第十四話 会議の開始は閉店後(1)
まずはその言葉を聞いて、シャルロットは固まった笑みを浮かべる以外にできることがなかった。
その疑問に答えられるであろうフェリクスは完全に頭を抱えていた。
「ルーカス殿下、お願いですから順を追って話をしてください」
「いや、名乗りは大事だろう? すべての基本だ」
「それには同意するが、何もかもが唐突だ」
「なんだ、お前だって似たような名乗り方するだろう」
そんな二人のやりとりを見て、シャルロットもフェリクスと初めて会ったときのことを思いだした。確かに、今の対応ならばさほど差はない。しかしあの時とは違い今はシャルロットにとっては非常事態ではないし、頭は回る。そのうえ、ここは貴族が多い学院内ではなく、庶民が主要客である店だ。
まず、王族が来るなど思っていない。
ある程度『えらい人なのかもしれない』などと思っていても、余裕で想定を超えていた。
「あの……。それで、なぜ王子殿下がこの場所に?」
「それは、私が弟だと思って可愛がっているフェリクスに優秀な後輩がいて、さらにそれが面白い飲食店を始めたとあっては来ないわけにはいかないと思ったからね。しかも美人だったのだから驚きだ」
「いや、お世辞は結構ですので。それで、本題はどのようなことで?」
人によっては顔を赤らめかねないような表情ではあることには違いないが、シャルロットにはどうにも少々タラシのように見えてしまった。
加えて言うなら、その言動や姿に惹かれるよりも、ルーカスの隣にいるフェリクスが我慢の限界に近づいていることのほうが気がかりだ。恐らく相手が王子でなければ、実力行使で止めていそうだ。
しかし、ルーカスに慌てる様子はなかった。
「ねえ、君はもし受験し直せるって言われたら、受験したい?」
「え? 宮廷召喚師ですか?」
「そうだよ」
想定していなかった問いかけに、シャルロットはどういうつもりなのかと考えた。
受験不可能が通知された直後にフェリクスが奔走してくれた話は知っている。
ただ、もしも王子に伝えるだけでそれが覆るのであれば、その手はとうにシャルロットにも伝えられていたと、シャルロットは思う。実際に使うかどうかはともかく、そのような手段があるとするなら、少なくともシャルロットには相談がされていたはずだ。
そんなことを考えながら、シャルロットはきっぱりと言った。
「いえ、思いません」
「理由を聞いても?」
「今更過ぎるんです。そもそも私は国に仕えたいという願いを持っていたわけではありません。お店も始めたばかりですし」
言った後でここまで素直に言うのもどうかとは思ったが、楽しそうにし続けているルーカスの機嫌を損ねたことはないらしい。本当に勧誘する気があったのだろうかと、疑わしくも思ってしまう。
「なるほど、フェリクスが気に入った理由がわかった気がするよ。実に素直だ」
「ありがとうございます……?」
「じゃあ、別の質問をもうひとつ。君が受験ができなかった理由のご令嬢が、君に謝りたいと思っているんだ。許す許さないは別として、一度話を聞いてやることはできるかい?」
「え? それは、どちらの?」
「君を攻撃した令嬢だよ」
さらに想定外の質問に、シャルロットは目を丸くした。
そんなシャルロットに向かってルーカスはますます楽しそうな笑みを浮かべる。
「彼女、学院ではあの後卒業まで謹慎処分で、卒業後は実家の預かりとなったんだけど、一族の恥だとして縁を切られたんだよね」
「そうなんですか?」
「ああ。でも、不思議なことなんだよ。彼女はプライドが高いから、二年前までの彼女なら今回のような騒動を起こすことはなかったと思うんだよね」
「はぁ」
「恋は道を踏み外させると聞いたことはあるけれど、そもそもトラブルになり始めた当初、彼女は婚約者のことを好んでいなかった。なのに、どうしてこんな騒動に発展したのか知りたくてね」
「……つまり、その真相を知りたいがために、私に謝罪を聞くついでに理由を聞いてほしいと仰るのですか?」
その返事はにんまりとした笑顔だった。
ご明察、と顔に書いてある。
「異性で王族相手よりは、同性で後ろめたさがある相手の方が、話しやすそうだろう? 彼女も君に謝罪したがっているのだから、非常に都合がいいじゃないか」
そう堂々と言ったルーカスを見て、シャルロットはフェリクスがなぜルーカスを止めようとしていたのか理解した。
(だって、私が関わる理由がない気がする)
シャルロットは別に謝罪を欲していない。
相手方に問題があったことは確かにせよ、それを受けても今更何かが変わるとは思わなかった。
特に仕返しをするというような希望もシャルロットにはないため、相手がどのように過ごしていようが関係がない。
ただ、謝りたいと言っているなら、別に謝罪を断る理由があるわけでもないのだが……。
そうしてシャルロットが迷っている中、ルーカスは説明を続けた。
「実は彼女と争っていた女生徒にはお咎めどころか、事情聴取もないんだよね。確かにあの場では被害者だったかもしれないけれど、それを庇った君ですら問いつめられているのに……おかしくない?」
「さすがにそれは……殿下がご存じないところで、聞き取りがされているのでは」
いくら王子とはいえ、学院の生徒ですらない彼が全容を知ることは不可能なのではないだろうか。
しかしシャルロットの考えとは対照的にルーカスは挑発的な笑みを浮かべた。
「試してみる?」
「いや、結構です。っていうか、何を試そうっていうんですか」
どう考えてもろくなことにならないだろうと予想したシャルロットは、溜息をついた。
何を考えているのかなんて想像もできないが、敵に回せば厄介になるだろうことくらいはさすがにわかる。
「お話を聞くだけですよ。その後はお支払いを済ませて、お早めにお帰りください」
「意外と早い判断だね。もし渋ったら、君があの日騒動にかかわらなくても、別の騒動が用意されていたらしいと話そうと思ったんだけどねえ?」
「え?」
一番早く面倒事が片付くに違いない。
そう思ったシャルロットだったが、妙なことを耳にすれば多少は興味が湧いてしまう。
しかし質問を待つかのように構えるルーカスを無視するほうが、今の段階では無難かもしれない。もし何かあれば、あとでフェリクスから聞くことも可能だろう。
そうなれば、まずシャルロットが尋ねることは決まっている。
「既に、その元ご令嬢はお近くまでいらっしゃるんですか?」
「ああ、すぐ近くにいるから呼んでくるよ。フェリクスが」
フェリクスの顔を見る限り、あらかじめ言われていたことではないようだった。
しかしさすがにフェリクスも文句も言わず席を立った。
ただ、すぐには動かなかった。その代わり、シャルロットのほうをじっと見た。
「本当に呼んで構わないんだな?」
その気遣いはありがたいものの、残念ながら意志を変えることはできないのだが。
シャルロットだって、断れるものなら断る。
しかし――。
「だって、会わないとこの王子様が帰ってくれないでしょう」
つまりは、そういうことである。
無理矢理帰らせたところで、再びやって来るのも織り込み済みだ。
シャルロットの言葉を聞いたルーカスは笑みを深くした。
「判断が早い人は好きだよ」
「私は裏がありそうな方は苦手です。……ということですので、どうぞお気になさらず」
むしろこのままだと、ルーカスが帰るまで待たされるだろうフェリクスも可哀想だとシャルロットは逆に同情すらした。
(……やっぱり宮廷仕えしなくて正解だったのかも)
いったん店を出るフェリクスを見送りながら、シャルロットは心の中で溜息をついた。
(しかしご令嬢はこの長時間ひたすら馬車で待ってたのかな)
令嬢に同情するわけではないが、自分がこれほどの時間待たされていたら腰も痛くなるだろうなと思ってしまう。
そして仮に水分補給もままならないような状況だとしたら、水くらいは出したほうがいいのかとシャルロットが考えているうちに、件の令嬢は姿を現した。
そして、シャルロットはその姿を見て目を見開いた。
「え、誰……?」
そこにいた女性は、シャルロットが知る令嬢とは全く異なるシルエットをしていた。