第三十二話 舞台の幕開け
そしてレベッカがマネキと有意義な時間を過ごす間も刻々と時間が流れた。
その間にシャルロットは王子から依頼を受けていたとあるものを用意した後、第二王子とともに謝恩会の会場へと向かった。
会場は煌びやかなホールで、最奥には講堂のように数段の階段と舞台スペースがある。その手前の左奥には第二王子のための席が用意されているため、ルーカスはその付近に立って挨拶がてらにほかの既卒者と話をしていた。おおかた有力貴族なのだろう。
そんな様子をシャルロットたちは奥の舞台袖からこっそり眺めた。舞台袖には袖幕があるため、シャルロットたちがホール側から見えることもない。
「あ、見知った顔も発見」
「学院の同窓ですから、それはそうでしょう」
「いや、召喚師なんてほんの少ししかいませんからね。こんな中でも見つかるとは」
シャルロットが見つけたのは同窓生の見習い召喚師だった三人組だ。
雰囲気は学生時代と変わらないあたり、相変わらず召喚契約は結べていないらしい。
(もしも誰かが成功していたら、その一人が取り巻きを引き連れるみたいになりそうだもんな)
ただし、今日はあの三人に用事があるわけではない。シャルロットは視線をずらせ、再びホール内を見回した。
そして程なくホールのほぼ中央にエリアンナとフェビルの姿を見つけた。
エリアンナは贅を尽くした衣装を身に纏い、フェビルのものと揃えられているようだった。
(また目立つ位置を陣取ってるわね)
堂々とした様からは、人の婚約者に手を出したという後ろめたさは感じられない。
そもそもエリアンナに言わせれば、奪ってなどいないと言いそうであるのだが。
シャルロットと同じくその光景を見たレベッカは、静かに口を開いた。
「おそらくエリアンナは仲睦まじい姿を見せ、今後も私に問題があったとしたいのでしょう。目立とうとしているのもその意思表示かと。ただ周囲の様子を見る限り、エリアンナはうまくやったつもりでも、いずれその身を滅ぼしていただろうと、改めて思います」
「周囲からの視線、何とも言い難いですもんね」
レベッカの言葉にシャルロットは苦笑した。
その視線を向けている者たちが貴族の一員であることは見て取れる。
(婚約者がいる男を誑かしたことを卑しいと思っている層と、『私たちを出し抜いて』っていう嫉妬ってとこかな。ワント家は借金はともかく、古いお家だし……男を誑かして爵位を買ったって思われてるってところかな)
逆に、互いの想いを貫いたと好意的に捉えているだろう人たちも見える。
ただし好意的に見ていない者からの粗探しが始まれば、エリアンナの企みだって漏れるかもしれない。
(ま、そこまで動いてもらうのを待ってる暇なんてないし、確証もないからやっぱり私たちが動かなきゃいけないんだけどね)
そんなことを思いながら、シャルロットはルーカスからの合図を待った。
ルーカスの周りからは人が減ることがない。
著名な人物が大勢いても、さすがに第二王子は皆の視線を一番惹く。
あからさまに取り入ろうとしている者もいるが、それよりは単に滅多に拝むことがない顔を一目見てみたいというような者もいる。
しかしどのような者が相手でもルーカスの対応はあえて大きく変わるわけではなかった。どんな相手にも変わらぬ態度で接するあたり、度胸も非常に据わっている。
(もちろんそれくらいじゃないと、そもそも第一王子と地位を賭けた争いなんてできないんだろうけど)
そしてシャルロットたちがそちらを眺めていると、やがてエリアンナたちも中央からルーカスのもとへと移動していた。おそらくルーカスと話をしたいと考えてのことだろう。
(第一王子派閥でも、近づいておきたいとは思うのね)
ただ、ルーカスには自ら話しかけることはしなかった。
だからエリアンナはただただ待つだけだ。一般的に王族に自ら話しかけに行くのは無礼とされる。公式の場で初対面であればなおさらのことだろう。
(ま、そこまでお馬鹿じゃないか)
逆にそのくらいの強引さを持ち合わせる者であれば、もっと早くにボロをだしてくれていたことだろう。エリアンナはおそらく話し掛けられることを期待しながら、フェビルの紹介を通して周囲の者と話を始めた。
エリアンナはもともと好まれる容姿をしている。だからルーカスほどではないにせよ、話さえしていれば、周囲からの視線を自然に集める。
それでもやはり一部からは嫌がられている雰囲気もあるが、エリアンナはそれを気にしないという様子で丁寧に挨拶をしていた。そこにシャルロットに接していたような、人を見下す態度はない。
(相手を見て判断しているっていうことかもしれないけど……それはそれで腹が立つな)
可能性として、フェビルが余計な者を連れてきたので最初は排除しようとしたと考えられなくもない。シャルロットが何を言おうと、一般的な貴族にとっては何の信用もない話にしかならない。
しかし使えると判断したのでシロップを利用してシャルロットを自分の元に引き入れようとしたのだろうが、それにしては用心がなさすぎるとシャルロットは感じた。
レベッカを相手にした時は徐々にしか効力を持たない茶葉であったのに、シャルロットに渡したのは効力を高めたものだった。
(つまり、私がそれに違和感を覚えないくらい鈍感だと思われたってこと――?)
そう思うと腹立たしさが増してきた。
レベッカに体調が悪くなったのかと気にされたが、シャルロットにとって体調などどうといったこともない。
最初は今の結果でも問題はないと思っていたが、やはり仕置は必要らしい。
これほど注目された中であれば、中途半端な言い逃れもできないはずだ。
(まずは私も、スムーズにお話を運ぶための演出に協力させていただかないとね)
そうしてシャルロットが改めて決意をしていると、やがてルーカスがシャルロットたちの方を見て微笑んだ。
ただしその笑みは美しい笑みというよりは、絶対に敵に回してはいけないという本能を呼び起こさせるようなものであったが。そしてその直後、ルーカスは声を張り上げた。
「皆、聞いてほしい。本日のよき祝いの日に合わせ、私からもひとつ振る舞いたいものがある」
その発言に周囲は驚き、期待を隠せず騒ついた。
同時に控えていた給仕担当が一斉に周囲に動き出す。
給仕たちが配り始めたのは細いグラスに注がれた飲料だ。
初め、人々は王子からの祝いの品がなぜ飲料なのかと不思議そうにしていた。
しかし順次グラスを手にした人々は、次々に小さく声をあげていた。
グラスには透明の液体とオレンジ色の液体が二層になって注がれていた。
オレンジの液体には木苺が浮かんでおり、華やかさを増していた。
(まさかカクテルがこんなところで役に立つとは思っていなかったけど……)
以前エレノアから譲り受けた霊界の果実であるジュジュから作った果実酒は梅酒によく似ており、糖度が非常に高い。そのため、ゆっくりとオレンジジュースを注げば甘酸っぱくフルーティーで綺麗なセパレートカクテルの完成だ。
ところどころで『さすが殿下』『王族はこのような酒も楽しまれているのか』と、感嘆が漏れていた。
そして、そうしているうちに王子が口角を上げた。
「この酒は『かくてる』という。味も見目も、なかなか楽しめるものだろう?」
王子のその言葉に、会場からは拍手で返事が贈られる。
グラスを持ったまま拍手をすると、一人当たりの音量は決して大きくない。しかしほぼ全員がするとなると、それは盛大な音になる。
「この素晴らしい酒は中央学院を卒業した女性が考案したものだ。彼女は酒以外にも茶や菓子などにも知識が深く、既存の意識に囚われず、さまざまな挑戦をおこなっている。多くの考えを育む学院がこれからも発展していくことを、私も望んでいる」
王子の言葉に、広がった拍手は鳴り止まない。
ただ、王子の言葉はこの祝いを述べるだけで終わらない。
これは、あくまで始まりだ。
「しかし残念なことに、現在この学院はそれを阻む者も世に送り出している」
その王子の言葉で拍手が急激に小さくなり、すぐに鳴り止んだ。
めでたい場に不似合いな言葉に、戸惑いは広がるばかりだ。
それを気にしていないものなど、この場では王子以外はシャルロットを含めても誰もいない。気にしない王子は躊躇うことなく空気を壊していく。
「この『かくてる』を作った者、そしてその補佐をした者も、私利私欲に走った者に不利益を被らされた者たちだ」
その王子の合図とともにシャルロットとレベッカは揃って聴衆の前に姿を現した。
シャルロットはともかく、登場しただけでレベッカへの注目は集まっている。レベッカは唇を固く一文字に結んでいる。しかし、周囲はそれ以上に表情を固まらせた。
噂程度のものであっても、レベッカが一族から追放されたことをこの会場にいる者の多くは知っている。王子のただならぬ雰囲気の予告の後に彼女が呼ばれれば、周囲にも緊張が走るのは当然かもしれない。
それに対してシャルロットには『あれは誰だ』という視線が送られる。『光の精霊を召喚した者』が有名であっても、社交をあまりしなかったシャルロットの姿自体は有名ではない。だが鈍い反応とはいえ、レベッカに比べてというだけの話だ。シャルロットの素性がどうであれ、王子の手札のひとつだと思われたことはほぼ確実のようだった。
「あとは君たちに任せるよ」
その王子の言葉にシャルロットとレベッカは一礼した。
人々の視線も完全に王子から二人へと移動する。




