表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーカード  作者: 菊池智成
1/2

始まりはいつの日も

この話は過酷な現実に向き合いながらの、人としての成長、真の人とはなにか?人はなんたるべきか?を悶々と綴りながら彼の成長と葛藤を描きながらも幸せのあり方にも触れ、いつかは会いたいと思えるように、そのような生き様を目指したいと想えるように、美しくも高潔で儚い愛の葛藤物語です。なぜ人は争うか?それはいつも同じことで違うのです。だからこそ人は人であると全ての巻末を読み終えたら、人生観が変わるでしょう。夢の世界へようこそ!

いつも美しい景色を眺めていた。そこには高原があり、いつもなだらかな川が流れている。しかしそこには誰もいないはずだったが誰かはいるのだ。なぜだろう。私にはいつも人ではないかのようないびつな愛が哀歌を奏でて漂っていたが、美しくも残酷な世界のあり方に腹をすかすように泣きながら命を数えることが多い。その命のあり方はいつも何時も美しい世界のあり方に想える。ただ私には夢があった。どうして世界は残酷にも美しいのか、そのあり方はいつも大切な人へのありがとうがある。だけど私は儚い命に疲れてはヤミが広がる心を持っていた。それでもいつかは儚い夢に咲く華が居てほしいと思っては想った。ゆえに美しい世界は広大で地球は偉大だが残酷を強要するのはいつもながら人ではあるが神を怒りを持って制したかったが、ありがとうと言われたいだけなのになぜこの世は美しいあり方なのかと問われるばかりだ。だから美しいのか美しくないのかは、永遠に終わらない問いかけだがいつも私は泣いていた。それでこその命の無限なる下僕になれたから…私の夢儚い、でも尊べると供に美しいのだ。私には夢がある。でもいつも私は泣きながら走り去った。それにはわけがある。しかしこの世はすべからずに何もかもが不浄理に思えたのだからいつも私は泣いていた。それでも陽射しは生きろと問うた。だからこその太陽だ。そうでいてほしい。私は願ったでも祈りはしないのが私だった。だからこそ前に進めたのだ。私にはいつも辛くのしかかる難解な壁が多く、私の夢を蝕んだ。それでも私は前に進んだ。しかしこの世にはあってはならない事情があるのかもしれない。だから私は生きてきた。私にはこの世界に感謝をしていたときがある。それは生きていると思ったからだ。地球に感謝したこともある。それは生きていけると思ったからだ。しかしそれは夢の前、若き日のことだ。だから私はいつも感謝を持って前に向かう。その先は幸せと信じて、しかし私は祈らない。祈ることは休みに等しい。しかし前に進めば幸せが近づいていくと信じた。こよよのあり方はいつも難解だ。しかし私は生きている。だから私は前に征く。それが初めての前ならいつもよりも恐ろしい。しかし私は前に征く。だからこそしだいに恐ろしさも感じなくなってゆく。しかし私は人でいたい、だから私は前に行く。それでこその人と自負している。私にはいつも懐かしい限りの思い出がある。私には思い入れのある過去がある。しかしそれはすべてが過ぎ去ってゆった。だから私は過去を見ない。それでこそ私は命の化身だ。私には夢があるけして負けることは許されない。そのうえで滅ぼそう。だから救うのだ。私は助けるために滅ぼすこともある。それでこそ人だ!前へ、前に、征けるとこまで。まだ私には勝利がある。それでこそ負けない理由だ。私は前に進む。私には負けられない理由があるのだから。この話は続く、終わりはない。この世は美しいのか?それはなぜか?終わりはないことがか?なぜなのだろう?いつも美しかったのか?でもそれはなぜか?終わらないからなのか?いつものことだ。だから前に征く。ゆくことにより死も多い、だから前に征かねばならない、私はもう止まれない。止まることなど許されない。それは私の愛だ。狂った愛だ。だから愛で救うのだ。………あれは想えば生きる意味を知る時、少年の時から前にゆき始めていた。それは誇れるが悲しくて辛くて嬉しい日々の始まりだ。それはいつもの日だった。この上ない暑さに対して私は汗だくで小学校の体育の授業をしていた。ある日の朝は私には思い入れ深い興味的な、幸せだったのだ。それでも私には初めての恋だった。その恋を想えば私にはいつも儚い夢だったが、それは刺激的な出会いの中で織りなされるハーモニーを奏でる。だから私にはいつもの日々よりも刺激的だった。それでも愛ではなかったのだ。その人は華恋だった。いつも美しい人で私にはニコ〜とおひさまのように笑顔を向けてくれる人で、いつもニコニコしている人、それでいてキャシャな私にも親しげに話しかけてくれる人でもあった。しかしその人は私には見えない呪いを私にかけたのだ。いつもニコニコしているその人は私に対してどうしても話しかけ難かったが、ある日将棋が好きと言っていたのを覚えてくれていて、私に対しても将棋に誘ってくれたが子供ながらに小銭をくれる人だった。その人いわく勝負事には賭け事はつきものと言ってくれたことを覚えている。ある夕暮れ時のことだ。私は鬼を見た。それは美しく儚げという言葉が不釣り合いなほどの凛々しく泣きそうな目をしながら私に声をかけてくれた。その鬼はいつも泣かないでいた私を泣かせてくれたのだ。あれほど楽しくて悲しくて嬉しいときはなかった。その鬼はあなたのお母さんですよと挨拶をしてくれたが、私には何のことが理解が追いついていなかったのだ。でも、後で語るがその鬼はなぜかいつも泣いている人に似ているような気がしたが、思い起こすことができなかったのだ。しかし人とは違い手には包丁を持っていたことを覚えている。その人は私には言えないことがあるのだろう。しかしその人は泣きながら私にハグをし、心臓を刺そうとしたと、その時のことだ。私はいつもよりも素早く力を込めて殴ることができた。何だったのかはわからないそれでも私はいつもより泣いていた。不思議な感覚で家に帰宅すると何事もないように日々が過ぎていたのだ。なぜだろうか初恋の子すらも思い起こせないとともに美しい人との出会いも思い起こせなくなってしまったのだ。それにも気づくことができないという、何かわからない症状だが私の日々は過ぎていだ。今の私にはわかることだがそれは許されないことが起きていたということだ。何が起きていたか知った今は復讐を世界と地球のあり方に対してしたいと思うが、それは許されないほどに感謝はしている。だから私は人なのだ。話を小学校ではなく懐かしい人との話に移るのはあとの話で、それはいつもの愛があるはずだが美しいときだ。だからこその愛を後に注ごう。私の小学校生活の中で大切なことは二つあった。その中でも一番はいつも私のためになるような輩ではなく、いつも一人でいる子に声をかけ、仲良くしようと、努力をしていたのだ。私には同じシンパシーを求める飛躍した感性があったのだろう。だけど私にはいつもこの日々が懐かしいと思えたのだ。なぜなら人は美しいのだから。それでいて人とは残酷でどんなに仲良しになってもしだいに離れていってしまうのだ。ただそれでこそ人の美しさと今なら分かるが、それが人の見えないようで見えるおぞましいところにも思える。私の愛した人はいつもいなくなっていった。なぜなら私は唯一人の私だったからかもしれない。それでも私は唯一人の自分自身であり続けたいと常々に思うようになったのは今につながる戦いの日々が生み出したものだから、私は唯一人の自分自身で周りに合わせる必要はないと考えている。それでも誇れる生き方だった。私の小学生の話をだいぶ飛ばし27歳と名のれるかどうかは後を聞けばお分かりいただけるが思い出はヨスガだ…ついに来たか、なぜだろう。私は戦いたかったのに。でもついに終わりが踊り子のように訪れたのだ。私には夢があった。それはいつの日も懐かしい夢だ。私は終わらないつもりである。夕暮れのために生きるわけではないが、いつも儚い夢を理想と混ぜて美しく奏でてきた私には不偶の過去歴史が多いのだ。それでも前向きに生きてきたが、私の命は軽々しい夢を奏でるためにはいつもの覇気がないと言われていたあの頃のように美しく咲いている方が幸せなのか、否!それはあの人たちと私の戦友えの侮辱である。でも私には勝ちたい理由がある。それはなんだろうか?いつものいてほしい命は軽々しくされていつもの高価な命は儚く軽いものだ。それでも私には前に進むしか無かったから、いつもの私のように儚い夢とともに私を苛むシアワセといい張る切なさを見間違うことなくそれのためにいつも泣かされるのだろう。私には理想があり夢があり、いつも楽しげな夢ばかりではないのだ。私にはいつもの愛がほしいときに愛がある世界を求める権利と義務があるのだぞ。しかし私には愛を求める中でいつもの夢を求めるほうが嬉しいのだ。なぜなら生きててくれる人がどこかにいるからだ。なぜ私がこれを書くかは後日に分かるのだ。なぜか懐かしい気配を感じただけなのだが、私にはいつもの夢がある。だから嬉しかったのだ。美しさにはいつも嫌けがするが私にはいつもの愛が欲しいのだ。ただそれでも私には愛ある命とは何かを追求する義務と権利を求めて止まない怒りがあるでも私にはただ命を尊ぶばかりではなく儚い世界を守りながら維持したいと常々に私はこりてしまったのだ。だから私は悲しみと喜びを同時に味わうことに慣れてしまったから、いつも愛がほしいのです。私にはあなたの愛がみたしたその中身がたまらなく嬉しいのです。でも私は止まりません絶えることなく前進をします。私は死を尊び死を選び死が笑うもの。だから私は魔そのものです。休むことは許されずに幸せとは毒々しい太陽ではあるが私には許されなかったように続けられた痛みに餓えている。だから前に進む中で私にはついに終ることがない命が求められているかのように、いつも儚い夢をありがとうと言いながら前に進むのだ。その思い出もヨスガだが、いつもの始まりとは少しばかり違ったから嬉しかったのだ。私には戦う理由がある、戦う意志がある、戦わなければ、休むことを許されないわけがあるのだ。私にはもう進むしかない楽しいから狂ったように進もう、でもいつもの前向きな私よりも気分がいい?確かか。それとも夢の間で迷ったのか?いや違う!奇跡が起きたのだ!しかし俺は止まれなくなったのだぞ?なんたって天がイカれちまってやがる。地球も世界もこの世だって、生まれながらにたいそう偉い奴らはイカれちまっている。決戦の舞台日本はいつも騒がしいが、今回はマジキチガイの本懐をしめしてやがる。これは珍しい戦争だけど正義はいつも勝つっていうのはあいまいすぎるから懐かしいというのは辛いことだ。だからいつもヨスガをたどるのだ。わたしは前に逝った。だから戦おう。しかし私には皆殺しを許される特許があるぞ?俺には復讐の権利すらあるぞ。私はいつも穏行で儚い夢追っていますよ。どうする?時がたてば夢は開き、トバリが泣き、いつもの始まりは活気立ち、美しい世界は楽園とも呼べる戦禍だ。しかし止まらないぞ?勝てるのか俺に?僕は穏やかでいつも殺したかったんだよ?それが怒りの本会でありいつもの私だ。嵐ならよく地割れならよく津波ならよかったという気持ちは良くわかるが、私は人として生まれてしまったのだ。だから行き着いたのは私は魔そのものに成ったのだ…ただびとは天に刃向かえぬ、しかし私はただびとではなかった。だから私は命を選べたがそれはいつの日も黄昏時の生きがいを欠いてきたのだ。いつも私は孤独とともに私達の生きる気持ちを尊べる形になったから、いつも私は孤独だった。でも私の戦いは孤独からの開放を歌いながらいつも私は孤独を敷いいられながら生きてきたのだ。ゆえに私は孤独から救うためには、孤独から救われることではなく孤独を救う道を選んできたが、この日もまた嬉しくも悲しみと恐れがある。それはいつの日も変わらない愛があるゆえのことだ。ただ私にはこの日のために迎えた命の恩恵のように祝福が難しい気持ちは恐怖からくる。始まりはいつも同じとは言い難いが、愛しさへの裏切りといつものいなくなる者たちへの恐怖が私にはふりかかってきたのだ。だから私にはこの度の祝福すべきときにも切なさからではなく楽しさを夢見ることが難しいが、理想を想像するのはいつもより容易な理由は良き人たちを信じているからだが、そこにはいつも儚い夢の理想を追求するために悲しげな生き様を楽しめないのだ。この度は祝福すべきことなのかどうかはこの先の生き様をみこむべきして楽しむためには何がなかったか分かっているがこのあとはいつもの自分だが戦いに進むときはいつも儚いのだ。さて、この話はいつも何かを求めるあまりに始まるが先の話しをしよう。ここはいつも何かを求める場だ。だがいつもこの夢の間にいつかたどることのできる夢のさきを私は望んでいるのだ。今はまだ見えないがここはいつも静かだ。だが私は唯一人の私として存在するのだ。私にはいつも儚い夢の痕跡をたどりたいと思い煩うがここはいつも静かだ。私は温厚だった、時は学生にもみたないが、しだいにこの世界の悪を必要か、不要かをいつになく考え続けたときだ。私にはこの夢の間にはただただ愛しいあの日の、夢とは何だったかも思い起こせないのだ。私の命は何かは、何をされてきたかは後の時の経過に伴い、しだいに知っていった。私にはこの度には分かり得ない今を尊ぶ私と、かつての連れ添いを求めた命を尊ぶべきなのか理解が追いつかない現状に不安だ。私はついに生きたのだ。だがこのあり方にはいつも不満がこもっていたのだ。しかし私はこの世のあり方に感謝すべきことが多いのだ。しかしなぜ地球が今美しく、世界が尊くあるかは私は不安ながらにしがない悪との対立の始まりとも言える居つくしいときに戻ろう。私はいつも怠惰ながらに生きてはいたのだ。しかし私はこの度の不安に苛まれる事が何を意味するかを知ってはいながら予想もつかない。この度には私はいつもの安心を得ることが大切なことだが、私には理想と夢の実現に向けての行動を取ることが許されているような気がしたが不安は多いのだ。私にはかつての友たちが帰ってきてくれた気がするが、この祝福はいつも怖いことを招くこともあると知っている。私はこの悪を滅ぼそうと想っていたとき、いつもの何気ない日常が知らない間に壊されていたと思いきや、それはいつもの始まりの歴史と似ていて否なることだと知らなかったのだ。私にはいつもの変わらない光景すらも美しいあり方ではなく不穏な影がいつも漂うことを知った今では、このあり方を正そうとするこの世の全てにはなぜいつも可能性を感じなくてはいられないかを希望を胸に抱いてしまう。だからこその私である。この世界にはいつも私がいるわけではないが、このあり方は歪んでいたのだ。だからこその戦いとは尊く儚く偉大だが、あり方の美しさには感謝を抱く。でも辛いあり方には悲しみが伴うが、私にはこの夢を追うためにあり方を正さないと行けない気がした。私のあり方はいつの時代を生きてきたかを想像するのではなく、あり方の時代をこの世の話として醸し出すためには、いつしか自分さえも超えなければいけないと知っているから、生きれるのだ。私にはこのあり方を整えるためにはいつも、儚く咲く偉大なあり方に感謝を告げるばかりだ。私にはこのあり方にはただ等しい要石が必要だったが、それにすらも感謝した事は終わったあとのことだ。ただ等しい、だから美しいのだ。私の意志はいつも硬い中でこのあり方の美しさには感服する。悪とは何かを定義するならば、打倒して儚さを醸し出すためには悪が必要だが、まだ足りない悪が居る。だからこその悪と、必要のない悪がいるのだ。私にはただ等しい限りの悪から生まれる善こそが、世界の運命を変えてきた事を知っていてくれる人もいる気がする。だから私は戦えたのだ。そもそも今となっては諦めたくはないのだ。私の意志は鋼鉄ではない。しかし意志には思い想いが乗り美しく咲きながらこのあり方に感謝している。私は只一つの美しさではなく咲くために必要な愛を尊び、終わりがないかのように思えるこのあり方を守りたいのだ。だからこそ人は美しいがあり方にはいつも何気ない日常が有る。そこで命のあり方は何なのかを知るために生きてきたが私には夢のあり方を尊ぶために必要な何かを忘れてはならないと知っているのだ。だから私は尊ぼう、いつの世も終わりなどないのだからこのあり方を尊び話を続けたいとした。だから私には愛が何であるかを知ることができたとともに終わらないことも理解ができている。それだからこそ私たちは生きて行けるのだ。しかし悪とはいつも必要とは限らないことを知っている。私には数え切れないほどの悪があるがそれは必要なことなのだ。私のあり方はいつも変わらない。この度の愛は重いながら愛とはいつも儚いのだろう。なぜ去るものがいるかは想像につく。それは偽りの自分に嫌気がさすのだろう。しかし愛は平等と歌いながらもこの世のあり方には逆らえないのだ。私達は美しい。平等ではないからこそ平等という言葉は正しく等しいのだ。私達は個性があり、意志があり、決断の選択をしながら生きているのだ。同じ人など居ようはずはないのが正しい中でそれはいつも同じはないから成り立つのだ。ゆえに美しさとはいつも儚いばかりではない。私には意志が、あり考え、行動し、決断の選択をしてきた。ゆえに今の私に成ったのだ。だからこその美しいあり方なのだ。ただ等しい愛とは何が何でも美しいばかりではないから平等な愛になる。相手の感情や行動や状況や、先のことを考えることによって変わるから平等であるというのが美しい。あり方とはいつも嬉しいばかりではないのだ。だからいつもこのあり方には儚さと切なさが交ざるが去るものは去る。しかしいつも一人ではない、なぜなら美しいあり方は否定されずにいつも肯定されるばかりではないが、私にはいつも愛がある。私のあり方はいつもの普遍的なあり方を正しいとして、この世のあり方に感謝をしているばかりだ。だからこその命とはいつも美しく儚く切なく偉大だ。しかしいつの日もあり方とは不条理が付きまとう。あり方に対して否定をするばかりのものになんの恩恵があろうか?ただ等しい限りの美しさが世界を導いたというのに、なぜ世界はここまで歪んでいて地球はここまで汚れているのか?私にはいつもの愛があるだからこそ諦めたりはしない。このあり方にはいつもの不条理が付きまとうが私は諦めたりしないのだ。だからこその私には必ずと言っていいほどの正義がくだるのだ。それにより私はいつも美しく咲く花たちに対して儚さを想う。でもそれには儚さゆえの孤独と絶望の中で孤独が付きまとい、成長を終えるつもりはないのだ。だからこそ美しいあり方を否定できるはずがないのだ。故に地球は全てが汚れてなおも否定し、世界はすべてが壊れてなおも苦痛をしいいるのだ。だからこそあり方とは不条理が付きまとう。そこで悪とは何かを知った私はいつも美しいとは限らないことが多いのだ。だからこその愛と恩恵を熱心に得ることができるのだ。ゆえに私達はいつまでも生きて行けるのだ。そこにはかつてない愛がある。もう会うことはできないという愛だ。だからこその私には美しいと思うべき事柄が多いのだ。ゆえに美しい生き様を続けて征けるのだ…そこで私はいつも何度でも諦めを踏破する意志で難解な有様を打ち破ってきたが、この世はとても美しいことを知っている。だからこその愛を示し続けて良いとしたときは、いつも別れがつきまとうのだ。私の意志は強固なまでに、いつもいつも抗えないほどの意志を束ね上げるまでの過酷なほどの耐え難い苦痛を耐えたのだ。私にはいつもナツカシイオモイデをこの上なく愛していると伝えたいが、この先にはいつも私を抗えがえもなく、取り巻く命のヤリトリはいつも悲しみと喜びの横行なのだ。この有様には抗えないだろうがいつも何時も、計り得ない生き方は有るのだと知るものはいつかは現れるのだと、信じよう。そうするしかないから。ここでは触れたが、命のあり方にはいつも終わりと悲しみがあるが、喜びもあったということだ。あり方にはいつも何が終わるのかと考えながら、この世の素晴らしさにあり方に感謝しよう。私のあり方にはいつもの始まりがあるが始まり方はいつも違うのだ。だからこそ愛とは美しいがこの様には参ってしまう。正直な思いを封じているのは何なのかが秘匿されている間に、千年かけて用意された地獄は踏破したと思ってもけして消えない地獄なのだ。だからこそ地獄の踏破などはかなわずとも、地獄に鍛え抜かれる諦めない猛者は私の親友とも呼べるとともに心通い合いたくもなるが出会ったことはないのだ。私にはいつも儚い夢があるがある日を境に幸せのあり方はバランスを取ることになるが、今は話は別だった。しかし思い出とはいつも儚い、悪とのたいじを測りし得ないほどの愛を求めているのかと思いきや、私には命のあり方は何なのかが大切なのだ。私にはいつもありがとうと言いたい時は良心的欲望だ。そのあり方にはいつも救われるが先は未だに分からない。私の思い出は儚い命と夢に刻まれた、愛から生じる安らぎの言の葉を追い求め、それを成したときの達成感が希望なのだ。私には夢を与えるのではなく、命のあり方には希望を与える仕事が向いているからいつもの始まりは訪れないことを祈る思いだ。そう言えば命とはあり方とは不条理が交差するときは、いつも愛があるゆえに壊れたもの、狂ったもの、道違えたものがいた気がすると気がつくには遅いとは思わないほどの始まりだ。だからこそのあり方にはいつも、いつも感謝と悲しみと絶望と希望があった。私のあり方はいつも正しいとわからないのは、先のことは自分ひとりでは決まらないからだ。私にはいつもの愛がある幸せに、かけがえがない重みを持ち合わせることが大切と知っているからだ。やっぱりあり方はこの度の美しさをも離れがたい。私の喜びにはいつも希望と悲しみが待っている。ここで触れたいのは悲しみとは喜びではないが、あり方とはいつも同時に来るときがあるということだ。ここで私はあり方に感伏するために生きているのではないと言いたいが。生き方とはいつも愛と悲しみが含まれているのだ。そこで私には美しさを尊ぶべきと知り得ながら、いつもの愛を楽しもう。良い事ずくめに私はあり方を、検討するのはいつもの美しいその様に計り知れない怒りを覚える。このあり方には感慨深いが千年の深いヤミの雫が滴る森の中からは抜け出すことなどできないのだろう。私のあり方はいつもいつも、嬉しいことを良しとしてきたが、素直には喜べない様に成ってしまったのだ。だからこそのあり方には苦労と祈りではなく、苦労と戦いを強いられてきた。私のあり方にはいつもの思い出とともに、美しいこの世の正しさが不正に満ちているのを正すことと供に、有り様の根本概念を紐解くことではないことを知ってはいるが、戦いは多かったのだ。そこで美しいあり方にはいつもこの上ない、至上の喜びを欠くことに成るが、有様はいつも儚いのだ。私の愛はいつもの戦いと、コロシアイこそが至高になってきてはいたが、この様には困ったものなのだ。いつものあり方にはただ美しいがための意志を追求し、終わりを与え始めることがうまいときがあるが、その様はいつかの美しさをも否定しはしなく、取り保つために重要なことなのだ。ただ等しい愛が何かは考えれば誰でも分かりそうなものだが、我がままに甘えるクセとは抗うためには難しい孤独を強いいられなくてはならないだろう。そこで命のあり方はいつも平等とはこの世のあり方に始まりを設け、終わらないことにあるところもあるのだ。今考えなくてはいけないことはいつも終わりは希望と始まりであるということにあるのだ。そこには儚い夢があるから楽しみが多い。だからこその命とは美しくも毒を含む。そこで悪とのたいじはいつも終わらないために有るのだと。しかし希優なことに新しい出会いはいつも終わらない愛からある別れが多い。その様に感謝してありがとうと言おう。私には儚くも辛さをも乗り越えることが可能だがそれは辛いことなのだ。私の有様にはいつも儚い夢を整えるために、終わりではなく始まりを求める気質で生きてきた。そこで私はいつもの愛とは違うさまに対して、この上ない喜びを祝うことを歓迎としたがこの様にはいつもありがとうと言おう。では話を戻そう。戦いは些細なことから始まったがおしまいではないのだ。この上ない歓迎には有様とともにいつもこの先を知りたいと願っていたからこその、祈りかもしれない。だからこその美しさにはいつもいつも感謝している。ここは静かだが楽しいところだ。有様に感謝している。美しさは平等だ。だからこその命には個性があり生き様があることは触れたことだが、私は戦うことになれていたのだ。ゆえに生き様とは計り知れない冒険の大作である。いつかは言えたことはもう言えず別れは必ず付いてくるのだ。私は人は意志の生き物であることを知っている。たとえ体中の臓器から血液まですべて入れ替えられ、壊血病に耐えて奇跡的に生き残っても、感情がなくなっていても、意志は残っているのだ。それこそ命だ。だからこそ意志を尊び終わりを与え、意志には抗えないのが人というものだ。それでこそ自分自信と言えるのだ。私は人は意志があるから人であることは悟りきっているし、この美しさがあるから自分自身で人はいられるのだ。ゆえに肉体の血液が問題で誰なのかが決まるわけではないと皆のためにお伝えしたい。言わば狂気の中で芽生えた奇跡こそが私という、意志ある人であり奇跡のように生き続けたのだ。私はそれを超えて、成長を止めるつもりはないが美しいのはいつも人が自分自身だからではないか!ゆえに人とは人であるために、自分自身の意志があるのだ。私には計り知れないほどの意志などはない。私は自分自身、つまり唯一人の人であり、私の他に私はいないのだ。ところで狂気はなぜ現れる?それはいつも儚いからか?終わりが来たらか?それとも戦場から逃げられたからか?それは誰だ?どこであった?いつもの私か?無貌の奇跡たるありとあらゆる姿の私か?しかし私はどの私も唯一人だぞ?無貌の私も皆私であり、唯一人の自分自身である私が名を変え姿を変えていたということが?それならばどうする?いくら水面にイシを込めて祈ったところで私は生まれないぞ。なぜだ?私はお前か?唯一人が他にもいるか?どういうことなのだろうな?つまりパニックだ!www。誰しもが生き続けていれば英雄に成るためのチャンスはあるかもしれないが。それはなぜだ?どこでだ?パニックを起こしたいときは何でもかんでもスパイスを混ぜるんじゃない、何というかパニックっていうのは念入りな下ごしらえの積み重ねで、狂ったやつなりの正しさってものが必要なんだ、ただな、パニックには味付けもいる。俺のひくパニックは念入りな味付けとともに下ごしらえまで完璧にしたのに、料理家気取りのニセモノシェフや料理家たちが俺には理解しがたいパニックで応報してきたけど、そいつらはいわゆる、俺みたいに狂ってなくて千年仕込で仕上がったまともな奴らだ。俺にとっては狂ったやつがマトモなんだけど俺みたいな狂ったやつがユーモアー込めて演説かけても、まともなやつは狂ったやつの正しさには耳も貸さずにパニック起こしやがる。そこで俺は考えたけど、そのまともな奴らが逃げたとしても俺は後を追わないことにした。どんなパニックが待っているか分かっちゃもんじゃねぇ。そこで私は考えました。命とは儚げで嬉しいことばかりではありません。しかし、それでも私達老兵のような先祖様たちや、私も含めて戦い続けてきたのです。だから私はいつも嬉し泣くことになる理由は、供に逃げずに戦場で戦い続けた戦友こそが真なる友と言えて、唯一人の私のいる地上という戦場にのこうっている人もいるからなのです。それでは閣議なんかいらねぇ。俺たちは唯一人であり、俺たちは戦友って言葉じゃ表せないほどに濃密で親しいよりも近い。私はときおり俺たちとも問うが、人は意志の生き物とするとパニックは起きなかったな。なんせ唯一人の自分自身で他には俺はいねぇから。だとすれば答えは1つだ。戦居だ…という思い出私はあの世には行きたくないのだ。だからこそいつもパニック起こすような別れを味わいながらも生き続けた。そこでいつの日も私には別れという名の素晴らしい奇跡もあったが、いつの日も喜びがあふれている。なぜなら美しいこの世のあり方はくつがえらなかったからだ。しかし悪との対立を続けながらも私は不条理を受け、息の根絶やすような戦いってものを味わった感覚はないが、私は生き様には染み付いていたのだ。奇跡だ不条理にすら負けない人たる証、生き様と意志によって生まれる絶妙な美しい奇跡によって消されない成長があったのだ。私が思うにそれは、心臓でも命でも血液でもなく、血だ。論文まで飛躍してしまうから簡略化するが血液と血は違うのだ。そこをふまえるとやはり人は意志なのだ。私には抗いきれないほどの愛を振りまくだけの生き様ばかりでなかった。しかしそれは唯一人の自分自身だけの助けるという行いからは、救いきれない理由は千年かけての念入りな準備のなせたワザだ。実におぞましく汚らわしいと言いたいほどの不条理だ。あり方には正しさと普遍的な平等がひかれている中でそれを否定し、不浄理をひくことの意味にはいつも気が萎えそうになる。そこで不思議なことに命とは暴虐非道すらも招くことがあるがいつも、いつものことだ。対処するのもめんどくさくもなってしまう。美しいあり方にはいつも成り行きを見極めなくてはならないと決めているからにはこの世の美しさと正しさに感謝をしよう。ただ等しいがゆえに命とは平等ではないのだ。だから生き様はとても重要なことだ。この理は正しく戦いの決戦に勝利してなおも続く傷跡は終わらないだろう。あの様にはいつも疲れとともに苛立ちを思い起こさせるが、それでも尊いものは尊く、その尊い部分があろうとも尊べない部分を加味して認めるか認めないかは判断するのが人である。ゆえに美しさはいつも平等だ。私も平等の権利で美しい生き様を歩んできだ。だからこそ唯一人の自分自身でい続けて良かったと誉れ高く思うに。私には戦う前にもどうだったかを記すと、幼年期にはすでに愛しいと想っていた人のために初めての、勇気を奮い立たさ息の根を止めてでも守る、助けるといった気質だったから怖いものなしになってしまったのだろう。いつの日も争いは耐えない、そこは美しくも残酷で悲しみの中に喜びさえも交じる完結していそうで、儚い夢もありながらいつも感謝も絶えない事が素晴らしいと言えるが、なぜ美しいかは涙が出そうなときもあるくらいだ。だが戦の作法はいつも泣かないようにしていることによって、とりたもられていた。この有様の美しさには儚げでも悲しげな苦しみを伴う愛がある。でも貴方はなぜ美しかったときがあり、今でも美しいのかを考えなくてはいけない。それはいつも生き様が物語ってくれるのが正しいのではないだろうか?私にはいつの日も夢の間に閉じ込められては帰ってこれない時がある。そこではなぜいつも儚いのか、なぜ終わりがなくてあるのかを知らないといけないのだ。だが、いつもあり方は変わらないだろう。なぜだろうか?それはいつの日も終わりがないからだ。なぜなら美しいことに終わりがあるなんて間違っていると私は想う。そのあり方にはいつもの泣かない姿勢さえも正しくなっていった。だから終わりはなくて良いのだ。私にはこの上ない幸せを謳歌すべきと歌いながら、過ごしてきた時間が懐かしく愛しいがそれは続いている。私の頭にあるのは血肉と骨ではない。奇跡と意志か織り成される、絶妙なハーモニーとも言え、芸術とも言える美しい世界があるのではない。私はいつも自分自身なのだ。だからこそ負けを望まずに行き続けるに至ったが、それはもう伸びないということではないのだ。美しく伸び行ける成長の美しさは否定できるものでもなく、人が人として美しくなるのはそれが否定できるようなことではないからだ。私にはいつも、この上なく成長できることは喜びであると確信を持って言えるのだ。だからこそ戦を認めずに戦場を求めて助け続けてきたが、そこはいつも儚い世界への入り口になってきた。だからこその私はいつもいつも、切なくなるが悲しみは終わらなくても、暴虐非道の不浄理の大本を討ち滅ぼせたと信じたい。しかし人はいつも泣かないでいられるわけではないが、終わりとは必ずしも来ることがあるのだ。だから私はなぜ終わることになるかは知っていながら、この上ないありがたみに感謝を告げるべきなのだ。ことさら終えてもいつの日か終わりがある中でそれは始まりなのだから。そこで迎えた幼年期のことを話そう。私には過酷な拷問を受けた過去がある。そのキッカケは成長の兆しだった。私はいつの日も公園に誰と会うでもなく遊び相手を探しに行くのが好きだった。私は思った戦わなくては、息の根を止めるほどの勢いで殴ったのだ。それは幼年期には思いもよらないハプニングだが、そこで問題になったのがなぜその力があるかだ。私は確かに人として、ひとの胎盤から生まれたが私は確かに、両親の生き血を継いでいただけなのだ。それは誰しもあたりまえのことで美しさからも否定はできないのだ。私にはいつも楽しげもなく生きてきた過去があるがそれは簡単な話だ。その幼年期の同じ家にいる者どもは真の家族ではないのだ。その頃には思いもよらない、思い出すことができなかったあの泣きそうになるほど愛しい鬼こそが実のお母さんだったのだ。だからこその悲劇は続いたが私にはそのあり方は間違っていることだけは断言できる。そこで私はいつの日か陽だまりの中でも美しい愛があることを教えてほしいも想うが、それは一人ではなせないことだ。いつの日も愛とは平等でありそれは、実の家族からであるべきながらそれを教授することを妨げられ続けた私は不幸が続いていたが、それにより私は頼もしいまでに成長し愛が終わらなく成ったのだ。だからこその愛とは平等であり、いつも悲しくなるが終わらないこととは知り得ながら消して滅ばないことの維持とはなぜ必要かは分かるが、それのあり方は正しきれないほどに千年かけて仕込まれた不浄理がある。私にはただ美しいがためのいつもの終わらないあり方に感謝するばかりなのだ。いつもの愛は平等なのはいつもながらだが、愛とは狂おしい絆を胸にいだきながら、狂おしく狂おしくただ狂おしさを授けてくれる、命の恩恵であり大切な宝だ。しかしいつも思う、なぜ愛は平等でありながらこの上がなくなるまで愛してもかなわないことがあるのか。それはいつも謎めいた事情がありながら、この世には愛があるから今があるというのはわかった。しかしいつも想う、私の愛はどこに渡せば良いのかと。それはいつの日も憧れた恋かなう日だが、それには愛という名のスパイスをどのように、念入りに、入念に、失恋をさけるように、これをなぜるはずの関係だったと後で知ってしまったら、その不浄理がつくづく憎い。私はいつも孤独そうにはしていたが、その関係は私にとって大きな存在だった。ただ等しい愛には対価がいる。ソレは膨大な生贄ではない。しかし挑むべき対価の前に勇気を示したとしても、ソレはかなわないときもあり、いつもの幸せが消えてしまうかもしれないのだ。私はその対価を行使したところ、等価交換以上の幸せなランランを許された。しかし不浄理は見ていた。その不浄理の名は記さないが滅ぼしきったと信じれるのは後のことだ。しかし呪いのようなフジョウリは終わりなく消えないだろう。私にはいつも命の恩恵を美しいとした、道徳的な心構えを常々に維持することはできないが、それは正しく美しいことはわかってる。ランランは中学生の頃だ。それでもいつも、ドキドキしていたのだ。私にも淡い年頃のときはあったが、それは理解ができない、不浄理に消されていった。私の憤りはいつもあったわけではない。だって思い起こすこともできずにときが何事もなかったように過ぎていったのだ。私には夢があった。その夢さえも理解が追いつかない許容できるはずもない力に、壊されていたのだ。私の意志や幸せを望む人々の生き様など無下にされていた。だからこそ私はここまで至るまでに成長を遂げたのだ。私の意志はいつも何ごとも内容で何かがあったが、それが許されないとばかりになかったことにされる暴虐非道に対して、滅ぼされて当然だろ?と当然のごとくに解っている。それにはいくつかの戦いはあったが、その暴虐非道を強いいてくる、おぞましき滅ぼすべき者たちの多くは正々堂々とは戦おうとしないのだ。なぜなら自分たちは何ごとも思い通りになって当然と考えているやつで、痛みを嫌うかわりに今生に生きる人々に対しては、自分たちよりも幸せになることは許さないゲーム感覚に遊んでいる感覚というのが的確なのだ。しかしその人としての完成がないおぞましき者共は輪廻転生にのっとれば、人科として生まれる前に他の種としての生まれを持つはずなのだが、いつも遊び呆けらることを良しとされるつらい状況だから困ってしまう。私のしたいことは何ごとも自由に過ごせれば、私だって夢や職業や結婚などをとっくの昔に叶えていただろう。それでもその不浄理にはいつも悩まされるから、生き様が戦いの道になってしまったのだ。しかし私は生き残ったが、また昔の話をしよう。それはいつもの繰返しだが、私は過酷な状況にいた。いつもナイフで刺されたり、いつも遊ばれていたのだ。だからこそ私はここまで諦めなくなったが、それでも痛みは感じるし、どこまでも続くその遊びにはウンザリするほどだったのだ。そこで時は2年間ほどたったくらいについに状況に変化がでた。その日は熱くもなく寒くもなく美しい人が来た日だ、その人はいつもニコニコしていそうな人であったが、私に対しても遊ばなかったのだ。それは驚くべきことで、日本刀を持ちかっこよく自己紹介をしてくれた。私の思い出はそこからしばらく優しさもあり美しくなっていく。その時はいつも寂しかった。私にはかつての友などはいないようなものだと、語っているその人はいつも泣くこともなかった。だから私も泣いてはいけないと心に刻んだ。しかし泣くとはどういうことなのかは思い起こせもしない中、次第にたって行く時の流れが美しくなっていくのを感じていたが、それは幸せとは違うことはわかっていたのだ。だからこそ私にはいつもの探り合いにつきあわされることなどは、飽きていた中でその人はいつも違う人と一緒に探り合いと言いながら、毎日同じような時間に誰かを連れてきては内緒話と言いながら上向きな物言いをしろと言ってきた。そこでその人はいつも泣かない理由は何かと聞くが、私は珍しく恥ずかしくてそれは言わなかったのだ。なぜなら私にはいつもありがとうと言いたい人がいたからだ。それでも私にはありがとうと言えない過酷や拷問生活は続いていたからけしてありがとうとは言わなかった。でもその人は、いつも泣き去っていたその感情がない所作は一体何なのかと言うから、私も強情さをまだ残していなのだろう。しかし今は何もできないから、いつもありがとうと言うべきと今ではわかっている。しかしこの難解な不浄理を前に何もできない歳が問題ではなく、手足の回復がいつも間に合わなかったのが辛かったのだ。でも感謝はその時にしてくるのは毎回同じやつで、いつも泣かない理由はと言いながら砕くのだ。それすら優しく感じていた。しかしその人は泣けと問うが、苛立ちを覚える理由はわかってほしかったのが、甘えたかったからだ。私にはいつも戦うすべがあったが、この世はすべからずに暗かったのだ。でも世界とはなにか?地球とはなにか?その問題に関して言えば答えは出ていたのだ。だからこそ私には成し遂げるべきことがある。しかし毎日来るその人は比較的良識的な人を連れてきたから安心した。でもその人はなぜいつも泣いているかは、わかる中でなぜいつもその人が震えているかは今でもわからなかったのだ。しかし私にはいつもの探り合いと言いながら来てくれる人たちの中には、次第によくけてくれる人たちが増えてゆき安心するときは多くなった。私の命は何かと思えばそれはいつも正しさの追求だった。私にはいつも泣かないでと問う、その人は実は泣けないからではなく理由を気づいている人もいた。しかし泣いてほしいという人は珍しく一人で来たときがある。その人の殺気を表情に出し気配すらもわかったとき、私の手足が瞬時に回復し、興奮したのだ。私初めて気持ち良いと思えた瞬間があった。しかしそれはいつも泣かないその人が泣いた日だ。なぜ泣くかは今ならわかるが、その人はできれば泣いてほしいといった理由までわかるのが辛いのだ。私にはいつも泣かないその人が導くように、育ててくれたなら幸せだった。しかし私にはいつも、かつての近しい人達は始まりが来るのだ。その始まりにはいつも悲しみが伴う。しかし祝福すべきことなのだ。私の終わりには始まりがつきものだったが、それはなぜそうなのかがわからない。しかし命とは尊ぶべくして懐かしさをも漂わせる。私の血には生き様だけではなく、歴史から思い出のごとき幸せと、いつもある始まりが刻まれている中でそれらはいつも寂しさから始まるのだ。だからこそ私にはかつてのことなど意味をなさずに、ありきたりさを振り切りいつかの優しさを何度も何度も繰返し手に取りながらも、別れがあるのだ。しかし命とはまばゆい輝きの中で散ってゆくものだから、私はいつも悲しかったのだ。それはなぜ起きて何がなかったか、それはありがとうに類するものが、それにはなんの先読みが欠いていたか、を知るためにはいつも泣かずに始めることが大切なのだ。私にはかつてのありがたみを手放すときすらも泣きながら、この上ないほどの幸せを願っているのだ。そこには滅ばないことのありがたみと喜びがある。私の想いはいつも変わらない、幸せであるからにして、人のあり方とはこの上ないほどの自由とともに生き様を描きながらも見届けるのだ。だからこそのありがとうとはいつも儚いのだ。ゆえに私は過酷な現実にたしいては、この上なくあらがっていけたのだ。この世はすべからずに、いつものことが繰り返す中でそれらは繰り返すなど嫌なはずだ。私にはいつものことは、許されないことの横行が続く世界の中の、地球でいつもの愛を繰り返すのだ。それでも愛は尊く美しいべきだが、なぜ人は愛がある中で落ちていくかも、愛がゆえんにあるようにも思えてくるほどだ。この上ない幸せとは誰しもにないものなのだと、私にはわかるようになったが、この日はいつも疲れることが多かった。それでも私はいつもの愛を奏でるのだ。しかし人はなぜいつも狂うように、愛を求めるばかりではないかも知っている。そのあり方はいつもなぜ、どうしてと繰り返すばかりだ。私のあり方はいつもの繰り返しのようで、繰り返さないのだ。そのあり方に喜びを覚える部分もあるが、なぜ戦い続けているのかも望んではいながら、いつも違う戦いがしたいのだ。これはどうしてなのかと思える現象ではなくて、喜ばしい戦いではありながらも辛さが残るのだが、これにはいつもの愛が癒やしてくれる。私のあり方にはいつもこの上ないほどの、最善を目指して決断の選択をするが、一番の理想的な答えは誰にもわからないのだ。また、それすらも美しいあり方と思える。その美しさには切なさも、悲しさも喜びも伴うがいつもの今にありつけ、それが喜ぶべきことならそれでいいのだ。しかし人は愛がないと生きれないだろう。そのために何をして愛を得るかは、生きる上で重要な分岐点である。その世界のあり方には消して揺るがない、美しさがある。私の意志でそれを曲げようとすることはできるが、全てにおいては曲げきらないのだ。だからこその私にはいつもの愛が必用だ。この上ない愛などは、伸びゆく者に上限がないように行き着けないのは、幸せが終わらないためには幸せに上限がないのと同じである。私の話に戻そう。幼年期の私は初めて、気持ちいいことだったと知ったあと。お姉さんは日本刀をしまい泣いていたが、いつか必ずに迎えに来る、だから諦めずにけして泣くなと言って帰っていった。次に来たときは五日ほどたったくらいだった。泣きたい気持ちを抑えるのは辛いことながら、いつものお姉さんが来てくれて励ますわけでもなく、抱きしめて嬉し泣いてくれたのだ。そこで私も涙が溢れ声に出して泣いた。その直後、壊された。お姉さんが後ろから撃たれたのだ。その時僕は泣かなかった。いつもより力が出た。殺そうとして胸をさした。心臓を貫いたが、その人は死ななかったのだ。途端にお姉さんも起き上がってキョトンとした僕に、戦うぞ!と鼓舞した。僕にはなんのことかわからなかったが、いつもよりも嬉しくて高揚した。お姉さんより先に部屋から出た。風のような速さだ。殺せるだけ殺した。僕が部屋から出る前に皆が銃を構えていたから、殺し続けていいと嬉しかった。だけど三階下の階まで殺しきったとき、お姉さんは泣きながら走ってきたのだ。そこで待て!と言いながら走ってきたお姉さんはいつもよりも、過激な表情で僕のことを誘惑したのだ。僕は狭いところよりも、もっと素敵な気持ちいいことがしたかったから、表を提案したらお姉さんは乗ったと言いながら、僕が前を歩いていると後ろから斬ろうとしたから、僕は窓から外に飛び降りた。しばらく待つとお姉さんは泣きじゃくりながら、ニコニコして首に刀を刺そうとしたから、僕はわけもわからずに駆け寄って刀を遠くへ弾き飛ばした。それでもお姉さんはニコニコしながらいつもより泣いていた。だからお姉さんは好きだった。僕のために泣いてくれるお姉さんは唯一人だから、お姉さんのために僕は呪文を唱え息の根が絶えた人たちを、蘇らせたのだ。そうしたらお姉さんは泣きながら去っていった。これで良い!後は任せろ!と言い去っていった。暗くなっても誰も来ず、次の日差しまで人が来なかった。銃を撃ったお姉さんが来て僕に抱擁をした。それでも僕は、何とも言えない最悪の気分であったから嬉しくもなく、いつものお姉さんに抱擁されたかったのだ。抱きしめてくれているお姉さんは、口もとで呟くように何かを唱えると僕は眠りについた。そこで目が冷めた私は、また捕まっていたのだ。私にはいつもの退屈が辛かった。またナイフで刺され、えぐられた。そのうえでいつものあり方は戻ってきたことに、後悔などしなかったが会いたかったのだ。月日は達、死を覚悟するその日が来た。無理矢理ではなく、少しばかりしっかりした服を着せられた。その服は今ならわかるが、喪服である。皆が不思議と泣いていたのだ。いつもナイフで遊んでくる皆が。泣いている理由は演出かもしれないし、良心かもしれない。それでも棺のある部屋を見たときは辛かった。会いたい人がいたからだ。しかしその人は来なかった。そこで棺に収まると、横の部屋から妙な壺を持ってきているのがチラチラ見えた。気にもしなかったが、カサカサと音が響いていた。泣きそうにもならなかったのは、いつものお姉さんに会いたかったからだ。それでも視界に人が映ったとき知らない人でがっかりしたが、その人は泣きながら、やっとこの日が来たと言った。それでもその人は優しそうな声と鼓舞するような表情で言った。お前は耐えろ!これから耐え抜いたら私が幸せに導いてやるからと。その言葉を聞いたとき、状況を察した。それでも私はこういうときはどうすれば、耐えぬけるのかをお姉さんのおかげで知っていたのだ。だから私は、いつも通り耐える気構えを持った。その後のことは記するにおぞましい、長い耐え忍ぶ苦痛が1年はたったのではないかと想うぐらいに感じた。語らった。今は辛抱しなくていいよ。どうしてだかわかるでしょ?でも眠くないから眠らない。なんでいつも泣かないの?眠くないから眠らない。どうしていつも遊ばなかったの、女の人たちと?眠くないから眠らない。だとしたら君はサイコパスになるよ?いつも通り眠らない。私達を泣かせないで。僕は幸せになる。どうして泣かせるの?だって生きてられるから。私達は今泣いているよ?どうして?食べたくないのに無理矢理食べさせられてるみたいで。どうして食べるの?だって食べないと生きられないから。僕は食べられると生きられないわけではないから、食べていいよ。どうして泣かせるの?だって生きていたいでしょ?私達の何人かは死んだら終わるけど、あなたは終わってから死ぬんだよ?僕は生きていられるから生きるの。死んでからが終わりじゃないんだよ?でも僕はまだ生きれるのになんで、君たちは食べるの?同じことか?同じだよ。でも君は辛いでしょ?僕は辛いけど君たちも辛いから同じだよ。どうしてだろね、よ〜し、お姉さん達が楽にしてあげよう、気持ちよくはないけどね、テクは両方一流ですよ?ありがとう。それでもだめじゃん。すごいでしょ?ボクのこと大好きだから心臓食べちゃう!辛いけどこんなに愛してくれてありがとう。ボクにとっての愛って何?命の取り合い。それは愛だけどちがうんだよ?愛はいつも平等だから、いつもの愛を皆に振りまくんだ!ボクはそんな子ではないでしょ?いつも愛してくれたお姉さんたちの中で、一人だけ違う人がいて、その人の愛は股が気持ち良くなって白いおしっこデルの。それはその人の愛が愛だからだよ。いつもニコニコしていたからなんでだろうと思っていたのに、そのうち睨みながら弄ってくれるのが、気持ちいいんだよ~。それはマゾです、マゾって何?何も感じないの、私達の愛には?体が熱くなるから好き。それは重症、あなたはいつもそんなことを受けていたけど、その人たちはあなたを殺したかったんだよ?それでも僕は愛してるよ、お姉さんを。でもそれは歪で怖いんだよ。僕に希望をくれたの。どんなの?僕を幸せに導くって、誓ったから。それなら耐えろよ。もっと愛して。よ〜し。気持ちよくなったら教えてね。それまずい股が気持ちいい。それならこれは?怖い。今与えた感情が優しく抱きしめたいです。何でそんなに怖いの?だってそれはあなたが重症だから。僕はどうすればよかったの?言えることは頑張りすぎです。だから私達は辛いのです。どうして?いつも頑張るあなたに敬愛をいだきます、あなたの命は血が濃くてすごいのに、血液は腐っていましたから、全部流しときましたよ、だけどそれを理由にいろんな災があることが予想できるからです。どうして僕は災いを受けるの?聞かなかったことにしてください、では、私達は家族の肉を食べます。それは正しいですか?間違ってます。どうしてですか?ヒドイことです。あなたは人だからです。あなた達も人だよ。何の話?僕にとってはこんなに楽しい話が、久しぶり。よして…どうして人なのかわかりました、私達はゴキブリ科です。僕は人科?違うみたいにすごいのであなたは、すごい人です。だったら僕たちは皆がすごいね。何の話?いつも一緒にいながら語り合えたよ、違う種族なのに。泣いてますよ、ではそろそろ、私達は自壊をします。それって何?聞かなかったことにしよう、ボクにはまだわからない世界があるんだよ、でもありがとう、みんな生きてる?どうして無音になったの、いつもおしゃべり楽しそうにしてたのに?だって辛いんだもん、よしておけば家族だったのに。でも僕は、皆と家族といるときよりも楽しかったんだよ。それなら私達は自壊で正解なんです、だから今日から無言を貫きます、ありがとう、さようなら、それでも私は生きる!、生きてコイツを育てたい、勝手にしなさい。よ〜し、ありがとうね、残ってくれて。勝手にしますから、安生できませんからね、我らが一族のブドウをくらいやがって、一族に加わらない不届き者はくるしめ!、私苦しい!、切ない!何でそんなに怒るんだよwww。わらったか、よし!、まいるぞ!痛い痛い痛い!、目を狙うのはだめ、口にこいw。だめ!、目!どうしてそんなに可愛いのw?ズルイ!、女誑かしめ!、せいばい!股を狙わないでw砕かれたときみたいww。女はもっと辛い!、噛む!。よせ!〜〜〜www。いたいか!、私はいたかったぞ!、お前は何かが間違っている!、歪めたのはなんだ!?、せかいか?、お前自身か!?、ならば復讐を誓い生きよ!。復讐なんて最悪の気分だから嫌ですwww〜〜〜。よいのか?、目玉を食うぞ?、クウ!。なんで!wwwww。敵は待たぬ!、情けも容赦も礼儀作法もない!、なぜだ?、お前のせいか?、私のせいか?、一族のせいか?、返答はいかにアーカード卿?。僕の名前は智成ですwwwww。オーダーが違うぞ…、お前の名はアーカード、神罰ではない、正義を成すものだ!、噛む!。wwwwwwww、ありがとう、君のおかげで復讐をw誓う!、口にwwこい!。歯向かうのか、この私に?、よしならば答えよう!、私の名前と一族の名を!、私の名はイノキ!、一族の族長にして頭刀ナルゾ、我が一族の名はメイキノサイカミノコトワリニシテエイグレラルノカタマリノミカタノツカサ、名を己馬龍一族と問う!。そのような名前があるということは、前世が人なのですか?今は言えぬ、いづれ会おう、輪廻の果で!、勝負!、食え!。私は食べた、食べたくないと思いながら食べた。むせび泣けたのは久しぶりなはずだが、思い起こせないほどに幸せな瞬間だと思った。なぜなら愛しい人がいたのだから。楽しかった。会いたいと願った。救いではなく、会いたかった。人科の人としてまた会えるようにと、珍しく祈った。それからは絶え間なく常々に祈り続けた。何が変わったかはわからないが。頭から、全身からヒカリのようなものが熱とともに、どこかえ舞い上がるのを感じながら。


彼の葛藤はどうでしたか?刺激的に甘くて過激でしたね。それでも彼はあきらめません。なぜなら彼には約束があります。その約束は次々に移り行きますが、それは何ででしょうか?物語の展開は行ったり来たりしますが、それなりに目で思い浮かべやすくなっているかとは思います。だからこその夢物語です。それでは次号もよろしくお願いします。時折書いては付け足すようで、申し訳ないです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ