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お胸のスイッチをポチッとな

 眩い光が収まると、辺りは再び闇に包まれる。

 見上げる虚空には、うっすらと幽光を纏うリムルが漂い、足先からほろほろと崩れゆく。


「行かないで……消えちゃ嫌だ」


 手を伸ばしても届かない、悲し気に見つめるリムルは小さく手を振り、またいつかと、小さく呟き闇に融けていった。


「……想いは消えない……絶対に」


 俺は破滅ではなく、愛情に天秤が偏る。諦念や闇堕ちとは一線を画す感情は、更に重く深く、天秤の片側を押し下げる。

 仲間たちの異常ともいえる行動が、今となって少しだけ理解できる。何がなんでも、必ず絶対、どんな手を使ってでも。


「いつか……君を蘇らせてみせるよ」


 そして意識は次第に遠のいて、いや、戻ってきたという方が正しいか。

 目覚めるとベッドの上で横になっていて、床ではイェネオス王子が代わりに転げていた。

 失神した俺を休ませる為に、彼女らは王子をベッドから蹴落としたのか。

 不届き極まりないが、手段を選ばずという点は勉強になる。


「うらぁ!」

「吐きやがれぇえええ!」


 乙女とはかけ離れた、荒々しい声が部屋を揺らす。

 見れば天井から縄で吊るされるミストが、仲間たちに囲まれて、口にするのも憚れるほどのあられもない仕打ちを受けていた。


「あ゛あ゛あ゛! しょこはひゃめぇ(そこは駄目)~~~!」

「ふふふ、脳が蕩けるほどのイキ地獄。感度百倍で狂うといいですぅ」

「さあ吐くのですわ!」

「うぬは夢の中で一体……」

「何を見やがった――」


 リーヴァの視線が俺と合うと、怒りの面はすぐに喜びへとすげ替わる。


「起きたのかぁあああ! 心配したぜぇえええ!」


 その体躯で抱き締められたら骨ごと砕けてしまいそうなんだけど。

 けれど喜びのあまり加減を忘れたのか、どすどすと鳴らす足から床が抜け落ちて、リーヴァは階下へと転落していった。


「ちょっと! これは一体……」

「え、いえ……色々と吐かせようとしただけですよ。他のワルキューレ・アナテマのこととか……あと他にも……色々と……ね?」


 ハルモニアを中心に、不自然な笑みを並べる女たち。

 しかし先のミストとの問答で、既に答えは出ている。

 彼女らは、俺の心の在り方を知りたいんだ。


「人の心を覗くのは……」


 そこまで言い掛けて、心がちくりと痛んだ。

 しかし些細な痛みなど気にしてられない。

 これから俺はより強く、彼女らを上回るほどに立ち回る必要があるんだ。


「それにしてもミスト。夢の中ではあれほど豪語していた癖に、現実では霧になれないんじゃないか」

「…………」

「…………え?」

「…………そうだったわ!」


 縄に食い込むむっちりとした肢体を霧化させるミストは、たちまち拘束から脱出した。


「忘れてたの!? 谷間を刺された時もそうだけど、うっかり過ぎない!?」

「お茶目なドジっこって言うんじゃないわぁ!」


 そんなこと一言も言ってないんだけど。

 霞のように揺れるミストは舞い上がると、勝ち誇ったように見下し手を振った。


「バァイ、お間抜けなご一行さまぁ。魔王様にお報せして、たぁっぷりお仕置きしてあげるように言っとくわん」


 その言葉を最後に、ミストは陰形もなく消え去った。

 魔王のレベルは10000相当。いずれは倒すつもりだが、今こられるのは非常にまずい。

 ミストは不可視化したけれど、きっとまだこの部屋にいるはずだ。


「逃がすか!」


 俺はベッドから飛び降りると、やたらめったら四方八方、ファッシネイションを念じはじめる。


「ちょ、ネクロさん!?」

「これ以上ライバルが増えるのは……」

「堪忍して欲しいのじゃぁ!」


 仲間たちは俺の足に縋り寄るが、効く耳持たず能力を発動し続ける。

 体中を這われて擦られるが、それでも無心となって発信していると――

 むにゅりと、頭頂部にお餅が乗った。

 

「いけなぁい。ドジっておっぱいぶつけちゃったぁ」

「え?」


 見上げるとのしかかる肌色の柔餅。

 呼吸もできないほどの挟圧が顔面に襲い掛かる。


「むぐ~むぐ~」

「うひぃ! ひゃんどひゃくばい(感度100倍)ひゃのわひゅれへはぁ(なの忘れてたぁ)!」


 間一髪ミストを虜にはできたようだが、視界が塞がれる中で、じょぼじょぼと水の滴る音が耳に届く。

 その音の正体は言わずもがな、マジで本当に止めて欲しい。


「こんのくそビッチがぁあああ!」

「調子のんなですわ!」

「下級魔物の分際でぇえええ!」

「じぇんじぇん、下級でおっけぇ。むしろ誇りすら感じるわぁ。下衆で下劣で下品な雌豚を、いぁっぱいいじめてちょうだぁい」


 皆の殴打を浴びてもなお揺るがぬ乳の圧。

 打撃の振動が首に響いて、鞭打ち寸前なんだけど。

 ミストのお願いに反して、いじめられてるのは俺の方じゃないか。


「むぐぐ~首が取れるぅ」

「ネクロ殿が嫌がっておるじゃろ! とっとと止めんか!」

「止めて欲しいぃ? でも止めなぁい!」


 窒息が先か首が折れるのが先か。

 いや、俺はこの先も生き抜かなければならないのだ。

 こんなところで負けてられるか!


「かくなる上は……ポチッとな」


 感度百倍の胸の中心、ミストのおっ立ったスイッチを押してみた。


「ひぎゃあああ! いぎぃぃぃ……イグゥゥゥウウウゥゥゥ……」


 電撃が走るように体を震わせたミストは、ようやく俺の体から離れると床に落ち、力なく涎を垂らした。


「あへ……あへへへ……」


 そしてアヘ顔のミストは無抵抗のままに、仲間たちのリンチを被ることに。


「た、助かった……」


 勝負ありのところから、思わぬサドンデスに突入したが、なんとか無事に三体目のワルキューレ・アナテマを攻略できた。

 城内はめちゃめちゃになってしまったが、王子も夢魔の脅威から解放されて、国の窮地も救われた。

 皆がミストを袋叩きにする中で、呆けるセルフィの方へと歩み寄る。


「ドタバタしちゃってごめんね」

「あ……いや、構わないけど……」

「これで王子は次第に回復するはずだよ」

「へー、そうなんだ」

「へー、って……まあとにかく、これで国を襲う脅威はなくなったんだ。傷跡は深いけど、これからセルフィとイェネオス王子の二人三脚で――」

「なぜ私が、イェネオスと足を結ばねばならないの?」

「へ?」


 俺の右手を取ると両手で包み、見上げるセルフィの黒の瞳は光彩を放つ。


「私の王子様はネクロ、あなたよ。二人三脚は私とネクロ。縄で足を繋げて……いえ、三本目の足で私の穴と繋げて欲しいの!」

「な、なんでセルフィまで!?」


 俺がファッシネイションを使ったのはミストを捕える時、四方八方ところ構わず能力を振り撒いた。

 セルフィは運悪く、流れ弾にヒットしてしまっていたのだ。


「あれは……ノーカンで……」

「偶然は必然だったりするものよ。私がハルモニアに転生された真の理由は、こうしてネクロと出会う為で――」

「んな訳あるかぁあああ!」


 抜け駆け許すまじと、怒れる仲間たちがずかずかと駆けて来て、抜けた床下に次々と落ちていった。

 まあカーラとオルルは丈夫だし、ハルモニアにミストは空も飛べる。先に落ちたリーヴァもだけど。

 唯一心配なのはドールだが……


「って、あれ? そういえばさっきからドールの姿が……」


 見渡すと、部屋の隅でこじんまりと佇むドールがいた。


「そんなところに……ドールは我慢したんだね」

「ううん、ネクロくん。ドールは我慢してないよ。悔しくなんかないんだよ」


 俺の目からして強がりに聞こえるドールの主張に、セルフィは煽るように鼻を鳴らした。


「とか言っちゃって、未練たらたらにしか見えないけど」

「ちょっと……言葉を選んで……」

「大丈夫だよ、ネクロくん。だってこの女は、ドールの敵じゃないもん」

「何を言うかと思えば。私こそ、あんたみたいな小便臭いお子ちゃまなんか、まるで目じゃないんだから」

「あなたには――」


 大穴を隔てて対角線上、小さなドールの大きな目が見開かれた。

 榛の瞳は生まれたての地球のようで、流動する大地がぐるぐると渦を描き、螺旋の中心は積み重なる想いで黒色に染まる。


「資格がない。ネクロくんを愛する資格が足りない。強さが足りない。愛が足りない。理解が足りない。何もかも全て足りない。足りないもので満ち満ちている。好きなだけでは足りないの。ドールはそれを知っている。そしてあなたは生きている。だから恐るるに足らない」


 ドールが何を言いたいか、セルフィは理解できずにぽかんと口を開けた。

 その隣で、俺はひとり唾を呑み込む。


 ファッシネイションは、究極の恋心を抱かせる力だ。

 けれど当然、人により究極の度合いは違うし、個人差はある。

 思い込みで桁外れに強くなれたのはドールだけ。そして今ドールは、得体の知れない感情を得つつある。

 ドールの恋心は仲間内と比べても、明らかに異質な方向に向いていた。

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