第三十三話 信念の戦い(上)
そんな中、まずはレベッカが静かかつ芯のある声を響かせた。
「この王都で幻覚薬をばら撒き、金銭を貪ろうとしている者がいます。そして、私たちはその主犯および共助者をつきとめました」
堂々としたレベッカの発言に、人々はこれまで以上に動揺を隠せず騒めいた。
凛とした様子のレベッカにシャルロットも続いた。
「静まりなさい。殿下の御前です」
上ずらないように気をつけた声は、なんとかそれらしい響きを保っていた。
しかし上出来な態度であっても、その言葉に反論する者もいる。
「……殿下。失礼ですが、それはこの場で発言すべきことでしょうか? すでに犯人を捕らえたと公表するわけではないようにお見受けしますが」
そう発言したのはヒゲを生やした男だった。
周囲もヒゲの男に同調している様子である。
その雰囲気を後押しとし、男はやや大げさな身振り手振りでルーカスへの発言を続けた。
「ルーカス殿下はまだお若い。ですが、同じ年頃でいらっしゃる兄上様のように、もっと慎重になられませんといけません。捕らえてもいない相手を大っぴらにするなど……その情報をもとに隠滅されて終わりではないですか」
やたら自信満々の男の言葉に王子が特に驚いたり反論したりすることはなかった。代わりにシャルロットに向かって視線で軽く合図を送る。
(説明は私からっていうことか)
シャルロットは小さく頷いた。
そしてひとつ咳払いをしてから男に向かって言葉を投げた。
「心配はご無用です。その者たちを捕らえるため、すでにルーカス殿下は精鋭を手配されております」
「なに……?」
「なんら不思議なことではありませんでしょう?」
それはフェリクスを含む騎士たちだ。
このパーティーの開始時間と同時に、各場所一斉に改める手はずとなっている。
ただ、そう説明したところで男がまだまだなにかを言うだろうことは表情からも読み取れる。
しかしシャルロットもどうすれば相手を黙らせることができるかは理解している。
(……あんまり、得意じゃないんだけどなぁ)
それでも、よりそれらしく振舞わなければ話が進まない。
そう判断したシャルロットは男の方に向ける視線を強めた。
「あなたが何を考えていらっしゃるのか存じ上げませんが、現在ルーカス殿下は私共二人に説明を任されていることをお忘れなきよう。それを無視するということは不敬でございます」
そんな慣れない言葉を使ったシャルロットに男は顔を真っ赤にした。
そして「貴様っ、」と声を荒げた男の声を妨げたのはルーカスであった。
「構わないよ、シャルロット。彼は動揺しているだけだから、許してあげるといい。ただし言い訳は……まあ、後で聞くことにしよう」
王子は苦笑しながら助け舟を出した――ように見えた。
しかし、もちろんそんなわけなどない。
「彼の家は事業がうまくいっていないのに、兄上殿に並々ならない寄付を行っている。だからその金の出所を怪しまれないか、心配しているだけだよ。地下競売に出入りしているなんて、この場で知られたくないだろうからね」
それはシャルロットたちにとっては先に知らされていた事実であるのだが、あえていうことにより周囲の視線が変化する。まるでこの男が実は主導者だったのかと思う人間すら少なくなさそうだ。
「だ、断じて私はそのようなことはしていない!」
声を大きくしたところで男を信じる者は誰もいない。
ただし嫌悪感を露わにする者たちばかりでもない。
この場にいるその対象者は、このヒゲの男だけではない。男を極悪人だといいつつも、その仲間だったはずの者もいる。おそらく自分が無事に逃れるためのフリなのだろう。
もちろん調べ尽くされたあとであれば、そんなことで結果が変わるわけもないのだが。
(あとは今から逃げようたって、そうはいかないんだからね)
騒めく人々の間を縫って会場から外に出ようとしているエリアンナの姿を見つけたシャルロットは、自らの左手袋に施された刺繍の召喚陣に右手を当て静かに唱えた。
「クロガネ、逃走を阻んで!」
すると途端に本来の姿のケルベロスが何もない空間から現れ、一瞬で移動してエリアンナを押さえ込んだ。
突然のケルベロスの登場で周囲には短い悲鳴もあがった。腰を抜かす人も現れる。
「これは……幻獣……? いったい、どうして……?」
シャルロットの声は決して大きなものではなかった。
だからそうして混乱する人も大勢いるが、近い位置にいた者の中には「高位の召喚師だと……?」と、息を飲む者もいる。その者からの視線は畏怖の感情の方が強かった。
(得体が知れないものを使役していると感じたってところかな?)
召喚師が少数派であることから、驚かれることはある程度想定していた。
しかし取り押さえたエリアンナにまで、想像以上に目を見張って驚かれたのは少し驚いた。
エリアンナはいつもと違う着飾り具合のシャルロットを、自分が接したことがある者と同一人物だと認識できなかったのだろう。加えて、クロほどの力を持つものを召喚できるというのも想定していなかったようだった。
(……これ、私がエレノアを喚んだのも嘘だと思っていたみたいね)
それ自体に不愉快になるわけではないし、むしろその油断こそがシャルロットにシロップを渡すことに繋がったのかもしれないと思うと有難いことだとすら思う。
ただ、だからといってその表情を徐々に裏切り者を睨むようなものに変えていくのはいただけない。
一応もてなしは受けたが、もとよりシャルロットがエリアンナに対して肯定的な返事をしたことなど一度もない。
そんなエリアンナの横で、フェビルがシャルロットに向かって叫んだ。
「一体、どうして私の婚約者にこのようなことを……!!」
「このタイミングでの御退出は無礼というものでしょう。どのような急ぎの御用事がおありで?」
「気分が優れないんだ! 言い掛かりはやめてくれ!」
「本当にそうであるならば、今すぐ退出することが望ましいでしょう。けれど、嘘だということはいままでのご様子でわかります。――いかんせん、この場から主役のお一人がいなくなるというのは逃亡にほかなりませんから」
シャルロットの言葉にエリアンナは憎しみを込めた視線を送っていたが埒が明かないと判断したのだろう、その先をルーカスへと変えた。
そしてひどく悲哀をにじませた声で王子に向かって限界までの声を張った。
「ルーカス殿下!! 殿下はその二人の女に騙されておられるのです! 取り返しがつかないことになります!」
あまりに突拍子がない主張に、シャルロットは思わず眉を寄せた。
ちらりと王子を見れば目が合うが、特に反応はない。『主張させてやれ』ということかと、シャルロットは判断した。
エリアンナは悲痛な声で主張を続けた。
「家を追われた女と、学院の推薦を受けてなお宮廷召喚師になり損ねた礼儀知らずの平民の言葉を、なぜ独断で鵜呑みになさるのですか!」
「それは、この者たちが信用できないと言っているんだな?」
「恐れながら、その通りでございます」
それを聞いた王子はますます楽しいとばかりに笑った。
「ならば、貴様が正しいという証拠はどこに?」
「わ、私は次期伯爵夫人として……」
「その婚約、貴様らの間だけの話だろう? 届け出を行い、受理されなければ婚約は成立しない。少なくとも私がこの婚約に嫌疑ありと言えば永遠に認められることもない」
もはやどちらが悪人なのかわからない表情をしていると、シャルロットは王子の顔を見ながら思った。
もちろん、間違いは言っていない。
言っていないのだが、敵に回せない人物だと溜息もつきたくなる。
しかしそれ以外のやりとりは滑稽なものだと思う。
そんな姿に、シャルロットは無意識のうちに素の声を出してしまった。
「自分は身分で正論だと主張するのに、殿下の身分に対しては間違いって言うんだ」
もはや、それには呆れしかない。
それとも、本気で王子が片方の言い分だけを聞いて断罪しようとしていると思っているのだろうか?
そもそも身分など関係なく、潔白であるなら正論で答えていけばいい。
「シャルロットさん」
レベッカに小声で呼ばれて、シャルロットは一部を口にしてしまっていたことに気がついた。
王子の言葉を遮るなと言った手前よろしくないことだったかと反省したが、王子はむしろ笑いを堪えているようなので問題はないらしい。
「まぁ、私のことは置いておこう。しかし、私以外にもこの者たちが信頼に値すると判断した者たちがいる。……まずは一人、そこにいるシュリオ・リードだ」
そして王子が視線を向けた先にいたのは、かつて森の中で腹痛に苦しんでいた男性だった。彼はルーカスに向かって一礼した後、シャルロットたちのほうを見て軽く笑い、その後ルーカスの隣に並ぶ。
「はじめに言うと、彼はこの事件に全く無関係だった。しかし彼は、森でひどい体調不良に見舞われてね。そこを彼女らが救った上、名乗りもせず礼も受け取らず立ち去ったんだ。人柄を知るには充分な情報じゃないか?」
一応店の場所は伝えたので『名乗りもせず』というところには若干ひっかかったものの、確かに名前は言っていない。
「……その方は?」
「数字にとても強い文官だ。彼女らが困難に直面していると言えば快く協力してくれたよ。キュバアル家の収支や納税の矛盾、船荷に関する不思議な帳簿……巧妙に隠されていても、彼の前では何の役にも立たなかったようだよ」
「何を仰っているのかわかりません。それに、たかが文官ひとりで信頼とは……」
「数字より貴様の言葉を信じる理由がないだろう? もっとも、貴様が気にしている家柄で言えば、彼も伯爵家の者になるよ。リードの家名は庶民にも多く、気付かなかったのかもしれないが」
その発言で、エリアンナも言葉に詰まった。
「ここにいる皆のほとんどは、最早貴様を信じていない。もちろん裁きは改めて公開の上で行うので、安心するがいい。今日はこの場から連行するだけだ」
「そんな……!! 本当に私は何も……!!」
「……往生際が悪いな。だが、そこまでいうなら特別にもう一人証言者を呼んでやろう。シャルロット、頼めるか?」
「はい。――我が声に応え給え、光精霊女王エレノア」
エレノアを呼ぶための陣を刺繍した手袋をした左手を掲げ、シャルロットはその言葉を告げた。
いつもと違う、ひどく芝居がかった召喚を行うのはもちろんわざとだ。
もともとエレノアの召喚などなくとも問題なく幕引きができるはずの場面で彼女を呼ぶのは、レベッカのためなのだ。
(レベッカの冤罪を確実に伝えるためにも、エレノア、手伝ってね!)
シャルロットがそう願うと、天井付近に強い光が走った。
そしてキラキラと降り注ぐ光の雫と同時に、金髪で青色の目を持つ、まるで女神のような女性が舞い降りた。
人々はその姿に目を奪われる。
(……これだけ化けるのって、凄いな)
普段の姿と根本的には同じはずなのに、服装や髪型、それから表情でまるで別人のように見えるエレノアに、シャルロットは苦笑いをこらえるのに必死だった。
そんな中でエレノアは口を開いた。
「ここに、我が友人たちを愚弄する愚か者がいると聞いたのだが――相違ないな?」
それはシャルロットと同じく芝居掛かったものであったが、同時に非常に慣れた様子でもあった。




