#4「追跡者の影」
カイト……カイトか、短く呼びやすく不穏な響きも無い。どことなく馴染み無難でスっと入るいい感触の名前だ。前にも何度かこの名前で呼ばれていた気がするな。何回目のいつだったけか。
ブランチを済ませた俺とリリーヤは旅支度の為に市場へ繰り出す。
「私は新しい幌布とカンテラの油、下着に……えーと、カイトは何か買うの?」
幌布……。
……! 馬鹿か俺は、今の今までなんで忘れているんだよ。放射状に血がベッタリと張り付いた荷馬車の幌布。馬繋場の係員には「いやー寝込みを野党に襲われたので反撃してブチ貫いた」なんてヘラヘラしてやりすごしたけど、"奴ら"が嗅ぎ付けたら一巻の終わりだ。まだ、何一つ準備出来ちゃいないんだ。
「先に幌布! 今すぐ買って張り替えよう!」
「なによ焦っちゃって、すぐそこよ」
露天同然のテントにいくつも巻物のように積みあがった布の山を見つける。質とか丈なんかロクに見ず。最も手短な場所にある幌布を店主に見せ、適当にコインを2枚放り投げた。
「あ! ちょっと! それ多すぎ」
彼女は店主が受け取ったコイン2枚の内、1枚を「返して貰うわね」と言って。彼女はニッコリ顔しながら強引に店主の手からコインをもぎ取る。
「もう、お勘定は私がするから、あなたはお金だけ私に渡して頂戴」わかったわかったと生返事を返し、幌布を小脇に抱えて馬繋場まで走り出した。
「リリーヤはここで待ってて!」何よもう、っと後ろで聞こえた気がするが構わず走る。
馬繋場が見えてきた、駆け足を歩みに変え。焦る気持ちを抑えて周囲を伺う。念入りに行き交う人と同じ歩幅で歩きながら。……いない、"奴ら"の臭いもしない、大丈夫だ。それにこの世界に来て数日。まだこのタイミングで"奴ら"が居る訳が無い。
どうせ今頃俺のデコイを掃討するのに四苦八苦、骨を折ってるとこだろう。取り越し苦労だったとはいえ、気を抜きすぎてた自分を戒める。
「あなた、速過ぎよ、まるで馬のようだったわ……」
はぁはぁと肩で息を継ぎながらリリーヤが後ろから声を掛けてきた。
「待ってろって言った」
「私は待つなんて言わなかったわ」……好きにしろ。
「幌布なんかでどうして焦るの? まさか衛兵に疑われるかもって?」
小僧と淑女があんな派手な返り血の現場の犯人と疑われる訳ないじゃない。といった風に顔をしかめる。彼女の数日前の記憶は、既に辻褄も整合性も無くなってしまっている。ともかく、彼女が懸念してる事そのものはどうだっていい。
思いつきで一つ聞いてみる。
「昨日の夕方、宿に着く前は俺の事なんて呼んでいたっけ」
「……? ん? カイトじゃない」
「一昨日の晩は辛かったね」
「なんの事? あなたがいなかったら……私は……」
既に彼女の中では、俺は"カイト"そのものなのかもしれない。
一息付いて、幌布を二人で取り替える。骨組みとなった荷馬車を挟んで向かいにいるリリーヤと話す。
「この街を離れたら、どこに行くの?」
「そうね……乾燥地帯を抜けて、5日かけて湖の街へ行くのよ」
湖の街……、血塗れとなった幌布を畳みながら情景を想像する。どうせショボイ木組みの街なんだろうな。
「不安になる事なんて無いわ」
リリーヤの瞳が俺の目をまっすぐ見つめる。
「野盗に襲われたのは驚いたけれど、カイトが守ってくれるじゃない」
彼女は荷馬車の荷台に両肘を着き、両手の平で顔を支えてにっこり笑う。上手いこと都合よく、凄惨な記憶のみ抜け落ちて塗りかえられている。どうやら俺はすっかり"カイト"らしい。昨晩のアレがトドメになったな。
作業はすぐに終わり、荷馬車は新品の幌布へ変わった。
「荷台の血もその内どうにかしたいのよね……」
荷台の木板は4分の1程が赤茶色く染まっている。
「目立たないし、その内でいいよ、きっとお金も掛かる」
「そうね、今は考えて使わなくちゃね」
あなたもしっかりし始めたじゃない、という感じで俺に言う彼女。もういいさ、その塗り変えられた記憶の弟様として過ごしてやるよ。
丸めた幌布を魔力でボッっと燃やす。
実をいうと、どこか懐かしい感覚だったんだ。
リリーヤに弟扱いされるのが。
俺と彼女は買い物を進め始めた。雑貨に消耗品、衣類。そして金物屋……武具商店が目に入った。
「リリーヤ、あそこに入ろう」
「あなた……カイト、あんなもの扱えるの?」
リリーヤが知らない内にトレーニングしてたんだよ、と辻褄を合わせる。
正直な所、武具そのものには興味が無い。基本的に無意味だからだ。材質と相場、値段に注目して物色する。リリーヤにあれやこれやと聞いた、この剣の値段だと何泊できる? とか、この籠手は平均的な給料の何か月分? とか。そのたびにリリーヤは丁寧に教えてくれる。武具屋の店主は冷やかしに目もくれず帳簿をめくっていた。
一通り調べてわかった事がある。この辺の武具は革、クロム、アルミ、アイアン、スチールの合金で作られている。タングステンやチタンに相当する金属は流石に無かった。武具に使用される金属の比率はグレードや値段によって変化する当たり前か、しかしこの店の物でファンタジー特有の魔術的な加工は一切成されていないなかった。ここが安物屋ってだけかもしれないけど。
金は使いたくないが、自衛手段で頻繁に血の力を使うと、奴らに嗅がれたら一発でバレる。ある程度は魔力でカムフラージュしたい。石矢の原料、もといクロム矢の原料を探しに隣の金物屋に入る。
そこには一掛けの鏡があった。
目を見開き、よく顔を近付ける。
端々が埃で曇っているが、はっきりと俺の顔の作りが鏡に映った。
薄褐色の肌、翠の目、耳が隠れる長さの銀髪。そして端正な顔立ち、年齢も相まって女装しても短時間ならバレないだろう。
これがカイトに似ているのか?
彼女の肌の色、虹彩、頭髪の色と全部違うぞ。
まぁ、目鼻のパーツのバランスとかその辺が似ているのか? どうせ彼女の中では色々都合よく辻褄合わせているんだろうな。
気になっていた自分の姿形もよくわかった所で埃っぽい店内の物色を始める。インゴット、延べ棒、蝶番、ハンマー、工具。どれもいらん、インゴットや延べ棒は持ち運ぶには重すぎなのだ。棚から棚へ、舞い上がる埃に鼻をつまみながら、よく目を凝らす。
……あった! あった! 樽に溢れんばかりの釘とリベット! ようやく喉から求めていた物を見つけた。
「このコインで買えるだけ出して」
と店主のオバちゃんに銀のコイン3枚をバンとカウンターに叩きつけた。
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「カイト……あなた、ちゃんとお金の使い方教えてあげるから……」
彼女は、ほらいわんこっちゃないと額に指先を当てている。俺は15kgにもなる木箱に詰まった釘とリベットの山を両手で抱えて歩いた。
「欲しかったのをようやく見つけて、舞い上がった……」
買い過ぎだが大は小を兼ねるというし、しっかし重い。この身体のカイトは非力なのだ。
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その晩、リリーヤと宿の夕飯を摂った後はそれぞれが黙々と買い物で得た物品の整理をし始める事にした。昨晩、あれだけの事をしたのもあって向こうしばらく彼女が血の欲に飢える事は無さそうだ。
魔力を使い、釘とリベットで矢……フレシット弾を作り始める。リベットがアルミ、釘がクロム。それぞれマンガンやら亜鉛だとか混じってるだろうし。溶解し比重を変えなくとも、ある程度強度はあるはずだ。魔力でじっくり加工し、クロムを弾芯、アルミでジャケットコーティングを施す。いい具合の重量バランス。AP弾にもならんと思うけど、土と木と石の家だったら3軒ぐらい余裕で貫通しそうだ。
そして石矢と最も違うのが、リサイクル可能という所だ。人体を貫く分には殆ど変形しないし、魔力でコントロールする限り。一発で複数人をジグザグ軌道を描いて貫ける。
ようやく一本の試作品が出来た。
「それ、野盗をやっつけた矢でしょ、金属にしたらもっと強いの?」
「威力は石の比じゃないよ、だって魔物とか出るだろ?」
魔物とやらは、まだこの世界では見た事が無い。
「魔物なんて滅多に出ないわ、出たら出たでそこら中大騒ぎよ」
「へぇ、例えば出るならどんなのが出るんだ?この辺だと」
彼女はカンテラの油瓶を眺めながら、えーっと、と考えると記憶の片隅にでもあったのだろう名前を口にした。
「ダハーカっていう竜が出るわ」
「いきなり、すごい派手そうなのが出るんだな」
聞いて少々驚く、なんとかコヨーテとか、なんとか鳥みたいな。変異した野生動物のような魔物を想像していた。
「だから大騒ぎになるのよ」
今までが大抵そうだったからである。
どうやら、この世界は経験を積ませてくれるザコは存在せず。とびっきり強力なドラゴンや大型種が稀に出現するようだ。
「魔物といったら大抵は翼竜、蛇竜、獣竜よ」
「そうね、あとは理性の欠片も無い、人型のバンディットね」
バンディット? 聞いた事が無い。
「それ、詳しく教えて」
単語はともかく、魔物になぞらえるバンディットは初めてだ。
「鱗に覆われ、尾が生えていて人を襲って食べるやつとか……真っ白で赤の斑点が特徴の弓を持つケンタウロスとか」
え? 今なんていった? 弓を持つケンタウロス?
「どれもこれも言い伝えの域を出なくて、見た聞いたって話も噂にすらならないわ」
……まずいな、鱗人間はともかく。
白と赤の"牛柄"ケンタウロスといったらシータの事じゃないか。奴らは俺が動き辛いよう嫌がらせのような工作をしているのは今まで散々味わってきたが、この世界も既に奴らの息がかかっているようだ。
多分アイツだろう、俺が行きそうな異世界に先回りして小賢しい知恵を絞って下らない小細工を張り巡らす。俺の存在が他の追跡者に見つかり易いよう、姿形を御伽噺や伝説のように吹聴し。
民衆が俺を見た時、すぐに騒ぎ出すように触れ回る。時には魔術や凛術、閃術。ありとあらゆる異世界の技術で位置情報を割るトラップを仕掛ける。思えば、あの美味い血の女魔術師も俺の姿に心当たりがあったのだろうか? だとしたら間違い無い。
"硝子の影"
過去、奴ら追跡者とは転生する先々で殺し合ってきた。つまり、追跡者達も転生者なのだ。俺と同じく何度殺しても転生し健気に刃向かってくる。いくら殺しても転生を繰り返して死にやしないから"封印合戦"を続けてきた。
もう既に追跡者達も相当数を減らしたが。
その中でも"硝子の影"は一度も見たことが無い。
他の騎兵やら槍兵は見つけ次第、やり合えばまぁどうにかなるが。正直一番警戒しているのが"硝子の影"と呼ばれる追跡者だ。
これはとっととハーシェルを顕現させよう。
その為にはまだまだ血が沢山必要だ。
ざっと100人分あれば足りるか。
せっかくだしシータも顕現させる。
シータは200人分の血が必要だな。
コソコソと這いずり回り、俺の楽しみを尽く台無しにしてくれる。追跡者共、この転生で必ず根絶やしにしてやる。まぁ、全部俺が撒いたタネなんだけど。
「なによ、急に黙っちゃって」
おっと、気が逸れてしまった。
「リリーヤ、そのダハーカとかいう竜を狩りに行こう」
そいつは美味しそうだから。
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