第一話 転生少女の第一歩
レヴィ養護院の職員の間では、五歳になるシャルロット・アリスは好奇心旺盛で、お転婆ながらも実年齢より大人びた子供であるというのが共通認識となっていた。
そして先日うっかり木に登って落ちてしまったときからより一層そうなった、と皆は思っている。
けれど、それもそのはずだ。
なんと言っても、シャルロットは二度目の人生を歩み始めているということに気付いたのだから。
(そうなったら、もう遊んでばかりじゃいられないよね!)
幸い養護院では三食の食事は出るし職員も優しい上、近くに幼年学校もあるので、五歳から九歳までの間は勉強を教えてもらうこともできる。
ただし、養護院には予算の限界がある。質素な生活には違いない。
食事は固いパンと水のセットが中心で、稀に具のないスープが追加されても美味しいとは言い難い。元々簡素な食事であることは理解していたが、記憶が戻ったことにより、さらにそれは味がないと感じるようになった。
あと、量も少々足りていない。
(だからこそ、職員さんたちも子供だけで森に入ること自体には怒らないんだよねぇ)
ただし、木登りをして落ちたことに関しては『無理をしないという約束だったでしょう!』としこたま怒られてしまったのだが。
とはいえ『食事が不味い』なんて言えば贅沢な我儘になることはわかっている。
栄養を与えられるだけで、ありがたい。
……しかし、そう思っても不味いものは美味しくならない。
そこで、シャルロットは考えた。
すぐに食事改革を求めても金銭がないのだから不可能だ。
だが、まずは美味しいものをどうにかして食べなければ気力が湧かない。
そう考え始めて、シャルロットははっとした。
美味しいものを購入することは困難でも、飲み物の味を改良して楽しむことは比較的簡単にできるのではないか、と。
(まず、お茶を作ってみるのはどうかしら? 前世でもハーブティーや薬草茶を楽しんでいたじゃない)
養護院があるレヴィ村では水か酒が飲料の中心だ。
ただし酒に関しては味よりも酔いを楽しむためのものだとされているため、基本的には水が飲まれている。お茶はほとんど浸透していない。第一贅沢品なので、まず子供に与えられることもない。
(そりゃ、ご飯の予算が足りないくらいだもん)
そこでシャルロットは早速その日からお茶にふさわしい草花を探すことにした。
(野草探しのついでに山菜でも見つかれば、副菜も増えるし! よし、それじゃあ行動開始!)
いずれにしても、まずは自分で動かなければ始まらない。
そう考えた結果、シャルロットは早速裏山で野草を摘み始めた。
幸い、山には前世で見覚えがある草花とよく似たものがたくさん自生していた。
(この辺りの人達はあえて食べてないけれど、調理できるといいな!)
しかし見た目だけで有毒かどうかは判断できないので、シャルロットは村の医師や薬師を訪ね、持ち込んだ草花を食べた場合の毒性を聞き取った。そして問題ないと判断されたものについて、その後美味しく飲める、もしくは食べられる方法を模索し始めた。
はじめは村の人たちも養護院の家族も、シャルロットのことを苦笑しながら見守っていた。
しかし最初こそ上手くいかなかったものの、一年もすれば地道なシャルロットの努力は皆から尊敬されるものに変わっていた。
***
そして月日は流れ、シャルロットは六歳の春を迎えた。
お茶の実験を繰り返しているうちにフローラルなものからすっきりしたものまで、いろいろな薬草茶をシャルロットは作り出していた。
そのこともあり、既にシャルロットは一人前の薬草茶売りとして村では認識されていた。
そして養護院の隣にある物置を改造した場所が、シャルロットの薬草茶工房になっていた。
その工房に、小さな人影が訪れる。
「シャルロット! テレサさんが何かお勧めのお茶を持ってきて欲しいって」
「え? 何かって……どんな?」
「おまかせって。シャルロットなら間違いないって、テレサさんは言ってたよ」
シャルロットは午前中に終わる幼年学校の授業を受けた後は、この場所でお茶の改良や飲み比べの実験をしたり、山に入って薬草集めをしたりすることが多い。
そこで同じ養護院の子供たちが小さな営業マンとなり村人から注文を受けたり、逆に売り歩いたりすることもある。シャルロットには心強い仲間だが、彼らもシャルロットの売上で夕飯のおかずが増えるのを楽しみにしているので持ちつ持たれつの関係だ。おかずは売上金で増えるだけではなく、村人からの差し入れも増えたため、時折夕飯のスープに鶏肉や魚が登場するようになった。もちろん、その日は皆で大はしゃぎをする。
だからこそ、シャルロットもその信頼を絶対に裏切れない。
「うーん。確かテレサさんって、香ばしいのが好きだったっけ」
少し考えたシャルロットが取り出したのは、チビエンドウのお茶だ。
カラスノエンドウに見た目は非常に似ており、どこにでも生えている。しかしこれを乾燥させてから焙煎すると香ばしくて美味しいお茶になるのだ。
飲み方はポットに熱湯を注いで飲む方法と、軽く煮出して冷ませてから飲む方法がある。
シャルロットは手近の紙に子供らしい字で『飲み方は前と同じです。お渡ししたスプーン一杯分に、熱湯を注いでください。飲み過ぎは注意』と、書いた。
「じゃあ、これを持って行ってきて」
「はーい!」
「落とさないでね」
「わかってるって!」
子供同士で注意しているのは周囲から見れば不思議に感じるかもしれないと思いながらも、大事な商品なのでやはり疎かにすることはできない。
「えーっと……声を掛けられる前までは何をしようとしてたっけ?」
そう思いながらシャルロットは机を見て、自分が書いていた途中の文章を見て思い出した。
「そうだ、ドライハーブがいい感じに仕上がったから、お茶の試飲をしようとしてたんだ。これはカミラさんからも食べて大丈夫ってお墨付きをもらったし」
カミラというのは村の初老の薬師だ。
彼女はシャルロットに対し孫に接するように丁寧に薬草について教えてくれる。ついでに雑談としてシャルロットが持ち込んだもの以外の薬草についても本を出してきて教示してくれるため、シャルロットは薬師の知識も蓄え始めている。
おかげで薬になる薬草も採取できるようになり、収入も当初より少し上がった。
そしてそんなことを思い出しながら、シャルロットは薬草茶を淹れる準備を終えると、近くの砂時計をひっくり返した。
「ええっと……まずは蒸らし時間は三分くらいかな?」
ハーブティーも部位によって蒸らし時間は違う。
たとえば花であれば香りが飛びやすいうえ、長く蒸らすと苦みも出ることがあるので三分程度としているが、葉であれば五分程度でも問題ないものもある。ただし、苦みが強いものであれば花と同じく三分程度で引き上げるのも大切だ。根や種子になれば、かける時間も長めになる。
シャルロットが今試しているのはレヴィという、村の名前にもなった薬草だ。
いや、正確には村人には雑草としか思われていない代物だ。踏まれてしまっても翌日には新芽を出すほど強い生命力を保っており、見た目はセリによく似ている。
(あまりにも見慣れてる上、邪魔でしょうがないから食べようって思った人もいなかったんでしょうね)
しかしながら、シャルロットはカミラの部屋の薬草事典を見ていた際、どうもレヴィにそっくりな薬草がほかの地域で別の名前になっており、なおかつものすごく健康的で素晴らしいものだと言われているらしいことを見てしまった。
ただ、文献だけではレヴィが同じものなのか、シャルロットにはわからなかった。
そこでカミラに尋ねたところ、彼女は驚いた。いつも見ていたのに気付けなかった部分に対して驚いた部分もあるようだったが、何より文献上ではその薬草は根付きにくいと書かれていたのに、村には大量に自生しているからだ。
『おそらくだけど……きっと、これはその生産地から、当時秘密裏に持ち出されたものじゃないかしら。昔はこの草は、大変貴重なものとされていたの。育成も難しいとされていたわ』
『え?』
『でも、何らかの条件が当てはまって、大量に育ってしまったのでしょうね。もっとも、今は改良された育てやすいものが出回っているんだけど……当時は厳しく、管理していたはずよ』
その言葉でシャルロットも理解した。
こっそり使うつもりで持ち出したにも関わらず、大量に育ってしまうとありがたみどころか手に負えない草となる。売るにしても密輸入したことがばれてしまう。
『とはいえ、今は秘匿されているものではないわ。味さえ悪くなければ問題ないんじゃないかしら。ただ、お茶にしている話はまだ聞いたことがないけどね』
そうカミラから言われたシャルロットは、美味しく淹れられればこれを村のお茶にしたいと考えていた。特産品として商人に売るのもよいかもしれない。
そう気合を入れて淹れたお茶は、悪くはない。
ただ、これなら乾燥させたオレンジの葉を一緒に入れるほうが美味しいかもしれないとも思った。
そんなことを考えていると、再び小屋に来客が訪れた。
「こんにちは、シャルロット」
「いらっしゃい、カミラさん!」
先ほど思い出していたカミラがやって来たので、シャルロットは嬉しくなった。
「いま、ちょうどレヴィ茶の試飲をしていたんです。いまから淹れ直すので、一緒にどうですか?」
「ありがとう。では、お願いするわね」
「はい!」
シャルロットは今度はオレンジの皮と乾燥させたレヴィにまとめて熱湯をかけていく。
それを見ていたカミラは笑った。
「シャルロットは凄いわね。みんな本当はお茶を飲むのに無意識の抵抗があったのに、一年でそれを取り去ったのだもの」
「え?」
茶に抵抗があったなど、そんな話をシャルロットは聞いたことがない。
疑問を深めていると、カミラは笑った。
「実は、ここの村にも紅茶を作ることができる茶葉があるの」
「本当ですか!? え、でも、だったらどうして……?」
「頑張ってお茶を作っても、どうしても渋みが勝るものになってしまってね。終いには田舎茶と馬鹿にされるものだから、みんなお茶そのものが嫌になっちゃったんだよ」
シャルロットが今までそれを聞いたことがなかったということは、ずっと前の話であるのだろう。
「まあ、草でお茶を作るっていう感覚が私たちにはなかったから、薬草茶とあの紅茶を同一視しなかったから飲めたっていうのもあるんだろうけど……なにより一生懸命シャルロットが作っていたら飲まなきゃって思って、それが存外美味しかったからみんな日常的に飲むようになったんだろうねぇ」
目を細めながら感慨深そうに言うカミラに、シャルロットは目を丸くした。
(渋い紅茶……?)
話しぶりから、作り方もだいぶ気を遣っていたと思われる。
作り方がわからなかったというわけではないだろう。しかしそれでも失敗したのであれば……。
「あの……その茶葉って、王都で流通する紅茶の葉っぱと、原材料は同じなんですか?」
「え? いえ、少し違うの。同じ種類の木だけど、小さい葉がつくの。見た目は違うけど、自然交配も起こる近縁種だから同じなのよ。王都のものは、大きい葉がつく木から作られているの」
シャルロットはその説明で、理解した。
(たぶんこの村の人が使ったお茶の木は中国種に似たもので、王都のお茶はアッサム種に似たもので作られているのかな)
緑茶、紅茶、ウーロン茶は兄弟のようなものなので、茶葉の製法を変えれば好きなものを作れる。
しかし、茶葉にも品種がある。
地球ではお茶はツバキ科カメリア属の植物を指していたが、それだけでも数百の種類があるといわれていた。その中で実際に茶として世界的に利用されているのは二種類で、大きく中国種とアッサム種にわかれていた。
お茶の特徴でいえばアミノ酸、カテキン、カフェインだが、中国種はアミノ酸が多くカテキン量が少なく、アッサム種はカテキンが豊富でアミノ酸の含有量が少ないのだ。
その結果、中国種の紅茶はやや緑茶に近くなり、アッサム種は強い香りがする。
(王都で飲まれているのがもしアッサム種の系統のものだとしたら、中国種のもので作っても慣れない味だと感じてしまったのかもしれない)
個性や好みだと言えば済むものかもしれないが、田舎の村から出てきた、いつもと違う品物を認めはされなかったのだろう。
実際の木を見ていないので断定はできないが、もしも想像通りであるなら、いっそまったく違うタイプのお茶として緑茶を作ってしまえないかとシャルロットは思った。
(悔しい思いをした人がこの村にいるっていうのも嫌だけど、みんながここにあるお茶の木を嫌いになっちゃってたらそれこそ嫌だし……!)
紅茶は香りを楽しみ、緑茶は味を楽しむものだと言われている。
それなら、アミノ酸を多く含むその木で、ぜひとも緑茶を作って皆に振舞いたい。
「ねえ、カミラさん。私にその木の場所、教えてもらえませんか? 紅茶じゃない、まったく違うお茶をその木で作ってみたいです」
シャルロットの申し出にカミラは驚いていた。
「シャルロット、あなた、紅茶を飲んだことがないのに違うお茶って、わかるの?」
「ええっと……紅茶を飲んだことはないけど、紅茶を飲んだことがあるみんなもびっくりするくらいのお茶を作りたいってこと!」
必死で誤魔化したシャルロットにカミラは苦笑していた。子供が、一生懸命夢を語っているように見えたのかもしれない。彼女は後日、シャルロットをその木のもとへ案内した。
そして新芽が出てしばらく経った頃、村には新たなお茶が出回るようになっており、すぐに皆に好かれることとなった。