第三十一話 晴れ舞台への待機場
『どうせなら衆人環視の中で堂々と汚名を晴らしてみないか?』
あの日シャルロットとレベッカにフェリクスが告げた提案は、二十日後に開かれる中央学院の謝恩会で一連の真実を告げないかということだった。
中央学院謝恩会は恩師や後輩たちに学生生活の感謝を改めて伝え、同時に近況を知らせるための場とされている。謝恩会には今年卒業した者たちだけではなく、卒業して久しい者も参加することができる。従って同窓会のような性質もあるらしいが、そのおかげで社会的地位を兼ね備えた人物が多く登場する。だから目立たせるという意味では絶好の機会だ。
シャルロットも卒業生なので一応招待状は届いていたのだが、特に報告したい相手も再会したい相手もいなかったので参加の返事は出していなかった。レベッカについては、もはや家から追い出されているので招待状が手元まで届かない。
だから今更それは難しいのではないか、加えて参加できたところでどうすればいいのかと、初めは戸惑った。
そもそも、追い出された娘と平民の娘の言葉を誰が信じるというのだろうか。
そこがそういう場でないことは、シャルロット自身もよく知っている。
しかし、だ。
そのようなことは当然二人の先輩であるフェリクスが知らないわけもなく、さらに『これでもか』というほどの解決方法が用意されていた。
「実は私、殿下が卒業生だと存じ上げていませんでした」
想像以上に年上だったとは思っていなかったと、シャルロットは心の中で付け足した。
ルーカスは笑った。
「きみの場合は意外でもないね。貴族の噂話なんて耳に入らないだろうし、君が入学したころには卒業していたし」
「ついでに言うと殿下のお供役をさせていただく日がくるとも思っていませんでした」
「お供役って……随分面白いことを言うね。むしろ、エスコートさせていただくのは私だよ」
ルーカスはそう笑った。そして、それは決して不快そうではなかった。
「しかし、即席で用意させたものなのに、そのドレスは君によく似合っているよ。あとでフェリクスにも誉めてもらうといいよ」
「フェリクス様にですか? ……それは、ちょっと見せたくないですね」
「どうして?」
「だってこのドレス、即席どころか十分すぎるほどの高価さじゃないですか。正直に言えば私、ドレスに着られていますよね」
ついでに動きにくいし、靴は慣れないし、気恥ずかしい。
さすがにこの場で喫茶店主の格好をするわけにはいかないのはわかるのだが、だからといってすぐに着こなせるわけもない。こんなところを見せるなど、少し恥ずかしいどころの話ではない。
(私も、レベッカさんくらい似合ってたら堂々とできるんだけど……)
そんなことを考えながらシャルロットは同じく室内に待機するレベッカを見た。
レベッカのドレス姿はこの上なく綺麗で、まるでモデルだとシャルロットは思った。
ただ、その表情はどこか固かった。
慣れていなければ見分けられない程度の差異ではあるが、シャルロットに区別がつかないわけもない。
(そりゃ、緊張するよね)
シャルロットも緊張しているが、レベッカの緊張とは訳が違うとは思っている。
何せレベッカにとっては追われた場に久々に舞い戻った上で、さらにはその原因を皆に知らせることになるのだ。
だからある程度の緊張は仕方がない。
(かといって、緊張のし過ぎは失敗につながりかねないよね)
けれど、自分でコントロールができるのであればもはやそれは緊張ではない。
そう思ったシャルロットは深く深呼吸をした。
自分は比較的緊張をしていない。
そう確信を得てから、二人から適度な距離がとれるように部屋の中を移動する。
「シャルロット? なにをする気だい?」
「予定の時間まで、まだ余裕はありますよね?」
「ああ」
「だったら、ちょっと確認を込めて遊びましょう」
そしてシャルロットは軽く右手を上げた。
するとシャルロットの足元に召喚陣が現れ、続いて白く丸い光が現れる。その後ボフッという音が上がる中登場したのはマネキだった。
「よし。手袋の召喚陣でも、今日も無事に召喚できそうね」
いままでシャルロットは地面に召喚陣を描いて召喚術を発動させていた。
しかしそれでは不測の事態に対応できないからと、新たな召喚方法をフェリクスから教わった。それは宮廷召喚師であるフェリクスの母親が使用している召喚術だ。曰く、陣を肌に触れさせる位置で身につけていると、地面に書くほどの大きさの陣は不要になるらしい。ただし今のように手袋に陣を小さく描くには、綿密な刺繍が必要となるのが欠点だ。糸がほつれても使えなくなる。
この召喚方法を教わるためにフェリクスは彼の母親からなんらかの無茶な要求を受けたと言っていたのだが、その件に関してはシャルロットは教えてもらえなかった。
フェリクスいわく『情報は協力の礼くらいに思っておいてくれ』と言われたが、今後も使うことになる術なので『無茶な要求』というのも手伝えるなら手伝いたいと思っている。もっとも先に今日の一大行事を無事終わらせなければお礼をしている場合ではないのだが。
シャルロットに呼ばれたマネキは自身が凛々しいと思っているだろう表情をしていた。予めシャルロットがマネキに『呼ぶかもしれない』と伝えていたこともあるのかもしれない。
しかしこの術が使えることを、シャルロットはあえてレベッカには伝えていなかった。
だからレベッカは突然現れたマネキに驚いていた。
「……マネキさん?」
戸惑うレベッカに向かってマネキは彼にしては紳士のような表情で前足を差し出した。
そしてシャルロットはレベッカに向けて手招きをした。
「レベッカさん、今ならマネキが肉球を触ってもいいっていってるんですけど、触りません?」
「え? 構わないのですか?」
突然すぎる申し出だったにも関わらず、レベッカはすぐに立ち上がりマネキに近づいた。
マネキの自慢の肉球は綺麗な桃色だが、人に触れられることはあまりよしとしていない。もちろんシャルロットが触りたいといえば触らせてくれていたし、一緒に働いているレベッカが触りたいといっても触らせることに抵抗がないともマネキはシャルロットに言ったことがある。
しかしレベッカも遠慮から、あえてマネキに触りたいと申し出たことは一度も無かった。
ただ、それも当人もとい当猫から誘われたというのであれば話は別なのだろう。
初めレベッカは恐る恐るマネキの肉球に触れていたが、やがて両手で包み込むように触り始めた。どうやら今まで感じていた緊張よりも、いつも惹かれていた肉球への興味のほうが優ったようだ。
緊張していた表情もどこかへ行ってしまっている。
よかったと思ったシャルロットは、そこで第二王子を見た。
(……殿下、もの凄く触りたそうにしてる)
しかしシャルロットはあえて誘わなかった。
マネキにルーカスも肉球に触れてもよいか聞いていないし、ルーカスが触り始めたことでレベッカが遠慮してしまったなら、再び緊張の時間を過ごすことになるかもしれない。
(うん、やっぱり諦めてもらおう)
今はレベッカの緊張をほぐすほうが大事なことだ。
ルーカスがマネキに触れたいといえば、たとえマネキが一緒に触れることができる前足を持っていたとしてもレベッカは遠慮して下がることだろう。そして再び緊張の時間を過ごすことになるかもしれない。
それがわかっているからこそだろう、ルーカスも目が合ったシャルロットには苦笑を示すだけだった。




