一時退却
傷付いたリーヴァの背に乗り空へと羽ばたく。
急速に遠ざかる目下の景色。五層もある館の天井がぶち抜かれ、八首の大蛇が耳をつんざく甲声と共に姿を現す。
「あれがカーラの八岐大蛇……
八つの内の四の口が、無残な木片となったスカーを咥える。
大木と思えたスカーが、波打つ蛇胴に枝のように振り回されて、硬質な樹皮は見る影もなく破砕されていく。
「あのスカーを……こんなにも呆気なく」
「これは……いくら何でもレベルが違い過ぎるわよぉ」
レミニセン大陸では洞窟でひっそりと暮らしていたカーラ。人に危害を与えたとはいえ、己を討ち取りに来た者を返り打ちにしていただけだ。
魔物としては温厚なカーラが、今はまるで正気がないように思える。
「まるで魔王みてぇだ……」
空気を叩く羽ばたきに紛れて、負傷に掠れるリーヴァの呟き声が聞こえた。
「今なんて……」
「いや、あのな……あたしが生まれる前の話なんだけどさ。太古の魔王ってのは蛇の姿をしてたって聞いたことがあるんだ」
「蛇……」
「世界を呑み込むとされた前魔王。私も噂に聞いたことはあるわぁ」
前魔王の存在についてはスカーも言及もしてた。
世界で二番目のレベルを自負するスカーを、更に上回るレベルを持っていたとされる前魔王。話ではラグナに倒されたとしていたが……
そして今のカーラは、スカーを圧倒する桁違いの強さを持ち、そして大蛇の姿へと変貌している。加えて常から魔王らしいとも言える尊大な口調……まさかね。
「お師匠様は……」
「? ハルモニア、何か言った?」
「い、いえ……」
意味深なハルモニアだが、言葉を詰まらせる辺り、俺の気を引く為の言葉ではないようだが……
すると突然肩を叩かれ、振り向くと下界の町を見つめるドールが、寂しげに眉を下げていた。
「ネクロくん。港町の人たちには悪いけれど、ここはいったんカーラの手の及ばない離れた町まで逃げるべきだと思うの」
「それは……そうだね。彼女らはスカーと通じているかもしれないし、それに根が繋がっているなら、どのみち連れて行くことはできないもの」
「そうしましょぉ。私も久々に全力出して頭が痛むしぃ、早く休みたいわぁ」
「大丈夫?」
「平気平気ぃ、心配してくれてありがとぉ。すぐに治まると思うから大丈夫」
「そんなことよりさぁ、あたしの傷の方が痛むんだ! 擦ってくれよぉ!」
「ネクロさんのお手を煩わせなくても、私が治して差し上げますよ」
翼を広げると、ハルモニアはリーヴァの周囲を衛星のように飛び回り傷を癒す。
「特化してるだけあって、魔力に関してはハルモニアは底なしなんだね」
「リーヴァの巨体なら何人分もの治療と同じだからね。それでもヴラーヴ城の兵たちに比べれば労力は少ないんじゃないかな」
「ううん、こちらの方が大変だと思うよ。一兵士ではなく、屈強なリーヴァの肉体を再生するんだもの」
「へぇ、一概に治すっていっても相手によって違うんだ」
見れば特に息を上げるような素振りも見せず、俺の視線に気付くと微笑み返すハルモニア。
潰れた俺の顔面を瞬時に治してくれたところを察するに、その技術の高さは身を持って知っている。
「すまねぇなぁ……もうお前のこと、役立たずとは言えねぇよ」
「まったく、今さら謝ったって遅いですよ」
ぷりぷりと頬を膨らませるハルモニアだが、その姿はどうもわざとらしく見えて、ようやく認められたからなのかもしれないが、少しばかりご機嫌のようにも見えた。
治療を終えて暫く飛ぶと、森林地帯を越えたところで広大な平地が広がった。
これだけ離れればスカーの根の影響、そしてカーラの暴走の被害も届くことはないように思える。
「川が走ってるけど、魔法があるなら水の近くに町があるとは限らないのかな」
「そうとも言い切れませんよ。生活用水としてはともかく、川には魚がおりますからね。魔法で食料自体は生めません」
「なるほど。水場には動物も集まるし、移動や流通経路としても使うもんね」
「知的水棲魔物もいるなら、なおさら川の近くが栄えそうに思えます。魔法で生んだ水は生物が棲むには綺麗過ぎますから」
「言ってる内に見えてきたぜぇ! どうやら空路も発達してそうだ」
空飛ぶリーヴァの頭上に影が差し、見上げると大翼を広げる竜が後方から俺たちを追い越した。
「くっそぉ、速ぇぜ! 負けてられるか!」
「駄目だよ、リーヴァ。ネクロくんが乗ってるんだから」
「あたしの乳で包めば問題ねぇって!」
「そしたらリーヴァの方がオーバーヒートしちゃうんじゃないかな」
「そりゃそうだ!」
黄色い笑い声を上げるドールにリーヴァに、こういった時には変わらず妬みの視線を送るハルモニア。
そしてミストはというと、頭を抱えてじっと蹲る。
「だ、大丈夫?」
「え、えぇ……頭痛が酷くなってきたわぁ……今までこんなことなかったのに」
「カーラの言った期限は三日だから、それまでは町の宿で安静にしよう」
「そうする……心配させてごめんね、ネクロちゃん」
分体を作ることはそれほど労力が掛かるのか。それとも精気を得て動くことの負担が大きいのか。
しかし今までにないというその発言、ミストがこれまで行ったことのないことで、そして今回初めて体験したことといえば。
「女性から精気を得た。ハルモニアが口を交わして精気を寄越した……」
はっとして振り返ると――
「町に着いたら、私が診てあげますよ」
妬みから転じて笑みを零すハルモニア。
口移しでミストに与えたのは、本当に精気だけなのか?
彼女は再生できるが、その逆も……




