破滅型デジャヴュー
一日目にセイレーンの襲来はなく、城内で二日目の朝を迎える。
しかし戦いはないとはいえ、昨日の夜も酷かった。
彼女らは結局どこからか酒を拝借したようで、夜にも関わらずどんちゃん騒ぎをする始末。
注意に訪れた兵士の一人は理不尽に半殺しの目に遭っていた。
その後に風呂に入る際も皆が押し掛けて乱入し、そして今この瞬間ベッドの上もご覧通り、身動きが取れないほどに皆が身を寄せている。
隣で寝息こそ立てているが、きっと全員起きていて、その心中は計り知れない。
皆の体を押しのけて、なんとかベッドから這い出ると、その足でトイレへと向かうが……
きっと今振り返ったら、全員が全員、目を凝らして俺を見ているのだろう。
そう思うと、背中はぞわりと総毛立つ。
小便を済まして部屋に戻ると、皆は欠伸をしながら目を擦り、いかにも今さっき目を覚ましたようにむくりとベッドから起き上がる。
「ふわぁ、おはようございまぁす……ネクロさん」
「よく眠れたかな?」
「次はわらわのおっぱい枕を使うと良いぞ」
「それより私の艶めかしき太もも枕を使うのですわ!」
「あうあう……私には自慢できるところがありません……」
遠慮がちなエイルだが、はっきり言ってこの中では一番バランスが取れている。
ハルモニアは胸と体がアンバランスで、ドールは子供。カーラは色々でかいし、オルルはモデルかっていうくらいに足は長いが、ついでに耳も長い。
エイルは俺よりいくらか背が小さくて、翼もなければ異種でも魔物でもない。
この面子では割と穏やかで、この中で誰かと言われれば――
いやいや……俺にはリムルがいるじゃないか。
「一応戦う為に来てるんだし、何かした方がいいのかな」
「それは稽古ということですか?」
「まあ、そうだね……俺は戦わない癖に偉そうかもしれないけど」
するとみな一様に首を振り、神仏を崇めるように俺を見上げた。
「ああネクロさん……そんなことはないのです。確かに必要なことでしょう」
「ネクロくんに褒められるよう頑張るね!」
「言うべきことはちゃんと言う。むしろ誉れ高いのじゃ」
「皆は修練に励むので、私とネクロ様は大人のスポーツで一汗流すのですわ!」
「黙れ!」
「一人でやってろ!」
「変態エルフ!」
さっそく朝からぎゃあぎゃあと騒がしいが、その中で一人エイルは小屋から外へ出て行った。
別に不自然ない動きに思えるが、しかしこの能力下で俺の下を離れるのは珍しい。皆が乱闘騒ぎに夢中になっている中、俺はエイルの後に付いてみることにした。
小屋から離れて、きょろきょろと辺りを見渡すエイル。
なぜだか俺は悪いことをしてる気がして、咄嗟に木陰に隠れた。
エイル自身は人目を気にしているというより、むしろ人を探してるといった様子で、兵の一人を見つけると何やら声を掛けはじめた。
一体なんだろう……何か企んでいるのだろうか。
能力の性質上、俺を貶めることはしないはずだが、ライバルを蹴落とすことだったら分からない。
話を終えると、エイルは兵の後に付いて歩き出した。
引き続き後を追うと、遂には城内へ続く扉へと案内されている。
やはり気になる。
エイルが入れるのなら俺も行っても良いだろうか。
一度閉ざされた扉を再び開くと、冷たい石造りの廊下が続いていて、先を行くエイルたちの足音が響いていた。
俺の方は足を擦るように、そろりそろりと先へ進む。
突き当りはT字に二手に分かれているが、音のする右方向を覗いてみると、ちょうど木戸が閉まるところを目にした。
ひっそりと近付いて、扉に耳を当ててみる。
何も聞こえない。奥の部屋で何をしているのだろうか。
一つだけ言えることは、如何わしいことではないということ。
好きでもちょっとくらい浮気することもあるかもしれないが、それは世にありふれた一般的な恋心の範疇で、究極の恋心の前にそれはない。
一番の懸念は仲間たちを嵌める作戦を企んでいることだが……
思考を巡らせる最中のこと、唐突に耳を当てる扉に体を押し飛ばされた。
尻もち着いて見上げると、開けた扉の先で驚き顔の兵士が見下ろしている。
「お前……ここで何をしてるんだ」
「あの……その……」
「勝手に城に入るとは、不届き者め!」
怒る兵士が手を伸ばし、あわやしょっぴかれそうになる間際のところ。
「おやめなさい!」
呼び止めてくれたその者は、部屋の明かりが背に射して、清らかな後光を放つようだった。
「エ、エイ――」
エイルは咄嗟に指を口元に。
それはつまり内緒の合図。
「おほん……えーと、”ハルト”だったね」
「何を言ってるんだ? とにかく勝手に入って来ては――」
「兵士さん。この方は私の上に立つ者です。ここに訪れるだけの資格があります」
「こいつ……いや、この方が? とてもそうは見えないが……」
ん? 呼び方を変えた?
それに資格ってなんだ?
「私はあくまで助祭です。ネクロ様はその上に立ちます。私が入れて、ネクロ様が礼拝堂に入れぬ道理はありません」
「助祭の上って……俺が司祭!?」
驚く俺を前に兵士は眉を顰める。
しまった……ここは納得するべきだった。
「失礼しました、ネクロ様。疑問を持たれるのも当然です。上の上というのが正しい言い回しでございました」
「司教……俺は……ごほん……私は司教でもあるんです……はは……」
エイルが機転を利かせたが、なおじっとりと俺を見つめる兵士。
その後ろでエイルは密かに兵の首に手を伸ばす。
頼む、認めてくれ! でなきゃあんたは死ぬぞ!
「……分かりました。とんだご無礼を。司教様も是非お祈りください」
エイルの手はぴたりと止まり、それに気付かぬまま兵はその場を去って行った。
「ネクロ様……なぜこんなところまで」
「エイルが気になって……手を煩わせてごめんね」
するとエイルは膝を折り、俺の手を取ると両手で包む。
「ああ……そんなことを仰らないでくださいまし。エイルはとても幸せです。私を気に掛けてくださったのですね」
気に掛かったというのは嘘ではないが、どちらかというとマイナス方面の不安に煽られてだけど。
でも今はそれを言う必要はないか。
「エイルは礼拝堂に祈りに来たんだね」
「ええ、仰る通りです。僧侶は祈りで魔力を高めます。体内のクインタ・エッセンチアを活性化させるのです」
「クインタ・エッセンチア……魔素のことだね」
「よくご存知で。ネクロ様は聡明でございます」
俺を見つめる垂れがちの青い瞳。
海のように優しい光を映している。
だがそんなエイルも愛に嫉妬に、残酷な姿を見せたことは事実だ。
「俺も一緒に祈ろうかな」
「ネクロ様もですか!? 嬉しいですが……一体何をお祈りで?」
「この戦いがうまくいくように。皆が無事であるように」
途端に目を曇らせるエイルは項垂れた。
邪を疑うが、しかし落ち込んだ少女のようにも見える。
「私も……」
「エイルも?」
「私も無事を祈りたい。皆の平和を願いたい」
平和を……祈るだって?
虜となった者たちは、何より目先の欲望にしか目はいかないはずじゃ……
「私は一時ハルトの側に付いていました。付いていかざる負えなかったのです」
「えと……どういうことかな」
「彼は私の住む町を魔物から救いました。けれど町は彼の支配の下、より酷い有様と成り果てたのです」
俺はこの時、直感した。
これはきっと告白だと。
決して恋の告白でなくて、俺を神と見立てた懺悔の告白。
「町の女たちは犯されました。恋人がいようが旦那がいようが、恋を知らない少女すらもハルトに蹂躙されました。逆らう男は皆殺し。私はそんな有様を見ていられず、忌まわしき案を申し出たのです」
「……言ってご覧」
「ああ……私は生贄にしたのです。エルフの住む村を出汁にしたのです。私の話を聞いたハルトは、エルフをものにせんと町を出ました。それで私の町はハルトの魔の手から逃れましたが、私は共に来ることを強要されました」
「断ることは……」
「できません。命が、町の命運が懸かってます。そうしてエルフの村に辿り着くと、ハルトはエルフも蹂躙しました。そこでオルルと出会い、再び同じ策を取ることにしたのです」
「それがマルメア国ということだね」
そういえばハルトは、姫が美人だとも言っていた。
「その通りでございます。そういう噂をハルトの耳に入るように仕向けて、そしてオルルも連れて行かれました。ハルトが憎くて憎くて堪りませんでしたが、従わねば死が待つのみ。生きる為にも服従の道しか残されておりませんでした」
酷い奴だと思ったが、まさかここまでの外道だったとは。
死んで当然だったとすら思えてくる。
「道中にも酷い行為を目にしました。目の前で残酷を見続けて、次第に感覚が麻痺してきました」
「ちょっと待って! そんなハルトと一緒にいて……まさかエイルとオルルは……」
エイルは一つ頷くと、頬を涙が伝った。
その悲しみが物語ることはただ一つ。
彼女らもハルトに慰み者にされたんだ。
なんて痛ましい……いま生きていることが不思議なくらいに。
でも、そんな荒んでいたはずのエイルは――
「そんな折に、私の前にネクロ様が現れました。そして私はネクロ様に惚れこんで、ハルトの恐怖を乗り越えるほどに決意したのです」
俺の身を案じていたのだ。
エイルの言葉とは裏腹に、魅了に掛かる以前の段階から、殺してしまうのは止めようと、ハルトに一言物申した。
エイルは元より、人の為に命を懸けれる優しい子なのかもしれない。
むしろ俺の能力が欲望を刺激し、彼女の生来の優しさを破壊したのかもしれない。
俺はエイルの手を握り返し、力強く包み込む。
「いけません……ネクロ様。私は穢れた身なのです。これ以上はネクロ様を汚してしまいます」
「そんなことはないんだよ。エイルはとっても清らかだ」
握った手を引き、華奢な肩を抱き寄せる。
俺が人格を壊してしまって……謝らなきゃいけないのは俺の方だ。
「ああ……ネクロ様。私はこんなに幸せで良いのでしょうか。まるで夢のようで、目を覚ませば目前から消えてしまうのではないでしょうか」
「そんなことはないよ。俺は消えたりしないし、明日からもずっと――」
このやり取りって……デジャヴュな気が……
熱い視線を感じて、咄嗟に廊下の角に目を遣ると――
元からか既になのか……そこには誰もいなかった。




