第二十六話 望まずとも出会うとなれば、運命か
翌日。
ほどよい風が吹く心地の良い天候のもと、今日もアリス喫茶店は定刻通り開店した。
公園には朝食時から少し時間を置いた頃に人が集まりだす。
午前の散歩と言ったところなのだろうと思いつつ、シャルロットはその時間に店を開店させることにしている。
もう少し早く開店させ朝食サービスを行うことも考えたが、場所柄を考えても難しいかと思い保留している。
(私も店主としての勉強中だし、背伸びしすぎはできないし)
だいたい、今の自身を取り巻いている問題が片付かなければ、平穏に店を切り盛りすることも難しいだろう。
(さすがに昨日みたいな襲撃はそうそうないと思うけど……あんなことも、ないわけじゃないし)
ただし今後はこのようなことはないように祈らずにはいられない。
そんなことを思いながらも朝一番の来客を順次案内していたのだが、その集団の中に一人、気になる少年がいた。
(この子、一番に並んでたはずなのに他の人に順番を譲り続けているな)
店内外を交互に見つめる様子は何かを探しているようだった。
シャルロットは少年に声をかけた。
「お連れ様をお待ちですか?」
シャルロットの声に少年は肩を震わせて驚いた。決して驚くような声量ではなかったはずたと、シャルロットも逆に驚いた。
しかし、それでもそのまま言葉を続けた。
「もしよろしければ、先にお席にご案内いたしますよ」
「いえ、あの……連れというわけではないのですが……」
歯切れが悪く視線を逸らす少年に、シャルロットは首を傾げた。
落ち着きがない少年はやけに不安そうで、来店を楽しみにやってきた風ではない。わざわざこの場を訪ねるにしては、楽しむ様子がまるでない。
しかしシャルロットが問いかけを重ねる前に、その場に別の女性の声が響いた。
「あら……? お店、もうほかの客が入ってしまっているの?」
「え……?」
その聞き覚えがある女性の声に、シャルロットは固まった。
できれば聞きたくなかった声であると思いつつも、引きつりそうになるのをなんとか堪えて、シャルロットはそちらを見た。
「イラッシャイマセ」
棒読みだと指摘されれば頷くしかない声色でシャルロットは女性を迎えた。
いや、棒読みであっただけまだマシだっただろう。なにせ気をつけていなければ確実に叫んでいたのだから。
(なんでエリアンナが来てるの……!?)
そう、来店したのはなんとエリアンナだった。
単なる貴族のお嬢様が自分の店に来ても驚きだが、よりによって渦中の人物が来たのであれば驚かない理由はないだろう。さらにエリアンナはレベッカの元婚約者であるフェビルを連れてきていた。
しかし驚くシャルロットとは対照的にエリアンナはシャルロットのことを覚えていないらしく、顔色一つ変えることはなかった。代わりに一つ零したのは愚痴だった。
「私が一番に入りたかったのに」
この言葉だけなら楽しみにしてくれてたのかと思わなくもない。幼少であれば可愛らしくも思っただろう。しかし、それなりにいい年齢をしている女性が口にする言葉ではない。
エリアンナはシャルロットが話かけていた少年に向かって、困ったような笑みを浮かべた。
「あなたはちゃんとお仕事をしてくれたの? 私の代わりに並んでくれるの、お願いしたでしょう?」
その言葉でシャルロットはおおよその状況を理解した。この少年はエリアンナの代わりに順番待ちをしていたらしい。
(それでもって順番がきたら交代するつもりだった……ってところだろうけど、到着が遅れて交代できなかったわけか)
昼間ならともかく、開店直後の今なら席も空いている。だから喚くほどのことでもないはずなのだが、一番目の客になりたいのだろうか。
(それなら早く来ればいいのに)
少年には悪いと思うが、ここでシャルロットが何かできることはない。ここで何かをすれば、それは融通ではなく贔屓になる。
だいたい、このエリアンナのやり方が気に入らない。
(言い方のねちっこさもイヤだけど、自分の責を転嫁するってどういうことよ)
シャルロットとしては代理の列待機も本当は好きではない。双方納得の上であればと思う部分もあるが、この様子を見る限り少年が進んで引き受けたとも思わない。
(おそらく使用人だから仕方がないんだろうけど)
しかしシャルロットにとっては、身分を盾にする貴族の娘に良い感情が向かうわけもなかった。
そんなシャルロットの内心に気付くことなくエリアンナはシャルロットに笑顔を向けた。
「すみませんが私たちは多忙なのでこのあとも用事があります。ですから、優先してくださいね」
それはさも当然のような振る舞いだった。
だからこそ、シャルロットも当然の対応をとった。
「申し訳ございませんが、ご注文いただいた方から順次お出しさせていただきます」
「ご心配いただかずとも、お礼なら弾ませますよ?」
「金銭の問題ではございません。今の私が求める額はメニューに記載いたしております価格であり、それ以上でもそれ以下でもありません」
「ここはそういうお店なの?」
「はい、そうです」
エリアンナは少し苛立ちを見せたが、シャルロットはまったく気圧される気がしなかった。
「あなたは気付いていないようだけれど、私は貴族の一員です。このままだと、あなたにとっても不都合になるのではないかしら」
その言葉に成り行きを見ていた客も、エリアンナの言葉には息を飲んだようだった。しかしそれはシャルロットにとっては既知の情報なので、いまさら驚くこともない。
だからこそ、堂々と言ってのけた。
「私にとっては皆同じお客さんです。特別な対応を求められるのでしたら、そういう店をお探しください」
「え……?」
「貴族を優先しなさいという法律は制定されていません。逆にあなたがわざわざ庶民の店を訪ね、優先するよう求めるといった振る舞いはたかりや恐喝と受け止められ醜聞になるのでは?」
臆することなくシャルロットが言うからか、横目で見ていた人々ももはやこのやりとりに釘付けだった。
そろそろ退散してほしいとシャルロットは思うものの、目を瞬かせているエリアンナにはまだもう一息必要らしい。
「国王陛下のお膝元でそのような振る舞いをなさるなど、貴族の恥になることでしょう。むろん今の言葉が冗談だという可能性も私は考えていますが……」
そろそろ納得してくれなければ面倒なことになる。いや、すでに面倒だとも思いながらシャルロットはエリアンナの逃げ道も一応用意した。
もちろん冗談だと言われればそれで一旦話を終わらせるつもりだし、これに怒って帰ってくれるならそれはそれで悪くはない。
さてどう出てくるかとシャルロットが様子を窺っていると、一瞬目つきが鋭くなったエリアンナは、柔和な笑みを浮かべていた。
「まぁ、怖いこと。少しからかっただけではありませんか。……ですが、私も興が削がれました。席への案内は不要です」
それから優雅に去ろうとしている背中に、またのお越しをと声をかけることはシャルロットには憚られた。再びの来訪は願っていないし、なんなら二度と会いたくないとは思っている。
もっとも、レベッカの件で何か手がかりがつかめるなら話は別だが――。
(でも尊大だったとはいえ、一応貴族が平民にこき下ろされて声をあらげなかったのよ。平民を見下しきってる状況から考えたら随分我慢したのね)
もちろん、そう思うのは日々貴族にぐちぐちと言われた学院生活時代の経験がシャルロットにあるからであり、来客の感想は異なっていた。
エリアンナの背中が遠ざかったところで一息ついたシャルロットの肩に突然大きな衝撃が与えられると同時に弾んだ声をかけられた。
「お嬢ちゃん、もう、最高じゃない! すかっとしたわ!」
「うわっ」
「いやぁ、立派だよ。私は見たよ。あんたがあのお貴族様に『悔しいの我慢してますー』って顔をさせたところ。一瞬だったけど、よかったよ」
その女性の声をきっかけに、店内の客が拍手をはじめ、声援も混じり始めた。
「根性あるな、店主!」
「思うだけならまだしも、実際言うなんてたいしたもんだ。普通びびるぞ」
「ど、どうも……?」
酒場ではないはずなのに、酒場のようなノリにシャルロットも中途半端な笑みを浮かべてしまった。
見方によれば見苦しいと感じられてもおかしくない場面だっただけに、この反応はシャルロットにとっては有り難い。
「しかし、ここに貴族様が来るなんて。庶民の食べ物に興味なんてなさそうなのにね」
「……もしかしなくても、あの子に会いたかったのかね?」
そして、シャルロットの肩を叩いた女性はマネキを見ていた。
「大人しくて可愛い猫だけど、そうだとしたらすごい噂の広がり具合だねぇ」
「そうですね」
噂が伝わるということは宣伝してもらえているということなのだが、貴族の耳に入るとなればその情報源が気になってくる。
しかも、ピンポイントでエリアンナが来たというなら尚更だ。
「でも、大丈夫かい? あの娘からの嫌がらせとか……」
「それは平気だと思います。庶民街で目立つわけにはいかないでしょうから」
「ああ、お忍びだろうもんね。不快なことがあっても言うわけにはいかないよねぇ」
実際のところは幻覚薬の売買を行っているなら、貴族らしくない目立つ行為は避けるだろうというだけの話だ。
(貴族らしく振る舞ってる人間が城下に降りて幻覚薬の売買に手を染めてるなんて思われないはず)
らしくないものとして目立ち、城下で何をしているのかなど探られたくはないはずだ。
(とはいえ、不気味だから調べなきゃいけないけど……)
とりあえず今日の報告はしておかなければいけないなとシャルロットは考えたところでいったん考えは打ち切った。
それより、先にすべきことがある。
「とりあえず、皆さんには変なものを見せてしまったお詫びをしないとですね」
「え? あ、あんたは悪くないし面白い見世物だったと思うけど……もらえるもんはいただいちゃおうかねぇ?」
桃のフレーバーティーに柑橘や木苺を入れたアイスフルーツティーを皆に振る舞おう。新作メニューを出すいい機会かと、シャルロットも気持ちを切り替えた。
そしてその振る舞いはなかなか好評を得る。
(果物ごと食べても美味しいし、なかなかこの見た目も楽しいよね)
暑い季節になればラテアートにかわる目玉商品がほしいので、皆の反応はありがたいところだ。『美味しい』『可愛い』『綺麗』など、フルーツティーがエレノアによって各テーブルに配膳されると、順次嬉しい反応が聞こえてくる。
皆に喜んでもらえたことをシャルロットは嬉しく思っていたが、その日もそれだけで終わるということはなかった。
夕刻になり、店を閉めようとしたときに再びフェビルが現れたのだった。




