#8「遭遇」
俺とアンジーは、カイトを連れ戻すべく砦街を出発し。獣竜に跨り東の丘陵地帯を目指していた。既に日は沈み、冷たい空気を纏った風が吹きすさぶ。遠ざかる砦街の明かりを眺め、哀れな街だと思いにふける。あの街の砦には将兵はおろか、兵隊すらろくにいない。
それは、災害に等しい存在である翼竜ダハーカが街へ出現した時。他の要所となる街に被害が及ぶ前に時間稼ぎする為に作られたからだ。あの砦街のシンボルとなる時計台の目的はなんだと思う、ダハーカが街を吹き飛ばした時、何日何時にやられたか後で分かるようにする為だ。
あの砦街は、はじめから見捨てられている。ただ、物流の一通過点としてようやく経済が成り立っているだけだ。
ズドドッ、ズドドッ、っと2頭の獣竜が乾燥した大地を踏み鳴らす。砂煙を後方に立上げながら、俺は眉間をしかめて考えていた。獣竜クリオリンクスの速度は時速60kmを超える。目的地までは40分程で到着できるだろう。
その場所で待ち受けるのは一体なんだ?
餌食にされたカイト、蠢く蛇竜ブッシュヴァイパーか。
調査グループに保護されたカイト。
単独でかろうじて生き残っているカイト。
どれも、そうじゃないはずだ、そんな予感する。
俺の勘がギャーギャーと大騒ぎしている。レイテルに対する聞き取り調査を終えてなお、釈然としない点がある。彼女は嘘はついていないだろう、喋ったのは恐らく事実だ。消えた情婦と女魔術師は誰の仕業なのか、何の目的で消されたのか? これまでの調査の中、事件の中心だけが黒い穴のようにポッカリ空いている。そして、その黒い穴にピッタリ嵌ってしまうのが、カイトという存在。
カイトは何故、野盗を退ける必殺に等しい魔術を扱える? そして、調査グループ、カイト、アンジーと俺。この事件の主軸がこれから一箇所に集結する。
経験上こういったパターンは最悪だ。
事前に調査グループと打ち合っておければ良かったか……。
感覚では、既に答えを出していたが頭の中で言葉に出来なかった。言葉に纏めたくなかった、リリーヤ・レイテルの涙に当てられたんじゃない。もし、言葉にならない予感が現実なら…そうなのだとしたら……。
「アンジー、気を引き締めろ、俺が合図したら…」
―――迷わずカイトを殺害しろ―――
アンジーは驚きの表情の後に怒りを露わにする。
「ちょっと!? ダリル何言ってるの!? カイト君を連れ戻す為に、今こうして向かっているんじゃないの! まさか!? あなた政治的な理由で行動していたりしないでしょうね!?」
息を長く吐いて、彼女に伝える。
「グラント家だとか北洋保は一切関係ない。カイトをレイテルさんへ連れ戻したいのは俺も同じだ。だがな、今から丘陵で待ち受けるだろういくつかの可能性の中。恐らく、あそこでは最悪な事が起こる。正直根拠もへったくれも無い、俺の勘が悪い方向でしか応えてくれない。」
アンジーは俺をギッと睨んでいた。
「アンジー、いままで俺の勘が外れた事があったか? 俺とアンジーが食い違った時、現実はどちらの予想を言い当てた? だから、カイトを殺害しなければならない事態になったら。迷わずカイトの頭をぶち貫け……いいな!!」
アンジーは仕方ないと大きな溜息と共に答える。
「いい? 今はその話聞いてるけど、もし予感が外れてカイト君を普通に連れ戻せたら、あなたのこと軽蔑するからね?」
「俺は予感が外れてお前に軽蔑される未来であって欲しいな、だがな、もし違ったら絶対に躊躇するな、じゃなきゃ死ぬぞ」
念を押して忠告する。
アンジーは渋々俺の言葉を聞き入れた。
「起こり得る状況の一つとして警戒するわ……」
「アンジー、機械弓の弦の張力を整えとけ、今はまだ気配はしないが、ブッシュヴァイパーも脅威だ」
アンジーは鋼鉄製の機械弓の弦を魔力で素早く引き。右手はグリップを握り左手はハンドガードを保持、しっかりと銃床を肩へ当てる。グイっと頬を付け照星を覗き、力を込めてガタツキが無いか確かめた。トリガーに指がかかると、機械弓はガチンッ!と作動音が響かせる。その弦の張力は指にでも当たれば、軽々とはじき飛んでしまう程。十字のシルエットをした機械弓は言いつけ通りに整備されているようだ。
俺は腕を捲り、全身に刻まれた入れ墨の幾何模様の一部を眺めていた。ありとあらゆる魔方陣が重なり、繋がり、複雑模様を形成している。拳を握り、感覚的に力を込めるとその幾何模様はぼんやりとシアンに発光した。ただの墨ではなく、スケルトンと呼ばれたバンディットの骨粉が混じっている。コイツは皮膚表面のみならず、頭蓋骨に至るまで彫り込まれている。ハゲがこれを彫ると頭が光るんだ、あれは笑えるもんだ。
それはとうに無くなった北洋保偵察部隊「プラウラー」の入れ墨、殺しの技術の結晶。ありとあらゆるご都合で艦隊直々の命令のみで行動する、秘匿部隊。今は北洋保の建前に解体されたが、俺の同期たる構成メンバーは未だ北洋保に在籍しており。世界中の辺境で燻る様に任務に当たっている。アンジーの背中と腕にも魔方陣が刻まれているが、これ程ではない。
しっかり、問題なく魔力が入力されている。これなら戦える。
ヒューイと俺の愛竜レッカーは、まっすぐと目的地を見つめ。この始めから見捨てられた土地を踏みしめながら駆けた。
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近付かずとも分かる、血の匂い。
何度も何度も嗅いだ戦場の匂い。
死体は無いのに、そこら中に飛び散っている血飛沫。明らかな不自然さ。
蛇竜と人間の血が、混じって撒き散らされている。
予定より早く丘陵地帯に到着した。
「ダリル……」
アンジーは周囲の惨状を目の当たりにし、俺の名をポツリと漏らす。俺達が跨る2頭のクリオリンクスは既に戦闘体制のプレッシャーを放っていた。
「アンジー、いいか最初に見つけろ、不意の先手を喰らったら死ぬぞ」
時速20km程に速度を落とし、連なるハゲ山の尾根から尾根、先の先まで目を凝らす。
夜風は凪いでいた、無風の丘陵に咽返るように血の匂いが立ち込める。
少し移動して、それは目に入った。
20頭を越える蛇竜ブッシュヴァイパーの死体の山。
そこに立つ異形の影。
そいつはじっと、翠に光る目で俺達を見つめていた。あの宿で感じたモノと同じ恐ろしい重圧と視線が俺達を刺す、距離は100m以上ある……ここから仕掛けるにはギリギリ足りるか……。
覚悟を決めて叫ぶ。
「カイトかぁ!! お前がカイトなのかぁッ!!!」
額から汗が滲む、手で拭うとベッタリと脂汗が染み付いた。静寂の一間、この問いの答えで俺の勘の正否が決する。
「そうさ、楽しみに待っていたよ」
まるで目の前で話したかのように、その声は俺に届いた。
気色の悪い、殺す気で待っていたかのような声。
大当たりだった、最悪な大当たりだった。
奴の足元には月明かりに照らされた3本の剣と杖が突き刺さっていた。そして隣にはうずくまる全裸の女性……。恐らくヴィーラの妹、調査グループのミリアだ。
調査グループは全滅か……。
叫んだ。
「アンジイイイイィィィィ!! 奴を殺すぞぉぉぉぉ!!」
引き抜いた右手のカービンブレードが漲った魔力で陽炎のように歪む。
アンジーは即答で「ヤァーッ!」と叫ぶ。
機械弓の弦は引かれ、矢には魔力が充填され赤く明滅している。
お互いヒューイとレッカーに跨ったまま、戦闘機動を開始。獣竜の瞬間加速に砂埃が柱のように次々と立ち上がり、アンジーが左斜めに移動、俺はカイトに対し高速で直進。ズドドと獣竜の走行音が鳴り響く。
カイトの姿は夜に溶け込むようにどす黒く、身体を巡る血管がグリーンに光っている。そして奴の手には……、槍か……。あれは……恐らくまずい代物だ、アンジー見ておけよ、俺が奴のカードを一枚切らせてやる。それを見たらてめぇで考えろよ、頼むから。
距離は一瞬で20mにまで接近した、この間数秒と経っていない。
奴が動いた、この距離で俺に槍を向け腕を振りぬく。
瞬間、槍は恐ろしい速度で俺の眼前まで突き伸びた。
ドカッと、すぐさまレッカーを蹴り上げて右側へ脱出。
レッカーは槍を伏せるように回避し、左側へブレーキングとステップ。獣竜の脚力に轟音と共に岩石が蹴りあがる。
「グガアアアアアアァァァァァァオオオ!!!」
レッカーは咆哮をカイトに浴びせかけた。
真横に位置する俺の耳がビリビリ痺れる程の大轟音。
よしよしいいぞ、そうやって引き付けるんだ。
既に槍は奴の手元まで縮みきり。
第2射を放たれる寸前。
俺は体勢を立て直しつつあったが、回避しきる自信は無かった。死の一手が迫り、視界がスローモーションに流れる。
その時ドキャンッと赤い閃光がカイトを掠めた。アンジーはヒューイに跨ったまま走行し機械弓を連射する。右腕と右肩で機械弓を保持し、左腕を素早く取り回して矢を番える一流の連射だ。
ドキャン!ドキャン!ドキャン!とアンジーの機械弓が吼える。魔力で初速と貫徹力を高められた鋼鉄の矢の狙いは全て完璧だったが。カイトはつま先のステップと上体逸らしを組み合わせ、踊るような最小移動で全てを回避。
ふざけやがって。
だがいい流れだ、得体の知れない相手に"俺達の戦い"が出来ている。ヒューイに跨るアンジーがカイトに対し衛星周回し一方的な射撃を絶え間なく放ち続ける。俺は奴に向かい斬り込み、その至近距離での守りとフォローをレッカーが担う。
奴との距離は15m余り。
俺はここで接近しない、後出しを狙う。
いけるか、やれるか。
そして奴の第2射が放たれた……、アンジーへ。
槍が5枝へ裂けるように別れ、アンジーの回避移動先を全て潰す。その刺突は俺への第1射より更に速かった。
まずい。
「ガアアアアアアアアァァアアア!!!」
俺の動きを待たずにレッカーが咆哮と共に奴に体当たりを敢行。大重量の最大加速をカイトに真横から見舞った。が、レッカーの体当たりは直撃したはず。家々をも薙ぎ倒す突進が、奴の回し蹴りで相殺された。
同タイミング、衝撃で軌道が逸れたカイトの裂けた槍の内。アンジーは必中する槍のみを射撃して間一髪アンジーは回避しきった。
その間、レッカーは蹴り上げるような回し蹴りを喰らい血を撒き散らしながら空中に高く放らていた。大重量の獣竜が宙へ放られる異様な光景に内心、唖然としたが構ってられない。
レッカーの体当たりにより奴の槍は軌道をずらされ、まだ手元に縮みきっていない。
殺る。殺れる。
全身のタゥーに魔力が迸り、俺の身体能力が限界まで引き上げられる。
地面を蹴りだす太腿は張り裂けそうに膨らみ、魔力に震えるカービンブレードは唸りを上げた。
すると奴の奇天烈槍は未だ縮みきっていないにも関わらず。その"反対側"の先端が俺に向かってひん曲がり、裂けて、突き進んでくる。
5枝が限界じゃない、"先端と後端の両側合わせて10枝"だった。
見ろ、見ろ、見ろ、見て回避しろ。
迫りくる死に、またもスローモーションが訪れる。
蹴り出す左足が地面についた、その足先の指でどうにか方向調整する。5枝の内3枝が俺の頭、胴、足を狙っている。
首を強引に回す、腰を曲げより低く、ようやく地面についた右足を横に蹴り出す。頬に穴が開き、わき腹を裂かれた。これなら儲けもんだ。頬を貫ぬかれたまま回避をしたものだから、当然のように裂ける。
「ダリル!!!」
俺を案ずるアンジーが叫ぶ。
が、滾る興奮でまだ痛みは来ない。いける。
今、気付いた、残りの2枝の内1枝が俺の眉間を捉えている。
瞬間、俺を支配するスローモーションが解けた。
闇夜の丘陵に耳を音圧で覆うような爆音が轟く。
空中に放り投げられたレッカーが、魔術アフタードフレイムを使ったのだ。それは自らの後方で指向性のある連続爆破を行い、急加速を行う魔術だ。それを空中から真下に向けて……。
上空からレッカーの剛腕が振りかぶり、加速された大質量のパンチを見舞う。
そいつは手応えを感じさせ、カイトは弾き飛ばされた。
が、レッカーはそのまま高速で地面へ激突し、悲痛の叫び声を上げた。全身から出血しながら頭部は歪み、ヨロヨロと首を傾けて俺を見つめる。
「お前は絶対死なせねぇぞ!レッカアアアアアア」
弾き飛ばされたカイトに対し、全力の加速で接近する。速く、速く、速く、踏みしめ、大地を蹴り上げる。
「ダリル! 避けて!」
アンジーが叫ぶ。
体勢を立て直しつつあるカイトの槍の片側が地面に軽く刺さっていた。
5枝が地下から突き上がる。
同時に、ようやく頬の痛みがやってきた、わき腹から血が噴き出る。
それを魔術で焼き、固め、強引に押さえる。
地面から伸びる槍など無視して駆け抜ける。
痛みのレベルが閾値を超えて目玉が飛び出そうだ。
飛び込むように右足で蹴りだす。
奴の眼前、俺の間合い。
到達した。
振り切るカービンブレードはカイトの首を捉えて十数センチ。ここで奴の顔をじっくり拝めた、銀髪に全身真っ黒の肌。光る血管、カイトの翠の目が俺を見つめ、笑いやがった。
スローモーションの視界の中で、そいつだけ等速のように動き出し。
俺を全力で蹴り抜いた。大重量の獣竜を空中へ放り投げる蹴りをだ。
口から内臓を吐き出しそうな程の運動エネルギー、視界が真っ赤になる。頭の中ではゴンゴンゴンゴン鐘が鳴り響く。
何メートル吹き飛ばされてるかわからない、転がり続ける衝撃が止まらない。遠くでアンジーが泣き出しそうな声で俺の名を叫んでいる。
俺は岩に打ち付けられ、意識を失う。
駄目だ……、目を閉じるな……、途切れるな……。
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ほんの十数秒、意識を失った。
戦闘の最中でそれは凄まじく長い十数秒だ。
焦りが身体を支配する、アンジーは……アンジーはどうなった……。
何かが噛み付いた。
獣の重い吐息を感じる。
レッカーが砕け散った顎を使い、俺を持ち上げていた。
―――アンジーを助けろ―――
レッカーはそう言いたいかのような目で俺を見つめる。ぼやける視界の向こうでは、アンジーとヒューイが分かれてカイトと戦闘していた。アンジーはバックステップを繰り返し、機械弓を連射している。ヒューイはアンジーへ攻撃が向かわないよう、必死に盾になろうと転がりまわる。
ヒューイの身体は穴だらけで、何度貫かれたかもわからない様子だ。出血を地面へ撒き散らして戦っている。ヒューイの叫び声が響き、アンジーが俺の名を呼びながら、カイトから逃げ回っている。
それをカイトは散歩道のように歩きながら、着々とアンジーを追い詰めている。そういえば、カイトは、俺達との戦闘で駆ける事すらしていなかった事に気付く。
俺はそんな絶望的な状況を、回らない頭で傍観していた。
「こんな事件に……顔を突っ込むんじゃなかったなぁ……」現実感が薄れ、そう呟いてしまった。
レッカーが俺の首を咥えて、ヨロヨロとアンジーの元へ引きずる。
「レッカー、お前はよく頑張ったよ……」
俺はレッカーの血で固まった白毛を撫でて語りかける。こんな相手だと分かっていたら、ズワラや他の連中を連れて来ていたんだがな……。
遠くの景色の中でアンジーに横薙ぎの槍が直撃し、地面に叩きつけられた。
「あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁ!!……ッガホッガホッガホ……」
アンジーは慣性のまま転がり、血を吐きながら立ち上がろうとしていた……。
ぶっ殺す。俺の全身のタトゥーが、骨身に刻まれた刻印が輝きを取り戻した。




