第二十五話 ケルベロスの事情
スコーンを食べるにあたり、ケルベロスは豆柴サイズに戻っていた。
それはたくさん食べた気分になれるようにという理由からだったので、エレノアとまったく同じだとシャルロットは思ってしまった。
しかし小さなサイズになったとはいえ、三匹もいるのだからスコーンの減るスピードは決して遅くはなかった。
『我が主君は、どうしてこのようなものをお作りになられるのか……!』
「美味しい?」
『美味いどころの話ではありません。口から体全体に喜びが広がるような気持ちです。私は食事に詳しくなく、あまり彩る言葉を持ちませんが――これは、本当に、生きる糧となるのがわかります。それに……どうも、この食事には主君の魔力も混ぜ込まれています。至福です』
その言葉がどれほどの喜びからきているのか、シャルロットには正確に把握できる自信はなかった。けれど、喜んでいるのは間違いない。それならよかったと思うまでだ。
「ところで、私が『主君』って、どういうことかな?」
ケルベロスが最後の一つを口にした時、シャルロットは疑問をぶつけてみた。
すると分裂していた三体の子犬たちは顔を見合わせ、それからシャルロットに向き直った。
『実は……大変お恥ずかしいのですが、私、親子喧嘩をいたしまして。あまりの戦いに魔力が尽き、このままでは消えてしまうと思った私は、この世界に逃げ込みました』
「親子喧嘩って、自分が消えそうになるほどまでやるものなの?」
『私たちケルベロスの一族は、決闘を行った際は相手を打ち負かすまで続けます。命がけですね』
それはもはや親子喧嘩の域を超えてしまっているのではないかとシャルロットは思ったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
ケルベロスが喧嘩だというならケルベロスの中ではたとえ消滅しかかってもただの喧嘩なのだろう。
『そして力尽きるくらいならいっそと世界に逃げ込んだのです。しかし無理な転移の反動で私の魔力は失われ、ただの犬となり、森で体力の回復に努めようとしていました。ただ、私は赤子同然のただの犬。あのままでは身動きもとれぬまま、消えゆくところでした』
「それは……その前に助けられてよかったよ」
食事からも魔力が取れると、エレノアから聞いたことはある。
グミの実やスコーンが良い効果をもたらしたのかもしれないと思えば、偶然であってもよかったとシャルロットは思う。
「でも、主君っていうのはどういうわけかな……?」
『受けた恩をお返しする。それには、お仕えするのが一番かと』
当たり前のようにすらすらと述べるケルベロスの主張を一応は理解したものの、納得までは程遠い。
(本当にそれでいいのだろうか)
確かにケルベロスにとっては救いとなったのかもしれないが、シャルロットからすればはっきり言って大袈裟すぎる感動のされ方でしかない。
むしろあれしきのことでそこまで思われるとなると、かえって申し訳ない気さえするほどだ。
しかし、ケルベロスに引き下がる気配はない。
『それとも……私では主君のお役には立てませんか。今より魔力が戻れば、今日のような戦いもより早く終わらせることが叶います』
「いえ、その、私あんまり戦うことはないというか。どちらかというとマネキみたいに接客のお仕事のほうが助かるというか」
しかも、いまの柴犬の姿でそれを言われても戦いの気配とはどうもちぐはぐしてしまう。
『ならば、全身全霊を以てセッキャクに当たりましょう。何をするのかはわかりませんが、私のすべては我が主が望むままに』
シャルロットは辞退したつもりだったが、ケルベロスのやる気はますます上がってしまった。
(どうしよう)
実際のところもうどうしようもないし、マネキと同じく契約しても問題はない。
ただ、少し大げさすぎると思っただけで。
(……まあ、問題はないなら構わないか)
シャルロットとしてはやはり本当にそれでいいのか気掛かりではあるところだが、契約をしたところでシャルロットに困ることはない。強いて言うなら契約をした場合、契約対象者がこの世界にいる間は常に魔力を吸われることにはなるのだが、精霊のエレノアですらシャルロットにとっては『たいしたことはない』程度だ。たとえマネキより魔力が必要であったところで、おそらく問題はない。
だから問題はないと思うし、たとえもし危ないほどの魔力のへりになったとしても、ここまで忠義を尽くそうとしてくれているケルベロスなら一旦霊界に戻るか、契約解除にも応じてくれることだろう。
(あとはケルベロスが契約したことを後悔しても、私が解除を受け入れれば問題はないわけだし……)
森で見つけた時はこんなことになるとは思っていなかったとは思いつつ、シャルロットが助けられたのは事実だ。それなら、少しくらいケルベロスの要求を受け入れるべきだろう。
「じゃあ、これからよろしくね。私はシャルロット。あなたのお名前は?」
『可能であれば主君から授かりたく思います」
「えっと……じゃあ……クロガネ、とか?」
もとより名前がなかったマネキとは違い、ケルベロスにはおそらく名前がある。
それに負けないほどの名をつけることができるのかと、シャルロットはひやひやしながらも新たな名前候補を口にした。その瞬間、ケルベロスのしっぽは激しく振り回された。
『とても力強い響きに感謝いたします、我が主君』
その言葉にシャルロットは安堵しつつも、少し恥ずかしく感じた。褒められすぎだ。
しかし満足そうなクロガネの様子を見ると、その気持ちに水を差しかねない願いを口にするのは躊躇われる。否定するのはその名をつけておきながら、似合わないと言っているようなものだ。
しかし『クロガネ』の響きは今の柴犬姿には少しだけいかつすぎたかなと、もう少し可愛げがある雰囲気でもよかったかなと、やはり少しだけ思ってしまった。




