死
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終わらぬ命とは何か。もし人が、不死身にして何万年と生き続ければどうなるのだろうか。恐らくは心の内から腐っていき、最早生物とは呼べぬものになるのだろう。
命はいずれ終わるからこそ美しい。その生の意味が濃厚なほど、その生命は美しさを増していく。
今しがた、非常に美しい生命を「視た」。孤独と戦い、悲しみを振り払い、たった一人で友の仇を取った青年。その身体は傷だらけだったにも関わらず、彼は満足した表情でいた。誰にも知られず、誰にも賞賛されない閉鎖空間の中で、彼は一人の英雄だった。
目を開けた。小さな和室が見えた。見慣れた光景だった。畳の上に正座していたのを、足を崩して胡座をかく。はぁ、と一息ついた。
おもしろかった。
非常に不謹慎だな、とは思いながら、そう感じずにはいられなかった。元々、人の生死など無数に見てきてしまった。信じたくは無いが、人は死に立ち合うことだって、何度も経験すれば慣れてしまえるのだ。
また、人の死というネガティブ要素を吹き飛ばすほどの魅力が、先程の戦いにはあった。空虚で無意味だった一つの心が、一転して燃え盛り輝く瞬間をリアルタイムで観察出来てしまったのだ。
この世界では、…この、コロニーのなかでは。そのような状況になることが殆ど無い。人々の思考は止まってしまっている。言われたことをただ作業的に行い、自分で考えることをしようとしない。もともと、この国の人間はそういう風に生きてきた。この国が数百年と平和を保てていた時期があったのは、長いものに巻かれ、苦難悲愴屈辱に堪え忍び、ただ上の者に黙って従っていられる気質があったからだ。そして、殆どの人々は自らそれを望んでいたのだ。この国のいざという時の団結力の強さは、そこに由来するものがあると思う。
平和が終われば、やがて戦争の時代は幕を開け、それが終われば再び訪れたのは仮初めの平和、そして再び戦争。しかし今度は普通の戦争ではない。未知の異星人との戦争である。
科学的技術力で言えば、明らかに人類側に分があった…というか、相手は月に基地を建造して以降、兵器を一切使ってこなかった。異形の化け物ばかりを地上に送り込み、殺戮を行わせていたのだ。しかしいかんせん、数がやたらめったらに多い。しかも、一つ一つの生物の戦闘力、生命力は異常に強い。
戦争は幾年も続き、無数に湧き出てくる化け物に、人類は疲弊しきっていた。その時、当時の天皇…初代東京皇帝となる人物が、異星人の到来以降、不思議な力に目覚めたそうだ。それだけではない、世界各地の高名な家柄の人々…あるいはそうでない少数の人々も、同じような力を得ていたのだ。
初代東京皇帝は、その中でも有数の力を持っていたようだ。殆どの世界中の能力者は、その力を用いて戦争を行うことを決意した。しかし初代東京皇帝は体が弱く、戦争をしている間にもいつ死んでしまうか分からない状況だった。彼は自分が死んでしまう前に、日本という国を異星人から守らなければ…そう思った。その結果は、あまりにも極端すぎるものになってしまった。
初代東京皇帝は、その強大すぎる力を用いて、日本という国を生物の棲めない場所にしてしまったのだ。即ち、有毒ガス、ガラス片、水銀、高熱、寒冷、その他、それらで地表を埋め尽くしてしまった。そして、人の生きる場所として、全国に巨大な穴蔵を幾つも作り出した。…コロニーの誕生だ。
戦争が苛烈を極めた時期であり、政権など無いに等しく、またコロニー移住のどさくさに紛れて、軍部はコロニー内の実権を掌握した。しかも異星人に多大な恐怖を抱く人々は、それを良しとしてしまった。それから長い時が経ったが、人々はまだ穴蔵に籠ったままで、地上を離れてから止まってしまった時を動かそうともしない。
和室の中、一人で溜め息をついた。子供の頃から、自分は何故こんなところに居るのか、と疑問に思った回数は計り知れない。こんなところとはコロニーの事ではなく、この和室のことである。この狭っ苦しいコロニーの中でも、実に幸せそうに暮らす人々はたくさんいる。何故自分はその人たちと一緒に居られないのか。
答えはすぐに出てくる。自分が皇帝の血筋を継ぐものであり、人を神器の力に目覚めさせることが出来るからだ。自分が、現東京皇帝だからである。
自分には初代東京皇帝のような攻撃的な力は無いし、それにコロニー内を軍部が纏めていることも事実なので、自分が軍部の傀儡と化しているこの状況も、致し方ないことではある。
だが、こんな状況を続けたままでいるつもりはない。もうすぐ始まる。自分が隠し続けている能力…この千里眼とテレパシーで、もうすぐ大きなことが始められる。きっとそれは、世界を変えうる可能性を秘めている。
自分の今いる部屋に近づく者が「視え」た。二人の男だ。
コンコン、と洋風のドアが叩かれる。厳格な和室に何とも似合わぬデザインであると、毎日のように思っている。入れ、と一言言う。ドアが開かれた。
「失礼します。皇帝陛下、ご機嫌いかがですか」
微笑しながら、黒い軍服に身を包んだ男が入ってきた。名は新嶋という。 皇帝は露骨に嫌な顔をした。
「君が来たから気分が悪くなったよ、将軍」
新嶋は笑みを深めた。
「どうやら、絶好調のようですね」
気にも留めていないようだ。いつものことである。この男の貼り付いたように固定的な顔は、心情を読み取りにくくて敵わない。
「何の用だい」
「アカデミーとの合議があります。イレギュラーについての扱いの取り決めを行います。また、新世代計画についての話し合いも行われます。皇帝陛下がやるべきことはありませんが、何分重要な合議ですので、出席していただいた方が宜しいかと」
「ふむふむ」
皇帝は腕組みして、わざとらしく頷く。
「つまりは、ただの飾りだね。別に僕を連れていきたくは無いけれど、この合議で帝国軍とアカデミーの上下関係が変わるかもしれない。この面倒臭い男をアカデミーの人間の前に出すのは気が引けるが、それ以上にアカデミーを牽制するためには必要だから仕方なく同行させる、と。分かった、全部理解したよ」
皇帝は至って真面目な口調で、にっこりと笑って言った。
「ええ、何一つ理解して頂いていませんが、承諾はしていただけたようですね」
新嶋も負けず劣らずの接待スマイルで答える。働き盛りの男の笑顔は鬱陶しいほどに存在感を放ち、皇帝は笑顔のまま心の内をどす黒く変化させていた。
新嶋の後ろに立っていた男が、口を挟んでくる。
「将軍閣下、皇帝陛下。話がついたようであれば、今すぐにでも移動した方が宜しいかと。所長と学院長は既にアカデミーを発たれたようです。先回りしておいた方が、何か言われることもありませんし、心の準備もできるでしょう」
ガタイのいい初老の男、鬼塚だ。聞き慣れた渋い声に、皇帝は少し心持ちを穏やかにする。が、顔には一切出さない。ずっと作られた笑顔を維持している。
「わかったよ。じゃあ行こうか、将軍」
「はい。ご案内します」
「別に道なら分かるよ、行こうと思えば一人でも行ける。どうせ一般人なんて居ないだろ?」
「皇帝一人で出歩かれるなど、許可するわけにはいきません」
「そうだよね、僕は帝国軍に都合の言いように使われるためのものだからね」
「ご案内します」
嫌みったらしく言った皇帝に対し、新嶋はさらっとした口調で繰り返した。皇帝が嫌々立ち上がると、新嶋は付いてくるように促して、ドアから出ていった。靴を履き、皇帝も後に続く。皇族の和風装束に、洋風の革靴。結構なちぐはぐさを感じるが、この格好にももう慣れてしまった。
鬼塚は皇帝の後ろから付いてくるつもりなのか、ドアの横に立って待っていた。横を通りすぎる瞬間、ちらりと視線を向ける。
『お疲れさま』
『どうも』
頭の中に、声を響かせる。この能力による会話も、もう何回目になるのだろうか。
『そういえば黒瀬君の方を「視る」のを忘れてたけど、どうだったんだい?』
新嶋の後ろを付いていきながら、鬼塚と会話する。
『イレギュラーを取り逃したようですが、あいつは無事でした。新世代計画の娘については、そんなに大丈夫では無さそうですが』
『そうなんだ』
後ろを歩く鬼塚の顔を見ることは出来ないが、きっと嬉しそうな顔をしているのだろうな、と思う。鬼塚は、どんな部下や友人よりも黒瀬を気にかけ続けていた。…その理由も、何となく知ってはいるのだが。
と、そこで皇帝は、一つ引っ掛かる単語があることに気付いた。
『え?イレギュラー?』
『はい、黒瀬はイレギュラー討伐の任務に当たっていましたが、知らなかったのですか?』
皇帝の目の動きが固まる。それでも歩を進めることには変わりないが。変な動きをして新嶋に不審がられてもいけない。しかし、イレギュラー?
『…知らな、かったんだけど。』
『そうでしたか。いつもの通り、いつの間にか情報を得ているものかと思っていました』
『イレギュラーと黒瀬君の損傷状況はどんな感じなんだい?』
『どちらもほぼ無傷です』
『そっか、ならいいんだ』
皇帝は安堵する。本気で戦えば、どちらかが死ぬまで終わらないと思っていたが。イレギュラーも黒瀬も、頑固な性格であるし。
『イレギュラーを損傷させたく無いのですか?』
『うん、それもあるけど、黒瀬君は多分あいつには勝てないだろうからね。むしろ彼が殺されないかの方が心配だった』
鬼塚が少し黙る。皇帝が不思議に思って返答を待っていると、やや強めになった声色で言う。
『あいつはあいつで、結構強くなってますがね。佐官になったときのような狂気的な強さはありませんが、今でもイレギュラーにひけはとらないと思いますが』
何だかむきになっているように、鬼塚はそう言う。皇帝は頭の上に疑問符を浮かべていたが、何となくその意味が分かった。黒瀬のことを悪く言われたく無いのか。
『ふふ…そうだね。確かに黒瀬君も、あの身体能力に神器の力が加わっているし、並の戦闘力ではないだろうね』
『はい』
満足気な口調になる。怖い顔して、中身は案外可愛い奴だ。
『ところで、黒瀬君がイレギュラーを取り逃したってことは、新世代計画の8号も任務失敗って扱いになるんだよね?』
『そうです』
皇帝は少し考え込む。先程「視た」映像と、イレギュラーの任務についてのこと、そしてこの合議の論題について。良い方へなのか悪い方へなのかは分からないが、状況は確実に変わっていっている。
『もしかしたら、また鬼塚に頼むことになりそうだ』
『何か危険因子でも現れましたか?』
鬼塚は警戒するようにそう言う。皇帝は笑って否定する。
『いやいやそうじゃなくて、…新人の勧誘、かな?』
そう答える皇帝の口調は、実に楽しそうなものであった。
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「何ですかこれ…」
「いや、俺も初めて来たんだが…」
大きな門の前で、黒瀬とアカネは立ち尽くしていた。門の奥に見えるのは、宮殿と呼ぶのがふさわしいくらい馬鹿でかい建物。噴水、草花、舗装道路、いかにもな大豪邸の前で、二人は呟きあっている。
門の横のモニターが、家主を映し出す。褐色の肌で、体つきの良い男。黒瀬の友人、安堂である。
《あ、ごめんなさい。家はセールスはお断りなんで》
「お前の目は節穴か?頭の中は空洞か?」
黒瀬はモニターを白い目で見ながら答える。男女二人組(内一人はヒラヒラワンピース)のセールスがあるものか。
《え?そんな態度取って良いの?そこ通りたいんじゃないの?もっとほら、誠意を見せないとさ。家には入れないんだよ?》
安堂は意地の悪い笑みを浮かべて、うざったい口調でそう言う。うん、いつもの安堂だ。どうやら元気でやっているようだ。
黒瀬はそう思った後、くるりとUターンして歩き出した。
「帰るぞ、アカネ」
「あ、はい」
二人は至って自然に、来た道を引き返していく。ガタン、と何かぶつかる音が背後から聞こえる。安堂がずっこけでもしたのだろうか。
《待て、待て!待って!何の為にここに来たんだよ!もう少し粘ってみても良いんじゃないかな!?もしかしたら入れてくれるかもよ!?》
「アカネ、夕飯は何を食うか」
「え?自分が決めて良いんですか?」
《ナチュラルに無視するな!》
モニター一杯に映し出されるほど前のめりになって、安堂は叫ぶ。しかし後ろを向いて歩き出している二人には、その姿が見えることはない。
《ちっ、しょうがねぇな~入れてやるよ!今から門開けるぞ!》
「アカネ、次の階層間エレベーターの時間は何時だった?」
「えーっと…待ってください、今時刻表を」
《いや、聞けよ!てか入れよ!》
黒瀬は気にせずどんどん進んでいく。アカネはちらりと振り返ってモニターを見つめた。
《悪かった、悪かったから!帰るな!帰らないでくれ!》
必死の形相で画面に張り付く男が居た。
「…少佐殿、良いんですか」
「ほっとけ」
黒瀬は目線をやることもせずに歩き続ける。あいつの扱いの面倒臭いことは前々から知っているが、一度分からせてやらないと反省しない。そして自分もすっきりしない。ので、今回は最後まで無視してやろう。
そう考えていたのだが、突然目の前に人影が現れ、立ち止まる。長い金髪に青い目をした、メイド服の女。いかにも、という感じの、大豪邸によく似合うメイドだ。黒瀬は一瞬戸惑ったが、その顔を見ている内に記憶が思い起こされてきた。
メイドは深くお辞儀をする。
「お久し振りです、黒瀬」
一切の笑みはなく、真面目な表情を崩さずにそう言った。彼女も黒瀬の友人である。名前はアリサと言う。
「…久し振り、と言う前に、その格好について聞きたい」
黒瀬は若干引きながら言う。アリサは自分の服を見やると、ああ、と気づいたようにして答える。
「亮二が、この格好をして欲しいと言ったので」
「安堂がやらせてるのかよ…嫌なら断ってもいいと思うぞ」
「あの人の面倒臭さは、今に始まったことではありません」
「そうだな」
学院生時代から、一切変わらない面倒臭さだ。
「それに、これが亮二の望むことなら、私は別に嫌なわけではありませんので」
「あっ、そう」
表情を変えぬまま、恥ずかしがるようにして頬を赤らめて言われる。黒瀬は適当に流した。惚気かよ。
「貴方も、彼の扱いには慣れているでしょう?ああ見えて、亮二は貴方の訪問を楽しみにしていましたから、意地悪せずに行ってあげてください」
「意地悪されてるのはこっちだと思うが」
「遊んで欲しいだけですよ」
アリサの言葉に、黒瀬はため息をついた。
「…お前がそう言うなら、行ってやらんでもない」
「そうですか」
そこでやっと、アリサは小さく微笑んだ。黒瀬は何となく、昔はこんなやり取りばかりしていたな、と思った。
アリサは門の開いた屋敷の方へ向かっていく。黒瀬とアカネもそれに続いた。
アリサは横目で黒瀬の後方を見やる。
「そちらの方は?」
黒瀬の後ろに立っていたアカネはびくっと反応し、あわあわとして答えに窮する。軍人に向ける用の挨拶しか思い浮かばないのだろうか。
「俺の部下だ」
「ア、アカネと言いまふ!」
噛んでる噛んでる。折角フォローしてやったのに。
「アカネさん、私の名前はアリサです。宜しく」
「宜しくお願いします!」
今度はビシッと返事をした。定型文なら言えるのか。
アリサはアカネを見つめて暫く考えた後、黒瀬の目を見て言った。
「職権濫用ですか?犯罪に至るような事はなさらない方が」
「そう言うと思ったが、全くそんなことはしていない」
「休日に女性の部下と出掛けること自体不自然ですが、そんな格好をさせていると、まさにデートって感じですよ」
「デ、デートッ!?」
今まで黙っていたアカネが、その単語に反応して顔をボンッと赤くする。確かにかなり親密な仲でないと、こんな格好で休日を共に過ごしたりはしないか。
「こいつはちょっと訳ありで、私服ってもんを持ってないからな。俺がさっき買ってやった」
「成る程、押し付けがましく金を渡して、体の方をおいしく頂くという算段ですか」
「お、おいしく頂かれるんですか!?」
「どこに反応してるんだ。そんな悪意を持ったプレゼントはしていない」
「それに、私服を買って差し上げたと言っていましたが」
アリサはアカネの格好を見回す。
「所々、貴方のフェチズムが見られるというか、正直こういう服装が大好きですよね?」
「えっ、ええええ!?そうなんですか、少佐!?」
「ああ、そうだな」
「そうですよね、そんなわけ…えええええええ!?そこは否定するところじゃ無いんですか!?」
アカネは手をぶんぶん振って混乱している。一方の黒瀬は至って冷静にアカネの姿を見つめる。
「否定する箇所が無いな」
「亮二もそうですが、こういう『いかにも』な服装が好きですよね。男性は皆そうなのでしょうか」
「さあな」
「…しかし、綺麗な肌ですね。特に露出している生足は服装の白さに負けていないほど美しい」
「そうだろう」
アリサと黒瀬は、二人してアカネの足を見つめる。アカネは慌てて両手で足元を隠す。
「な、なんでそんなに凝視してるんですか!」
「アカネさん、太股を触っても良いですか?」
既に手を前に出し、近づいて来ながらアリサが言う。
「駄目です!」
「良いぞ」
「分かりました」
「えぇーーー!?」
アカネの叫びは、広大な中庭に響き渡る。その日彼女は、人生で最大の辱めを受けた。
「よう、よく来たな!」
多種多様なモニターが置かれた巨大な机の前に、安堂は座っていた。右手を挙げ、満面の笑みで出迎える。大きな屋敷の中の一部屋なのだが、一軒家くらいの広さはあるのではないだろうか。全体的に散らかっていて、機械部品などが転がっている。
黒瀬は安堂の前に近づいていく。安堂が先に切り出した。
「久し振り、元気だったか?」
「何か言うことは」
「軍人って時間取れないのか?暫く会ってなかったよな~」
「何か言うことは」
「悪ふざけしてすんませんでした」
「いいだろう」
安堂は椅子を降りて土下座した。黒瀬はその姿を見下ろしながら仁王立ちしていた。
赦しを得た安堂は、起き上がって椅子に舞い戻る。黒瀬は、来客用と思われるソファに座った。アカネは黒瀬の横に座り、アリサは立ったままソファの後ろに居た。
「いや~、帝国軍の佐官サマともなると、あんまり休日とかも無いもんなのか?」
「思ったよりはあるけどな」
「じゃあ何で家に来てくれなかったんだよ!何度も招待してたしゃん!」
「いや、面倒臭かったし」
「階層間エレベーターからそんなに遠い立地じゃないぞ!?」
「いや、お前の存在が面倒臭かったし」
「流石に酷くねぇか!?」
安堂は黒瀬に抗議しつつ、アカネの方を向いた。
「で、そちらはお前の彼女さん?」
「かっ、かの!?かの、かの」
「おい、バグるな。お前も変なことを言うな」
アカネはいつも通り、赤くなって挙動不審になる。アリサが横から口を出してくる。
「黒瀬、亮二はさっきの会話を聞いていましたよ」
「え、それ言っちゃうの!?」
「お前、反省してないみたいだな」
「違う、違うよ!彼女の緊張を解してやろうと、さあ!」
「あ、あの!」
騒いでいる三人の中で、アカネが一声上げる。三人の目線がアカネに集まった。アカネはうっ、と尻込みながらも、おずおずと問い始める。
「皆さんは、どんな感じの知り合いなんですか…?」
我ながらよくわからない質問だと思ったが、ニュアンスが伝われば良い。安堂が黒瀬の方を見る。
「お前、そんなことも言ってなかったのか」
「そういえば、忘れてたな」
お互いに顔を見合わせる。アリサは、ソファの後ろからアカネの肩に手を置いて、アカネの斜め上から顔を出して言った。
「私たちは、帝国立学術学院…帝国軍とアカデミーの下に属する学校の同級生です」
安堂は頷いた。
「そういうこった。俺は工学科、黒瀬は帝国士官科、アリサは医学科。本当、こんなにバラバラでよく知り合ったなって感じだけど」
「そうだったんですね…」
「ああ、俺が帝国軍に入ってからはたまにしか会わなくなったけどな」
「その間に俺は、帝国軍サマ相手の機械部品生産で一儲け、って訳よ!」
安堂はそこら中に転がっている部品の中から、一つを拾い上げてニッカリ笑う。
「お前らの使ってるオブシディアは、俺のおかげで一世代先へ進めたんだぜ?感謝しろよ」
「感謝の証として金をたんまり貰ってるだろ。こんな大豪邸作りやがって」
「わはは、驚いただろ」
「本当、好き放題やってるな」
黒瀬は呆れたように呟いた。安堂は景気よく笑った。
「それで、どうして今日は部下なんて連れてここにきたんだ?」
安堂は黒瀬に問い掛ける。友人の所に出向くだけなら、一人で良いはずだ。黒瀬なら、そちらの方を好みそうだし。黒瀬はあー…と呟いて考え、返答する。
「何でだろうな」
「適当ですか!?」
真顔で言う黒瀬に、横のアカネが反応する。
「うん、そうだとは思ったけどな。お前、何か考えてそうで何も考えてないこと多いし」
「良いじゃないですか、多い方が楽しいですし」
アリサはアカネの後ろから、首に腕を巻き付ける。アカネは先程の経験からか、微妙に警戒して遠ざけた。
「まあ、恥ずかしがりやさん」
「多分本気で警戒してるぞ」
うっとりして言うアリサに対して、黒瀬が突っ込む。アカネは黒瀬の方を見つめて目で助けを求めるが、黒瀬はその目線を無視して立ち上がる。
「手洗い貸してくれ、どこにある?」
「ん、そこ出て右行って、廊下の突き当たり」
「分かった」
「待っ、待って下さい少佐!私ももよおしました!」
「そういうことを淑女が言って良いのか」
アリサの腕の中から、アカネが必死に手を伸ばす。アリサのロックはガッチリとして、アカネを離そうとしない。
「ではアカネさん、私と一緒に行きましょうか」
「いいっ!?いやっ、結構ですぅ!ああっ、待って!助けてください少佐ぁ!」
女性達の喧騒を背にして、黒瀬は部屋を出ていった。
部屋を出た黒瀬は手洗いを通り過ぎ、それなりに広いバルコニーを見つけた。外に出ると風が髪を撫でていき、爽やかな涼しさを感じる。グレーの絵の具で塗り固められたように曇った空は、真下に見える絢爛な庭園に不釣り合いだった。
さっきまでは晴れていたのにな、と思ったが、特段陽射しに対する未練があるわけでもなかった。晴れや雨が好きだと言う人はいるが、曇りが好きだと言う人は少数である。黒瀬のその内の一人だった。
白塗りの椅子に腰かけると、ポケットから小さな箱を取り出した。その中から出てきたのは煙草だ。火を付け、優しく息を吸い込む。白い煙を吐くと曇天の色と混ざりあって、何だか曖昧な感覚を得た。
旧友との再会は、様々な記憶を思い出させる。良いものも悪いものも一緒くたにして。心に悪いものが溜まりすぎたら、煙草の煙と共に吐き出す。…吐き出したつもりになっているだけだろうか。だが、それでも良いと思う。
花の揺れ動く様だとか、雲が移動していくのだとかを何となく眺めながらゆっくりと時を過ごしていると、後方でドアが開く音がした。黒瀬はそちらに振り返らなかったが、近付いてくるヒールの足音で、それが誰だか分かった。
「随分と長く用を足されていますね」
「だから、女性がそういうことを言って良いのか」
椅子の横に立ったアリサに対し、やっと黒瀬は顔を向け、答えた。胸ポケットから携帯灰皿を取り出して煙草の火を消そうとするが、アリサは右手を突き出して制止した。
「俺は女の前では」
「知っています。ですが私も喫煙者ですので、問題ありません」
アリサは静かにそう言う。黒瀬はそれでも、煙草を咥えようとすると何となく納得できない気持ちが込み上げてきた。
黒瀬は煙草を持っている手を静止させて暫く考えた後、アリサに向かって箱を差し出した。
「じゃあお前も吸え」
アリサは驚いた顔をして、しかしその後ゆっくりと微笑んだ。
「はい」
曇天の下、豪華なバルコニーで二人は煙を浮かべる。黒瀬は背もたれに寄りかかったまま、アリサはその横に立ったままで。不思議な雰囲気だった。思えば、学院生時代もこの二人だけで過ごしたことは少なかったかも知れない。
「貴方に煙草を勧められるとは思いませんでした」
「そうか?」
「ええ、以前の貴方なら『もう吸い終わった』などと言って部屋に戻っていたでしょう」
「…どうだかな」
「物腰が柔らかくなりましたね、良いことです」
アリサはそう言ってクスリと笑った。黒瀬はその顔を見つめる。
「お前も変わったな」
「私がですか?」
「前はそんな風に笑わなかった。安堂の前であってもな。何か嬉しいことでも?」
「可愛い女の子が家に来てくれたことでしょうか」
「…嘘でも俺が、とは言わないのか」
「勿論それもありますよ」
微笑みながらアリサに対し、黒瀬は呆気に取られたように目を見開いた。
「…普通に罵倒される流れかと思っていたけどな。本当に変わったな」
「貴方もね」
二人して奇妙に笑いあった。
一つ煙を吐くと、アリサは遠くを見つめながら言った。
「今の貴方は、凄く元気そうです」
「何だよ、突然」
「貴方は隠し事が上手くて、しかも強いから。本当に辛いときには何も無いような顔をして耐えてしまう。その強さが、周りを心配させることだってあるんですよ」
「…俺に対するイメージをどうしろっていうんだ。別に辛いことなんてない」
「一年前から、貴方はきっぱりと変わってしまった。それは良いことなのかも知れないけれど…無理は、していませんか?」
アリサは心配そうに黒瀬を見つめた。黒瀬は視線を曇り空から逸らさないままで答える。
「どうなんだろうな」
その目は、厚い雲のその上の、さらにその先の何かを見つめていた。ホログラムで出来た造り物の空の上には何も無いというのに。
アリサは黒瀬から目を離さなかった。黒瀬はその目線をようやく認めると、少しばかり躊躇いながら、煙草の箱を入れている方とは逆の胸ポケットに手を入れた。
取り出したのは、手触りの良い小さな箱だった。アリサに投げ渡す。アリサは不思議に思いながら、その箱をゆっくりと開けた。
「これは…」
中にあったのは、指輪だった。
アリサは黒瀬の方を見る。黒瀬の視線は再び空に戻っていた。
「若気の至りというか、早とちりというか。もう要らなくなった物だ。…でも、捨てられない」
「…捨てては、いけないでしょう」
「そうだな、そうかもしれない。けどな、たまに思うんだ。捨てたら楽になるんじゃないかってな。もし捨てることが出来たなら、俺は俺じゃなくなるかも知れないが、それでも何か別の幸せを…掴めるのかもしれないってな…」
「……」
彼の目に映る空は、どんな色をしているのだろう。どんな形が見えているのだろうか。
アリサは曇天の下で、生温い風が吹くのを鬱陶しく思った。
「はぁ…はぁ…」
ソファの上にぐったりと寝そべっているのはアカネだ。先程アリサから解放され、やっと自由の身になることが出来た。
安堂は椅子の上からその姿を見て笑う。
「アリサは熱中すると止まらないところがあるからなぁ。良かったなアカネちゃん、あいつに好かれたみたいだぜ」
「こんな好かれ方はされたくないですっ!」
涙を浮かべて抗議するアカネを見て、安堂はますます大きく笑った。アカネはぷっくりと頬を膨らませて怒りながら、ふと時計を見る。
「少佐殿、遅いですね」
「ああ、あいつ多分トイレ行ったんじゃなくて煙草吸いに行ったよ」
「え?そうなんですか?」
「うん、何か胸ポケットをごそごそ弄りながら立ってたし」
アカネは口元に指を当てて考える。
「でも、吸ってるところ見たこと無いですよ?会ってからあんまり長くないですけど」
「あいつは女の前では吸わないんだよ、何が理由だか知らんけどな。変なとこに拘るからなぁ」
「あっ…じゃあ、私の前では気を使われてたんですかね」
しゅんとするアカネに対して、安堂は軽い口調で言う。
「使わせとけ使わせとけ。あいつは元々人に超気を使わせるタイプだからな。しかも無意識にだ。本当に面倒なやつだよ」
アカネは驚いて返答する。
「安堂さんは、少佐殿のことを何でも知ってるんですね」
安堂は苦笑いしながら言う。
「何でもって訳じゃねぇよ。あいつは何か考えてそうな時は何も考えてねぇが、何も考えてねぇような時は何か思い詰めてるんだ。そこを見分けることに関してはアリサの方が上手いな。あいつら似た者同士だし」
「へぇ…じゃあもしかして、さっきアリサさんが出ていったのって」
安堂は頷く。
「黒瀬の様子を見に行ったんだろうな」
アカネの顔がみるみる内に赤くなっていく。安堂がその様子を不思議そうに見ていると、ぱくぱくと口を動かし始めた。
「じゃ、じゃじゃじゃあ、もしかして少佐殿とアリサさんって、こ、ここここ恋人だったりしたりしなかったり」
「あ、そういうこと?」
安堂は笑って答える。
「違う違う。さっき言ったみたいに似た者同士なだけ。ていうか、アリサは俺の嫁だし」
「そうなんですね…」
アカネはほっと胸を撫で下ろす。そして再び、何かに気がついて跳び跳ねた。
「嫁ぇ!?」
「うん、こう見えても、俺ら一応結婚してるからね」
「す、凄い…」
「凄い…かどうかは分かんねぇけど」
安堂は再び苦笑いする。椅子から立ち上がると、アカネの横に座った。
「アカネちゃんは、黒瀬のことをもっと知りたいか?」
「はい!」
食い気味に反応する。安堂は少しビビりながら、咳払いをして続ける。
「じゃあ、少し昔の話をしよう。黒瀬が帰ってくるまでの間だけだけどね。俺達が学院生だった頃の話だ」
安堂は、ソファに正座したアカネを前にして、ゆっくりと語りだした。