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平和≠混沌≒愛情≠正義

 不敵な笑みを浮かべるミストは傾く頭を追うように、ゆらりと体を揺らした。

 右に左にゆっくりと、淫靡な肢体に従う残像は次第に緩やかとなり、遂には止まり、実体を持って二つに分身する。

 そして分かれた体が再び分身を繰り返し、ミストは瞬く間に数を増やしていく。


「複数プレイはお好みかしらぁ?」

「生憎だが、一対一が好みかな。愛されている感じが増すからね」


 剣と一体化するリムルの斬撃は止まることなく、流れるようにミストに斬りかかるが、霧と紛れる実体を掴むことはできず、分体は際限なく増殖しキリがない。


「嫌といっても無理やりしちゃぁう。たぁっぷり輪姦(まわ)してあげるぅぅぅ」


 大胆不敵に歩み寄る残像の群れ。

 このままでは防戦一方だが、ここは俺の夢の世界なんだ。


「だったらこっちだって、リムルを増やせばいいことだ!」


 リムルが分身することを心に強く念じてみる――が、リムルは依然ひとりのままで、増えるような素振りはまるで見えない。


「だ、駄目だ……リムルが増える姿をイメージできない」

「ふふふん♪ 甘い甘ぁい。強くなることはイメージしやすいけれど、分身する人間だなんて……そんなものリアルに見たことないでしょぉ?」


 固定観念。

 思い込むということは一筋縄じゃないんだ。

 プラシーボ、ノシーボ、サブリミナル、ヒポコンドリー。

 人は思い込みで様々な症状を表したり、逆に治したりもできる。

 だが思うだけでは足りない、思い込むことができないと。

 ヒト(リムル)にできそうなことは想像できるが、人外の領域は俺にははっきりと想像できないんだ。


「これがミストの言ったレベルの差なんじゃ……」

「ぴんぽんぴんぽぉん! その通りよぉぉぉ。レベルはとっても大事なのぉ。例え精神世界でもぉ、レベル200の私は、あぁんなことやこぉんなことも、できるって自信が育まれているのだからぁぁぁ」


 艶っぽい胸を張るミストは、嘲るように俺を指差し見下ろした。


「対してあなたはどう? 下位魔物ですらないただの人間。あなたのレベルは幾つかしらぁ? どんな魔法が使えるのぉ?」

「うあ……」


 言うまでもなくレベル1の俺は最弱だ。

 真っ向から戦えば、この世界に勝てる者などいないほどに。

 ファッシネイションだけが取り柄の、ただ女性に守られるだけの弱い男。


「あなたは鍛えた兵に勝てるぅ? 獣や竜に勝てるぅぅ? それすらも超越する、ワルキューレ・アナテマに勝てる自信はおありぃぃぃ?」


 ……ないよ。俺にはそんな実力も、自信や勇気だって微塵もない。

 長きを生きた魔物に比べて、精神力だって高校生並み。

 そんな俺が、魔王の配下であるワルキューレ・アナテマを倒すだなんて……


「絶対……無理だ――」

「ネクロ!」


 リムルは再び俺の名を叫んだ。

 黄金の闘気は僅かばかり萎んで見えるが、浮かべる笑みの力強さだけは先までと変わらない。


「私を信じろと言ったはずだよ」

「リムル……」


 俺は、俺の強さを信じられない。

 能力に頼るだけの弱い男だ。

 だけど――


「リムルなら信じられるよ。リムルは強いって信じてる。だって好きな女性(ひと)だから! 好きな人を信じるなんて、当然のことじゃないか!」


 リムルの身から再び闘気が湧いてくる。

 それを茶番劇だと、ミストは呆れ眼を投げかけた。


「くだらなぁい。好きとかそんな程度で、人が強くなるとでも思っちゃってる訳ぇ? そんな非現実を、リアルであなたは見たことが――」

「あるね! だから信じられる!」

「え?」


 俺の心に好きが溢れていく。

 心をリムルが満たしていく。

 呼応してリムルは更に光り輝き、眩い光を解き放つ。


「うっそ……頭おかしいんじゃないの? そんな荒唐無稽を信じるなんて……」

「下衆なお前には分かるまいよ。ネクロと私に通う一途な想いなどな」

「一途……そんなお子ちゃまチックな純情な感情に、強さが宿るなんて幻想よ!」


 苦し紛れに言い放つミストだが、俺は力強く首を横に振る。


「それは違うよ。一途な愛は最強の力だよ」

「何を……世迷言を。最強は魔王様の持つ闇の力に決まってるわぁ!」

「それはどうだろう。負の力だとか闇の力だとか、純粋とは真逆の側面が、本当に最強の力なのかな?」

「人間如きが……魔王様の力も知らない癖に……」


 確かに俺は魔王の力など知らない。

 その姿さえも見たことはない。

 だけど闇だから強いだなんて、そんなのは全然理屈じゃない!


「じゃあ聞くけど、負の感情にはなぜ力が宿るのかな」

「それは当然、邪悪には強い思念が作用するからよぉ」

「だとしたら、強い想いが力に直結するのなら、プラスやマイナスを問わず、振り切れた方に力が偏るってことだよね?」

「だから愛が強いって言いたい訳ぇ? 愛なんて脆くて、ちょっとしたことで浮いたり沈んだり。強固な闇の力に比べれば、ぜぇんぜん大したことないじゃなぁい」


 愛を小馬鹿にするミストは大袈裟に笑ってみせるが、それは違うんだと、俺は開いた五指を突き付ける。


「闇の力は愛より強固だと、本当にそう思うの?」

「当たり前よぉ! 他の全てを犠牲にできる究極の思念。それが闇の力で――」

「俺は闇の力こそブレブレで、不安定なものだと思う」


 これから高説を語ろうとでもしたのか、両腕を掲げはじめたミストの動きがぴたりと止まる。


「なんですって?」

「例えば全てを滅ぼしたいと願う感情。確かに強いかもしれないね。でもその思念に見合うものがないかと言われれば、きっとあるんじゃないかな」

「あんた馬鹿ぁ? 代わるものが無いからこそ破滅を願って――」

「家族が虐殺されたから。という理由だったらどうだろう? 故郷を滅ぼされたから、愛する者を奪われたから破滅を願った。というのはどうだろう? 破滅の欲求に傾く天秤の逆側に、奪われた命を返してくれるという選択肢が置かれたら、きっとその者は破滅など投げ捨てて、愛の道を選ぶに違いないよね」

「そ、それは……」

「では愛情は? 究極の愛情に傾く天秤に、見合う重しは存在すると思う? 極まる愛に釣り合うものはなく、恨みや呪いすら上回る力を生み出すことができるんだ」


 浮き沈みするのは、心を揺り動かすパワーがあるからだ。

 一直線になった際の愛に勝る思念はなく、すなわち最強。

 ただ一つ付け加えることがあるとしたら、愛は決して……正義ではない。


 あらゆるものに矛先を向ける邪悪と違い、愛の矛先は常に一つ。

 一点に集まる想いの力は燦然(さんぜん)と輝いて、ミストの影を次々と掻き消していく。


「そんな……私の闇の力が消されていく……こんなものが最強の力だなんて……」

「いや、これでもまだまだ及ばないよ。愛の為には闇の力をも利用するような、闇すらも愛の一部とするような、そんな一途な彼女らには決してね」

「彼女ら……まさかカーラやリーヴァの異常な行動は……」


 わなわなと体を震わせる、不純と浮気に生きてきたミスト、

 一途な愛情を前に一歩退くと、恐れをなして背を向けた。


「ま、魔王様に報せなくては。愛の為に、たった一人の為に、世界を揺るがすことも厭わぬ感情。闇の支配にすら規律はあるのに……愛は混沌そのものよ!」


 ミストは逃げ場を求めて駆け出すが、愛に染まった俺の心に隙間はない。

 リムルの放つ強烈な光線は、心の隅々までをも照らし出し、一切の白色に包まれる世界はある種、狂気に満ち満ちていた。


「失せろミスト! ネクロの心から消えて無くなれぇえええ!」

「ぎぃあああぁぁぁ……」


 俺の精神世界に存在が許されるのはリムルだけで、霧になったミストは、再び実体に戻ることはなかった。

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