第3話 私についてきなさい(晴子の場合)
「この暑い中、冷房はつかないんですか?」
「室内空気の解析やろうってのに冷房つけてどうすんのよ
ほら、教授が来る前にさっさと手を動かしなさい」
「りょーかーぃ」
事件から一週間後、
体育館では説明会が行われているころ。
事件の現場となった教室には、
数名の学生の姿があった。
国立京都中央大学、
世間一般では京大の愛称で親しまれているその大学の理学部生命物理学科
生命物理学研究室、通称――相沢研
何か大きな力が動いたとか動いていないとか
警察の上層部は科捜研の現場検証を早々切り上げ、
この事件の捜査、とりわけ現場の検証を相沢研に委託することとなっていた。
相沢恵が教授を務める研究室から派遣された学生は、
みな額に汗をかきながらも作業を続けている。
「たにぐちーー、そこらへんの埃とか集めて」
「清水さんにそれ持っていってください」
「空気のサンプルってどの高さで捕るの?」
「ちょっと!なるべく机とかには触らないで」
「廊下はどうすんの?」
「そっちもやるらしいよ」
「研究室に赤外分光法とガスクロマトグラフィーの準備の連絡入れといて」
そんな学生たちの会話を背にして
スミレの母、恵は廊下のある一点を見つめていた。
「どうしました?教授」
恵に話しかけたのは、相沢研の准教授である清水。
「これ、どう思う?」
恵が指し示したのは、廊下の教室とは反対側の壁。
その壁の一部は、蜘蛛の巣状に大きくへこんでいた。
「何かをぶつけたんですかね?」
清水はそれをじっと見つめながら続ける。
「見ると中の鉄筋とかも含めて曲がってますね
コンクリもはがれかけてますし、
相当に大きな衝撃でもあったんでしょうかね」
「そう、鉄球でもぶつけない限りこんなものはできないはずよ。
でも、事実として私の娘がぶつかってできたのよ、これはね。」
「え?」
「その上、スミレは教室の扉に手を掛けた状態から
この壁まで吹き飛ばされたって言ってるのよ」
「教室の扉から壁まで……って」
「目算2m弱ってところね」
「…………」
「体重がおよそ50㎏の娘を一度も地面に落とさず
反対側の壁へ持ってきて、なおかつ、壁が凹むほどの衝撃。
つまり、それだけの“エネルギー”がその時、その場には存在していた」
「なるほど。
だからこそ手当たり次第の解析なんですね」
室内空気に始まり、室内のごみや机、イスなど教室のあらゆるモノを相沢研は解析していた。
「必ず、何らかの痕跡があるはずよ」
「はぁ~納得です
教授がいきなりこんな件を持ってきてびっくりしましたが、
確かにこれは解析しがいのある“なぞ”ですね」
うんうん、と頷きながら清水は学生の指示出しに戻っていった。
そんな彼を見送りながら恵は、ひとつ、心の中でわびる。
これは、完全な“私的”な事情であって、さっきの話は後付け。
悪いとは思いつつもやめる気はない。
あの日、ナツキの消えたことを知ったスミレが、
病室で静かに涙を流していた――その姿を見て、恵は密かに決意をした。
「娘の涙を止めるのも母親の仕事よ」
誰に向けて言ったわけでもない小さな呟きは、確かにその場に響いていた。
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「ん?
ついてくるの?」
「え、えっと……」
「晴子はお兄さんを助けたくないの?」
「え?た、助けたいよ
でも……」
「ならついてきなさい」
「え?
ま、待って
事情が全く分からないよ
どうなってるの?
何か知ってるの?
あ、相沢さん」
「スミレでいいわ
私はお兄ちゃんを探しに行く
それ以上でもそれ以下でもない」
「?????」
「手伝うの?手伝わないの?」
「え?
て、手伝う」
よくわからない会話のキャッチボールで
晴子はスミレについて行くこととなった。
たかが中学生。
良くも悪くも何もできない。
そんなふうに考えていた時期もありました。
しかし、晴子はその日中に後悔することとなる。
なぜなら、その晩――
「松浦組4代当主
松浦弦之助」
「相沢流正統継承者の妹!
相沢スミレ」
極道の家で当主と今まさにタイマン張っているスミレ見ながら――
「ははは、うん、ははは」
乾いた笑い声が晴子から響いていた。
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KDDL-Security
大手通信機器メーカーの下請け会社では、
今週一週間の注文をまとめていた。
「今週は京都市でのメンテナンス多すぎません?」
今週に入り、通信機器の不具合などで、
会社にメンテナンスの依頼が多々入っていた。
それに加え、通信機器利用者からの苦情も多数寄せられている。
それら一連の障害は、
京都の、伏見区を中心とした地域に限定されていた。
「夏前はそんなもんだな
たまたま重なっただけだろ」
「でも、病院とか警察署とか
不具合あるって調べてみても何もありませんでしたよ」
「ああ、それはあれだ!
昨日、上から報告があってな
太陽風があったとかで乱れが生じたんだとさ」
「なるほど、それっすか
先輩、知ってたんなら教えてくださいよ」
他愛無い会話。
この2人はついに気が付くことはなかった。
通常、太陽風の影響は局地的に出るモノではなく、
地球規模で発生するものであると。
つまり、それが、原因不明のままにしておけなかったための方便であるということに。
お読みいただきありがとうございます。
短い上、次話への準備話だけになりすみません
次話 VSヤクザ編です
またお付き合いいただければ幸いです
今日も晴れ