第九話 森はまるで宝石箱
翌日、エレノアを見送ったシャルロットは王都近くの森に向かった。
王都の端から森の入り口までは歩いて約一時間だ。
そこそこ距離はあるが、馬を借りると薬草採集の平均賃金よりも高い借賃を払うことになるので、シャルロットの交通手段は徒歩一択だ。
そもそも幼いころから森に囲まれたレヴィ村で山や草原を遊び場にしていたシャルロットにとっては、一時間程度の距離は散歩の感覚しかない。
「さて、到着。いい収穫になることを願いますか」
そしてシャルロットは地図を取り出した。
この森は学生時代から何度も来ているだけあって、お手製の薬草分布図も書き込みがびっしりだ。
一応大体はどこになにがあるか記憶しているが、万が一にも抜けがあったら悲しくなるので確認は大切だ。
「えーっと……とりあえず今日は、東側に向かおうかな」
シャルロットの今日の主な目的は春集草にコマメエンドウ、それから雪解けイチゴだが、そのほかにもあれば欲しい薬草はある。
まず一つ目は『モモギ』という薬草を得ることだ。
モモギはヨモギにとても似た形の植物なのだが、ヨモギと違って薄桃色をしている。初めに見たときにシャルロットは『食べれるのかな?』と疑問を抱いたが、神話時代から登場するほど由緒正しい薬草だ。
ただし森に入ればどこにでもありすぎるということから単価が安く、採集を生業としている者たちからは敬遠され、市場ではあまり見かけないという薬草でもある。
「年中摘める薬草だけど、春先は特に苦みも少ないからお菓子には特にいいんだよね」
逆に茶葉として使うのなら花が咲く前の初夏が最適なのだが、ほかの季節でも美味しいうえ、ピンク色の彩りはぜひ取り揃えておきたい貴重な色合いだ。
モモギ茶の茶請けにモモギ入りスコーンと組み合わせれば、なお季節が表現できて楽しいだろう。
「新芽を茹でておけば、冷凍保存もできるし。……まぁ、私の魔力の問題で量に限界はあるんだけど、雪解けイチゴも冷凍したいから一緒だよね」
野イチゴの一種の雪解けいちごは、酸味と甘みが絶妙な具合でマッチしている。
栽培がされていない種類であることから、これを手に入れるには自分で向かうしかない。
それから、可能であれば東側の一部で咲き乱れているはずの菜の花の様子も見に行きたい。
日本でも三百種類以上あったこの花は、この世界にもよく似た姿で存在している。
さすがに今日摘んだものを開店予定日まで保存することは難しいものの、天ぷらやおひたしなどにして、自分の食卓を彩ることは大切だ。
そんなことを考えながら森を突き進んだシャルロットの収穫は、思いのほか順調だった。もともとモモギなどは手に入らないわけがない薬草ではあるが、状態がよいものがたくさん入手できたことは喜ばしい。
さらに新たな雪解けイチゴの群生地も見つけ、みごと大量の果実を獲得することもできた。はじめは動物や鳥に食べられていることも考えていたがそのようなことはなく、さらに想定以上のイチゴが収穫できた。
「……どうせなら、もっと大きなカゴを持って来ればよかった」
限界近くまで摘んだ籠を背負いながら、シャルロットは菜の花畑までやって来た。
菜の花はカゴに入らないだろうことが予想できるので、せいぜい自分が手に持てるだけの量しか摘めないだろう。
ただし、もともと自分が食べる量だけなら問題ない。
(どうしても欲しいなら、明日も来ればいいし。エレノアも来たがってたし)
そう言いながら、シャルロットは近くにあった手ごろな岩に腰を下ろした。
そしてシャルロットは昼食を肩から下げていたカバンから取り出した。
今日、シャルロットが持ってきている昼食はカスクートだ。バゲットに薬草をまぶして焼いたベーコンと、つぶした卵をマヨネーズで和えたものを入れている。
実にシンプルな味わいで、水筒で持ってきた薬草茶ととてもよく合う。
「お昼も美味しいし、準備も上々だとは思ってるんだけど……まだまだ驚かせるものってあるはずだよね。驚かせるっていうか、惹きつけるっていうか……」
喫茶店という様態は珍しく、一度知ってもらえればリピートしてもらえる可能性は信じている。けれど訳がわからない店を開くというのは、一度目の訪問までのハードルを上げていることも事実だろう。
「とりあえず広報は試飲やチラシかなと思うけど……あとは何があるかなぁ」
そうしてカスクートを食べながら考えていたとき、シャルロットはふと一つのお茶の形式を思い出した。
この世界ではまだ見たことがなく、かつ、自分も現状ではできないお茶が、ひとつある。
(でも、あれって……もしかしたら、エレノアと協力すればできるかも……?)
そう思ったシャルロットは昼食を終えたあと、菜の花をいくつか摘んで帰路を急いだ。
そして薬草に必要な処理を一通り施した後、エレノアを迎えるためのお茶とお菓子の準備に励んだ。作ったお菓子は四号サイズの雪解けイチゴのタルトだ。たっぷりとカスタードクリームを塗ってからイチゴを並べれば、とても美味しそうな一品の完成だ。
「よし、これで大丈夫」
お茶には今日摘んだばかりのモモギを使ってもよいのだが、モモギは天日干しをせずに生のまま使うと少し青臭い味が残ってしまう。それなら、仕入れていた紅茶のほうがよく合うに違いない。少し待てば美味しくなるものを早く食べるということが、シャルロットにはどうにもできなかった。
お茶の準備も終わらせたシャルロットは、床に召喚陣を描いた布を敷いた。そして、その上に小さなテーブルとお菓子類を置く。
そしていつも通り召喚しようとした……はずだった。
しかし、シャルロットが自ら召喚の道を開く前に、陣が急に光り出した。
「ちょ、なに?」
あまりの眩しさにシャルロットは腕で自分の目を覆った。
その後、光はすぐに収まった。
そして腕を目から外したシャルロットが見たのは……。
「……ね、こ?」
記憶にある範囲では、たしかに猫と呼べる形をした生物だった。
しかしそれを理解してもなおシャルロットが疑問形で口にしたのは、そのサイズが原因だった。
目の前の生き物はまったく獰猛そうには見えないし、むしろ動きも非常に遅そうに見えるのだが、サイズはどうみてもトラだった。
同じ猫科ではあるだろうが、『何か違う』とシャルロットが思ってしまうのも無理がないくらい、大きかった。