災いと殺戮モード
これまでの強敵たちはレベル2~300が関の山。その中でラーズの444レベルはとりわけ高い位置に達していたが……
「け、桁違いだ……」
「ま、そーゆーことだね。当時のラーズは蜘蛛糸と武器術を駆使する器用な奴だったけど、捕えるのは造作もなかった。罠を仕掛けるつもりだったんだろうけどさ、そもそもが私の腹の内にいるんだからねぇ!」
館が大きく震え、硬い床が波のように流動する。
地面を挟んで館の下にはスカーの一部が通じていて、地上に伸び上がる根は壁を這い天井を覆うと、礼拝堂は本当に腹の内となってしまった。
「逃げ場を塞がれた!」
「なにやら外にいる君の仲間は、大空を飛べるみたいだからね。唯一の弱みだからさ、宙を逃げられると厄介なんだよ」
「ラーズを通じてリーヴァのことも……だけどなんで外にいると分かるんだ!」
「私が取り込んだ魔物はね、ラーズだけじゃないんだよ。館の裏は川に通じてるんだが、水妖のフルンがいるんだ」
「それもまさか……」
「そう、ワルキューレ・アナテマさ。ちょっと頭はイカれてしまったけど、レベルは確か427だっけな。ふふ、セイレーンにローレライ、海と川の歌姫のデュエットも興味深いねぇ」
レベル300のドールに対してレベル444のラーズ。レベル256のリーヴァに対してレベル427のフルン。
そして今この場では、レベル200台のミストと300台になったカーラ、そしてハルモニアは疑わしき1000レベル相当だが、スカーは実力も伴うレベル1216だ。
そして何より頼みの綱である、ファッシネイションが通じない。
「まさか、俺たちはここで負けるんじゃ……」
最悪の事態が頭を過る。
悪趣味なスカーのことだ、負ければ惨死か傀儡の運命か。
現実味を帯びる恐怖に震える肩を、三つの掌が押さえて止める。
「安心せぇ、ネクロ殿」
「例え何が起ころうともぉ」
「ネクロさんだけは絶対に、助け出してみせますから」
「みんな……」
俺への気遣いが、今少しだけの冷静さを皆にもたらし、それを見るスカーは逆に、息を巻き歓喜の笑みを咲かせた。
「イイ! すごくイイよ! 怒りと消沈の落差より、希望から絶望への移変が最も興奮するんだよねぇ! 華々しい絆を一つ一つ、まるで花占いのように丁寧に、ぶちぶちと毟り取るのが最高なんだぁ!」
「生憎わらわとネクロ殿の絆は鋼より丈夫でのぉ……」
蛇となったカーラの半身はとぐろを巻く。
筋肉がバネのように軋み、スカーを睨む蛇の目は刃の鋭さへと磨かれる。
「裂けるものなら裂いてみよ!」
弾丸。いや、戦闘形態を遂げて巨大化したカーラの突進は大砲だった。
子供の頃に見た怪獣映画さながらの大迫力で、大木に平手を打ち付けるカーラは、今にも喰わんとする勢いで鋭い牙を剥き出した。
「動けぬならばぁぁぁ……そのまま薙ぎ倒してくれるわぁ!」
カーラは打撃の手を枝に絡めると、押し相撲の状態へと持ち込む。
「なかなかの力じゃないか」
「素早さは劣るがのぉ、力重視の形態じゃからなぁ!」
「だが、それでも君は動いてる」
それは当然、動かぬ相手などいる訳――って、対するスカーは動かない。
突進に動じないというだけではなく、スカーは動く物ではなく植える物だから。
「まさか、うぬのレベル1216というのは……」
「その通り、皆無の素早さを踏まえた上でこのレベルだ。つまりその分どうなるか、利口な君なら分かるよねぇ?」
「ぐぬぬ……」
地に根を張るよう、という言い回しを地でいくスカー。
カーラの押しに対して、まるで涼しい顔を崩さない。
「ダメージゼロなんだよなぁ。むしろ君の方が消耗するばかりだ」
「ならば……これならどうじゃ!」
逆立つ翠色の髪は、先端を蛇頭とする毒牙だ。
それぞれが意志を持ち、ラーズですら及ばぬ千手となって、スカーの樹皮に牙を立てる。
「これは毒……かな? けど残念。自然には様々な毒素があってねぇ、その全てを取り込む私の毒耐性は――」
「間抜けがぁ、これは他に類を見ない石化毒じゃ」
「なんだって?」
カーラの毒は極めて稀な石化毒。
治癒に特化したハルモニアですら手が出せず、抗体はカーラだけしか持ち得ない。
「油断が命取りになったのぉ。幾らレベルが高かろうが、強さを度外視した治癒不能の猛毒じゃ。して、初のお味はいかがかの?」
「それは……その……」
「んー? よく聞こえんのぉ」
「味わわせてくれなきゃ何も言えないよ」
「なんじゃと!?」
よくよく見れば、髪先の蛇たちは噛みつくのではなく、樹皮を咥えている。
力む顎を見る限り、それが精一杯の力だということ。
「馬鹿な……牙先の圧点すら通さぬだと!?」
「歯が立たないという比喩表現、身に染みて理解できたかなぁ?」
素早さを捨てた防御に偏るステータス配分。
一つの値だけで見てみれば、きっと1216レベルなどでは留まらない、極めて高い防御力を示しているはずなんだ。
だが当然、その力は守りだけには終わらない。
ふと地面からの脈動を感じ、足元に目を向ける。
「これは……蔓?」
改めて見渡すと、部屋の四方八方で蠢く触手のような蔓の束。
一斉に伸びるそれらは蛇髪を凌駕する万の手となり、カーラの五体へと絡みつく。
「ぐぁあああ!」
縄のように縛り、鞭のように叩かれるカーラは、これまでに見せたことのない苦悶の表情を滲ませた。
「巨大化したのが仇になったねぇ。絞め殺せばそれでお終いだけど……うーん、どうしようかなぁ」
サディストが幸いし、かろうじて生き永らえるが、生殺与奪はスカーの手にあり、もはや幾ばくの時間も残されていない。
それに殺されずとも、種とやらを埋め込まれてしまったら……
「カーラを助けてあげて!」
「…………」
「ミスト!」
「……癪だけどぉ、今ばかりは仕方ないわねぇ!」
全滅してしまえば恋敵も何も関係ない。
ここで初めて共闘を見せる仲間たちだが、阻むのもやはり仲間だった。
「あなた、邪魔する気ぃ?」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……許してぇえええ!」
ミストの前に立ちはだかるオルルだが、切な謝罪は俺に向けられる。
「こ、これじゃカーラを助けに行けない。あとはハルモニアだけだけど……」
ちらと視線を送ると、ハルモニアは存外神妙な面持ちで頷いた。
「承知してます。負ければ元も子もないですから」
「ハルモニア……!」
腰を落とすハルモニアはクラウチングのような姿勢でスカーを見上げる。
蠢く蔓に捕まらぬよう、勢いを付けて足を踏み切る――刹那の瞬間。
「く、来るでない……うぬに貸しを作るなど反吐が出るわぁ」
「カーラ!? あなた、そんなことを言ってる場合じゃ……」
「みなまで言わすな。わらわなどより、ネクロ殿の安全を……」
「それって……」
「腹立たしいがのぉ……うぬが守れと言っとるのじゃ!」
俺からすれば耐え難い光景だが、カーラの懇望を見るスカーの口端は、歪にぐにゃりと吊り上がる。
「弱虫の癖に強がっちゃって」
「黙れ……その薄汚い口を止めんか……」
「知ってるんだよ? 海を渡ったワルキューレ・アナテマってのは弱いんだよ。生存競争に勝てないから、尻尾を巻いて逃げたんだろ? ん?」
煽るように面ばかりを覗くスカーに、カーラの半身は見えていたのだろうか。
半人半蛇の境目が薄くなり、蛇肌が上るその様を。
「八岐――」
その瞬間、カーラは思い直したように視線を外して俺を見た。
「くっ……」
そう言えばカーラはもう一段階の変身があると。
それは理性を失い、俺を危険に巻き込むかもしれないと言っていたが……
「カーラ! 気にせず力を解放してくれ!」
俺の叫びを耳にしながら、渾身の力で抗うカーラの肌の境目は元通りとなった。
「そ、それだけはできぬ……できぬのじゃ……」
「なぜ!?」
「殺してしまう。万に一つもなく百パーセントじゃ。わらわはネクロ殿もろとも殺してしまう。だからそれだけは……できん!」




