第二話 少女の旅立ち
シャルロットは緑茶を作った以降も美味しいお茶の飲み方や薬草を探しつつ毎日を過ごしていた。
レヴィ茶は一部で人気が出たようで、行商人もそれなりの価格で引き取ってくれるようになった。
村人たちもお茶のことを気に入ってか、以前より養護院へ野菜を寄付することが増え、シャルロットたちは大喜びをしていた。
しかし、緑茶は行商人には売っていない。
それは村長からシャルロットへの願いだった。
村長曰く過去の紅茶の事件の後遺症で、村の大人たちは茶の木で作ったお茶を外部に出すことに抵抗がある。知らないところで、シャルロットが作ったお茶がどう扱われるのかわからないことが心配だと言っているらしい。
『ただし、これの制作者はシャルロットじゃ。シャルロットが飲ませたいと思う者に飲ませることは、むしろ喜ばしい。だが、茶葉だけが独り歩きするのは心配じゃ。わしらの茶は投げ捨てられたからのう』
そう言われてしまえば、シャルロットも商人には見せられなかった。
けれど村人が楽しそうに茶葉を買ってくれる姿を見ると、もっとたくさんの人に飲んでもらいたいと思ってしまう。
(いつか街で喫茶店を持つことはできないかな? それなら、茶葉のひとりあるきはしないもん)
ただ、それを実現するのは難易度が高いことだとシャルロットにもわかる。
なにせ、自分には資金がない。幼年学校を卒業しても、街に喫茶店を出すほどの金額を稼ぐにはどれほど時間がかかるのか、田舎暮らしでは見当もつかなかった。
(まあ、平穏でこのままでも悪くはないけどね)
しかしそんなことを考えながら幼年学校の卒業が間近に迫った頃、シャルロットのもとには『魔力保有者』か否かを調べる検査が行われるという知らせが届いた。
通知内容を見ると、もしも魔力保持が認められれば見習い魔術師として十歳から王都にある中央魔術学院に奨学生として通うことになると書かれていた。
「この時期に? 次の進路?」
「滅多に魔力持ちの子なんていないからね。こんな田舎じゃ後回しになってもしょうがないよ」
同い年の養護院の友人と通知文を見ながら淡々とそんな話をしていたシャルロットだが、心の中ではいろいろと叫んでいた。
(魔術って何、魔力って何! そんなの本当に聞いたことがなかったんだけど!!)
絵本で見たこと程度ならある。ただ、絵本なだけに本当のことだなんて思っていなかった。それこそ、サンタクロースを信じるかどうかというレベルの話だと思っていた。
一方同級生は当然のことを言っている素振りだったので、なおのことシャルロットは驚いた。
「でも、私たちもきっとないよ。村の人だって、一人もないもん」
「そ、そうだよね」
それからあっという間に検査の日がやってきた。
そして検査官は検査の前に、シャルロットたちに簡単に魔力の説明をした。
曰く、魔力はこの世界でも珍しいものであり、ほとんどの場合貴族の一部しか使えないものである。検査方法は簡単で、特殊な水晶があれば五秒もかからず結果は判明するらしい。
(……てことは、一応来ているけれど貴族じゃないからほとんど可能性なしってことかな)
転生という稀なことをしておいて何なのだが、今の生活は少々お茶に夢中である以外、ごくごく普通の生活を送っている。仮に魔力があるとするなら、その片鱗が垣間見えることもあっただろう。
だから人生に於いて稀なことに関わるなんて思いもしなかった。
しかし、水晶にシャルロットが手をかざした瞬間、周囲に光が飛び散った。
「シャルロット・アリスさん。あなたには魔力がありますね」
「え? ……本当ですか?」
たとえ期待していなかったとはいえ、そのようなことを言われれば瞬時に立派な魔術師になった未来の自分を想像しかけた。
しかし、希望が打ち砕かれるのも早かった。
「けれど、残念ながら召喚師ですね。とても、稀なことですが」
「残念ながら? えーっと……どういうことでしょうか?」
「召喚師は、自分では魔術を行使できません。霊界に住む幻獣を一時的に呼び出し、使役することができる者を指します」
それなら、カッコイイとシャルロットは思った。
前世でプレイしたゲームでも召喚師は大体恰好いい立場にあったと思うので、この世界の召喚師を知らない身としては残念といわれる理由が思いつかない。
「ただし、召喚には召喚師の魔力と共に別の対価を用意する必要があります」
「対価? 具体的にはなんなんですか?」
「異界の者が望む品ですね。一概には言えませんが、主に金銀宝石だと言われています。一度目の召喚で相手との契約が成立すれば、以降同等の対価を用意することで再度召喚に応じてもらえる、と聞いております」
その言葉を聞いたとき、シャルロットは理解した。
(要するに、とんでもない金食い虫でほとんど役に立たないんだ)
自分の魔力を使う魔術師に比べ、魔力だけでは何もできない召喚師が残念に思われるのも仕方がないのかもしれない。そして自らは養護院で育っているため、能力を活用できるだけの財力がない。
検査官が残念そうな表情を浮かべている意味を、シャルロットはいろいろな意味で理解した。
(しかも、召喚した子と仲良くなれなかったら大変だよね)
説明では『使役』と言われたが、実際には被召喚者と相性が悪ければ、何かを願うことは叶わないだろう。そうした諸々のリスクを考えると、たとえ希少だとはいえ、召喚師を支援するよりは自分で魔法が使える魔術師を歓迎したいという国側の気持ちが――『残念』と口にした気持ちが、よくわかる。
「まあ、それでも一応魔力があるので、あなたにも王都に来ていただきます。魔力の勉強以外にも上級学校相当の一般教養を行いますし、衣食住を含む寮費は支給されるから安心してください。ただ、召喚に必要とされている貴金属の配布はありませんが……」
検査官の顔に『気の毒です』とかかれているような気さえしてきたシャルロットは、同じく検査を受けた同級生に憐みの目を向けられていた。
「魔術師になれないのに行かなきゃいけないなんて……シャルロット、いじめられないでね」
「いや、それは大丈夫……だと思う、かな」
しかしそう返答しながらも、シャルロットも顔を引きつらせてしまった。
(さっき、貴族がほとんどって言っていたのに……能力がない村人がいっても大丈夫なのかな)
しかし、ナーバスに考えたのは一瞬だけだ。
衣食住が保障されているという言葉を思い出せば、今ある不安など些細なものな気さえしてくる。
その上、上級学校相当の授業が受けられるのであれば儲けものだ。
いままでなら、上級学校への進学なんて選択肢にもなかったのだ。
(それなら学院卒業後、安定した仕事に就けるかもしれない。ううん、それ以前に在学中から王都でアルバイトだってできるんじゃないかな?)
そうなれば、思い描いた喫茶店経営の資金も溜めることができるかもしれない。
そう思えば、ハズレと指摘されようがシャルロットにとっては悪くないと思えてくる。
「シャルロットさん、不安もあると思いますが……」
「大丈夫です、行きます!」
気を遣ってくれているらしい検査官に、シャルロットは力強い返事をした。
そしてそれと同時に、学院での生活に期待を膨らませた。が、直後に衝撃の事実が告げられた。
「ちなみに、能力があっても召喚に成功する方はほぼいません」
「え……?」
「成功しても契約まで辿り着ける方は少数です」
「え……? え……?」
「だから、その、呼べなくても気にしないでくださいね」
それは検査官からの励ましであったのかもしれない。
それでも『もしかしたら、異界の子に会えるかも』というシャルロットの僅かな希望は、軽く消し去られてしまった。
そうシャルロットが思ってしまっても仕方がなかった。
***
その後、皆に見送られて村を出たシャルロットは国立中央魔術学院に進学した。
ここは上級学校のほか、より学術研究を行う大学校も併設されているらしい。
そこでシャルロットは一般教養と召喚術に関する基礎教育を受けることになった。
一般教養については見習い魔術師たちと一緒に受けるのだが、もちろん召喚術の授業は召喚師のみが受講する。そしてその見習い召喚師の数は、シャルロットを含めわずか四人しかいなかった。
シャルロット以外の見習い召喚師は皆ご令嬢であり、シャルロットとは異なり金品の対価に困っている様子はなく、あちらは本人たちもハズレだとは思っていないようだった。対価が用意できるので、どちらでも構わないと思っているのだろう。
(やっぱり、お嬢様ってお金持ちなんだな)
羨ましいというより純粋にすごいという感想が先行した。
そして今更ながら、シャルロットは自分も魔術師側だったらよかったのになとも思ってしまった。
これだけ召喚師が少ない中でどうして召喚師のほうなのだろう、と。
できればシャルロットも自分で魔術というものも使ってみたかった。
(そうはいっても、羨んだって仕方ないことよね。体質だもん)
シャルロットは多少落ち込む気持ちに発破をかけ、真面目に勉学に取り組んだ。
一般教養はさることながら、召喚術を行うに当たり召喚陣や魔力増幅のための鍛錬など、全ての授業に無遅刻無欠席かつ予習復習も怠らない。ただし魔力を増やす訓練をしても、使えないので実感はないのだが。
加えて、授業が終わった後はアルバイトにも勤しんだ。
(配布されないなら、何かいいものを自分で買わなきゃ召喚ができないもんね)
資材不足のため卒業までに召喚ができなくても、罰則はない。
検査官が言ったことは本当で、実際に召喚ができたものはほとんどおらず、罰則を作ってしまえばかなりの人数が罰を受けなければならないそうだ。
(でも、一回も挑戦しないのも違う気がするしね)
今のシャルロットは召喚を教わることが仕事なのだ。
難しいことであっても生活面を整えてもらっている以上、できるかどうかはさておき、集大成として一度実戦しなければいけないと考えている。
(最初は学生時代にお金を溜めるって計画だったけど……宝石代で飛んじゃうかもな)
しかしそれならそれで、就職後に給料を貯めて店を構えたらいいことだ。
想っていたよりも中央魔術学院での授業は楽しいし、高級レストランのような食堂を無料で使えるのだから放課後のアルバイト代が飛ぶくらいは気にならない。
ただし、最初アルバイト先で周囲と打ち解けるには少し苦労をした。
アルバイトの募集を見て希望を伝え、身分証として学生証を提示すると必ず『学院生がアルバイトを希望するのか!?」と驚かれるのだ。学院生といえば、やはり貴族を指すらしい。
なのでシャルロットが自分は貴族ではない旨、それから召喚師見習いである旨を話すと、今度は『肩身が狭いでしょう』と、やけに同情をされ、可哀そうな子を見る目で見られたのだ。
シャルロットとしては相手が貴族だろうがなんだろうが、反りが合わない者と仲良くする気はないので、言われるほど大変なことはなかったのだが、同情から抜け出すまでにはそれなりに時間が必要で大変だった。
(アルバイトも本当は将来のためにカフェでやりたいって考えたけど……王都に喫茶店はないのね)
それはシャルロットにとっては意外なことだった。
喫茶店がない代わりに、王都ではほとんどの店が昼から夜まで通しで営業をしており、休憩がてらに居酒屋に入る人たちも少なくはない。
ただし飲み物のメニューはほとんど酒で、あとは水、果実水がいくらかといった具合だ。
(村と違って茶葉はあるけれど、お茶を外で飲む感覚は普及していないってことかな?)
ただ、だからといって喫茶店を開店しても人が来ないとは思わなかった。
日本でも過去水やお茶の販売が開始された時、『家で飲める水を誰が買うのか』『家で飲める茶を誰が買うのか』と口にした人々がいる。しかし実際に売り出されれば、人々から支持された。
だから『今はない考えだから』というだけで諦めるのはもったいないとシャルロットは思う。
(今のうちから美味しそうな紅茶も探しておかないと。オリジナル以外のお茶も置いて、安らいでもらえるようにしないとだし)
そうして世界観を把握しながら学院生活を送るうちに一年が経った。
同じ召喚師見習いとは距離が開いたままであること、魔術師見習いは魔術師見習いで仲良くしていることもあり、未だシャルロットには学院内での友人はいなかった。
しかしそれで困ることはなかったし、授業も楽しいので問題はない。
そのうえアルバイトの給料が思った以上に溜まったので、シャルロットはそろそろ宝石を探し始めてみようかなとも考えた。すぐに買えなくても、目標は持っておきたい。
するとちょうどその翌日、同じ教場で同じ召喚師見習いの貴族の令嬢たちが互いの用意した召喚対価を見せ合っているところに遭遇した。そして、それを見たシャルロットは愕然とした。
シャルロットもそれなりのものがそろそろ買えると思っていたが、彼女らが見せ合っているのはシャルロットが働いたとしても……むしろ一生の給料をつぎ込んだとしても到底買えないような、大きな宝石だった。
「これを試しに使おうと思うの」
「あら、それは大きすぎません?」
「もう少し小さくても成功するとは聞いていますけれど、大きければ安心ですし。お祖父様からいただいたの」
そんな会話を聞いたシャルロットはむせ込みそうになった。
(対価って使い切りって教わっているのに、本当にあれを使うの?? うまくいっても今後毎回いるようになるのに!?)
そんな言葉を飲み込んだシャルロットを、宝石を見せていた令嬢がちらりと見た。
「でも、庶民の方は可哀そうですね。きっと鼻で笑われるような、人として恥ずかしい代物しか用意できないでしょうし……果たしてここにいらっしゃる意味はあるのかしら?」
その挑発にシャルロットは苛立ちを覚えた。
馬鹿にされていることはいつものことだ。しかし、その『人として恥ずかしい』とは何事か。
渡された宝石を使えば自分は何もせずとも召喚を成功させることができるので、恥ずかしくないと言いたいのだろうか?
ここにいる意味があるのかどうかなど、シャルロットとしてはそっくりそのまま尋ね返してみたい。シャルロットの一般教養のテスト結果は令嬢たちよりよほどいい。それはシャルロットが優秀というよりは、令嬢たちが勉強しなさすぎるのだ。宝石だけが必要であるのなら、ここにくる必要もないだろう。
もちろんお金がなればできないことがあるのは身をもって知っている。けれどお金があることが人を見下す理由にはならないし、お金ですべてが解決するわけではない。
そもそも、召喚され、人智を超える力を使うという者は、本当に金品に左右されるのだろうか? たしかに綺麗なものではあるが、種族や空間を超えてまで欲しがるものなのだろうか? そう思いはじめると疑問はどんどん募る。
「でも、確かに大きければ大きいほど、相手も言うことを聞かざるを得ませんね」
「ええ。小さいものなら、必要ありませんものね」
そうリーダーの令嬢を褒める別のご令嬢にも、シャルロットの苛立ちはより大きくなる。
(なんだろ……逆に、自分が召喚されたときのことを考えないのかな)
シャルロットが思うに、最初の宝石はおそらく御車代のようなものでしかない。
だから決して相手がいうことを聞かざるを得ないなんてことはないと思っている。
だいたい初対面で貴金属が欲しいなら言うことを聞けと言われて契約したいと思うだろうか?
少なくともシャルロットなら絶対に協力はしない。
そこでシャルロットは考えた。
もしも自分が呼びかけられるとしたら、どんなものを用意されたいか、と。
そして思ったのは、まず話す場を持ちたいということだ。一方的に『これをあげるから言うことを聞いて』は、違うと感じる。
(つまり……話し合いの場、よね)
それからもう一度教えられた言葉を思い出す。
『一概には言えませんが、主に金銀宝石だと言われています』
最初に検査官から言われたことは、この学院でも言われている。
ただし、過去のデータをすべて見せられたわけではない。
見せてもらったのは、召喚に成功した当人が公開しているもののみだ。
大半は『被召喚者との契約のため』公開を差し控えるとされている。
(実際、公開されているものの対価品は貴金属のものばかり。けれど、召喚したものの契約に至れなかったケースや、実際に契約を果たしても財を使い果たしたケースのみで、継続した関係とは言い難い)
常時召喚を可能としている者についてはその対価を秘匿しているものの、確かにそれと同様のものを用意できるだろう家柄の者たちだ。
だが、その者たちが貴金属を使ったと言う記録や証拠は残されていない。
「一度、試してみる……?」
そう呟いたシャルロットは、その日の放課後アルバイトを終えた後、精一杯の真心を込めておもてなしのお菓子を作った。
そのために普段なら買わないような材料を集めてスコーンにジャム、さらに茶葉とナッツをたくさん混ぜ込んだクッキーを作った。
それから最後にレヴィ茶と緑茶のどちらにするか迷ったものの、まずは緑茶を用意することにした。レヴィ茶はすでに売っているものだが、緑茶はレヴィ村の住人とシャルロットしか飲んでいない、特別なお茶だ。
そして深夜、月明かりの下でシャルロットは寮の裏庭で召喚陣を描いたあと、その上にテーブルを用意してそれらを綺麗に並べた。そして、召喚を行った。
「我が名はシャルロット・アリス。我が声に応え……私とお茶会をしてみませんか?」
定型句とされている文句は途中で破棄した。
一応それらしく繋げようとしてみたが、慣れない言葉だと急に取り繕うことはできなかった。
直後、しんとしていた裏庭に強い光が走った。
「……なにやら、面白そうな人間がいるようね?」
それはとても透き通った声だった。
その声の主は声と同様に透き通った金髪と、深く青い瞳を持ち、背に透明な二対の羽がある、手のひらに乗りそうなほど小さな女性だった。
「はじめまして、人間の娘。私はエレノアよ」