天木総司
天木総司との出会いは小学校入学当初からだった。
総司は出会った時から大きい男だった。身体的な意味でも心的な意味でも。
嫉妬、妬み、憎しみ、そういう人間的にマイナスな感情をほぼ他人に見せない。
玩具を同じ園児に盗まれたことがあってもあいつは気にせずそいつと接していたし、殴られようが蹴られようが、どこ吹く風でその場に立っていた。皆が面白がってからかってもケラケラと笑って遊びに参加している。僕からしてみれば、何で怒らないのか不思議なくらいだった。
そう、これはある種いじめの類だったろう。あいつは同じ保育園から通っていたメンバーに、小学校でも同様の扱いを受けていたらしい。
僕が総司と同じクラスになったのは二年生の時だ。
別にその時は親しくはなかったが、僕はあいつのいじめられている光景を見ているのがどうにも不快だった。同時に、総司に対して妙なイラつきを覚えた。
「どうして、やられっぱなしなんだ?」
放課後の教室、居残り清掃で一緒になった時、どうにも我慢できず僕はストレートに彼に尋ねてみた。
「ん? 何のこと?」
「ほら、いつも一緒にいるあいつらに……」
「ああ、一緒に遊ぶ?」
「違う! ……いや、何で蹴られたり殴られたり、教科書に悪戯されたりしても怒らないのかってさ」
「え? ああ、そんなこと?」
「そんなこと……って。嫌じゃ……ないわけ?」
「うん、別に困ってないから」
満面の笑みでそう返され言葉を失ってしまった。
「……困ってないって、痛くないの? それに、教科書だって……」
何とか言葉を絞り出して食い下がるが……。
「あんなの痛くないよ。というか、あれ殴ってるの? 殴るっていうのは……」
そういうと彼は渾身の右ストレートを僕の顔面の――
ブオン!
――真横に振り抜いた。
物凄い、風圧と音が僕の耳の傍を通り抜ける。
「こういう感じ?」
「……わかった」
本当に、殴られることを気にしてないことがよくわかった。
というか、今の一瞬で察してしまった。こいつは、人間の種類からして違う。
恐竜が、虫を相手にしないのと同じレベルで肉体的な痛めつけなど無意味なのだ。
天木が本気で反撃などしようものなら、彼らは骨折ではすまないだろう。
「親父に鍛えられててさ。身体大きいんだからなんかやれって。後、絶対同じ年の奴には拳を振るうなってさ。だから、それ守ってるんだ」
「そうか、偉いね……」
「偉いのか? 言いつけ守ることが? そんなの誰でも出来るだろ?」
「誰でも、は無理じゃないかな。宿題だってチラホラ忘れる奴がいるんだし」
「わっかんないなあ。宿題なんて家に帰る前に終わるでしょ? 授業中にパパッとさ」
「……そうなの?」
「ああ、だって家に帰ったらすぐ稽古だもん。それが終わったら家庭教師までいるから遊ぶ時間も取れないし。だから教科書も困んないよ。もうずっと先の範囲やってるから」
何だ、この完璧超人……。
僕はちょっと呆れてきていた。最初の天木総司の印象が、話す前とは180度変わってしまっている。
「だからさ、友達が構ってくれるうちは嬉しいんだ。遊んでくれる奴、家以外にはここしかないから」
天木は、あいつらの『いじめ』を『遊び』と言い切れるほど、何も気にしていないと理解する。すでに、彼らと同じステージにすら立っていないのだ。いっそ、彼らが哀れに思えてきた。
「……でも、そういうの止めた方がいいと思う」
「? なんで?」
「僕が……見てて気持ちよくない」
自分勝手な言い分だが、他に言い方が思いつかなかった。
だが、総司はきょとん、とした顔をしたまま動かなくなった。
「君がそういう扱いをされて、なめられてるのを見るのは気分が悪い。気にしないのはいいけど、結局それって友達とは言えない、と思う」
「……」
「君が強いのはわかるし、強いのを見せつけないのもいいよ。でも、間違いはちゃんと言ったほうがいいと思う」
「……」
「……何か、言わないの?」
会話を始めて、初めて相手の顔から笑顔が消えたことに、不安が押し寄せてきた。何か、まずいことを言っただろうか?
「友達って、何なの?」
天木からはシンプルな質問が返ってきた。彼はとても、真剣な目をしていた。
「……文字の意味でいいなら」
「文字?」
「共に達すると書いて友達。一緒に何かをする仲間、そういう関係だよ。君と彼らの関係は一方通行だと、僕は思うよ」
天木は俯いてしまった。
あの元気な笑顔はどこにもない。しかも、それどころか……。
「ぐすっ……」
「!?」
何と、泣きべそをかいていた。
「お、おい。大丈夫……?」
「……ぐすっ……ありがとな!」
ガシッと肩を掴まれ、そのままハグされてしまう。
「……あの?」
「俺、友達、いなかったんだな」
「ま、まあそうだね」
「俺のことを実は何も考えてないあいつらと、俺とじゃ、そりゃ心なんて通わないよな」
「う、うん……」
どんどん彼の締め付けがきつくなる。ちょっとどころか、かなり……苦しい。
「お前、いい奴だな」
「……はい?」
「俺のこと、心配してくれて」
「いや……ううん、そういうことに……なるのかなあ?」
正直、そんなつもりだったのか心配してたのかまったく自信はないが、天木はそう受け取ったようだった。
「じゃあ、お前は友達なんだよな!」
どうしてそうなる。
「俺のこと考えてこんなこと聞いてくれて、心配してくれたんだろ? それって俺のことを一緒に考えたってことで……一緒に、達成する、文字的に友達じゃん」
「……はは、えーと、そう……かな」
なんか上手いこと言質を取られてしまった感はあったが、もうどうしようもない。
ここで断って下手な刺激を与えでもしたら、このベアハッグの状態では背骨を折られかねない。
同意して早く解放されたほうがいい。……それに、この状況に困ってはいたが、友人になることに関してはさほど抵抗はなかった。何となくだが、一緒にやっていけそうな気はしていた。
「……じゃあ、友達になろう。だからこれを離して……」
「おう!」
ベキッ
――あ。
「お、おい! す、すまん大丈夫か!?」
見事に力を入れ過ぎた天木の抱擁により、僕はこの後しばらく学校を休んだ。勿論毎日あいつは見舞いに来て、そのうち気が付けばお互いを名で呼ぶようになった。
――総司の涙はそれ以来見ていない。
◆
……少し、意識を失っている間に昔のことを思い出していたようだ。
……動けない。
指一つ、動かせない。
僕は今、キメラの目の前に倒れ伏している。
無数の切り傷で体中から血が流れ、もう――体に力が入らない。
最後の行動はハッキリと覚えている。
剣は、キメラの目に吸い込まれるように突き刺さった――はずだった。
奴は突き刺さった剣をそのままに、なんと咲楽の剣すらも取り込んでしまったのだ。
僕はその直後、奴の咆哮から放たれた無数のかまいたちのような風を受け、倒れたのだった。
――どうしようもないほど、絶望的な、完敗だった。
これほどまでに差があるとは。予想の中で最悪の結果である。誓いも――約束も――僕は守れなかった。
もう、本当にどうにもならない。
武器もない。
動く身体もない。
そして、意識もいつ途切れるか……。
こんな状況でも冷静なのは、頭にもう血が回っていないからだと思う。身体から、熱がもう――奪われていっている。
死ぬのか。
後悔はある。
だが、もうそれすらも遅いのだ。
どすん、と近寄って来る音が聞こえた。
僕はゆっくりと目を閉じ――
バゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
炸裂音とキメラの苦悶の声で、目を開けた。
「――」
信じられない。煙の立ち上る僕の目の前には、あいつが立っていた。
「よう、無事か遼平」
天木総司。僕よりも一回り大きな、親友の姿が。
「行くぞ!」
総司は僕を担ぎ上げた。
声を出して色々問い詰めたかった。
何をしていたのか、何をしたのか、どこに――。
でも、声が出ない。その力すらももう――。
「ったく死ぬんじゃねえぞ!」
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「お前はこれでも食らってろ!」
何かを投げる音。
再び起きる炸裂音。
遠のく意識の中で、僕は総司の力強く大地を駆ける音を聞いていた。
更新再開しました。子供の体調も戻ったのでしばらくは更新続けます。
ようやく総司君を出せます。しばらくは彼のターンです。