第十三話 その来客は嵐の前ぶれ
アリス喫茶店の開店から約一月。
客足は途切れることなく、経営は順調だ。
(もっとも、スタートだけじゃなくて継続が大事なんだけど)
今月が大丈夫だといって、来月を油断しては意味がない。
シャルロットはそう自分に言い聞かせて気合を入れた。
「シャルロット、そろそろ一回お客さん落ち着きそう。ちょっと私にもお茶欲しいな」
「はーい。すぐ準備するね」
「じゃあここで座ってる」
そう言ったエレノアはカウンターの一番端に腰かけた。
客人たちもそれは見慣れた光景なので、同じくカウンターに座る常連の女性は「あら、エレノアちゃん。このクッキー、食べる?」といった具合にお菓子を渡しているくらいだ。
その女性はもちろんエレノアが精霊女王などということは知らない。ただの桁外れの美人だと思っているだけだ。
そしてここ数日でシャルロットには変化が起きていた。
いままで召喚師であるシャルロットが特別な力を使うには被召喚対象者……つまりエレノアに力を使ってもらうか、憑依をしてもらわなければいけなかった。
しかし最近、エレノアが近くにいるときかつエレノアが扱える属性に限ればシャルロットにも極々基礎的な魔術のようなものが使えるのだ。
(今使えたらなぁ、って思ったら使えたんだよね)
使えるようになった理由は定かではないが、これもさらに一緒に過ごした時間が長かったからなのだろう。
ただしエレノア自体にも理由はよくわからないらしいので、その答え合わせはできないのだが。
そんなことを考えながらシャルロットはエレノアにアイスティーを出した。
「ありがと。そういえば、フェリクスもグレイシーも来ないわね」
「二人とも忙しいからね」
学院時代からの友人であるグレイシーは、無事宮廷魔術師として就職した。
成績優秀なグレイシーであっても現在の訓練過程は相当厳しく感じているようで、シャルロットの近況を気遣う手紙にも疲れが滲み出ている。そして、訓練が落ち着けば必ずシャルロットの店に行きたいと結んでいる。
そして、一年早く訓練を終えていたフェリクスも、毎日忙しそうだった。
近いうちに様子を見に行くといった内容の便りはもらっていたが、いつという風には記されていなかった。
(でも、今日は休日だし……そろそろいらっしゃるころかな?)
そして、そんな噂をしていると本当に登場するものらしい。
少し人の出入りが落ち着いた夕方に、フェリクスは大きな花束を持ってアリス喫茶店を初めて訪れた。
「開店、おめでとう。遅くなって悪かったな」
「ありがとうございます。フェリクス様には繁盛しているところを見ていただきたかったので、むしろタイミングはぴったりですよ」
出資してくれているフェリクスには行き先不安になるような状況は見せられない。
少しずつ経営にも慣れた状況が見せられる今の訪問になったというのはとてもありがたいことだ。
「とびっきりのお茶をお淹れしますよ。それこそ、疲れが吹き飛んじゃうくらいの!」
「それは楽しみだな」
「そういえば……その、そちらの方はフェリクス様のお知り合いですか?」
はじめはフェリクスの登場で気を取られて気付いていなかったが、彼の左後方にはシャルロットたちのやり取りを楽しそうに見ている男性の姿があった。
年のころは自分たちと同じくらいか、少し上くらいだと認識できるものの、見覚えはない。金髪で、アメジストのような瞳を持っているのが印象的だった。
「……ただの置物だと思って問題ない」
「何を言ってるんですか。どう見ても人ですよ」
「いや、本人がそう言ってついてきたから、問題ない」
しかも動作の雰囲気がフェリクスと似ている辺り、十中八九貴族だと予想できる。
最近になってアリス喫茶店の噂を聞いた貴族がお忍びとして来店しているケースも増えたものの、この金髪の青年ほど『明らかに貴族です』と一目で判断できるパターンは多くはない。
しかし、ここまでフェリクスは誤魔化し方が下手だったかなとシャルロットが疑問に思っていると、青年が緩やかな笑みを浮かべた。
「初めまして、君が光の精霊女王と契約したお嬢さん」
「え?」
シャルロットはこの喫茶店の開店にあたり、そのことはあえて公にしていない。店でエレノアに関連する事柄と言えば精霊文字があるが、これも全く世に知られていない文字ではない。だから、精霊が働いているなどとは思われていないし、そもそもエレノアも人間のサイズで働いているので、一見して精霊だとわかるわけではない。
そう考えるとこの青年はシャルロットが精霊女王と契約したことを知る学院か城の関係者ということになるのだが……。
(見たことがないってなると、お城のほうの関係者? フェリクス様の同僚なのかな?)
しかし、それにしては妙だとも思う。
フェリクスと仲がよさそうならともかく、どちらかというと嫌がっている様子を見せているというのに、シャルロットの詳細を青年に伝えているとは思わない。
一体どういう関係なのだろうかと思うが、ひとまず今は仕事中。
「とりあえず、お好きな空いている席へどうぞ」
別に急いで尋ねなければいけない問題でもないと思ったシャルロットは、二人が着席するのを確認してから、水とメニューを持ってそちらに向かった。
(フェリクス様が連れて来られているのだから、本当に悪い人ではないと思うんだけど……よくわからないうちは、エレノアもあまり貴族には近付きたくないみたいだし)
エレノアの耳はいい。
離れていても、大体のことは聞き洩らさない。
そんなことを思いながら水を出すと、金髪の青年が首を傾げた。
「水?」
「こちらはサービスですので、お気になさらないでください。お代わりも仰っていただければ大丈夫です。そして、これがメニューです。ご注文が決まりましたらお呼びください」
シャルロットが渡したメニューに目を通し始めたフェリクスとは対照的に、青年はメニューを見ることはしなかった。しかし、彼の決断はフェリクスより早かった。
「あれをもらえるかな?」
そして指さされたのは、隣席の客が食べていたフルーツパフェだった。
ボリュームたっぷりのみずみずしいフルーツは、この青年の興味を大いに惹いたらしい。
「フェリクスも早く決めなよ。とびっきりのお茶、淹れてもらうんだったらお任せでいいんじゃないか?」
「茶を任せるにしても、それに合わせたものが必要なのですが」
「なら、それも任せればいいじゃないか。店主の目利きに間違いはないだろう?」
よほど早く食べたいのか、青年はフェリクスを急かしている。
(でも……この様子だと、この人はフェリクス様より格上の家柄なのかもしれない)
シャルロットには貴族のしきたりは分からない。
だからただの先輩という可能性もあるが、学院では先輩どころか教師すらフェリクスには気を遣っていた。侯爵家の嫡男というのは、それほどの扱いを受けるものであるらしいことは分かっている。
だからそのような中で、ただの先輩だというだけでは少し物足りないような気がした。
シャルロットがそうして様子を窺っていると、フェリクスはメニューを閉じた。
「シャルロット、悪い。任せてもいいか?」
「ええ、もちろん」
しかしフェリクスの言葉でシャルロットは一旦思考を打ち切り、厨房に戻った。
ただ、もしかするととんでもない客が来店したのかもしれない。
もっとも、それも近づいて来たマネキと戯れ始めた青年と、頭を抱え始めたフェリクスを見て、『やっぱり気のせいかもしれない』とも思ってしまったのだが。
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それから、何度か追加の注文をしつつ、フェリクスたちは店の閉店までゆっくりと時間を過ごしていた。
そして最後の客が帰った後も、まだ立ち去る様子は見せなかった。
(っていっても、フェリクス様だけならむしろこのままご飯でも食べて行ってくださいっていいたいんだけど……)
問題は、この青年のほうである。
結局いまだ何が目的なのか分かっていないが、とにかくよく観察されているようだった。
そして何となく、相手が話をしたがっているのは理解できる。
「ごめん、エレノア。マネキと先に上にあがっておいてくれる? マネキももう眠そうだし」
エレノアは少し離れたところで、どうせ内容は聞いている。
だが、もしも相手に話したいことがあるのなら、人目のあるなしは変わってくることだろう。
エレノアは了承し、マネキを連れて二階に上がった。
それを見て、青年が肩を竦めた。
「本当に、君が宮廷召喚師になれなかったことは我が国の損失だと思うよ。気遣い、ありがとう」
「いえ、それより、どんなお話があるんでしょう?」
話したいことがあると予想はできても、内容まではわからない。
素直にシャルロットが尋ねると、フェリクスが頭を下げた。
「ほんと悪い。疲れてるだろうに。引っ張って帰ってもいいんだが、放っておいたら勝手にまた無茶苦茶言いに来そうで……」
「こら、人を厄介ごとみたいに言うのはよしてくれないか?」
「どう考えても厄介でしかないだろう」
互いに遠慮なく主張をぶつけ合った二人だが、どうやらこの調子であれば、何かが起こりそうになってもフェリクスがかばってくれるらしいことをシャルロットは理解した。
ならば、尋ねることに特に怯えなくてもよさそうだ。
「それで、金髪さんは私にどのようなご用件がおありなのです?」
「金髪さん、か。そうだね、まずは自己紹介をしないといけないよね」
そして青年は、堂々と名乗った。
「私はルーカス。セレスティア王国第二王子だよ」