「そうだね~」

 「出た、その反応……」母は舌打ちをした。「口先では同意するけど、内心では全く納得してないのよね、須磨子(すまこ)はいつも。それ、バレバレだから。演技力的にも性格的にも、貴女は人を騙すことに向いてないわ」

 「もう、うるさいな……。じゃあ、どうすればいいわけ?」

 「もっと人と接しなさい。そうすれば、摩擦で自然と角がとれていって、社会的な人格が出来上がるの。いわゆる、丸くなるってやつ。簡単でしょ?」

 「ふぅん……。まぁ、参考にするよ」

 母は運転しながら左手で須磨子(すまこ)の頭を撫でた。

 「危ないよ……」

 「須磨子(すまこ)、高校生活って、本当にあっという間よ。あれ、ついこのまえ入学式だったのに、もう卒業? って本当にそんな感じ」

 「……」

 「悔いのないようにね。寂しくなったら、いつでも一人暮らしなんてやめて、帰ってきていいんだよ?」

 「あいつが家に居るのに、私が帰るとは思えないけど……」

 あいつとは、姉のことである。

 「いいから」母は鬼の形相で須磨子(すまこ)を睨んだ。「わかった?」

 「……はい」

 マンションの前に到着したので、須磨子(すまこ)は車からおりた。車が見えなくなるまで手を振ってから、マンションの自動ドアをくぐり、エレベーターに乗り、二階へとあがる。廊下を歩き、奥から二番目の扉の前に立つと、須磨子(すまこ)は鍵を開けて中に入った。

 1LDKの須磨子(すまこ)の部屋。玄関で靴を脱ぎ、扉を開けると六畳のリビングがあり、左手には洋室、右後ろにシャワールームが備えられている。

 (とりあえず……)

 須磨子(すまこ)は制服を脱ぐことにした。

 洋室に入り、クローゼットを開ける。

 (……おっと、そうだ、番号札……)

 その存在をすっかり忘れていた。

 もう使わないので、さっさと捨てなければ。

 ポケットに手を突っ込み、番号札を取り出そうとする。

 (……ん?)

 ブレザーのポケットから出てきたのは、ハンカチと財布、携帯端末だけ。

 スカートのポケットにも手を突っ込む。

 ない。

 胸ポケット。

 ない。

 上着の裏……。

 (ないぞ……)

 念のため、再度ブレザーのポケットの中を探す。

 しかし、やはり出てこない。

 (……どゆこと?)

 須磨子(すまこ)はしばらくその場で突っ立っていた。

 (確かに番号札はブレザーのポケットに入れたよなぁ……)

 舌打ちをして、溜息をつく。

 (わからん。……とにかく、いったんシャワー浴びよう)

 須磨子(すまこ)はブレザーを脱いでハンガーにかけた。靴下を脱いで、スリッパを履く。

 (おっとと)

 須磨子(すまこ)はハンガーにかけられたブレザーに手を伸ばした。ポケットの中から財布と携帯端末を取り出そうとする。

 そのとき、

 手から何かが零れ落ちた。

 なにか硬い物がぶつかる音。

 楕円形のそれは、床をコロコロと転がると、須磨子(すまこ)から一メートルほど離れた場所で停止した。

 「……」

 手から落ちたのは、番号札だった。

 無くしたと思っていた、番号札だった。

 「……」

 須磨子(すまこ)は、

 大きな溜息をついた。

 しょうもない。

 心底馬鹿馬鹿しい。

 くだらない。

 「いや、本当にしょうもないな……」

 そして、すべてを理解した。

 つまり、こういうことだ。紛失したと思われる番号札を体育館の中で探していたとき、番号札は須磨子(すまこ)の手の中にあったのだ。それに気づかず、ポケットの中身を隈なく調べた須磨子(すまこ)は女子トイレへと向かった。そして、おそらく、そこで須磨子(すまこ)は本当の意味で番号札を紛失した。トイレのドアを開けるときか、ハンカチを広げたときか定かではないが、そこで番号札が手から零れ落ちた。そして、落ちていた番号札を月見里(やまなし)が拾った、ということ。

 (そうか……、だから、財布がヒントなのか)

 自販機で飲み物を買う際、須磨子(すまこ)は財布を手に持ったまま財布を探し、月見里(やまなし)にからかわれた。

 番号札を手に持ったまま番号札を探したのと全く同じミスである。

 「しょうもない」

 須磨子(すまこ)は小さく吹き出した。

 しょうもなさすぎて、少し可笑しい。

 月見里(やまなし)に報告してやろう。

 これで少しは私を見直すだろうか。

 何かが始まる予感がする。

 (何かって?)

 わからない。

 わからなくていい。

 高校生活は、これから始まるのだ。


 【続】


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