評判は作れる
国を象徴するような青、青。青水晶の照明がもたらす輝きも、繊細に丹念に刺繍された群青の絨毯も。
二つの美しい青に霞んでしまう。
光をふんだんに取り込んだ海中を揺蕩うような、ゆるやかな曲線を描き舞う髪。
「おい、マリン姫だ」
「ああ。可愛いよなぁ……」
「姉姫様……アクア様は美しいけど、やっぱ可愛げが」
囁く令息たちが諌め、同調し、可憐で人好きのする笑顔を浮かべた妹姫を讃え、隙の無い姉姫を遠巻きに見る。
水をつうっと直下にそそいだような、動きの度に一糸乱れずなびく絹布の光沢を思わせる髪。
「ほら、見て。アクアリリー様よ……なんて美しいの」
「あの優雅な身のこなし。見習いたいわね。指先まで洗練されているわ」
「それに比べて……ほら、またマリンローズ様はお可愛らしい笑顔を振りまいていらっしゃる」
ひそりと輪になる令嬢たち。淑女の鑑、国一番と言われる美貌の姉姫を崇拝し、妹姫の媚びを笑う。
鬱蒼と茂り資源が豊富な、蒼く広がる『海の森』。広大なその領地が大多数を占める国には二人の美姫がいた。
一の姫がアクアリリー。御年十九。
二の姫がマリンローズ。御年十七。
二者共に国の特色を有する御名であったが、その性質、醸し出す雰囲気はまるで違う。
マリンローズ。
見る者全てを惹き込む、太陽光が透き通り青にも緑にも、それらが絶妙に混ざり合ったようにも見せる煌めく海面を思わせる妹姫。
彼女は王族としては少しばかり明け透けで、良く言えば屈託ない人懐っこい笑顔を誰にでも向ける。その形のいい顎を引き、仔猫を思わせるつぶらな瞳は少し上を見て。完璧なまで、くっと両の口角を上げるその笑い癖は何とも愛らしく、目を向けない男はいない。
何よりもその魅力は、全身から立ち昇る命の匂い。全ての命の親、包み込む太陽光の温もり、躍動を感じさせる。
アクアリリー。
一見しては未知の神秘と恐怖。光も音も届かない未踏の深海のように、ただ静かな闇しかない海中を思わせる姉姫。
公の場ですら僅かな微笑みのみを浮かべ、その引き締まりながら憂いある双眸はただ真っ直ぐに向けられる。強すぎる視線にたじろぐ者がいる中、その神秘性、その纏う密かな母性の真を暴きたいと掻き立てられる男も少なくない。
忌避せず彼女と深く接すれば、目を閉じ、暗闇の中。安らかな眠りに誘うさざなみのような、なくてはならない領域にいるような心地を感じさせる。
まるで真逆の表現をされる姉妹姫たちだが、その色は全くと言っていいほど同じである。雲ひとつない晴天と透き通る海を兼ね備えた、純粋な青。
自身を最低限にしか装飾しない姉姫と、お洒落が好きで髪型など毎日同じという事がない妹姫。
そんな二人だが、少数ではあるものの知っている者は当然知っている。
「アクアリリー様の可愛げ? 阿呆か。それを探してこその男の愉しみってもんだろうが」
「まだまだ青いんだよなぁ。ああいうお方を自分の手で暴く良さってのをまだ知らないんだ」
「つんけんした態度をされて……よ、夜は甘えたい、です」
少しばかり年のいった男盛りたちが、表面ではそうと見せずに若干の疾しさで姉姫を視線で愛でる。……中には『青い』と言われる年頃の少年もいるのだが。
「わたくしもマリン様のような妹が欲しかったわ」
「本当、ねえ。まだお若いお嬢さん方にはわからないのよ。マリンローズ姫の癒しが」
「あれほど裏表のない方はそういないわよ。王族の清涼剤よね」
そう評価するのは見る目が肥えた夫人や、姉姫よりも少し年上の令嬢たち。彼女らは朗らかに笑う妹姫を温かく見守っている。
そして、知っている彼らが口を揃えて言えるのが。
「妹思いなのがまたいいんだよな」
「本当に姉姫様がお好きなのね」
という事。
その姉妹姫が集う今宵の集会の意図を、皆が笑顔の裏で探り合う。その答えはすぐに出た。
「皆の者、よく集まった」
よく通る王の声に、その場が引き締まる。
「王位継承について――。一の姫アクアリリーの立太子が正式に決定した」
王の宣言に本来ならざわつく筈の会場は、しん、と静まり返った。皆一様に、声を上げてはならないと口を引き結んだためである。
壇上で薄く笑んだまま一歩前に進み出て目礼したアクアリリー姫。
「それに伴い、アクアリリーの伴侶となる王婿も公表しよう」
さすがに、これには空気がざらついた。当然アクアリリーが王位を継ぎ婿を迎えると誰もが考え予想していたが、こうして確かな決定事項とされると何とも言い難いものが誰しもの胸を過る。
この国の未来への希望、期待、変化への不安。
彼女個人への密かな何かも加わっているだろう。
「山脈が聳える夜の国。デルクナイト第二王子殿下である。この時を以て両者に婚約が結ばれた」
御年十九、アクアリリーと同じ年である遠き隣国の王子だ。その正体の名を告げる王だが、当の本人はここにはいない。
一歩下がる姉姫に合わせ、妹姫、マリンローズが姉の前に進み出て慣例に従った礼をする。
「お姉様。立太子、そしてご婚約、本当におめでとうございます!」
はきはきと祝辞を述べ、とても輝かしい笑顔で姉を見上げる妹。
「ありがとうマリンローズ」
その笑みの形を一変もせずに囁くアクアリリー。
「立太式、そして婚約式はこれより三ヶ月後である。改めて各方へ書簡を送る旨、ここに知らせておこう」
王は宰相へ後を投げるように視線を送り、着席した。四十半ばにも満たないまだ若いと言える王にしては緩慢な動きであった。
仲が良いとも、とてつもなく不仲だとも噂される姉妹姫は、何故このように明暗くっきりと分かれる事となったのか。まるで闇と光。静と動。裏と表。
さもありなん。
二人は、表面では敢えてこういう対比を意識していたのだから。正確には、姉のアクアリリーが評判を二分するよう幼い頃から扇動、調整していた。
姉は近寄りがたい為政者としての威厳を。妹は国同士の架け橋として愛されるよう。自分たちの役割にのっとって。
決して、姉妹の間にあるものを匂わせないように。王族の姉妹としての距離感を心がけて。
そして、ただぴちぴちと囀るだけの小鳥は放っておくが、真に害のある猛禽たち、穢れは全て――。
二人を様々な思いで見守る観衆だが、姉妹のその青い目。そこに宿る――全く同じものには誰も気付かなかった。いや、それには語弊がある。
ただひとり、玉座に座り直した『父親』だけは。
彼は二人の娘の去来する思いをしっかりと認識し、行き場のない重い溜息を何とか空中に霧散させた。自分たちが王族である限り、その娘はどうあがいても王族にしかならないのだと。
そして、二人の娘を真っ直ぐに歪ませてしまった原因が、自分を含めた周囲の大人達にある事も。十分に理解して、後悔した。
ずっと。妻であり当時の女王であった彼女を失った日からの今日までを。
現王・ガランドは後悔しかしない日々であった。