第十九話 森へのお出かけ
レベッカを迎えてから数日が経過した。
生活を共にしてシャルロットが感じたことはまず、レベッカは思った以上にお嬢様であるということだ。
(まさか着替えも基本は一人でしない、っていうなんて思わなかったな)
学院時代に演習等もあったため、着替えをしたこと自体はあったらしい。
けれど基本は侍女が手伝っていたためその動作は非常に不慣れだ。
ただ、思わず手伝おうかと口にしたシャルロットの申し出は断られてしまった。
どうやら、これ以上迷惑をかけてはいけないと思っているらしい。
ただし、お嬢様の経験は決して悪いことばかりではない。
レベッカはお嬢様の趣味として、絵画を習っていた。そのためラテアートを任せてみたところ、すいすいと即席で客の横顔を描きあげた。
それは客を喜ばせ、多少値が上がったり、待ち時間が増えたとしても絶えず注文される品となった。
(すごい特技をもってくれていて、本当に助かった)
雇うと言った以上は何か仕事を与えなければいけないし、レベッカの性格を考えればただ匿うだけでは気に病むだろう。だからシャルロットはまず接客を教えようとしたのだが――これが、どうにも微妙だった。
それは慣れているとかいないとか、そういう問題ではない。単に普段ドレスを着て胸を張っていたせいか、姿勢が良すぎる店員になってしまっていた。一般人よりずっと背筋が伸びている。
はっきり言って、変装したところで『お忍びしているお嬢様です』と公言するような立ち居振る舞いだった。
しかし至って真面目な本人に対して、姿勢がよすぎるといっても困るだけだということもシャルロットはわかっていた。だから少しでも動きが目立たないように、裏方に入れるのであればありがたいに越したことはない。
ちなみにレベッカの変装道具であるかつらはルーカスからの贈り物だ。
いくら本人が気にしないだのけじめだのと言ったところで、短すぎる髪はあまりに目立つ。受け取れないと言うレベッカにルーカスは「営業妨害になったら私がシャルロット嬢に怒られるから」と説得していた。人が怒るかどうかを気にするのなら、これまでの行動も是非振り返ってほしいとシャルロットは思った。
しかし、それ以外の仕事自体は順調だ。客足も好調で、撫でられているマネキも機嫌がいい。
ただ、シャルロットも毎日ただ働くだけではない。
「明日は定休日だから、ゆっくりしててね」
シャルロットは賄いのトンテキを作りながらレベッカに伝えた。休日前なので遠慮なくニンニクを使用したご飯が進むメニューはいい音を立てながら焼かれている。
シャルロットも本当は『街で遊んできたらいいよ』と言いたいところではあるが、レベッカの立場を考えればあまり今は外出しないほうがいいだろう。うっかり面倒な連中と鉢合わせとなれば、どのようなことになるかわからない。
「シャルロットさんは、どこかに行くのですか?」
「私は山に行くよ。山菜摘みと、あと果物狩りだね」
明日、シャルロットにはどうしても狙いたいものがある。
それは『セウユース』という果実だ。
セウユースはミカンのような形のものだが、ちょっと臭くて美味しくないと一般的に認識されている。木自体は丈夫で繁殖力も強いため、『あるところにはどっさりある』というものらしい。ただ、需要がないので物好きな人間以外は取りに行こうなどと考えないし、栽培もしない食べ物だ。
シャルロットの故郷にはこの木はなかったし、特に研究もされていないらしいので書物にもあえて載っていない。だからたまたま市場で買い物をしていたとき、魚売りの店主と野菜売りの店主がカードゲームで『負けたらアレを食う』という賭けをしているのを見ていなければ、今も知らないままだっただろう。
しかし、シャルロットにとってはとても大事な使い道がある果実でもある。
(これ、絞った果実に塩を加えたら、醤油みたいになるんだよね)
ここで醤油が手に入ったら、喫茶店で出す軽食にもレパートリーが増えるはずだ。
例えばサンドイッチに照り焼きチキンというバリエーションを持たせることもできるし、ランチプレートに乗せているスープにも変化を加えたいため、調味料が増えるのはありがたい。
さらには賄いの丼の種類も増えるだろう。丼は比較的作りやすいものが多いうえ、どうやらレベッカが特に好きな食べ物であるらしいことをシャルロットは最近気付いた。
「その採集活動、私もお手伝いしても構いませんか」
「え? いいけど、結構歩くよ」
「魔術師としての演習でもそれなりに距離を歩きましたから、平気です。それに森は危険です。護衛の意味でも、魔術師は役に立つでしょう」
「護衛……。一応、エレノアもいるから大丈夫だと思うんだけど……」
確かに訓練をしていた元学院生の魔術師なら、そのくらいできて当然かもしれないが、慣れない日々が続いていただろう中で初めて訪れた休日に仕事を手伝えと言うつもりなどシャルロットにはない。
しかしシャルロットの肩に乗って二人の話を聞いていたエレノアはひどく乗り気だった。
「それはいい考えね。たしかに私もいるけれど、シャルロットってば何をしでかしても不思議じゃないし。監視役は多いにこしたことないわ」
「ちょっと。それ、私が危なっかしいみたいな言い方だけど」
「事実でしょうが」
その認識は非常に不服だ。
けれど、最初は敵対心むき出しだったエレノアがレベッカに対してずいぶん友好的な態度をとっていることにはよかったと思っている。
一緒に仕事をしているうちに、無事打ち解けてくれたらしい。
「もちろんお邪魔でしたら、諦めます」
「そりゃ邪魔なんかじゃないけど。本当にいいの? せっかくのお休みだよ」
しかしそんなシャルロットの念押しにも、レベッカの意思は変わらなかった。
行きたいと言うものを無理にとめる必要まではないし、別に来られて困るということなどなにもない。
「じゃあ、明日はお弁当持っていきましょうか」
そうシャルロットが言うと、『いってらっしゃい』とマネキがひとなきした。
どうやら、のんびりしたい猫は一日大の字で寝るつもりらしい。
それもまた、素晴らしい休日の過ごし方だ。
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そして、翌日。
シャルロットたちは早いうちから店を出発し、近くの森へと出かけた。
晴れすぎず、かといって雨の心配がない天気はありがたい。
「なかなか斬新な道を進みますね」
「目的のセウユースの実の場所は別のルートでもいいんだけど、それまでにグミの実も探したいからね。あと薬草もあれば持って帰るよ」
ただし足場は少し悪く、背の高い雑草が行く手を阻むことも多いが、レベッカも大して抵抗を見せることなくシャルロットに続いている。
(大丈夫っていってたの、本当なんだ)
シャルロットはレベッカが無理をしていたわけではないことに安堵した。服をひとりで着替えたことがなくとも、足場が悪いところを歩いたことがある……そのアンバランスさがどこか不思議だ。
(今度魔術科の話も聞いてみようかな)
聞いたところで使えるものではないと理解しているが、純粋に興味はある。
ただ、今最優先すべきことは採集活動だ。
そんな風に思っていると、シャルロットたちの頭上より少し上を飛んでいたエレノアが声をあげた。
「さっそく発見したわ。けっこう人間に良さそうな薬草よ」
「それは楽しみね」
「その向こうには期待してたグミも見えるわよ」
そういう具合で薬草や果実の収穫はなかなか順調に進んだ。
野生の果物は栽培されているものより甘味が少なかったり、癖が残っているものもあるが、それはそれでアクセントとなる。田舎ならともかく、王都なら珍しさも感じることだろう。
他の店と差別化を図るなら、こういうところにもこだわりたい。
「でも、そろそろお腹もすいてきたね」
「やっぱりエレノアが一番空腹になるの早いよね。レベッカさんはどう?」
「私も少し……ですが、この辺りはちょっと食事をするには開けていませんね」
「小川のほうは景色がいいから、そっちに行きましょうか」
シャルロットもせっかく外に来ているのだから昼食はできるだけ景色のいいところで楽しみたい。
そのため、小川が流れる方へと進路を変えた。
しかしそこでシャルロットの目に飛び込んできたのはよい景色ではなく、倒れている人間の姿だった。




