退廃的ソリューション
セイレーンの群れはいよいよ城を見下ろす位置にまでやってくる。
中央にワルキューレ・アナテマのリーヴァを添えて上空を舞う、歌い乱れる一回り小さいセイレーンたち。
「踊りましょぉお♪ 歌いましょぉお♪ 贄を喰らい狂いましょぉお♪」
奏でるセイレーンを操る指揮者のように、リーヴァは宙に掌を泳がせる。
「いいぜいいぜ、完璧な演奏じゃねぇか。耳栓なんかしててもよ、演奏代はきっちり頂戴するぜぇ!」
リーヴァが指を差し向けると、セイレーンたちは兵の放つ弓矢を掻い潜り、更に声を大に歌いはじめる。
「ラララ~♪ 良い子はお眠り~♪」
近距離で歌声を耳にして、耳栓越しにも兵の顔はとろんと腑抜けてしまって、目先まで近付いたセイレーンは大口を開くと、美しい歌声を発したままに――
「いただきまぁす♪」
がぶりと、兵の頭から胴までを、ひと噛みで食いちぎった。
「ひとり三・四ひきにしとけよ~。いいもん食ってる城内の人間はうめぇからな。良質な人間牧場を潰したら、低品質な商人や農民を喰う羽目になるぜ~!」
これが魔物のお遊び。
これがリーヴァが一度に国を殲滅しない理由。
あまりに残酷。
うまい人間を食べたいからって、そんな理由で――
「人と……おんなじか……」
うまい牛肉や豚肉を食いたい。だってまずい肉は食べたくないし。
それは生きる為とは逸脱した欲望で、欲望の為に他の命を犠牲にする。
ならば恋も欲望で、愛する人を得る為に犠牲を伴うことは――
「喰らうなら、毒でも喰らってなさい!」
美しさの欠片もない、醜い断末魔を上げて地に落ちる一匹のセイレーン。
その骸に指を差すのは、透いた青髪の聖女。
「エイル!」
俺の声を耳にして振り返ると、エイルは淑やかに微笑んで頷いた。
そんなエイルの背後から迫り来る、一際大きな影が一つ。
「エイル! 後ろだ!」
体長十メートルは下らない、セイレーンのボスであるリーヴァ。
怒りに目は血走って、口腔から覗く歯並びの全ては、犬歯のように尖り食いしばる。
「てめぇ……同胞をよくも……」
「――言葉、その――――返し――す」
よく聞こえない。図体の大きいリーヴァの声は通るけど、エイルの言葉がうまく聞き取れない。
けれど耳栓を外す訳にはいかない。
しかしエイルは挑発的なことを言ったのだろう。髪留めがはち切れんばかりに赤き結い髪が逆立った。
「いーい度胸じゃねぇか! だがその大口を――」
まずい、リーヴァは殺る気まんまんだ。
相手は高位魔物のワルキューレ・アナテマ。エイル一人では勝ち目はない。
幸いにもセイレーンは雌だ。
ならば俺のファッシネイションを喰らえ!
「死んだ後でも言えるかぁ? 僧侶の小娘が!」
能力を飛ばしたというのに……効いてない!?
それとも惚れた俺の存在に気付いていないだけ?
「おい! リーヴァアアア!」
腹の底から出した叫び声に、ようやくリーヴァは俺に目を向けた。
ただし好意とはかけ離れた、爛々と敵意を宿す恐ろしい眼差しを。
「あ? 誰だてめぇ……気安くあたしを呼びやがって」
あれ? あれあれ?
俺の能力が……なぜ効かない!?
「あな――相手――です!」
何かを叫び、俺とリーヴァの直線上に立ち塞がるエイル。
両手を広げて遮るように、身を盾に守る母のように。
俺は咄嗟に、一番近くにいる配下のセイレーンにファッシネイションを念じてみる。
するとそのセイレーンは兵を喰らうのを止めてまで、血塗れの手を広げて俺の方へと飛んできた。
目的の為なら使用は辞さないとしたが、さすがにあれこれと能力を試す真似まではしなかった。
そしてこの土壇場、ようやく今さら気付いたこと。
まさか……射程では? ファッシネイションには射程距離があるのでは?
これまでの出会いで、ハルモニアにドールもカーラも、すぐ目の前で魅了した。
遠くても通りがかったリムルか、若しくはハルトの後ろに控えていたオルルとエイルだが、いずれにしても十メートルは離れていなかった。
対してリーヴァまでの距離は、五十メートル以上は離れてしまってる。
「みんな! エイルがピンチだ! 助けに行ってあげてくれ!」
…………
…………あれ?
辺りを見渡すと、皆は配下のセイレーンを相手に戦いはじめている。
見れば全員が耳栓をしていて、俺の声が聞こえていないのか?
せっかく魅了したセイレーンすら、俺に近付くことを察知したカーラが捕まえて、羽を毟っては手足を千切り、首をもぎ取って殺してしまった。
「みんなぁあああ! エイルを助けるんだぁあああ!」
半ば絶叫に近い呼び声にも、俺の仲間は振り返らない。
けれども皆の雄叫びは、耳栓越しでも俺に届く。
皆は戦いに没頭する振りをして、エイルの方に目を流すと冷笑を浮かべた。
「ちくしょうがっ!」
俺は即座にその場を駆け出した。
ファッシネイションの射程まで、能力を全開のままリーヴァの下まで走り出す。
通すまいと塞がるセイレーンは問答無用で魅了する。
敵意から好意に一転、飛び付く彼女らを押しのけて、あと少しで射程に入るだろう間際のこと。
俺は前のめりに転げてしまった。
足を引っ掛けて……いや、足を何者かに掴まれて。
振り向いた先で、俺の足首をがっちりと掴む者。
「ネクロさぁん……危険ですよぉ……一人で勝手に飛び出しちゃあ……」
「ハ、ハルモニア……」
輝くはずの黄金の瞳は暗く淀んで、口端はぐにゃりと歪に曲がる。
「離せぇえええ!」
「はいぃいいい? よく聞こえませぇぇぇん」
とぼけるハルモニアの顔面を蹴り抜いて、怯んだその隙に身を起こすも。
「危ないですわぁぁぁ」
「駄目じゃろぉぉぉ」
「大人しくしてなきゃぁぁぁ」
後から来た三人に覆い被されて、再び地面に押し倒される。
泥を掴んでもう一度、顔を上げた俺の目に映る光景は――
「愛――ます、ネ――様」
涙ながらに微笑むエイルが、頭を食いちぎられる瞬間だった。
「あ、あ、あぁ……ああああああ!」
「うめぇうめぇ♪ この女うめぇぞ♪ 最後っ屁に毒魔法を放ったようだが、あたしにとっちゃ良いスパイスだぜ♪」
ばりぼりと、残るエイルの体を貪るリーヴァ。
それを見る皆は頭を抱えて舌を打ち、露骨に顔を歪めてみせた。
「そんなー、エイルがピンチだったなんて知らなかったよー」
「耳栓してたから聞こえなかったですわー。ほら、耳栓してたから」
「ちくしょー、気付いていたら助けてやったんじゃがのー」
「ううう……本当に……くく……フラグ通りになっちゃいましたねぇえええ!」
これみよがしに泣きはじめる、あざとい女たち。
堪え切れぬ笑いを涙で誤魔化す、闇深い女たち……




