第二十三話 煉獄の番犬(上)
そしてシャルロットたちは日が沈んだ頃に店へ戻った。
シャルロットがケルベロスたちを連れ帰ったことで、マネキは新たな接客担当が登場したので、自分がクビになるのかと恐れたようだった。
しかしすぐにシャルロットがケルベロスたちを保護した旨を伝えると、せっせと椅子の上にクッションを集めたり、タオルを咥えて持ち出してきたりして子犬たちが快適に過ごせるように計らっていた。その姿はまるで母猫のようでもあった。
一方エレノアは「ちょっと霊界に戻ってぱぱっと仕事片づけてくるから、スコーンができたら呼んでね」と一旦霊界へと帰って行った。
その際、「寂しがらないで待っていなさいね」など加えられたものの、シャルロットとしては女王の仕事はしっかりこなしてもらわなければ心配になるのでそんなことは思わないと思ったが、面倒なことになるので黙っていた。
「シャルロットさん、セウユースの実はどうしましょうか」
「あとで処理しようと思うから、勝手口の手前に置いてもらおうかな」
「わかりました。薬草は仕分けておきますね」
「ありがとう」
最後に残っていたレベッカは、そういって自ら採集活動の仕上げに取り掛かる。
そしてシャルロットは早速スコーン作りに取り掛かった。
スコーンを作るには、まず粉類を振るったところにバターと砂糖、塩を加え、スキッパーで切り込むように混ぜていく。そのあとはハーブを加えてひと塊になるまで混ぜ合わせたら、粉を振るった台の上でよくこねる。体温をあまり生地に伝えないようにするには速度の勝負となる。そのあとは一・五センチほどの厚さにして、丸型で抜き、牛乳を表面に塗る。こうすれば、あとは焼くだけだ。
「レーズンとくるみも用意して……と」
それでも焼いている間にただ子犬たちを待たせるというのが少しかわいそうになったので、シャルロットは少し大きめの鉢に牛乳を入れて三匹の元に向かった。
「もうすぐ焼けるけど、それまでスープがわりにでもどうぞ」
ケルベロスが本当の犬ならお腹を下す可能性があるので出すのは難しいが、問題がないならと、シャルロットはマネキの好物でもある牛乳を浅い皿に注いでマネキの分と共に出した。
ケルベロスは白い液体に最初警戒を抱いたようだったが、そこはマネキがフォローを買って出てくれた。
『これは大丈夫だ。しかし、もし不要ならば私が飲むから安心するといい』
半ば本気でもありそうな言葉を放ったマネキが勢いよく自分の分の牛乳を飲み始めたところ、ケルベロス達も負けじと競うように飲み始めた。どうやら、ケルベロスたちにとっても好みの味であったらしい。
(これは牛乳じゃ時間稼ぎにもならなさそうかな)
その勢いにシャルロットは少々苦笑したものの、やはり可愛らしい子犬が三匹もいる上、巨大な猫と一緒にいるのだから、最終的には和まずにはいられなかった。
しかしこのままずっと見ていたいと思ったとしても、このまま留まり続けてしまえばスコーンがただの消し炭になってしまう。
シャルロットが名残惜しさに後ろ髪を引かれる思いを断ち切りつつ厨房に戻ろうとした……まさにその時、鍵をかけている店のドアが激しく音を立てた。
それはノックという可愛らしいものではなく、破壊しようとしている勢いだった。
何が起ころうとしているのかはわからなくても、よくないことが起ころうとしていることがシャルロットにもわかる。
「マネキ、ケルベロスたち! ちょっと下がって!!」
シャルロットは慌てて三匹を背中に隠すように飛び出した。
そしてそのタイミングで、ドアが爆発に近い状況で吹き飛んだ。
「ああ? 情報屋の野郎、留守って話はどこにいったんだ?」
爆破されたドアの外から現れたのは、幾重もの傷を顔にこしらえ、この国で悪しき存在と忌避されている悪魔の入れ墨を肩に入れている男だった。
つまり見るからにしてならず者で、シャルロットは引きつりそうになる顔を何とか抑えるので精いっぱいだった。
(目、血走っているじゃない。酒にも酔っていそうだけど、薬物を摂取していそうな――)
そう思ったとき、ふと浮かんだのが過去のレベッカのことだ。
彼女が取り乱していた時も、尋常ではない様子だった。
ただ、それを詳しく考える余裕はない。
シャルロットは息を呑み、相手との距離を測りながら口を開いた。
「私のお店に何かご用がおありですか?」
まったく、エレノア不在のときになんたる間の悪さだとシャルロットは思わずにはいられなかった。間が悪いというのは、まさにこのことを言うのだろう。
問いかけはしたものの、相手が暴力的行為に及ぼうとしているのはドアを壊したことや手にある物騒な剣からも想像できる。
対して、現在シャルロットたちの戦闘力は非常に乏しい。
エレノアのいないシャルロットは一般人並みの戦闘力しか保有せず、マネキはもとより戦闘力を持っていない。子犬のケルベロスに期待するのも酷い話になるだろう。
強いて言うならレベッカが戦闘力という点では満たしているが、店内という場所が悪い。
せめて外まで連れ出せれば話は別なのだが、彼女の属性である火の魔法で対抗すれば店が燃えてしまうかもしれない。
シャルロットがそんなことを冷静に考えている中で、無法者は人をバカにする表情をみせた。
「何を惚けている。お前、ここに隠したんだろう? 俺はそのお宝をいただきにきたんだよ」
「宝?」
「俺はそれを取りにきたにすぎないさ。お嬢ちゃんには恨みはないが、若い女が三人で切り盛りしている店って聞いたら、奪うのは簡単だと思うよなぁ? 金にして、俺が使ってやるからさぁ」
男から返って来た返事は、どうもシャルロットの質問とはかみ合わない。
(ええっと……ここにはたくさんの薬草はあるけど、この人が言ってるのは違うよね……?)
何を尋ねればいいのかシャルロットは迷った。
だが、男はシャルロットが弱く見えたからか、勝手に一人で喋り始めた。
「至福のような時間に、秘宝が拝める店……その噂は、結構届いてなぁ」
「……ああ、宝って……マネキたちのことか」
「なんでもいい、その宝を出せ。いや、持っていくから気にするな?」
男の様子から、おそらく宝が猫だとは思っていない。
おそらく中途半端に噂を聞いたか、噂が広まる過程で何か別のものに変更されてしまったのだろう。
しかし、ここで説明をしても理解してもらえるとは思わない。
ならば、ひとまずは切り抜けるのが先決だろう。
「なんだ嬢ちゃん、椅子なんて持って」
「あいにく剣なんて持ってないからね」
こん棒にしては大きすぎるが、面積の大きい椅子なら振り回してもなんとか当たる可能性がある。相手を制圧できずとも最低限退散させなければならないし、店の中で怪我人を出すわけにはいかない。
(ちょっと散らかったら、明日の開店までにちゃんとなんとかすればいいし!)
そんなことを考えるシャルロットに対し、男は大笑いをした。
男にはシャルロットの抵抗する構えなどお遊びにしか見えなかったのだろう。
余裕だと思われることはシャルロットにもわかっていた。けれど、シャルロットには今できることをするしかない。
だが、その後両者どちらも足を踏み出すことはなかった。
――否、踏み出せなかった。
(な、に、この気配……)
突然店内を覆うような威圧感が周囲に漂った。
気配だけではなく、目を見張った男の様子から、シャルロットにも自分の後ろで何かが起こっているのが理解できた。男に背を向けるわけにはいかなかったシャルロットは、一歩、二歩、と後ろに下がり……そして、気が付いた。
店内の異様な空気は、三匹のケルベロスが発していた。
しかも、三匹の子犬から突如黒や紫といったような光が漏れ出ている。普通の子犬であれば絶対に起きないような現象だ。
「ど……どういうこと……?」
ケルベロスに怯えた様子はなかった。
あるのは、男に対する純粋な敵意だけだ――そうシャルロットが理解すると同時、ひときわ光が強くなり、その場には三つ首で立派な羽を持った黒い犬が現れた。
その犬は、犬というには大きすぎるほどに大きく、マネキよりまだ一回り大きいほどだった。
もしもその顔にマロ眉が残っていなければ、黒柴だった面影すらなかっただろう。
『我が主、私に命を』
「え?」
その低い声がケルベロスのものだというのは、本能的には理解できた。
けれど、主という言葉は理解できない。
しかし、ケルベロスは続けた。
『我は主を守る者。狼藉者は我が許さぬ』
それはシャルロットには煉獄の番犬に相応しい、威厳のある声に聞こえた。




