私はいつもとなんら変わらないですよ
帰還魔法の波動に包まれて、気付いた時には爆破に荒れ果てた、館の入口に移り変わっていた。
カーラの変化の影響は館全体に及び、揺れる外壁はぱらぱらと砕片を散らせる。ここはもう長くは持たないかもしれない、そう感じつつも、館から脇に視線を落としてみると。
「ドール、なぜ連れて来たのですか……」
「なぜって? 聞きたいのはこっちだよ」
睨みを利かすハルモニアと凛として見返すドール。そして長身であるはずのオルルは、己より頭一つ以上小さなドールの背後に縮んでいた。
「敢えてオルルと呼びますが、そのオルルの形をした植物は敵の術中に嵌まってます。今はスカー自身がカーラに集中しているからいいものの、ひとたび意識を飛ばせば、再びネクロさんに危害を加えかねません」
己の安全の確信のないオルルは何も言い返せずに委縮し、そんな項垂れる様を腰を屈めるハルモニアは、にんまりと嫌らしい笑みで覗き見た。
「けってーですね。オルルはここに居残りなさい。さ、ネクロさん。館の裏手のリーヴァを呼びに行きましょう!」
颯爽と俺の手を取るハルモニアだが、その誘いには乗らずに振り解く。
「ハルモニア……君はさっき、ミストの気持ちを理解していたじゃないか。それをオルルにだって――」
「まあ、ミストについては……ね。それにですね、そいつは既に感情の奪われた植物です。理解のしようがありません」
「オルルはちゃんと感じてるよ!」
俺の反論にも嫌な顔一つせず、端麗に微笑むハルモニア。
けれど何一つ語らぬオルルには、辛辣な視線を突き付けた。
「ではオルル、感情があるというオルル。自身の役割を認識するお勉強です。何がネクロさんの為になるとお思いですか?」
「私の役割……」
「ふとした時に操られて、ネクロさんに危害を加える可能性、いかがです? 仮に何もなくたって不安を煽るのですから、ネクロさんは安眠できませんよね? なんてお可哀そう」
「私の存在は……いない方が役立つと……」
「正解です。そしてセックスもできないあなたは生物的にも終わりを告げた。青臭い植物に、人を愛する資格などないんです」
ハルモニアの言うことの前半部分は、それほど間違いではないかもしれない。
確かに今のオルルには安心できず、いつ乗っ取られるとも分からない。
けれど今この瞬間、涙を零すオルルには、人を愛する資格はないのだろうか。
「その白々しい涙も、完全な植物化が済めば止むことでしょう。その時にはファッシネイションの効果も途切れ、あなたはネクロさんを好きではなくなるのです」
「この私の……張り裂けそうな想いが……偽りなんてことは……」
「偽物ですよ。真の愛情はあなたの目の前、この私にあるのですから。あなたを連れて行く意味は互いになく、ただただリスクにしかなり得ない。それともオルルは、他に何かメリットを提供できるとお思いですか?」
「それは……それは……」
「ふひっ! ないでしょうないでしょう! 危険因子な上に子孫も残せず、ただ好意の残滓だけで付いて行こうなどと、なんという迷惑! なんという自分都合! ネクロさんのことをなぁんも考えない、自分が良ければ全て良し! それでもまぁ……付いて来たければ付いて来ればぁ?」
オルルは己の心を偽りだと認めたくない、偽りと認めれば付いて行く意味はなくなってしまう。
けれど本物と認めたところで、付いて行かない方が俺の為になり、逆の場合は俺の気持ちを考えない、自分都合だと認めることになってしまう。
つまりハルモニアの問答は、どちらを認めたところで同行を否定する、天使にあるまじき悪辣なものだった。
「さ、終わり終わり。早く行きましょ? ネクロさん。カーラの犠牲を無駄にしない為にもね」
行かないでと、縋るように俺に腕を伸ばすオルル。
けれどその手は虚空を掴むと再び下ろされ、名残惜しむように踵を返した。
「うひ……バァイ、オルル……」
「一緒に行こ」
オルルの後ろ手を掴む掌。
それは小さく優美なドールの右手。
更に左手は俺の手を取り引き寄せる。
「え?」
「あ……」
重なる掌と掌。
ドールは一本一本丁寧に、俺とオルルの指を絡み合わせた。
「ド……ドール……一体あんたは何がしたい……」
「オルルを連れて行くんだよ」
「意味が……ががが……そこに何の益が……ワカラナイ……」
「仲間だからだよ。それ以外に何がある。ね? ネクロくん」
「う、うん! その通りだよ!」
再び濡れるオルルの瞳。
その水玉の出処は、ハルモニアが否定した感情だ。
「ネクロ様……ネクロ様……」
「手ぇ……握ってんじゃ……それは……ぬぬぬ……私の役割」
「いー加減、己の役割を認識しましょぉ? 早く逃げるべきと言ったのはハルモニアよぉ? とりあえず今はさっさとこの場を離れましょ」
ドールを筆頭に、カーラもミストもオルルも、みな少しずつ何か変わりつつあるように思える。
究極の愛情が生むものは、嫉妬や奪取だけではないのかもしれない。
「ぐぬぬ……許さぬ……」
そうして前に走り出す皆の背を、ハルモニアはひとり直立不動で見つめていた。




