第三十四話 信念の戦い(下)
エレノアが精霊の女王だということは、召喚したシャルロットの言葉で会場の皆には知られている。それに在学時にはエレノアの姿を見ていた者も多い。
それでもなお、シャルロットでさえ想像していなかった姿に誰もが驚いていた。
一般的に異界の精霊が強いことは知られていても、その強さを想像するのは難しい。だが、降り立った精霊は間違いなく強い空気を纏っていた。
エレノアと同じような気配を出せるクロガネも先程からこの場にいるのだが、エリアンナを押さえてあまり動いていないことから、周囲の人々の恐怖心はやや薄れていた。だからこそ、より強い畏怖が呼び起こされてる。
(それに……エレノアってば、わざと力を垂れ流してるな)
お陰でシャルロットの魔力もどんどん流れていくようなものであるのだが、元の量が多いらしいので気になるほどではない。
それに、エレノアがより強く見えるならむしろ有難いことだ。
エレノアは会場の中、数人を指差した。
「お前たちは、後ろめたいことをしているだろう? 異界から見ていた我は知っている。逃げようとすれば命を落とす。大人しくしているが良い」
そのエレノアの言葉で、指さされた者たちは膝から崩れ落ちたり、呆然と立ち尽くしたり、発狂したりなどして、反論する者は一人もいなかった。
(これは……ハッタリでも怖いわ)
もちろんエレノアが異界から常に見ていたわけもなく、あらかじめ聞いていた情報でそのように振る舞っただけなのだが、あまりにも堂に入った振る舞いは忠告だけでも恐怖心を与えるには充分だった。
「それから、そこの女。お前はレベッカに毒を盛り、判断力を奪い、そして陥れた。なにゆえそのようなことをしたのか。お前の振る舞いにレベッカは気づき、シャルロットの助けを得て立ち向かった。だが、常人であれば泣き寝入りだった。どう落とし前をつけるつもりだ」
脚色を加えながらも怒りは確かに本物だった。しかしその怒気と発せられる力のせいで周囲までもが気を失いかけている。
これ以上はまずい。
「エレノア。大丈夫。落とし前は法に則って、つけさせるから」
「だが」
「それよりも、レベッカに発言を譲らない? 彼女にも言いたいことが、きっとあるわ」
予定と少し違うがシャルロットがそう言うと、エレノアは不満たっぷりといった雰囲気ではあったものの、それを了承した。
そしてそれはシャルロットにとっては想定外のことだが、周囲に『光の精霊女王を飼い慣らしている』との印象を与えたのが漏れ聞こえる。
それは誤解なので訂正したいが、いまの目的からはズレてしまうためぐっと堪えた。やるなら、あとだ。先にしなければならないことはある。
「言いたいこと、ですか」
そうしてレベッカは少し考える様子を見せた。
「尋ねたいことはあります。あなたは随分身分にこだわりを持っていますが、身分というものをどのように考えているのですか?」
「……っ」
「あなたが演じるあなたでは言えないことを考えていますか?」
「も、もちろん、……人々の手本に……」
しかし明らかに取り繕う姿からは、本心でないことなど見え透けた。
レベッカの表情が曇った。
「……可哀想な人」
それは、ホール内によく響いたように思えた。
レベッカは心から同情している様を隠さなかった。
それらは周囲の驚きを誘い、何よりエリアンナから表情を消し去った。
「なんですって……?」
「覚悟なく、憧れだけで身を滅ぼしたのね。上面に惑わされ、注意を受けることも叶わず……可哀想な人」
繰り返される言葉に、エリアンナの肩が震えた。
「あんたに……あんたなんかに、何がわかる! 恵まれた生まれの者に!」
それが地雷であったのか、それともすでに言い逃れができないと観念したのか、エリアンナは思い切り食いついた。
しかしレベッカの表情が変わることはない。
そんな中で、シャルロットがエリアンナに尋ねた。
「……口を挟んで悪いんだけど。あなたの『恵まれた』という基準には私は当てはまらないのよね?」
「はっ、当たり前よ。貧民なんて、所詮使われるだけ。だからこそ地位と金を得て人の上に立たなければいけないのよ。だからあなたは、私に大人しく使われればよかったのよ。偉そうなことを言っても、結局這い上がれない人間として私にペコペコしながら仕えるべきだったのに! そうすれば、私だって最低限の扱いはしてあげた。そうしている間に、私は限られた手段で、もっと上に行くはずだったのに……!」
エリアンナはシャルロットのことを完全な負け犬と判断し、だからこそエリアンナの立場になびき従うと判断したのだろう、と、その話を聞いたシャルロットは思った。
馬鹿にされているとは思っていたが、ここまでだとも思っていなかった。
(最低限の扱いって、幻覚薬で奴隷みたいにする気だったんでしょうが)
だが、それはひとまずおいておくことにした。
もはや、シャルロットはエリアンナに対して腹立たしさなど覚えなかった。
「しかし貧民と言われるとはね。私はあなたより貧しいとは思わないけど」
それは決して強がりではない。
もちろん金銭的には自分のほうが余裕がないとはシャルロットも理解している。
しかしそれでもなお、その考えは誤りではないと思う。だからシャルロットは続けた。
「金銭や地位はないけれど、私は今のあなたより恵まれてると思うわ。少なくとも、毎日が楽しいもの。あなたは、どう?」
金銭がなくてもいい、というわけではない。
ただ、金銭だけがあっても自分自身は満足しないだろうとシャルロットは思っている。
それに――エリアンナだって、楽しんでいるようには見えない。
「私を……私を否定するな……! 私は、私は……!」
そうしてエリアンナの周囲に炎が浮かび始めた。魔力が暴走しているようだった。
だが、クロガネが大きく吠えるとそれらは全てケルベロスの周囲に移り、エリアンナには操れなくなったようだった。炎を司るケルベロスというだけあって、その炎を奪い支配下に置いたらしい。
またクロガネが吠えた場所のせいか、エリアンナは気を失っていた。
その隣ではフェビルも腰を抜かして座り込んでいる。
「……倒れたなら、これ以上はどうしようもないか。こいつは連れて行け」
そんなルーカスの声で、数名の兵士や魔術師がその場に現れた。
彼らがエリアンナを連行する間に、再び王子は声を張り上げた。
「関わった自覚があるものは自己申告をするように。多少罪が減免されるかもしれないぞ」
確定ではなく、むしろそのような気がまったくないような声でルーカスは告げていたが、動く者はいなかった。
しかしそれは想定されていたことなので、王子が面白くなさそうに合図をすると控えていた兵が目星をつけていた貴族の元に向かった。
その際には抵抗らしい抵抗はなかった。ただ、『逃げられない』と書かれているようだった。
そんな中、フェビルは座り込んだままだった。やってきた兵に促されても、その声は届いていない。
「……どうして、こんなことに」
フェビルの虚ろな目はやがてレベッカに向けられた。
「ねぇ、レベッカ。きみは、どうしてこんなことをしたんだ。彼女は君と違って、我が家を助けてくれる人だ。これは、何かの間違いだ。もしかして、僕を取られたことを恨んでいたの?」
現実を見たくない、信じたくないと言っている目で笑うフェビルにレベッカは冷めた調子で短く答えた。
「愚かな人」
「なにが……」
「私は現実から目を背けるあなたのことを気の毒だとは思っておりますが、未練はありません。散々忠告申し上げたときも、耳を貸さなかったではありませんか」
「なにを……」
「そのような貴方では民を救えないと思いました。だから民を救うため、あなたとの婚約も私は受け入れた。ですが私は貴方のことを好いていたわけではありません。恨む理由にはなりません」
淡々と説明する声に、フェビルが子供のように頭を抱えて大きく叫んだ。
「だから彼女がよかったんだ! そんな、責任ばっかり……僕はあの家に生まれただけなのに!」
しかし、それにレベッカが流されることはなかった。
「ならば、家出でもなんでもすればよかったではありませんか。もしもエリアンナの悪事に気づかぬままでいれば、あなたの行いでより多くの人が苦しむことになった。家名を悪用され、どうなっていたかもわからない」
「な、なにも知らなかった」
「確かに知らないことで許されることも世の中にはあります。しかし、あなたの場合は知らないで済まされないことです。本当に瑕疵がありませんでしたか? あの程度の薬草栽培だけで、あなたの領地が救われると本気で思ったのですか」
憐れみの目を向けながらも止まらない追及に、フェビルは蹲った。そしてぶつぶつと言っているが、はっきりとした言葉は聞こえない。そしてそんなことをしているうちに、兵に促されホールから退出した。
そんなフェビルを見てシャルロットは思った。
(……ほら、やっぱり。肩書きも、あればいいってものじゃないじゃない)
エリアンナが欲しがっていた地位とやらも、結局持つだけではこの程度なのだ。自分のことしか考えられないような者は、遅かれ早かれ身を滅ぼす。ただ、遅いと他に被害が及ぶので早く見つけなければいけないが。
(夢が絶対報われるなんてとても言えないけれど……夢はなりふり構わず人を踏みつけるようなことを考えて叶えるものじゃない)
そしてフェビルの姿も見えなくなった後、シャルロットはホール内を見回した。
すでにシャルロットが事前に怪しいと聞いていた者はその場からいなくなっている。
そのことにホッとしていると、王子が声を響かせた。
「祝いの場でずいぶんと邪魔をしてしまったな。だが、国の膿は出し尽くさねばならない。皆が証人となってくれたことを、私は嬉しく思う」
王子の言葉に初め周囲は戸惑っていたが、どちらかというとこの怒涛の展開をまだ飲み込めていない様子だった。
しかし一つ二つと拍手が始まれば、それが大きな音になるまで時間は必要なかった。
王子は軽く笑い、そして右手でレベッカとシャルロットの方を示した。
「この勇気ある二人のレディにも拍手を。冤罪を着せられながらも罪を暴いたレベッカ嬢と、類稀なる力を持つシャルロット嬢こそ、今回の功労者だ」
すると、惜しみない拍手が二人に向けられた。
(これでレベッカの噂も、上書きされるかな)
婚約者を奪われ実家から勘当されたみっともない令嬢というのは、レベッカには似合わないレッテルだ。
もちろん今度は僻みを受けることになるかもしれないが、それを吹き飛ばすだけのインパクトと証人も、今回のことで得られただろう。
(やっと一段落ってとこかな)
押さえつける相手がいなくなったクロがやって来たのでシャルロットは感謝の気持ちで頭を撫でた。そうしているとエレノアがじっとシャルロットの方を見ていることに気がついた。それはまるで『わたしにはご褒美はないの』と訴えているようにも見えた。
だが、すぐにエレノアは肩をすくめた。
そして会場に向かって声を張り上げた。そこには先ほど一瞬見せた子供っぽさは欠片もなかった。
「私からは友への賛辞に対する礼を振る舞おう」
エレノアがそう言った途端、エレノアが登場した時と同様に光の雫が天井のほうから会場全体に降り注いだ。それは変わらず美しい。
さらにそこには他の小さな精霊たちも混じっており、気づいた人々からは感嘆の声が漏れていた。
「祝福を」
エレノアの言葉でさらに会場が盛り上がった。そんな中でシャルロットだけは笑みを引きつらせていた。
(……事前に聞いてはいたけど、これだけ召喚されるとさすがに私の魔力もしんどいかな!)
小さな精霊たちはシャルロットの魔力を使ってエレノアが召喚した彼女の眷属だ。しかし可愛らしい見た目とは裏腹に眷属たちもそれぞれ力が強く、さらには数が多いので魔力の消費具合はかなり激しい。
(もちろん、これくらい全然構わないし最高のパフォーマンスではあるんだけど……)
これは今夜は泥のように眠れそうだと、シャルロットは思わずにはいられなかった。




