#14「ニュージャージー・ハイスクール・ライフ」
科学と資本の世界ではとても発達したテクノロジーとは裏腹に、よく自由だとか愛だとか人権とか、まぁそんな類の自分が自分足りえる為のキャッチコピーが溢れていた。
大勢がそれに飛びつき、求め、そのキャッチコピーを自分の言葉に代えている。そして求めた言葉の数だけ、奴らは自分というものを見失っていた。そんなナリで、偉そうに説教を垂れるからさ、尚更ばかばかしかった。
高度に発達した情報テクノロジーは大衆に対し、その辺を埋め合わせる為だけに利用されているように感じる。少なくともね。
思想も美徳も生き方も全て資本主義が金に換え、ラッピングして売っている。
でもまぁ、わかるんだ。ショーケースに並ぶ言葉はどれも耳に甘く響く。よく工夫されていると思ったよ、ラクなんだよ、誰かの話を聞くだけってのは。
だけどそれは悪いことじゃない、そんな奴らが溢れているからこそ。
この科学と資本の異世界は俺にとって良い隠れ蓑であり。
奴らは簡単に俺の餌食になってしまうのだった。
少なくとも、自由ってのは縛られているとか、縛られていないだとか。そんな話じゃなくて、自分は自分であり、その他の役割を決して演じていないという。
そう自分で思えるだけの、詰まる所その程度の些細な事だったんだ。
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そんな事を考えながら、今はハイスクールの昼下がり。
興味の無い授業を抜けては、校舎の屋上裏手側にあるちょっとした広場で凧を揚げていた。
凧を揚げるのは好きだ、俺の数少ない趣味の一つと言えるだろう。何か結果があっちゃいけないんだ、糸を掴んでぼーっとするなら釣りとかがあるが。あれは魚が釣れてしまう、ボウズなら別だけど魚には興味ないし始末に手間が掛かる。
その点、凧はいい、釣りと違って魚が生息する池も海も必要ない。
ただ、風が吹いていればどこでも時間を潰せる。
そして何一つとして結果を運んでこない。
何も役割と言うものを演じる必要が無い凧は、ある意味でその辺の人間よりは自由と言えるだろう。
今、俺がいる場所は丁度、このハイスクールの敷地内で最も凧揚げにぴったりな場所だ。ここは屋上だというのに開けっぴろげな空間ではないし、常に風が吹き晒している。
その他の別棟や敷地の出入り口にアクセスできる通り道でもないので、人が往来する事も無い。
パネルの間から雑草がぼうぼうと生え、膝ぐらいまで伸びてしまっているが。ここには駐車場にあるような長方形のブロックが1つ2つ転がっていて。それが腰掛に丁度良かった。
そんな場所で俺は次のコマで行われる化学の授業まで、ここで暇というものを潰していた。すると、そこへポケットに両手を突っ込んだYシャツ姿の男がやってきた、ぼそぼそと。
「カイル、またお前…ここにいたのか」
「…」
その男は、もう一つ余っているブロックに腰掛けるとタバコに火をつけた。
「俺はお前の担任でさ、少しは面倒を見なきゃいけない」
「…」
凧は調子が良く、風を受けて一つ高度を上げた。小気味良く、確かめた。手首のスナップを利かせて糸から伝わる感触を。
「出席する教科は100点、出ない教科は0点」
男はそのまま続けた。
「そういうのさ、他の教師連中はコケにされたと思ってムキになるんだよ」
「知るかよ」
この男とのこんなやりとりは、もう何度目かになる。
だがこの男から発せられる俺への愚痴の中身には、特別として嫌味というのは感じなかった。だから、俺は黙って聞くんだ。
「次のコマ、俺の授業が終わったらまたホームルームも出ずに帰るのか」
「勝手だろ」
男はタバコを中頃まで吸うと、もう1本に火を移し、吸いかけを腰掛のブロックに押し付ける。
「凧揚げ、そんなに楽しいのか」
「今やってる授業と比べれば意義がある、無いに等しいけど」
ただ、ここと違ってつまらん授業で吸う空気とは違う、その程度の違いだ。
「そーかい、あまり"おじさんとおばさん"を困らせるなよ、じゃあな」
この男、ハーシェルは革靴でタバコを踏み消すと屋上に突き出す建物の角を曲がって消えた。俺がここに居座るお陰でハーシェルがやってきて。奴が座る2つ目のブロックの周りには赤茶けた吸殻が数箱分転がっている。
この凧、結果としてハーシェルを釣ってしまったのだろうか。下らない発想を頭の他所へとやり、糸を手繰り寄せて凧を畳んでカバンへ突っ込んだ。
この高校は広大な敷地面積に物を言わせて作られていて、2階は無いがその広さといったらショッピングセンター2つ分に相当する。全て1階層と少々の地下設備で成り立ってるが故に屋上面積も凄まじい広さだ。非常階段を下り、地上に立ったすぐそばにペラペラなアルミ製の扉で作られた非常口があってそこから校舎の中に入った。
未だ授業中の廊下はある程度静かだった、正直、騒音レベルがこの程度じゃないとこの廊下はとても歩けたもんじゃない。
授業と授業の間の休み時間となると、そりゃもう酷いもんさ。
中身が入った缶が宙を舞い、スポーツ野郎共がヘッドロック合戦。
いじめに遭うヒョロヒョロ野郎のロッカーを絶え間なく蹴り続けるビート音。
階段の影には数ヶ月前からあるだろうコンドームが未だに転がっている。
避妊具の中に溜まったまま腐れる液体と、ここの連中との間に大した差は無いだろう。
世の中にはありとあらゆる喧騒というものがあるが、この廊下の喧騒は耐え難い。だから廊下を歩くときは、必ず他の連中が授業中の時間帯のみに限っている。
するとなんだ、顔を腫らしたヒョロヒョロ野郎が俺の肩を掴んだ。
「カイ…カイル君、あいつらに復讐したいんだ、協力して欲しいんだ。
君もあのラグビー野郎共の事が嫌いだろう?一緒に戦おう。
僕も頑張るからさ、明日階段裏に来て欲」
迷わずぶん殴ってやった。
正面を向いていたヒョロヒョロは運動エネルギーに翻弄され、180度回転した後床に顔から突っ込んだ。多分あれだ、ラグビー野郎共の1人、そいつの妹が消えた事件で俺に絡んできたもんだから。そいつを殴り返して、殴り続けた事を勘違いしたんだろう。
あぁ、勘違いするなよ、そのラグビー野郎の妹とやらが消えたのは俺がやったわけじゃない。
どこのどいつか知らんが、俺以外の誰かだ。
食い扶持が被るってのは、こうも面倒だ。
ヒョロヒョロのすすり泣きを背後に、俺は化学の授業が行われる教室へと足を運んだ。
頼りない非常口のドアとは打って変って、必要以上に重過ぎて銃弾も防げるんじゃ無いだろうかと思う程のドアをスライドさせて中へと入った。
「やぁ、カイル、お前はいつも俺の授業で一番乗りだな」
ハーシェルは化学教室にある強力な換気扇の下でまたタバコを吸っていた。
「1本くれよ、まだ20分あるだろ」
「ほらよ、吸いたかったなら屋上でねだれよ」
「コソコソ吸うから美味いんだよ、このタバコは」
実験用のマッチで火を着けると、2人がくゆらす煙は強引なカーブを描いて換気扇へと吸い込まれる。
「すぐ女生徒がやってくるからこの1本で済ませろよ」
この化学教師の男、ハーシェルは女生徒から人気がある。
年齢は35歳と他と比較して割と若く、黒髪をウェットに撫で付けたスタイル。口振りはシニカルだが相談事には親身に乗るそうだ。こうやって俺にタバコを寄越すのも、問題児との繋がりを保つ為なのだろうが。案外、自然とやってるタイプかもしれない。こういう奴は。
アルミ製の袋に吸殻を入れて換気扇を切ると、あの重いドアが勢い良く開いて女生徒が6~7人ほどやってきた。今日は白人グループの女共だった、ちなみに有色人種の間にももう1グループあるらしい。
白人グループの取り巻き女共は、傍らの俺をしっしと払いハーシェルの腕を奪って組む。その中の1人がコソコソと近寄り俺に声を掛けた。
「ねぇ、あんた名前なんていうだっけ…まぁいいわ、なんであんたなんかがハーシェル先生と仲がいいのよ」
「知るかよ」
「私達ね、学校だけじゃなくて外でもハーシェル先生と会いたいの、あんたが何かセッティングしてよ」
露骨に屈んで胸元を見せてきた、きたねぇ肌だ。
「いやだね」
「クズ」
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ここ、ニュージャージー州の端に位置するイーストン高校に俺は通っている。学校の駐車場に出向きピックアップトラックに乗り込む、こいつで通学しているんだ"おじさん"が学生の頃に使っていた車を借りてね。
このシボレーC/Kは30年以上前の年式らしいが、エンジンは常にそこそこの調子。キーを捻ると小気味良くセル一発始動、少々めんどくさそうに5リッターV8が続いて唸った。定期的に面倒を見られている証拠なのだろう。
化学の授業を終えた俺は、ホームルームをすっ飛ばして帰路を辿るのだった。イーストン高校の周辺はポツポツと店があるばかりで、その他はぐるっと戸建てがひしめく住宅街だ。
学校から自宅には歩いて1時間、自転車で30分、車で10分程、ラジオから掛かる曲も終わらぬままイースト・ローレル・ロードを直進、シカモア・アベニューの突き当たりで俺の住む家が見えてきた。パーキングアプローチもすっかり手癖に染み付き、バックで庭の駐車スペースの隅に停める。
"おじさん"の車のスペースもしっかり残すように、2台分停められるんだ、ここは。
ポケットから鍵束を取り出して家に入ると、少しの笑みと共に"おばさん"が出迎えてくれた。
「ただいま"おばさん"」
「おかえり、カイル」
"おじさんとおばさん"は両親でも肉親でもない。
俺はこの科学と資本の異世界に7歳の少年の姿で転生した。最初はホームレスだったよ、半年程経って教会に拾われ、子供の出来ない夫婦へと紹介された。どこの馬の骨かも分からない子供をこんなにスムーズに引き取るなんて、中々無いケースらしい。
大人への受け答えの出来や、ボロボロの姿と相反して毅然とした態度が周囲から評価されスピード養子入りしたってワケだ。そんな顛末でここでの暮らしはかれこれ10年になる。
自分でも嘘みたいに思うが、俺はまだこの異世界でロクに"暴れて"いないんだ。まぁ、"暴れない"というより"暴れられない"と言ったほうが近い。何故かと言うとこの異世界では魔力が使えなかった、これにはビックリしたよ。大抵、どんな異世界でも魔力やら魔素やら不思議パワーが使えるもんだった。
だが、この異世界ではそれが無い、代わりに凄まじく発達したテクノロジーがあった。そこにもかなり驚いたが、それについて今は省略する。因みに血の力は充分に遜色無く使えたから、その辺に関しては安心したよ。
で、魔力も何も無い世界だとな、血の臭いってのはとても目立つ。迂闊に血の使者でも顕現させたり新たに作ろうもんなら悪目立ちして、追跡者にすぐ見つかってしまうだろうな。
生き血が必要な使者を増やす事で食い扶持が増えるのも良くない。あぁそうそう、追跡者共は魔力なんてゴミは元々使わないからこの異世界でも充分脅威だ。
だから日々の"お食事"には非常に気を遣う。科学が発達しているもんだから、人殺しもほんのちょっとの痕跡ですぐ警察に尻尾を掴まれ。ニュースで報道され、名前が全世界に散る事になる。
正直かなりやり辛いんだ、この世界。
結果としてコソコソ細々と暮らさざるを得ない為、10年経っても追跡者と遭遇していない。この異世界で最も多く一度に殺した数は400人。転生して数ヶ月たった後、ジェット旅客機に忍び込み…まぁそんな所だ。ジェット旅客機は"おいしい"、どれだけ暴れても最終的に墜落して犠牲者の死因は事故死だ。
あんまりやりすぎると、これまた目立つから何年かに一度しか出来ないのが不満だが。いくら細々暮らすからと言っても最低限、ルシールの槍ぐらいは使えていないと話にならない、致し方ない事情なのだ。
バッグをソファに放り投げ、バスルームの洗面台で冷水を両手に掬い、頬に染込ませるように何往復か擦る。鏡に映る人物はキツネの毛色のような頭髪で耳が隠れる程度、白い肌、細い顎、3白眼と眉の距離は近く大抵の女から見て黙ってりゃイケメンと言われる顔立ちだった。
白目の端がやや、ほんの少し黒ずんでいる。
「今晩、また誰か食う必要があるな」
同時連載中の爽やか自転車小説「双子のディープリム」もよろしくね!
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