血
距離にして数メートル離れた別の洞穴から彼女が行き場を無くし崖の手前で止まっている。
「こっちに来れるか!?」
「や、やってみる……けど」
あすかの出た穴からこちらには三十センチ程度の、まさに足を滑らせれば奈落の底に落ちる程度の足場がこちらに続いていた。崖にへばりつきながら彼女は必死にこちらに向かう。そこへ――奴が現れた。
低い唸り声を上げ、壁面から顔を出す。
穴はミシリ、と音を立て、最早大きく突き破りそうである。
「ひっ」
あすかは悲鳴を上げる。元来怖がりでもないあすかが、恐慌するほどに我を見失っている。
「大丈夫だ、早く!」
僕は咲楽の剣を左手に構え、右手をあすかに伸ばす。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「!」
その瞬間だった。キメラが、魔力を爆発させたのは。
揺れる地面、飛び散る礫。あすかがバランスを崩し、足を滑らせる。
「掴め!」
「ああああああ!」
あすかは何とか片足で足場を蹴り、僕の手を掴んだ。しかし――。
バシュン。
音と閃光があすかの背後からしたかと思った瞬間、僕が引き寄せた彼女の身体から力が抜ける。倒れこむように彼女は僕に覆い被さったまま、動かない。そして、彼女の背中を触った僕の手にぬめった感触がやって来る。
「あすか!?」
僕は身を起こし彼女の背中を見る。
彼女の背中の服はぱっくりと裂け、大きな刀傷のようなものがつき、血が噴き出していた。
キメラのほうを見ると奴は尻尾を穴から出し、こちらに向けていた。その尻尾は怪しく光り何か魔力を使ったような痕跡があった。それで、彼女を傷つけたのだろう。
「あすか、ちょっと我慢しろよ!」
僕はあすかの肩を掴み引きずるように移動する。この位置はまずい。治療するにも場所を変えねばまた奴がやって来る。
「ググウウウガガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
激しい奴の咆哮を背に、僕は右手にあった穴に滑り込み、滑り台のようにずるずると階層を下がっていく。時間にして一分にも満たないだろう。しかし今はもっと長く感じられた。
ズザザッ。
滑りながら数十メートルは下がっただろうか。長い血の線が坂道についている。
「あすか!」
抱え込んでいたあすかに声を掛けるが反応は薄い。呼吸はしているが浅く、元気の欠片もない。その間にも血は止めどなく彼女の身体から噴き出している。どこか、動脈を傷つけられたのかもしれない。
僕はすぐにマナストーンの入っているバックパックを開けた。
「どれか、使えてくれよ……」
危険だのつべこべ言っている時間はない。全てのマナストーン武器を確かめ、回復能力を持っているものがないか探すしか、この場所であすかを救う手段はない。肝心のエリスは未だに石のままだし、僕が何とかするしか手立てはないのだ。
「ぐあっ……」
いきなりハズレを引いた。握った短剣からは恐怖や不安の感情が魔力と共に一気に流れ込んで来た。感情のマイナス要因を多く持った武器を使おうとすれば自分もそれに引きずられるらしい。一気に自分の体温が下がったような感覚に陥る。すぐさま武器を手放したが……これは、きつい。能力を引き出すどころの騒ぎではない。
だが、猶予なんてものはない。やるしかないのだ。
「……待ってろ、あすか」
僕は作業を続ける。
「ぐぎっ……」
駄目。これも駄目。こっちも……。
痺れるような感覚が身体全体に広がっていく。駄目だ。どれもこれも、雑魚を倒した武器は使い物にならない。
意志が薄い、もしくはマイナスの思考を抱えている物ほど、魔物も武器も形状が小さくなるのではないか、と感じた。まるで、使い物にならない。試すだけ時間の無駄だ。
残るは――。
僕は大蛇の、落合を倒した際に入手した鞭を掴む。
一度試した時には何の反応も無かったし、他のマナストーン武器と比べても光り方が違う。他が銀、もしくは虹色に輝きを放っているのと対照的に、こいつだけは光彩を放っていないのだ。
もう一度念じてみる。強く、語り掛けるように。
「応えろ――」
何度もマナストーンの魔力を通した結果、もう腕に感触が感じられなくなってきていた。
負の感情を持った魔力がそれだけで毒だということが痛いほどわかる。それでも何回でも魔力を通す。僕は友人を救う、そう誓ったのだ。
あすかの顔を見るともう真っ青だった。血の気が――生気が完全に消えようとしている。
「何とか言えよ――生徒は、お前のリソースじゃないのか!?」
利用するばかりじゃなくて、一度ぐらい生徒を救ってみせろ――!
シュルッ
「!?」
鞭が、あすかの血に反応するかのように、あすかに巻き付いたのはその時だった。
『勿体ない』
そう、鞭はハッキリとそう言った。
『勿体ない。勿体ない。勿体ない』
掻き集めるように、血を吸い上げるように鞭が真っ赤に染まっていく。
『大事な、私の生徒』
その言葉と共に、鞭はいばらのような棘を出し、あすかの全身に巻き付いてしまう。
『私の生きる、糧』
まるで脈打つ血管のように、あすかから滴る血を鞭が吸い上げ、それをまた彼女の全身に循環させていく。それはまるで、人工心肺に繋がれた患者のようだった。
寝そべるあすかの顔色にも血の気が差し、明らかに生命力が戻っていることがわかる。
これは、もしや――。
「寄生――しているのか?」
この武器――落合から生まれたマナストーンは宿主を見つけ発現するタイプの武器なのかもしれない。
宿主を取り込み、一緒にいることで初めて能力が顕現する、何とも落合らしいと思う。
ただ、このままでいいのかは正直分からない。何かマイナスの、呪いのような効果かもしれない。しかし、あすかの生命が維持出来ていることは確かだ。しばらくはこのままにするしかないだろう。
「あすか、話せるか?」
「……遼平、くん」
弱弱しい反応だが、会話ができるようだ。
「よかった。生きていて……」
「ケイを……助けて」
予想外の人物の名前が彼女から漏れる。
「ケイが、生きているのか!?」
「……襲われたの、あいつに」
「あの、化け物に?」
あすかは弱弱しくだが、肯定の頷きを返す。
「あいつは――あれは……ゲホッ……」
「あすか!?」
あすかが血の塊を吐き出した直後、彼女の口を塞ぐ様に鞭が枝分かれし巻き付いていく。鞭はさらに伸び、もう覆っているところがないくらいに、彼女をミイラの包帯のようにグルグル巻きにしていく。
――治っているわけではない。気付いたのはこれは、血の流れを取り込んで維持しているに過ぎないということだった。死なせないために、最低限の生命維持を行っているに過ぎないのだと。早めに、根本的な治療を受けさせなければならない。それには――。
「エリスを、戻さないと」
もう、現実的な手段は残っていない。一刻も早くエリスの鞄を見つけよう。
それだけではない。
――ケイ。
あいつが生きて、ここにいる。
その情報は何物にも代えがたい。必ず助けに行く。
しかし、あの魔獣――この際キメラと呼称しようか――は、どうやらこのあたりを徘徊し、生存者を襲っているようだ。
ケイもあすか同様、奴に襲われたらしい。無事だろうか? 力の底も正体の分からない相手に無謀にも戦いを挑むのは本意ではないが、倒さねば助けられない状態になっていたら、覚悟を決めて戦うしかない。
「あすかは……動かせないな」
不本意だが彼女はここに置いていくしかなさそうだ。
今まで周囲を観察する余裕も無かったので今更ながら見渡してみるが、スロープ状の穴から飛び込んで来た以外の出口が見当たらない。僕らの居る場所は完全な行き止まりで、周囲を壁に阻まれている。
逆に言えば助かった。これならあすかを置いて行っても魔獣に襲われるリスクは少ない。
スロープも登れないほど急ではないのでゆっくりとだが取っ掛かりの岩を探しよじ登る。地面に付いた血の跡が痛々しかった。
多忙により明日は更新お休みします。明後日更新します。