#24「血の使者ハーシェル」
割れた大地と小山がひしめく丘陵、人工の光といえば地平線の先でうすらぼんやりと灯る砦街の明かりのみ。真夜中の荒野であったとしても、一際大きな月に照らされた大地は手元に明かりが無くとも見通しが効いていた。
さて、二つ目の用事の仕上げだ。
血溜まりに突っ込んでいる手首を掴み返す堅いグリップ。手の大きさや感触から間違いなく成人男性の物と伺える。そうだ、来い。
やがて血溜まりの水面はあぶくがたち始め、引き上げを手こずらせていた抵抗が消えたその時、ずるりと血溜まりを割って出た男は赤と地面の境界をもう片手で押さえ、自身の力で身体を押し上げて身柄を現した。
水面からプールサイドに立つように振る舞うその男の姿は、ウェットな黒髪で30台過ぎの男性。シャツは血溜まりに浸かっていたが故に真っ赤に染め上げられ、ジーンズの裾からはポタポタと赤が滴り、革靴の中にジャブジャブと溜まっていた。
着心地の悪そうな血塗れの全身を拭う素振りも一切しない、その男は一呼吸の後に右手で前髪をかき上げて、ようやく目を開いた。
科学と資本の異世界で出会った、押し入り殺人趣味で成りすましの男。
ヴィクティム・ハーシェル。
それが血の使者となった彼の名だ。
「やぁ、カイル、ここではなんて呼べばいい」
「久しぶり、ハーシェル、お前を待っていたよ。俺の事はカイトと呼べばいいさ」
遠くに目を向けたまま話す男は、この異世界の空気を過去と比較するように何度かに分けて吸い込む。
「カイトか、前にもそう呼ばれていたな」
「そうだっけ、そうかもしれない」
正直、過去に自分へ付いた名なんていい加減覚えていないんだ。だってさ、やってられないだろ、いついつあの時はこの名だったなんて覚えていても仕方が無い。どんな名だろうと俺は俺で、その他のどの人物も無いのだから。しかし目の前のハーシェルについてはどんな名でも彼を指す事は無く、常にその他の誰かなんだ。
思えば、カイトという名は言われてみれば馴染みのある響きだった。いつの名か、なんてこれっぽっちも思い出せないけど。
「ほらよコレ、やるよ」
そう言ってハーシェルは腰に刺していた三角形に折りたたまれた物体を地面にぽさっと放り投げた。糸がついていて、真っ赤に染まっているその三角形はどうやら凧のようだ。血溜まりの中って一体何が沈んでいるんだと自分の事ながら少々驚いた。
俺はあの中に入った事が無いからあんまり良くわからないんだ。好きなものを沈めて欲しい時に引き上げられるかもと思って色々突っ込んだ時があったけど、結局指先にも腕にも何一つ引っ掛かりもしないから諦めていたんだ。
「お前に呼ばれたとき血の中で偶然コイツを見つけて、それを掴むのに手間取った」
「だから引き上げるときに変な抵抗があったのか」
「悪かったな、でもカイトは好きだろ、この凧」
「手土産どうも」
俺は地べたに座り込み、受け取った凧糸を解いて二つ折りの三角形を開くと菱形になった。
ハーシェルにお願い事をした、それは近々地平線の先に見える街でフェスティバルをやるから住民を上手い事誘導して貰うこと、適当に増えて散って各地の情報を集めて貰うこと、北洋保とやらの巨大組織中心にね、それとリリーヤについてだ。
「この異世界でリリーヤっていう女が新たな血の使者になったんだけどさ」
「それで?」
「大分、強烈な幻想を見てるから適当に話合わせてね」
「どんな?」
「俺を弟であり、恋人だと思い込んでいるんだ」
「それは強烈だ」
凧を高く放ってみると風を受け、糸にテンションを与えて滞空を始めた。
「で、その女についてもお願いしたい事があるんだ」
お願い事とはリリーヤのお家事情だ、どこまでが幻想でどこまでが事実か確かめたい、そしてレイテル家とグラント家の揉め事に利用価値があるかどうかだ。それを聞いたハーシェルは南の地域に増えた1体を向かわせて調べ上げるらしい。頼んだよ。
「それでカイト、ここはいったい何処なんだ、まさかまた横穴暮らしじゃないだろうな」
「ダイナーもダッチ・チャージャーも無いよ、まぁ内燃機関が無いぐらいの技術水準だと思うんだけど、毎度おなじみ剣と魔法の異世界さ、そこに転がっている男の風袋を見ればなんとなく分かるだろ」
そう言って俺が指差した先に涎を垂らして横たわるのは調査グループのマネージャー、えぇと名前なんていったっけ、まぁいいか。人の名前も憶えるの苦手なんだよ。
「こいつ今から食うぞ、死ぬ程乾いているんだ……カイト、お前どんな枯渇状態で俺を引っ張り上げたんだ、血がなきゃもう数日と持たない程乾いているんだが」
ハーシェルを顕現するには少々不十分な血の量で引っ張り上げた為か、既に枯渇状態となってしまっている。悪いけどその辺でつまみ食いして補って貰う他ない。
「悪いね、今回は決戦だからさ、急ぎでシータとお前を顕現させたんだ。お食事は向こうに見える砦街で好きなだけやっていいよ、どうせ無くなるし」
「あのガキか……で、こいつはどう始末するんだ、どうやら血を飲んだらしいが」
目の前の獲物をお預けされてハーシェルは少々苛立ったのか、革靴の先で地面を一定間隔でたたき始めた。ちゃんとワケがあるんだ、説明してやるよ。お、よっと……凧糸の余長を緩めて少し高度を上げさせた。
「リリーヤの殺傷能力をこいつで試したくてね、それでオモチャにしたんだ。あとコイツの様子を見るとこの異世界の魔術は少々変わっているみたいでさ、使い終わったらバラして調べようと思う」
ハーシェルはうつ伏せで倒れている男をゴミ袋を扱うような足運びで転がして仰向けにすると、男の体表や持ち物を物色し始めた。
「確かに変わってる、身体のそれぞれにある入れ墨はシャレで彫っている物じゃなさそうだ、それに長剣のグリップや刀身、クロスボウ……の表面にもかなり精巧な刻印が刻まれているな」
「だろ? 多分、魔術絡みのなんかだと思うんだ、この異世界の連中は詠唱とかしなかったし」
「そうか、どの異世界の魔方陣も使いっきりのが多かったが、こうして体表に彫るのだとするとほぼ永続的に使えるような技術があるのかもしれないな」
一度彫れば使い続けられる魔法陣というのは興味がある、あの北洋保の2人が扱っていた魔術もきっと似たような物なんだろう。この辺についてもその内調べるか。この魔方陣の技術を使えば無人殺傷ゾーンも作れるかもしれない……、少し興奮してきた。
「それでだ、カイト、こういう開けっぴろげなとこで呼んだという事は " アレ " についてはどうなんだ?」
早速聞いてきたな、高い位置の月とどこかで " 見たことあるような輝きの星々 " 何度も転生を繰り返してる内に気付いたんだよ。科学と資本の異世界で流れていたラジオ、最初は気にも留めなかったがまさかと思って行く先々の異世界で実験しているんだ。しかし、今まで結果らしいのは無かったから半ば継続する気力を失っていたんだけど。
科学と資本の異世界のニューメキシコ環境観測レーダーに細工した後から……俺とハーシェルの自由研究は始まったんだ。
「実を言うと結果はもう出ていてビンゴだったよ」
俺の額に備わる欠陥対空Xバンドレーダー、ゴミみたいな解析能力だが、ほんの微かに、集中しなければ知覚しえない程微弱な……周期的なパルス波。天体が発するにはあまりに違和感のある、ノイズに近いが……間違いなく人工的な周波数と周期性。
俺のビンゴという言葉を聞いてハーシェルの苛立ちまじりの足癖は治まり、ほれみろ俺の思った通りと言いたいかのように口角の右端をゆっくりと上げた。
モールス信号のように単純なパルスメッセージ。遠い異世界で俺とハーシェルが細工したレーダー施設が発する、人工の電波。月の浮かぶ夜空よりも遥か向こうから、それを俺の額の欠陥レーダーは受信していた。
ニューメキシコの施設が今どうなっているかはわからない、デコイが暴れて壊れてるかもしれないし。数多の転生と転生の間に凄まじい時間が流れて朽ちたかもしれない。追跡者がデコイを掃討し終えてあの異世界は平和かもしれない。
もしかしたら発信元は既に失われていて、このパルス波は宇宙空間を彷徨った末にここへ降り注いだのかもしれない。
いずれにせよ、パルス波は今こうして受信できている。発信元はともかく、星空の向こうからここに届いている。
「バッチリ、今、パルス波を知覚しているよ。徐々に弱くなっているのは互いの惑星が移動しているからだろう、あと数分で受信しなくなるだろうな」
「そうか、そうか……やったなカイト!20回目でついに証明出来たな」
「最高だよ」
ほんとに最高さ、異世界と異世界を結ぶのは時空を越えた多重世界等ではなく、天文学的といえど物理的な距離しかなかったんだ、つまり数々の異世界とは人間が住んでいる惑星が宇宙にポツポツ存在していて、死後の間とやらを通じて転移していたんだ。たった今、それを証明したんだ。
「これでようやく決戦らしくなったな、カイト」
「そうさハーシェル、これで心置きなく」
女神共をぶっ殺せる。
それからはハーシェルも地べたに座って足を投げ出し、風を受けて漂う凧と夜空を共に眺めていた。お互い血の乾きも相当キているといのに、少し感慨というものに浸りたくなったんだ。でもそんな時間も束の間。
地平線の向こうから何かがやってきた、何かといっても強烈な電波……反射眼をガンガンこっちに当てて数百キロのスピードで急接近する奴といえばアイツしかいないのだが。
夜中というのにくっきり浮かぶ白い影は俺達の真正面、数百メートル先でブレーキングを開始するも止まりきれずに、壁のような砂埃を立ち上げて後方へすっ飛んでいった。せっかく長かった自由研究の有意義な結果が出て感慨深く夜空を眺めていたというのに台無しだ。
折り返してダッシュして戻って来た " 白い影 " は俺の傍らに座る男を見るや否や、あからさまに落胆しているとアピールしたいのだろう。なんというか、子供が喉から欲しがっていた物と違った物を与えられたような失意に近いのだろう。
「ねぇ、カイト……誰かが顕現した気配がしたから飛んでやってきたけど……どうしてコイツが先なの」
「仕方ないんだよシータ、今回の異世界では早い段階からハーシェルの協力が必要なんだ」
純白のケンタウロス、シータは肩を憤りで震わせ、半目がちになりながら俺に問う。こいつはアンプルールとの再会を何よりも心待ちにし、それだけを精神的支柱に行動しているが故に、そのアンプルールより先に大嫌いなハーシェルが優先して顕現された事に大変ご立腹のようだ。
「カイト! なんでアンプルール先生より、先にこんなクソ野郎を呼ぶの!」
「だからハーシェルが今必要って言っただろ」
シータの後ろ足は怒りを露わに大地を蹴り出さんと、闘牛の如くガリガリと地面を何往復も擦っている。
……あぁ、これは長くなりそうだ。
ハーシェル、大人の余裕って奴でシータを納得させてやれ。
そういうつもりで傍らの大人に目配せをしたつもりだった。
「キレ目ウマオンナよりこの俺が今必要ってこった、納得しろよ牛柄ウマクソガキ」
感慨をぶち壊しにされて血の乾きを思い出したハーシェルは今、大人ではなかった。勘弁してくれよ。
「クソ野郎め! 今のもう一度言ってみろ! ブラモスの矢で射抜いてやる! きっと顕現したばっかでオリジナルなんでしょ!?」
そういうシータの右手には2弦滑車大弓ゴーントリトがスタンバイ、矢をつがえればいつでも騎兵族の矢は放たれ、俺ごとハーシェルは吹き飛ぶだろう。やめて。
ちなみにブラモスの矢とはシータが扱える数ある矢の内で " 上から2番目に破壊力が高い " のだ。最も破壊力のある矢はアンプルールの許可制なのをコイツは律儀に守っている。
「いいけど、それをやるとお前の大好きでたまらないアンプルール先生の顕現がもっと遅くなるぞ、ん?」
ハーシェルは俺を他所にシータを煽るわ煽るわ。あぁ、こんなやり取りに付き合ってられるか。もうこの丘陵での用事は終えたし2人共どっか行っちまえ。
「なぁ、シータ。お前は今ミルクが足りなくてイライラしているんだ。この間のあの女はどうしたんだ?」
「……何? ミリアちゃんなら15km向こうの木陰で休んでるよ」
「ほら、早くそのミリアちゃんのとこ行って来いよ、アンプルール先生は近い内に顕現するんだから、少しの我慢だ」
シータは黙って聞いているが、問題をすり替えるような諭し方に不満の面持ちはそのまま。この俺に条件を突きつけてきた。
「ねぇカイト、砦街のフェスティバルが終わってもアンプルール先生に会わせてくれなかったら、所構わずブラモスの矢を放ってハーシェルを1人残らず吹き飛ばすから」
ほら、わかったから警戒行動に戻れと言うとシータは、ふんっ、とそっぽを向いて駆け出していった、ケンタウロスの瞬間加速にありったけの砂を俺達に見舞って。全く気苦労が尽きない、いずれにせよ砦街のフェスティバルはアンプルール顕現の為に行うのだから構わないけど、シータをコントロールするにもアンプルールは必要だ。早いとこ済ましてしまおう、この街は。
「ハーシェル……砦街に行って乾きでも潤そう」
「よし来た、行くぞ」
俺は下らない口喧嘩の脇で転がっていた実験用の男を担いで、ハーシェルと砦街に帰った。下らないついでにハーシェルとシータがこんなに仲が悪い理由とは、シータが生理的に毛嫌いするタイプの性格に加えて、遠い過去にハーシェルがアンプルールへ下心混じりにちょっかいをかけた事がきっかけだ。くだらねぇ。




