第二十二話 正義の『可愛い』
黒柴たちは各々子犬で、ころころとしたフォルムをしている。
そしていずれも見ているだけで癒される。
(でも、さっきの気配もこの子たちからする……となると、この子たちもたぶん霊界からやって来たんだよね)
そんなことを思っていると、エレノアが驚きの声をあげた。
「まさか……ケルベロスの子がここにいるなんて」
「え?」
「ケルベロス。知らない?」
「……えっと、それって地獄の番犬で合ってる?」
「地獄? 煉獄の番犬よ」
少し違うようだが、想像しているものには違いがないようでシャルロットは驚いた。
(こんなに可愛い子が番犬なの……!?)
いくら幼体であってもケルベロスと聞けばいかついだろうと思っていたシャルロットだが、目の前の存在はどう見ても黒柴でしかない。
思わずのほほんとした気持ちになってしまい、ここに来た経緯を忘れかけた。
――そう、ここには黒柴を見に来たのではない。召喚師がいないにも関わらずこの世界に降り立った者の状況を調べるために来たのだ。
(ただ、さっきは悪寒が走ったけれど……今この子たちを見ても全く怖いと思わないのよね)
一体子犬が何の目的でやって来たのか。
そう思ったが、子犬たちはすでに弱り果てている。よぼよぼ、もしくはよたよたといった調子でなんとか動いているといった印象だ。
そんな状況下で、シャルロットは子犬たちと目が合った。
そこには怯えと警戒のなかに助けを求めるような色が見えた。敵対心のようなものも見えるが、完全な拒否はされていない。
(そりゃこの体格差だし怖いかもしれないけど……こんなもふもふに拒否されるのは悲しい……!)
そんなことを考えながらシャルロットは屈んだ。
来てほしくなさそうなのに全力で拒否しないのは、なにか理由があるのだろう。
そう思っていたのだが、屈んだときに手に持っていた籠から収穫していたグミの実がぽろっと落ちた。
すると、三匹が一斉に飛びついた。
ただし落ちた実は一つだけだったので、ありつけたのは一匹だけ。
残りの二匹は悲しそうにそれを見つめるだけだった。
さらに勝ち取って食べたはずの一匹も、飲み込んだあとはまったく元気をなくしてしまっていた。
「……もしかして、お腹が空いているの?」
あまりに切ない状況にシャルロットは思わず問いかけてしまった。
返事はないが、俯く顔に垂れ下がったしっぽがその答えを示していた。
すでに昼食を終えてしまっているので、シャルロットにも手持ちはあまりない。
かといって、これほど空腹状態を見せているのであれば手持ちのグミの実だけで満腹になったりもしないだろう。
しかしそう考えたところで、シャルロットは自分の手持ちにまだおやつがあったことを思い出した。
「ねえ、エレノア。この子たちも幻獣なら、オオネコみたいに食事制限は特にない?」
「食べ物なら問題ないわ。根本的には、食事を通して魔力を得るだけだから。まあ、さすがに岩とか大木そのままとか、それを食べることは難しいけれど」
「なら……これでも問題なさそうね?」
そういってシャルロットが取り出したのは、スコーンだ。
次に新作メニューとして出そうとしていたスコーンにはハーブの一つである迷迭香をフレッシュなまま使っている。
今回は甘さを控えて塩味をやや濃くしたおやつとして、汗をかいた折にも都合がよい仕上がりにしている。
「むしろどこに問題があるのか知りたいくらいだわ」
「そっか、よかった」
マネキの例があるのでおそらく問題はないと思っていても、やはり力強い保証があるのとないのでは気持ちが違う。子犬に与えても問題がない適切な塩分量など今のシャルロットに知る由もなかったので、お墨付きがもらえれば安心だ。
だからその答えを聞くことができたシャルロットは安心してスコーンを割った。
「ほら、お食べ」
最初に差し出しても、その犬たちは窺うような様子を見せて警戒を解くことはしなかった。しかしシャルロットが一欠けらを齧ると、急に飛び出してきた。
シャルロットはその勢いに一瞬気圧されたが、それには敵意や害意のようなものは含まれていなかった。
むしろ、それしか見えていなくて一直線に飛び出しただけだというようだった。
シャルロットはもごもごと食べる子犬を前に、まだ残していた四つのスコーンも全部崩した。途中エレノアが「私の分は?」と言っていたのは「帰ってからね」と流して、ジト目で見られたことは気付かない振りをした。
しかし、五つのスコーンも長く持つわけではない。
スコーンがなくなった地面をジッと見たのち、シャルロットの顔を見つめた。
その瞳にはもはや羨望にも近いものが浮かんでいるのだが、残念なことにこれ以上譲れる食糧はない。
「うちに来たら、追加で食べれるよ。来る?」
シャルロットの問いに、三匹は抱き付くことでその答えとした。
「って、いやちょっと待って。連れて帰るの?」
「可哀想でしょ。子供だよ」
「成長したら煉獄犬よ。いまでもその片鱗は見せてるけど」
「そうなの? まあ、かっこよさそうだよね」
「だいたい子犬の見かけしてても、そいつらシャルロットの何倍生きてるかわかんないよ」
「……え? 子犬が?」
「あのさ。私を見ていてわかると思うんだけど……霊界で年齢と外見なんかまったく意味をなさないからね?」
そういえばエレノアも女王になってから二千年だったなと、つい忘れていた話をシャルロットは思い出した。しかしそれを聞いてもなお、シャルロットにはケルベロスたちがただの子犬にしか見えなかった。やっぱり置いてはいけない。
「ほら、年齢より行動。エレノアも私と同じくらいな雰囲気だし」
「ほー、大先輩に向かって何を言うか」
「ごめんごめん、レーズンのスコーンも作るから許して」
「クルミも入れてくれるならね」
ほら、やっぱり間違いじゃないじゃないかとシャルロットは思ったけれど、それをあえて言うことはしなかった。
しかし子犬たちを抱き上げてもなお、エレノアはまだ渋っている。
「……止めはしないけど。その種族、本当に気が強いよ」
「それなら頼もしいね」
「頼もしい程度ならいいけど」
「それにうちにはマネキもいるし。いいお友達になるんじゃない?」
シャルロットがそう言うと、子犬たちもエレノアのほうを見た。
やや威嚇しているのは、気のせいではないのかもしれない。
「ちょっと犬っころ。私を誰だと思っているのよ」
「エレノア、大人ならむやみやたらに喧嘩は売らないで」
「売ってないって、売られてるの! ったく、これだから闇属性は……私の分まで食べたら許さないわよ!」
なるほど、それがすべてと言うわけではないのだろうが属性から対照的なら、もともと相性がよくないのかもしれないともシャルロットは思った。
しかしそれはほんの少しだけで、最後のセリフから察するに、どちらかと言えば自分の食い扶持を心配しての言葉だったのかなとも思った。




