introduce
「おかえりなさいませ、お嬢様」
僕がそう言って深々と頭を下げると、目の前にいるお嬢様はゆっくりと執事の開けた扉超えて、目の前まで進んで来る。ゴシックロリータとか呼ばれる衣装のお嬢様は金髪の縦巻きロールウィッグを被り、目には青色のカラーコンタクトをしていた。僕がここの使用人になるまでは会ったことのない人種だ。
「それではお手荷物はフットマンが、日傘は私が預かりましょう」
白髪混じりのオールバックに、縁なしのメガネを掛けた初老の男性執事がそう声を掛けると、彼女は無言で手に持っていた荷物を僕に差し出し、もう片方の手に持っていた日傘を執事に手渡した。
「私は当家執事を承っております中禅寺、と申します」
初老の執事ーー中禅寺さんはゆっくりと礼をして、続いて僕の紹介をする。
「そして彼が本日、お嬢様の身の回りをお世話致しますフットマンでございます」
僕は真っ直ぐにお嬢様を見て言った。
「青坂でございます」
僕は青坂、という名前でこのお屋敷喫茶で働いているアルバイトで、所謂コンセプト喫茶で働いている。コンセプト喫茶とは設定のある店員が、世界観を演出して接客する喫茶店であり、その中でも王道的な『使用人』というコンセプトをうちでは設定している。
豪華なシャンデリア、華美な茶器、インテリアや内装にこだわった作りとそこに働く洗練された使用人を眺めながらティータイムをお楽しみいただくというお店だ。
お出迎えをする執事ーー彼らは特に年齢層が高めであり、設定では僕らの上司にあたる。そしてお嬢様の身の回りを世話する僕らフットマンーー若くて身長の高いイケメン、っていうのが本場のフットマンに必要な条件らしいけれど、まあ世間でイメージする執事に近い役割の男達だ。そして食事を中心に身の回りをお世話する女性達はメイド、長袖にクラシカルなエプロンドレス、そしてホワイトブリム(ドアノブカバーみたいな頭に被るやつ)を着ている。
僕は最年少で、一番の新人であり、年齢は18歳。高校を卒業してすぐにここでアルバイトを始めた。最年長はじいや、と呼ばれる老執事で80歳を超えている。ばあや、もいるけれど彼女の年齢はトップシークレットらしく誰も知らない。正直どうでもいい。
「青坂くん、どうでしたか?」
ゴシックロリータのお嬢様をお見送りした後、中禅寺さんは僕にそう聞いてきた。
「えっと、あんまり話が弾まなくて……」
「そうでしょうね。お顔が曇られていたので、先ほど由良くんに行ってもらったんだよ。そうしたらお品書きの説明も噛み噛み、水グラスを持って行くのを忘れる、イングリッシュアフタヌーンティーのお皿は全部先輩フットマンが交換する、という顛末。君はどう思うかね?」
ああ、これは長くなるなと覚悟をしていると、後ろから声を掛けられた。
「まあまあ、中禅寺さん。こいつもフットマンになりたてのペーペーなんだから、これから1つずつ出来るようになればいいんだよ。その出来ない期間は先輩である俺が面倒見てやるからよ」
「由良さん!」
由良さんは三年半先輩のフットマンで、とても面倒みが良いので僕は好きだ。
「由良くんは甘いよ。お嬢様が満足されるのが一番なのだから、妥協はするべきではない」
「もう、中禅寺執事の石頭ー」
と拗ねるように由良さんは言って、僕の方に向く。肩をポンポンと叩いて「よし! 今日は飲みな!」と有無を言わせず去っていった。
「……ふう、由良くんに潰されないようにね」
「あははは……もう、一度潰されてるので大丈夫です」
由良さんは面倒見はとても良いのだけれど、必ずと言っていいほど飲みの場が荒れる。どんちゃん騒ぎの暴力あり、一気飲みあり、コールありの戦場と化す。新人は必ずと言っていいほど由良さんに酔いつぶされるのが伝統なのだという。
「じゃあ次のお嬢様をお出迎えするから」
「は、はい! よろしくお願いします!」
中禅寺さんは外にいるドアマンにインカムを飛ばして連絡を取る。次に待たれているお嬢様を中に誘導してもらうためだ。扉の前に立つと執事がガチャリと扉を開けて、第一声。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
僕はこのお屋敷の使用人としてお嬢様に頭を下げる。
そもそもの最初は高校時代である。
地元でそれなりの進学校に通っていた僕の成績は中の中ではあったが、それなりの大学進学はまず間違いないというラインをかろうじて保っていた。部活は中学時代にはバスケットボール部だったが、怪我が理由で高校時代は文芸部という地味な部活動で時間を浪費した。活動内容は特になく、放課後に図書室で本読んで、文化祭の頃には締め切りに追われながら部誌を発行するというTHE文系の活動である。ちーちゃんという中学時代から6年間清い交際をさせていただいていた彼女の所属する部活道だから、という理由だけで入部したやる気のない部員だったけれど……まあそれなり楽しかったなって今では思う。
その僕が大学進学を前にお屋敷と出逢ったのは去年の冬のこと。
「執事とかメイドがいるところに行くから、付いてきて」
ちーちゃんは帰宅しようとしていた僕の手を引いて連れ去ったのだ。これから予備校に行こうと思っていたけれど、ちーちゃんが言うなら仕方がない。いつものことだけれど、ちーちゃんの行動力は並外れていて、そして抗えない。僕は諦めて早足のちーちゃんの横に並ぶ。
「それってどこ? アキバ?」
「ううん、池袋」
「なんでいきなり?」
「予約したから。今日の16時半からの回で」
僕が腕時計を見ると時刻は16時少し前。学校から池袋までの道のりを考えると、結構ギリギリな時間だった。
それからは走るように電車に飛び乗り、乗り換えて池袋駅までたどり着いた僕達は平日だというのに人々の往来の激しい池袋を全力で走って、ちーちゃんの目的地だという『お屋敷』に向かった。
付いた時には薄っすらと汗をかいてしまっていて、瀟洒な景観の立派な建物の前で尻込みをし始めていた。学生服だし、見ず知らずのお店に行くという経験もあまりないし、それに執事とかメイドとか空想の世界でしか知らない僕にとってはハードルが高かった。
けれどもちーちゃんにとっては僕のハードルなど蹴飛ばして無視するだけであるので、そのまま手を握って、建物の中へと引きずり込んで行った。