第十七話 まずは一度、腹ごしらえを
「って言っても、主食になるようなもの残ってないから時間はちょっとかかりますよ」
「別に今更気にしないさ」
「言い出しっぺの殿下はそうでしょうけど……フェリクス様はどうですか? お時間、ありますよね?」
「あるというか、むしろここで殿下を放って帰ったと知られたら色々とあとがまずい。たとえ休みであっても、マズイ」
「ですよね。では、早速準備してきます」
レベッカはおろおろとしているが、特に反論はないので了承しているものだとシャルロットは見なすことにして立ち上がった。
そして厨房に向かおうとしたが、マネキがこちらの様子を窺っているのが見えた。
「どうしたの、マネキ」
『そのお客人は、まだ帰っていなかったのか? それならば、もてなしたほうが良いのかと思ったのだが……』
エレノアと一緒に二階に上がっていたはずのマネキは、どうやら客人が気になって降りてきたらしい。
「……やはり、巨大な猫だな」
「猫、お好きなんですね」
営業時間中もマネキと戯れていたが、この腹黒そうな人と猫の組み合わせがどうにもシャルロットには不思議だった。
だが、そんな中でもルーカスは大真面目に呟いた。
「ああ。抱きつきたいほどだな」
「はい?」
「その衝動を抑え込むのが大変だ」
ルーカスから飛び出した発言は想定外のものだった。
苦手どころかむしろ好意しかない反応は、決して冗談を言っているような雰囲気ではなかった。
シャルロットがマネキを見ると、マネキは『構わないが』とひと鳴きした。
「マネキがどうぞって言っていますよ」
「本当に構わないのか?」
「そんなこと気にする人、ここにいます?」
「人は構わないけど、猫に嫌がられたら少し困る」
「……当事者も構わないと言っているので、大丈夫でしょう」
程度によっては嫌われるかもしれないが、気にしているのであればそこまで酷い抱き付き方もしないことだろう。
シャルロットはそう判断した後、今度こそ厨房に向かった。
そして、厨房にはエレノアが仁王立ちで立っていた。
どうやら、状況はすべて耳に入っていたらしい。さすが精霊女王、地獄耳だと思わずにはいられない。
「えーっと……まあ、事後報告なんだけど、そういうことだからよろしく」
するとエレノアは盛大な溜息をついた。
完全に呆れている、といった具合だろう。
「まぁ、でも首謀じゃないわけだし」
「それはそうだけど! でも、なんか私は納得できないのよ。面白くない」
「でも、茶葉に混ぜられてるなんて普通の令嬢なら判断できないよ。判断できてたら、毒なんて飲みたくないでしょう」
シャルロットにはレベッカを強く庇うつもりはないものの、あの髪を見ればやはり不憫にも感じている。
「それにエレノアは前、ぎゃふんと言わせるっていってたじゃない。レベッカさんは反省しすぎているから、ぎゃふんとは言わないよ」
「……」
「なら、本当の原因を見つけて言わさないと」
「……それもそうね。まあ、あとで女のことは診るわ。悪いものが残っているなら、浄化する」
「ありがと」
渋々と言ったエレノアは、それでも納得はしていない様子だった。
けれど、言葉の上だけでも同意があったことにシャルロットはほっとした。
エレノアは嘘はつかない。だから、言いたいことはあっても確かに了承はしたのだ。
「……まぁ、少しほっとはしたわ」
「なにが?」
「シャルロットが『今楽しいし、原因なんてどうでもいい』なんて言わなかったことに」
その言葉にシャルロットは曖昧に笑った。根本的には、原因に興味がないことには間違いはない。
けれど、それには必要なことがある。
「だって、トラブルがあれば片付けないとねぇ。さすがに幻覚薬はよろしくないよ」
無視できるものに手間をとられることは面倒だが、妙なものを野放しにしていた結果、再び自分が害されるのは御免である。
ルーカスが言っていたことをすべて信じるわけではないものの、フェリクスが黙って聞いていたことを見ると、ある程度信頼できる状況なのだろう。いずれにしても、フェリクスが協力するという状況ならシャルロットも協力したい。
なにせ、シャルロットのために動いてくれたことがある大切な友人だ。
シャルロットがそんなことを考えていると、フェリクスが席から立ち上がって厨房前のカウンターまでやって来た。
「手伝おうか?」
「え? フェリクス様って料理するんですか?」
学生時代に何度かお茶を淹れてもらったことはあるので、フェリクスが普通の貴族より自分の身の回りのことをすることは知っていた。
(もちろん申し出なさっているんだから、できるんでしょうけど……)
しかし料理をする貴族男性がいるとまでは想像していなかった。
シャルロットの考えはフェリクスにも伝わったらしく、彼は笑った。
「簡単なものなら一通り。だから手伝いなら問題はない。話したことはなかったけど、実は無人島でも生き延びられるよう鍛えられてるから」
「……無人島? それって、衣食住全部っていうことですか?」
「一応。まぁ、服は繕う程度だけど」
「どういう経緯でそうなったんですか」
フェリクスは『程度』と軽く言っているが、それは普通の貴族男性が教わるものではない。それと同様に、そんなサバイバル生活は少なくともこの国の貴族に求められているものではないはずだ。
「騎士になりたければ野戦の練習くらいこなせるだろうと、父上にしょっちゅう連れて行かれた。そのうちいろいろ上達した」
「それは騎士に必要な技術なんですか?」
「あっても邪魔にはならないけど、あえて無人島でする必要はないかな。単に魔術師と剣士を両立させると主張する子供に、『これができなければ諦めろ』と言いたかったんだと思う。言わなかったけど」
相変わらず笑顔でフェリクスは言っているが、それを聞いたシャルロットは苦笑した。どう反応すればよいのかわからないということもあるが、それよりも幼少期からなかなか強情――言い換えれば、意志が強かったのだなと感じてしまった。
「ありがたい申し出ですが、とりあえずここは私とエレノアに任せてください。賄い食なんで、そんなに手が込んだ料理はしませんから」
「じゃあ、その言葉に甘えることにするよ。ところで、何を作るんだ?」
そのフェリクスの質問に、シャルロットは早速保冷庫から材料を取り出して満面の笑みを見せた。
「ネギ塩焼肉丼ですよ。丼ぶりものを作ります」
「ドンブリ?」
「まあ、完成品は見てからのお楽しみというものです」
シャルロットがそういうと、フェリクスはカウンターに座った。
「別に見ていてもいいですけど、大技はなにもありませんよ? そこからじゃ、背中くらいしか見えないでしょうし」
「気にしない」
「じゃあ、私も気にせず始めちゃいますね」
なにせゆっくりしていれば、食事がそれだけ遅れるのだ。
シャルロットは気合いを入れ直して、調理にとりかかった。