#3「路地裏の食事」
馬車を預けた俺とリリーヤは、宿を探す。
この街には一週間滞在し、次の街へ移動する為の準備を行うのだ。
日は沈みかけており、気温はぐっと下がった。
日中帯と比較して20℃以上の差があるんじゃないだろうか。
砦街を貫くメインストリートの家々にオレンジの光がポツポツと輝き始めどこを歩いても空腹を煽るような匂いが鼻をくすぐる。俺が感じてるのは、ちょっと違った匂いだけど。
「宿と衣服と夕飯…この時間からじゃ、きっと全部は無理ね」
「全部出来るよ、宿はこの辺の手頃なとこにさっさと決めてしまおう」その後に服だ。
ありとあらゆる何かが染み付き、独特な不快感のするボロ切れとおさらばしたい。宿は…ここにしよう、雰囲気が丁度いい。
リリーヤに聞いた所、高すぎず安すぎず。
食事は夕食のみ、多分大したものではない。
ある程度清潔で、それなりに適当なサービス。
今の俺達にぴったりだ。
「まぁ、一週間ならこんなとこね」リリーヤはフロントに向かい、銀のコインを5枚カウンターに置く。
「ほら、あなたも書いて」当たり前のように俺にペンを差し出す。宿泊人の名前を書けと。
「あ、そうね…」リリーヤは俺の分のペンも走らせた。
「名前、なんて書いたんだ?」
「なによ、思いついたように書いただけよ…」
「教えてよ」
「カイト…死んだ弟の名前よ」
俺に内容を聞かれたのが癪に障ったのか、悪態をつき始める。カイト、いつか何回目かの転生の時にそう呼ばれていたかもしれない。たまにこういう事がある。
「あなたをカイトとは呼ばないわ。まだクソ野郎よ」
別に弟様がどうだったとか掘り下げる気も無いので返事はしない。
あの荷馬車のサイズからして、もしかしたらリリーヤの逃亡劇にはカイトという弟もいるはずだったのかもしれない。もうどうでもいいけど。
部屋の鍵をフロントから渡された鍵で開き、一週間を共にする室内を見渡す。
「悪くないわ」
俺は部屋の4箇所にある壁掛け蝋燭台に火を灯す。広さは12畳ぐらい?ダブルのベッドとチェスト。
腰下ほどの高さのテーブル、硬くて5分以上座る気を起こさせない椅子が2脚。装飾や調度品などは一切無い。
リリーヤはベッドの表面に両手を使って、手の平でおおきくなぞる。そして彼女はハッと気付く。このベッド、セパレートではない。シングルを二つ並べてダブル。必要に応じてシングルに出来るものではなかった。
つまり、一週間クソ野郎と同じベッドなのかと気付いたのだ。というかチェックインの時に気付けよ。そもそも部屋一つしかとって無いじゃないか。いいのか?ん?同じ部屋だぞ?
あ、血か。
俺は勝手に納得する。あれだけ飲ませたら、自我喪失する奴だっているってのに、リリーヤは大物だ。
「リリーヤ、お前は夕飯をこの宿で取れ、俺はこれから街に出て服を見繕う」
あと、夕飯ね、俺はこんなメシじゃ満足できないのさ。お前もそのうち、それだけじゃ満足できなくなる。
「お金は?どうするの?」
「いいんだよ」
リリーヤは意図を汲み取れず、釈然としない表情をする。が、切り替えは早かった。
「じゃ、すぐ出てって、私もう身体拭いて着替えたいから」
はいよ、お邪魔しませんよ。今すぐにでも拾い食いに繰り出しますよ。と肩を竦めてジェスチャーしながら部屋を後にする。
うーん、今日の俺は何か変だ。俺はこんなに人の言う事聞く奴だったかな。
着替えるから出てって、と言われ頑固に出て行かないってのも変だけど。
しかし、今夜が楽しみだ。リリーヤ、俺の帰りは遅いぞ。
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夜の街を練り歩く、メインストリートは大分明るかったけど。少し逸れれば、夜の路地裏は開けてビックリ箱のダンジョンだ。俺にとってではなく、俺以外にとって、だけどね。
この世界に来て2日目の夜。街の中心にシンボルとしてそびえ立つ時計塔は23時を指していた。路地裏を狩る側の目で歩く。
こうして歩いていればその内……、いた、あれは情婦か何かだろうか。気温のせいもあって、露出度は高くないものの扇情的な格好をしている。
周囲に目は無かった。きっとこの女は自分に何が起こったのかもわからかっただろう。女が瞬きをした瞬間、その瞬きが開く事は無くなった。
俺の鮮やかな手際により、女の身体は外傷無しのパーフェクトだ。一滴も余すまいと、静脈、動脈、両手両足、首の順に切り込みを入れ、啜る。
一通り啜り終えると、女の身体には所々シワが出来ている。うんうん、まぁそこそこの味わいだった。やっすいハウスワインってとこかな?ちょっと臭みを感じたよ。
空腹は最高のスパイスというが。舌が肥えると、どうも難癖をつけてしまいがちだ。
足音を感じる、この路地から角を2つ3つ曲がった先から。こっちに近づいてくる……この音は女だな。よし、ならばこの情婦の死体を囮にしよう。
この足音、リズム、恐らく戦闘経験者。
楽しいぞ、一瞬で決めてやる。
既に勝負はついている、俺が先に察知し。
足音の主は、血の匂いの主は何かと、好奇心で確かめに来たのだ。
好奇心は何を殺すだったかな?
俺は湿度と匂いが行き交う路地を回りこみ、足音の主の背後を取る。姿を見ると、そいつは女魔術師? だった。ローブに杖ならそうなんじゃないの?
薄く青いセミロングの揺れる髪。
肩から膝上までの褐色のローブ。中々いい質感の生地だ。
女魔術師が最後の角を曲がった瞬間。頭上から飛び掛り、一瞬で組み伏せた。「ひっ!」っと悲鳴を上げる間も無い。
杖がカランと転がる。
女魔術師は若かった。そして絞められた首からぽつりと漏らす
「な"ん”で、こ……んな"……バケモノ……が……こ”こに"……?」
女魔術師の瞳に映るのは。肌はどす黒く、身体を巡る血管はライムグリーンにぼんやり光り。白目のある部分は黒く、瞳は緑。それは、異形そのものに映っただろう。
あら、あまりの空腹と乾きで思わず変質してしまった。不覚。
きっと、女魔術師は自分の好奇心に後悔しているだろうな。何故、路地裏の先に興味を持ってしまったのかと。そこに自分が活躍するような事件があると思ったのかと。
路地の隅っこを走るドブ鼠はそそくさ見て見ぬフリだ。
女魔術師は、魔力を使おうとしたのか、身体から波打つオーラが表れた。それは淡色の青で、グラデーションのように美しかった。対して俺が出す血力のオーラはいくつもの鈍い色が何重にも重なったような。言うならば水溜りに浮かぶ機械油のマーブル模様だ。
その歪な模様を見て女魔術師はさらに顔をひきつらせた。ふと表情豊かな瞳を見つめていると、血の契約でもさせてやろうか。と考えたがヤメだ、今は食事の時間なのだ。
ボコッ! 鈍い音と共に、女魔術師の頚椎を折る。
まるで形式ばった作法があるのかという手際で。女魔術師の各部分を順番に啜っていく。うまい、これはうまい。喉を通ったその時、脊椎から脳髄に衝撃が走るほど。
味わいとしては、臭みやエグみは一切無く。
ややフルーティさを感じるが酸味とは遠い。
程よい、実に程よい渋みがたまらない。
そう、ラズベリーから酸味を飛ばしたような。
あぁ、あれだ、フルボディのカヴェルネソーヴィニヨン。うん、これは年に一度味わえるかどうかの逸品だ。
リリーヤにも小瓶に分けて少し持って行こう。
生かしておいて定期的に飲めるようにするべきだったと後悔したのは。他につまみ食いした2体の干からびた死体を魔術で霧散させて、宿へ歩き始めた直後だった。
おっと、ローブとコインは貰っていくよ。
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宿に着き、部屋の前で気配を探る。
リリーヤは起きているようだ。
ノックを2度、ドアを開けた。「どう?調子は?」まるで、知っていたかのように聞く。
リリーヤは、ベッドに腰掛け焦りと不安の表情で俺に目を向ける。
「なんなの、これ…夕飯を食べても、水を飲んでも…全然満たされない」
そりゃそうだ。通常の食事で満たされるのは肉体や基本的な部分。血液を媒介とした魂とその遺伝子はそれだけではで満たされない。そして変質した力もね、この辺は後でゆっくり説明してやるか。
「それに…、それに、あなたの血が欲しくてたまらない」俺のを飲みすぎたからな。
「あの時は気色悪かったあなたの血が」
「今は甘いシロップのように頭にこびりついて…離れない」
「その…そして…全身がムズムズする、その変な感じ」それは性欲だ、血に対する欲と性欲は良く似ている。だから大変なんだよ、理性でコントロールするの。
「いえ、誰かの血でもいいから、助けて、お願いだから…」ベッドから立ち上がり、俺に藁にもという思いですがりつく。
彼女の指先は黒く変色を始めていた。変質を終えてその日の晩にこの様子とは、想像以上だった。通常だったら血を欲しがるようになるまで1週間はかかる。
転生3回目の時に出会った妻、ルシールでもここまで急激な変化は無かった。
「これで落ち着くと思うよ、飲んでみな」腰から300ml位の小瓶に入った女魔術師の血を渡す。
リリーヤは両手で大事そうにそれを眺める。実はちょっとだけ惜しかった。
コルクを抜き取り、リリーヤはおそるおそる口を付けた。次第に小瓶の角度は高くなり、一分もしない内に飲みきってしまった。
「……薄い、足りないわ」えぇ、マジかよ。俺が味音痴と言われたみたいで少しショック。
「仕方ないな、ベッドに座れ、床の上でずっと立っていたくない」
二人でベッドに並んで座り、俺がローブをずらし、手首を見せると、リリーヤは喉をゴクっと鳴らす。そして俺が腕を切り裂くと、リリーヤは我慢や躊躇など一切見せず。はむっと傷口を薄桃色の唇で咥え、そして両手で俺の腕をフルートのように支えた。
無我夢中で吸い続けている、だらしない水音もリリーヤの耳には届いていないようだ。腕を支える白く細い手の平にグッと、似合わない力が込められる。
「ん、ん、ぅぐ、じゅる、ちゅぅ、ん、ん、ちゅ、」腕を伝って零れそうになる血も、舌を伸ばして器用に舐めとり、最初は興奮した目つきがやがて、とろん、と欲に浸かったとけた目になった。
口の中に溜まった血を飲み干すと、まだ出ないの? といった風に咥えながられろっと舌で傷口を刺激するのだ。
「…ずいぶん素直になったな」
そう言ってみるものの、反応は無く一切聞こえてない様子。しばらくして、傷口も塞がりかけるとようやく、満足したように唇を離した。
「どうだ、多分こでれあと一週間は持つよ」
そう言ってやるものの、リリーヤはまだ足りなそうな顔をしていた。昨日なら青ざめて顔を逸らした、俺の勃起が、今ではチラチラと目が離せないでいる。
我慢の緒が切れた。
俺はリリーヤの肩を持ち、ベッドにうつ伏せにし組み伏せた、首筋に噛み付き、リリーヤと繋がりながら。首から一気に血を吸い上げつつ俺の身体を通してリリーヤに戻す。
「ーーーーーーっ!!!」
驚きと突然の快楽の波に声にすらならず、彼女の喉から細い嗚咽が漏れだす。それを繰り返す、身体を突き動かし、一気に血を吸い上げながら。
俺のつま先から脳天までリリーヤの血液を循環させ、彼女に流し入れる。彼女の血を通して、リリーヤが感じている快楽が俺にも雪崩れ込む。やがて彼女は嗚咽にすらならず、口と目を開き、ビクビクンと痙攣するばかりになった。
これの快楽は、人間が感じる事など決して叶わない、極地にある。
いわば、お互いの感じる快楽が鏡のように反射しながら累積してゆくのだ。
ヘロインは一生に味わう快楽全てを一瞬に還元しても足らないというが。
これは、それとは比べ物にならない。
つまらない文章でこの快楽を説明するなら。
魂と生命力が神経の集中する部分から一気に引っこ抜かれ。
眠りに付くような強烈な倦怠感と共に…
魂と生命力を相手の快楽に上乗せして全身の隅々まで強引に注ぎ込まれる。
生と死を瞬間的に繰り返すのだ。
それと同時に、この行為は魂の陵辱だ。人の人格や記憶を繊細な絵画とするのであれば。この行為は、その絵画にペンキをぶちまけるような……、それでは表現不足だ、その絵画をペンキで満たした浴槽に沈め込んで。絵画の描かれているカンバスごと溶解させるような。そんな行為だ。
人でも魔族だろうが、竜人だろうが、等しく廃人にさせる威力がある。多分、転生の間にいた緑髪の女神も耐えられないだろう。
なんでそれをしたかって、少し、試したくなったんだ、強いリリーヤが、これで沈むのかどうか。
地上に引き上げた魚のように背中を跳ねさせていたリリーヤが。やがてその乱れを落ち着かせ、なんと、甘い甘い喘ぎ声を漏らし始めた。驚いた、人格が、彼女の繊細な絵画は、汚れすらしなかった。
嬌声が耳に注ぎ込まれる。リリーヤが首を横に振る度にブライトオレンジの髪が。カーテンベールのような髪が汗で乱れていく。
しばらくしてとうとう、快楽が、リリーヤに支配された。
「カイト!、んーーっ!カイトぉっ」
「やっとぉ会えたぁ……っ」
おいおい、急に弟様の名前出すなよ。
「あなたの事ぉ!カイトってぇ…呼ぶからぁ」
俺の事かよ。
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……それからずっと、終わるまで、リリーヤは果て続けた。俺は、この世界では、カイトという男になった。
……翌日の朝というよりは午後。蝋燭台の皿からは蝋が溢れ、床に溶け落ちている。リリーヤの首筋の噛み傷は殆ど治っていて。じっくり見ればようやく気付くぐらいの跡だ。
彼女が俺を揺さぶって眠りから起こす。
「ねぇ……あれ……なんなのよ……あれ、急で、ほんとに、ほんとにびっくりして……」
「でも……凄かっただろ?」
いたたまれない間が一瞬。
「そう……だったけれど……」
俺の身体にはまだまだリリーヤの余韻が広がっている。未だに体が重なっているかのような余韻だ。
「それより、俺の事なんて呼ぶの?」
「カイトでいいわ……、似てるのよ、顔とか背格好が」
あ、この世界で俺がどんな顔してるか知らなかった。今日は買い物ついでに鏡でも探してみるか。
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