第十二話 そして、プロローグへ
開店の準備がほぼほぼ整いつつある中、シャルロットはメニュー表を作成していた。
こちらの世界にあるメニューはほとんど文字ばかりなのだが、なにぶんシャルロットのパフェやプリンアラモードは文字だけでは通じない。だからそれらを含め、王都で珍しいだろうメニューには極力絵による解説を入れようと試みた。
「ねえ、シャルロット。これは何の絵を描いてるの?」
「カステラっていうケーキの一種よ。エレノアも好きだと思う」
「あら、それは楽しみね」
カステラは日本で独自の進化を遂げた和菓子であり、この世界にはなかった菓子でもある。ハンドミキサーがなければ生地がもったりとするまで共立てで混ぜるのは疲れる作業ではあるのだが、幸いここは光の精霊女王であるエレノアの力が大活躍する。
少し値は張ったもののひとつ泡だて器を作成すれば、エレノアに風の力を借りて電動泡だて器もどきの完成だ。この力に気付いたおかげで、卵白からメレンゲを作るときもずいぶん楽になった。
(薬草茶には緑茶みたいな雰囲気のも多いから、カステラってけっこう合うんだよねぇ)
他には薬草を混ぜた米粉団子も用意した。これは白玉団子代わりに抹茶パフェにでも入れてみようかと考えている。もちもちした触感の食べ物が少ない世界でどう受け止められるか未知数なので、まずは小さいサイズを入れて反応を見てみたい。
「美味しそう。試食は任せてね? 私、リーダーなんでしょう?」
堂々と強く言い切るエレノアに、シャルロットは苦笑した。
ほかにもメレンゲの性質を利用したふわしゅわパンケーキに季節のソースをかけたものなども考えていると伝えたら、きっと彼女は喜ぶだろう。
「そうだ、エレノア。私、ミルクをすごく細かい粒で泡立てたいんだけど……手伝ってくれる?」
「ミルクを? たぶんできるけど、どうして?」
「面白いものを作りたいの。ミルクをすぐ温めるから、付き合ってくれる?」
疑問を浮かべるエレノアの前で、シャルロットは膜が張らないように気を付けながら牛乳を温めた後、ミルクピッチャーに移した。
そして次に用意したのは、ハンディータイプのミルクフォーマーもどきだ。棒の先にあるコイル状の針金が高速で回転すると、きめ細かい泡ができる。そこからだいたい、牛乳が一・五倍程度のかさになれば完成する。
「これもお菓子にするのかしら?」
「近いけど違うよ。……ところで、こちらは少し濃い目に入れてた抹茶なの」
シャルロットはミルクを温めるときに用意していた抹茶をエレノアに見せた。
実は他にも薬草を挽いたお茶も作っているが、今日はまず抹茶を選んでいる。
シャルロットはまず四十五度程度に傾けた抹茶が入ったカップに静かに牛乳を注ぐ。
それがカップ半分の高さまできたときに、ピッチャーを近づけて残りの牛乳を落とすようにゆっくりと淹れた。その過程でカップを揺らし、抹茶の水面にハート型の形を描く。
「絵…? 面白いわね!」
「でしょう? ハートを三連にしたり、ピックで絵をかいてもいいんだけど……あんまり絵は得意じゃないから、文字かな。カップじゃなくてグラスに入れて、薬草茶とミルクの二層にしても綺麗なんだよ」
「いいわね。ねぇ、私の名前も書いてみてくれる?」
「もちろん」
そしてシャルロットは新たに淹れたお茶にミルクを入れ、ピックでエレノアと書いた。
緑のキャンバスに白の文字はよく映える。そして、それを見ていてふと気がついた。
「ねぇ、エレノア。精霊にも精霊特有の文字ってあるのかしら」
「あるわ。人のものとは違うわね」
「それをここに書くことって、できそうな文字?」
「ええ。なんなら、対照表でも作りましょうか?」
「助かる! 妖精文字のラテアートとか、すごく興味あると思うんだよね」
そう言うと、エレノアも満足そうだった。
さすが精霊女王、種族の誇りはやはり強い。
「とりあえず、明後日にチラシと試飲を持ち歩いて宣伝する予定なのよね?」
「うん。そのうえで、このチラシを持参してくれたらクッキーをサービスしようかなぁって」
「いいんじゃない? お客さん、たくさん来るといいわね」
「うん。エレノアも配膳係をよろしくね。あと、マネキが緊張していたらリラックスさせてあげてくれると助かる」
「任せてなさい。なんたって私はリーダーなんだから!」
自信満々に言うエレノアを見て、シャルロットはよほどその響きが気に入ったのだろうなと思ってしまった。
**
翌々日。
シャルロットは公園や中央通りで人間サイズになったエレノア、それから蝶ネクタイでおめかしをしたマネキとともにチラシ配りを行った。
一緒に魔力で作った小さな一口グラスに入れたお茶を配ったが、珍しいものに反応はなかなか上々だった。
(怪しまれることもないのは、マネキのお陰かも)
チラシはともかく、試飲については初めは多少の不安もあった。
なにせ試飲という文化が、少なくとも王都には根付いていない。
しかしマネキを珍しく見ていた人に『撫でてみますか?』からの『実はお茶のお店をするんです』からの『こういうものをお出しするので試しにどうぞ』の三連コンボで上手く誘導できたのは大きかった。
そしてさらに五日後、いよいよやってきた『アリス喫茶店』の開店日。
シャルロットは期待を込めて店のドアを開けた。
シャルロットとしては『これから徐々に人がやってきてくれたら嬉しい』と思っていたのだが、店の前にはすでに数人の客が待っていた。
「いらっしゃいませ! お待たせしました。本日よりアリス喫茶店、営業いたします!」
驚きはしたものの、シャルロットは笑顔でしっかりと歓迎の旨を伝えた。
一気に店の中が満員になるというわけではなかったが、シャルロットの予想を上回る人出には感謝しかない。
「珍しいメニューね。図解があるなんて」
「これはどんな味がするのかしら。とても興味があるわ」
「ねえ、妖精文字って書いてあるわ! 私の名前をお茶に描いてもらえるの!?」
「ねえねえ、あのマネキちゃんもいるわ。順番に挨拶に来てくれてる! はやくこちらにも来てくれないかしら」
驚く客にエレノアが順次注文を聞きに行ってくれる。
思ったよりも多い来客にシャルロットもオーダーを聞きに行ったほうがいいのではないかと思ったが、思いのほかエレノアの注文を受ける要領はよく、あっという間に注文票がやってきた。
「がんばれシャルロット」
そう笑顔で注文票を渡してくれるエレノアは、シャルロットも読める、そして本来エレノアが使わないセレスティア語で書かれている。
シャルロットはそれを見て、気合を入れ直した。
「よし、どんどん作るよ! よろしく!」
そしてその日は休む間もないほどの忙しさだった。
それは来店した人々が友人等に店のことを話してくれたことが幸いして、更に新たな来客がやってくるといった好循環が発生したお陰で、若干延長営業をせざるを得なくなったくらいだ。
中には当初チラシ特典のクッキーのみ受け取って帰る予定だった客もいたが、盛況な店内で珍しいものを食べている、飲んでいる客を見て思わず注文してしまう、といった様子の者も見られた。
もちろんそれだけ賑わっているのであれば、待ち時間が長くなるときもある。しかし、その待ち時間の合間にも、マネキが客を飽きさせないサービス精神で活躍してくれた。なにせマネキには見ているだけで人を飽きさせない癒しの力……もふもふ、ふわふわの毛皮を持っている。撫でてもらうサービスや、直接マネキにお菓子を渡すという体験で楽しんでもらえたのだ。お菓子についてはマネキも魔力を補充できてとても喜んでいた。
それに加えて並んでいる当人たちへのお菓子の振る舞いもあったおかげで苦情には発展せずシャルロットも胸をなでおろした。
「……今後テイクアウトのメニューを導入するっていうのもなくはないんだけど、それだと私の手が回らなくなると思うのよね」
「まあ、いずれ軌道に乗れば人を雇えばいいんじゃない。最悪、こっちに来たいって言う妖精を何人かスカウトしてくるわ。お代は素敵なお菓子っていえば喜んで来てくれるわよ」
「うーん、それも申し訳ないんだけど」
「いや、どっちかっていうとお金とか貰っても私たちあんまり嬉しくないし。本当に必要なら今からセレスティア語を覚えさせておくわよ? ……っていいたいところだけど、どうせ今も覗き見られてる気がするから今頃勉強を始めた子もいるかもしれないけど」
それはそれでありがたいような怖いような気もする。
そんなことを思いながらも、シャルロットは応援があること自体はありがたく思った。
(でも、やっぱりお給料でちゃんと雇いたいし、霊界で使えなくてもこっちで使ってもらってもいいし……誰にお願いするにしても、まずは目途がつけれるようにがんばろう!)
そんなことも頭の片隅で考えつつ、シャルロットはまずはゆっくり休むことにした。
翌日も朝は早い。
マネキやエレノアには心からの御馳走を振舞い、早々に眠りについた。
**
翌日以降も、アリス喫茶店は順調だった。
マネキはどこを撫でられても気持ちがいいらしく、行列が解消した後はソファー席の客に撫でられ続けていた。
シンプルなエプロンのエレノアは優雅かつ華麗に、素早く配膳を行っている。それはオープン前には『これが時々人間がするという変装よね』と、落ち着きがなかったのが嘘のようだった。
(でも、本当によかったな)
二日目ながら、シャルロットは昨日の出来事は夢でなかったのだとほっとした。
皆のおかげで店が開けた。そして初めて来る客が驚く姿を見たり、喫茶店を楽しんだ客に『また来るよ』と声を掛けられたりすることはとても嬉しい。
しかしまだまだ始めたばかりだ。
この程度で満足してもらっては困る、もっと頑張ろうとシャルロットは自分に気合を入れた。