#9「ダリルの戦い」
全身を巡る魔法陣をフル稼働させた。足先から腕、胴、背中、体中の幾何模様がチリチリと細かく明滅を始める。肉体強化、出力強化、感覚強化、最後に申し訳程度の治癒魔術。出血程度なら止められる。同時に俺の命の根源から力がごっそり持っていかれるのを感じた。
そして、頭蓋骨に刻まれた魔方陣にありったけの魔力を入力する。呼応するように全身の幾何模様は、俺へ焼きゴテで押された烙印のように激痛を与えた。続いて頭の中が煮えくり返ったかのように熱を持ち始める。はははっ、生き残っても虫の息だこりゃ。だが構いやしない、アンジーを、アンジーだけは絶対に助ける。
ついに痛みが知覚出来なくなり、金属を響かせたように音叉した感覚が止まない。
「あ"……あ”……がっ……あ”あ”あ”」
唾液をダラダラ垂らし、目は焦点が合ってないだろうな。
視界が赤から青、緑、また赤と転換を繰り返す。
頭の中をゴンゴンと響いていた鐘が止んだ。
やがて視界が暗黒に包まれると、そこに浮かび上がってきたのは赤い影と白い影、アンジーとヒューイだ……まだ生きてる。そして緑に滲む影……カイトか……。こいつを頭蓋骨のキルリストとして指定する。
これを入力したからには、魔方陣が砕かれるか、カイトが死ぬまでこの状態を解除出来ない。俺がたとえ切り裂かれようと、この身体が吹き飛ぼうとも、魔方陣がある限り……"魔方陣単独で動き続ける"詰まる所、肉体は無くとも光る網目模様が戦闘を続ける。
目標となるカイトを見据えると、アンジーをいたぶっていた奴が俺を見て、止まった。おらおら、もう遊びじゃねーんだ、余裕のそのツラを八つ裂きにしてやる。
するとカイトが口を開いた。
「そんな奴、前にもいたな、木っ端兵ごときも工夫するもんだ」奴は続ける。
「前の世界でお前みたいな捨て身の奴はウジャウジャいたよ、いい加減鬱陶しい気分になってきた」
前の世界だと、何を言ってやがる……。
動きの止まったカイトの視線の先をアンジーは振り向いてしまい、嗚咽を漏らす。
「あぁ……ダリル……そんな……そんな姿に……ごめんなさい……ごめんなさい……、私、ちっともコイツに刃が立たなかった……」
そんな彼女の腕と足はあらぬ方向に曲がり、身体を起こす事もままならないようだ。ヒューイは彼女とカイトの間に立ち、今にでも崩れそうになりながらも彼女の盾となっている。
一体俺は今どんな外見なんだろうか……、アンジー、そんな顔をするなよ……。もう、お前はこんなクソみたいな仕事を辞めてどっかに嫁げばいい……。数分間、コイツ相手に単独で生き残っただけでも上出来だ。アンジーへそう伝えたかったが口がもう動かない。
「あ”……ア”……ア”……ジー……」
これが関の山。アンジーがそんな俺を見て愕然としている。
横でズタズタのまま息を切らしていたレッカーに治癒魔術を掛ける。ほんとに申し訳程度だが、少しはマシになるだろう。声を出せない俺は、レッカーの目を見てなんとか伝える。アンジーを、アンジーだけは連れ帰ってくれと……。レッカーは俺を真っ直ぐ見据えた、こういう時ばかりは素直なんだ、レッカーって奴は。
―――約束する―――
レッカーはゆっくりと瞬きを返し、その返事が確かに俺へ届いた。……なら心残りは無い、頼んだぞレッカー……。もうすでに活動充分の魔力を魔方陣へ与えきった、ありったけをくれてやった。
さぁ存分にやってくれ魔陣スケルトン、お前の力で存分に暴れてくれろ。
視界がぐわんと広角に伸び、スケルトンに支配された身体は奴へ急接近を始めた。先刻までとはケタが違う速度と反射能力、僅か1秒未満で奴の眼前へ到達する。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァァァァァァ!!」
スケルトンの視界を通して暗黒に浮かぶ緑影だけを睨む。同時に奴はドシュッと移動音を鳴らし横方向へ駆けた、一瞬で真横へ移動されるがこの視界は320度以上を知覚している。
奴は2m程飛び上がり、槍を振り貫く。
同時に俺の左手に刻まれた魔方陣がギラリと輝き、轟音を掻き鳴らした。瞬間、真夜中を昼間に変えたそれは幾重にも乱れ飛ぶ青白い雷撃の嵐。翼竜の巣で空中から群がる翼竜共を一撃で蹴散らした魔術だ。
空中にいた奴は魔方陣の輝きの瞬間、槍を5枝の放射状に開き。そいつから手を離していた…。防がれたか…。
渾身の雷撃は槍にのみ吸収され独特な焦げ臭さが周囲に漂う。煙を突き破った奴の影は恐ろしい加速で俺へと突っ込む。奴は既に俺の眼前、ぐるんと1回転を加えた徒手を振るい貫かれ、避け切れず直撃した。
恐らく肩の骨格的な接合が粉砕されただろう、が、スケルトンの支配には関係ない。骨や筋肉があろうとなかろうと、魔方陣そのものが可動するのだ。
奴はもう至近距離だ、チャンスを逃すまいと右手を振るう。右手のカービンブレードはついにスケルトンの魔力に隠れ刀身すら見えなくなっていた。そいつを下方向から斜めに斬り上げる、斬撃は容易く回避されブィンと心無く空を切り裂く。仕切り直しだ…十数メートルに及ぶバックステップの後、斜め横方向へ加速。
既に奴の手元には槍が戻り、上体を1回転させ勢いと共にその刺突は繰り出された。
10枝、これまでで最速最多の刺突だ。
ちくしょう避けられるか、こんなの……。
横方向へ加速している俺は魔方陣を傷つける致命点以外の回避を諦め。腕、胴、足の順に持っていかれる、後方の視界には長年共にした手足が置き去りにされて慣性に任せて転がっている。胴も両断され分離している、が、スケルトンの魔方陣は未だ無傷。まだやれる……まだ……まだ動く……。
あと1分、意識が持てばいい、脳ミソだけ守ろう。
カイトは緑の軌跡だけを空に残しながらジグザクに駆け出す。なんて速さ……、スケルトンの視界が無ければ一瞬で見失う速度だ。一間置いて殺意をより一層と滾らせた奴はさらに加速し、その複雑機動を極める。
追い……切れ……ね……ぇぇ。
俺の後方上空を常に取る動き。それは、俺にとってそこに1秒でも位置取りされれば即死を意味するデッドゾーンだ。奴はそこに巧みに瞬間的な移動を繰り返し、ベッタリとそこに張り付く。こいつは遊んでやがった。
320度の視界の端に映る奴の影には、奴の手には槍が無かった。
どこだ!?どこにある!?奴の槍……。
高速戦の最中、見つけた、そいつは、その槍は俺の真正面から突っ込んでいた……。カイトは俺の真後ろ……、ちく……しょう……あの奇天烈槍、一人でに飛ぶのかよ……。
しゅらん、としたいくつもの剣が鞘から抜かれるような透き通った金属音。
槍が先端と後端で10枝に裂け、俺の身体を回り込むように10枝は避けて通り過ぎ。俺の前方と後方で"こより"のようにキュッと纏まる。奴の裂ける奇天烈槍は、結果として俺を"鳥篭"のように包んだ。
あぁ……、魔陣スケルトンでも数分と持たないのか……。
こうする以上に上手い方法はあったのだろうか……。
少しは、時間稼げたよな……。
アンジー、逃げてくれよな……。
「ルシールは、男女問わず血が大好きでたまらない女だったよ。彼女は本当に見境無く、誰彼構わず血を求めた。それでも彼女は美しかったんだ」
なんだと……知るかそんなの……。
「だからお前の血をルシールへ分けておくれ」
槍が裂けて作られた鳥篭の隙間から遠くに目を伸ばす。レッカーとヒューイがアンジーを咥えてヨロヨロと逃げ出している…。だが奴の目が届く距離だ、逃げてくれ……お願いだ……頼むから……。
俺は……カイトへ声も出せなくなった口をパクつかせてお願いをした。心がバラバラになりそうな気分だ、プライドではなく、アンジーが死んでしまいそうな事が。
(アンジーだけは、頼むからアンジーだけは見逃してくれ……)
そう伝えたい一心だった。
奴は、奴は……答えた……。
「ダメだ、それはダメだね、それだけはいけない、見逃さない」
前後から"こより"は勢いよく纏まり始めた。
俺は最期まで、最期まで奴に口をパクパクとお願……。
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ルシールの槍は、鳥篭のようなシルエットから一本の槍へと纏まった。鳥篭にいた人物は槍が纏まると同時に得体の知れない肉塊としてビチビチと飛び散り。凪いだ丘陵に、血と魔力瘴気が混じった濃霧が行き所無く立ち込める。ただ、ルシールの槍だけがその中でポツリと微動だにせず宙に浮いていた。
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ヒューイが私の上着の首周りを咥え、必死に、必死に奴から逃がそうと引きずっている。もうヒューイは何度貫かれたのだろうか……美しい白一色だったヒューイは……。体中の出血が転げまわった泥で固まり、変わり果てた姿となっても残り僅かな力を振り絞って歩みを進めている。
「ごめんね……ヒューイ、レッカー……」
レッカーは両手両足の骨が砕かれ、顔も痛々しく変形している…片目は既に零れ落ちそうなのに。必死に私達を守ろうと付いて来ている、自慢の剛腕も剛脚もへし折れて…とうに駆ける事は出来なくなっていた。一歩踏み出すだけでもとても痛いんでしょ?ごめんね……大切に出来なくて……。
ゴフゥー、ゴフゥー、ゴフゥー。
2頭の苦悶の息遣いが重なって聞こえる度に胸が張り裂けそうになる。
すると遠くで金属をいくつも擦り合わせたような連続音が聞こえた。
「だめよ……ダリル、ダリル、あぁ……ダリル、お願いだから……」
きっと、きっと、考えたくない、言葉にしたくない。
今すぐにでも振り返って、ダリルの元へ這ってでも行きたい。
でも、それはしてはいけない、この僅かな時間はダリルが命を掛けて作ってくれた時間。逃げなきゃ、奴から、少しでも。
ヒューイに引きずられている私の足の感覚はもう既に無くなっていた。私はもう、生き残っても歩く事が出来ない身体になってしまったのだろう……。後ろを向けば、いつのまにかダリルが追いついてやってくるんじゃないか? そんな一抹の希望が捨てきれず、何度も振り返ってしまう。
するとレッカーが、レッカーがついに歩めなくなりドサッと地面へ巨体を投げ出した。いつの間にか片目は零れ落ちて無くなり、もう片目は固まった血で塞がりかけている。私を向いて何度も何度も首を上にグイッグイッと上げる、それはまるで。
―――早く行け―――
そう伝えようとしているようだった……。その痛ましい姿に思わず涙が溢れる、愛竜一頭連れて帰れないなんて、騎手失格ね……。ヒューイは振り返らなかった、強い子なのね……ヒューイ。私はそっと曲がった手を持ち上げ、ピクリとも動かない手の平でヒューイの頬を撫でた。
「ごめんね、ダリル……ヒューイ、レッカー……こんな事に巻き込んじゃって……」
「グァ"ァ"ア"ア"ア"オオオ、グァ"ア"ア"ア"オオオ」
後ろで倒れていたレッカーが最期の一滴を絞るように唸り声を上げた。
私はレッカーをどうしても見届けたくて、最期の咆哮を聞き漏らしたくなくて。
後ろを振り返った。
カイトがいた。
「ここで殺すーなんて言ってさ、旗色悪くなると逃げ出すわ、命乞いするわ」奴に、奴に追い付かれてしまった……。
「それはいけないよ、それは許されない、罰を受けてもらおう」
ダリル、私怖い……。息が細かくなり乱れる、恐怖で押し潰されそうになる。
「でも安心しな、死は例外無く最期にやってくる、お前にも、あのダリルという男にもだ。俺にも多分そうなんだろう、そうであって欲しいな」
シュラン!シュラン!
金属を擦るような音が聞こえた。
レッカーは、10枝に裂けた宙に浮く槍で串刺しにされていた。
でも、まだ、まだレッカーはまだ絶命していなかった……。
カイトを睨み続け、腕をピクピクと動かしている……。
お願いだから……もう苦しまないで……。
奴は言葉を続ける……。
「こいつは大分頑張ったよ……褒めてやりたい位だ、だから一瞬で終わらせてやる」
シャキンッ!!
レッカーが飛び散った、鮮血と共に白毛が羽毛を散らせたように舞う。白毛が地面へ舞い降りるより先に、地面へ次々とレッカーの手足や臓物がベチャベチャ音を立てて落ちた。その光景が現実とは思えなかった、形を失った物体がレッカーだと思えなかった。
「次にコイツだ」
奴はヒューイの尻尾を掴み、細身のどこから湧いたのかと思う怪力で思いっきり引っ張り上げる。その勢いで、私とヒューイを繋いでいた上着がちぎれてしまい、私はゴロンと地面に投げ出された。引きずられて遠ざかるヒューイの顔は…助けを求めているようだった…。
宙に浮いた槍がヒュンと動き、奴の手に収まる。その奴の槍は、先端の部分が変形し丸く膨らんでいた。
「お願い……もうやめて下さい……この子達を苦しませないで下さい」
ヒューイは力いっぱい抵抗していた、唸り声を上げ続け、最期まで一矢報いようと力を振り絞っている。
それを奴は、奴は……。
槍を両手でハンマーのように持ち、ヒューイの頭へ向かって全力で振りぬいた。
ドゴンッ!!
バタバタと暴れていたヒューイはピクピクと痙攣を始め。
ドゴンッ!!
ヒューイの頭がひしゃげ、顎はあらぬ場所へずれてしまっていた。
ドゴンッ!ドゴンッ!ドゴンッ!
やめて、やめて、やめて……。
グシャ!グシャ!グシャ!グシャ!
転がったヒューイの目が私を見つめている。
ヒューイの頭が粉々になっても奴の打擲は止まらない。
ドチャッ!ドチャッ!ドチャッ!
もう…殴打する音ではなかった……。奴が槍を振り下ろす度に血糊が孤を描いて飛び散る。形を変えていくヒューイをただ、ただ、見ているだけしかできない。もう殴らないであげて…、もう…。
「……しぶとさは今まで見た中で随一だな、コイツらは」
一息ついた、とでも言いたいかのように奴は自分の額を拭った。ヒューイは……ヒューイの首から先は……力いっぱい踏み抜かれた果実のように潰され、頭蓋の破片と歯が奴の足元に撒き散らされていた。
酷い、酷すぎる……。
私はどうにか這いずって、変わり果てたヒューイに近付いた。そして、ヒューイの大きな手に、私の手を重ねた……温かい、そんな姿になってもまだ私を勇気付けてくれるのね……ヒューイ。
「くそったれな女神共によろしくな」
なによ、もう……。
ダリルぅ、ねぇダリル……私、最初の頃より、少しは強くな……。
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