蛸
全く無機質な閉鎖空間に、重厚な金属音が鳴り響く。リズムを刻んでいるようでいてバラバラなその音は、鉄の壁に反響して幾重にも重なりあう。
どこまで続いているとも分からない薄暗い通路の中を、三体の機械人形が歩行していた。およそ人並みの大きさとはかけ離れており、歩くたびに音を響かせる。「オブシディア・グラディエイター」。人員搭乗用の戦闘ロボット。辺りの不気味な雰囲気と相まって、何とも言えぬ威圧感を放っていた。
《あーーーーーつまんないっ!》
金属音の中に、甲高い声の通信音が混じる。一番後ろを歩行するグラディエイターの搭乗者からの通信だ。
「…」
《…》
先頭を歩く者と中間を歩く者は、それぞれ通信回線を開けるも、特に言うことが見つからなかったので無言のままでいた。
《何で無視するのよっ!》
声を一段階大きくして、叫ぶ。
《…》
「どう答えればいいのかわかんねぇ」
中間の男が口を開いた。コクピットでレバーを握る男の右手の甲には、「3」の刻印が刻まれている。
彼の名前だ。
《はぁ⁉何で単純な会話すら出来ないわけ?サン、あんた訓練所で何を学んできたの?》
コクピットの中で、喉を潰さないか心配になるほど叫んでいるのは小柄な少女。右手の甲には、「5」の文字が刻まれている。
「戦闘技術だろ」
《そういうマトモな回答しか出来ない時点あんたはダメなの。ユーモアセンスの欠片も無いわね。はい失格》
「そうか」
人工知能と話す時の如く、サンは適当に受け流した。こういう面倒臭い奴がいる時、聞き役が不在だと非常に鬱陶しい。
《まあいいけど…サンはまだ言葉を発すること自体は出来る性能みたいだから》
少女…ゴゴウは呆れたように呟く。許容されながらも普通に貶されたサンは、無表情で歩みを進める。慣れていることだ。
《でもロク!あんたはさっきから…ていうか、出撃してからずっと!ただの一言すら発してないじゃない!何なの⁉何の意図があってそんなことしてるの⁉》
《…》
先頭でグラディエイターを操縦している青年、彼の右手には「6」の刻印が刻まれていた。サン以上の無表情で、背筋を伸ばし、真正面を見据えながら席に座している。
通信回線は開きっぱなしだが、言葉は何も発しない。
《…》
《おーい、大丈夫?生きてる~?》
ゴゴウが煽るような口調でロクに話しかける。ちょっかいの対象から離れたサンは、ロクを気の毒に思いながらも、無言で聞いていた。
《…》
《ねぇ、何とか言いなさいよ》
《…です》
《えっ?》
《任務中です》
ロクの低い声がコクピットに響く。サンは苦笑を漏らした。
ゴゴウは暫く呆然とした後、
《あっ…あんた、数十分黙っといて最初に口に出す言葉がそれ⁉頭おかしいんじゃないの⁉それとも私の事馬鹿にしてる⁉》
通信機器が音割れするほどの怒号を撒き散らした。
《…》
返答は無い。
《何でまた黙るのよ!》
「正論じゃないか」
サンが口を挟む。
《あんたは黙ってなさい!》
「いやだって、さっき無視するなって」
《黙ってなさい!》
「へい」
サンはおとなしく黙る。ロクは当然何も言わないままである。コクピット内に再び静寂が訪れ、機械人形の足音だけが厭に耳に響いてくる。
結局元の状態に逆戻りしてしまった。ゴゴウは溜息をつく。
《あーあ、ハチが居ればこのくらいの暇は潰せたのに》
「そうだな、お前らすげぇ仲良かったもんな」
サンが平坦な口調で言う。
《別にそんな意味じゃないし。あいつはからかい甲斐があるってだけ》
ゴゴウも平静を装って答えるが、言葉の節々がつっかえる。明らかに動揺している。
これはいい。さっきのお返しといこうじゃないか。
《残念でしたね、同じ作戦に出させてもらえず》
と思えば、ロクまで参加してきた。
《な、何でこんな時だけ会話に加わるのよあんたは!大体、全然残念なんかじゃないし!あんた達みたいなつまんない男共よりは、あのチビ助の方が弄り甲斐がある分マシってだけ!》
ゴゴウは声を荒げる。サンはニヤニヤしながら追撃を加える。
「でも任務の詳細が伝達された時、露骨に落ち込んでたよな。あとハチよりお前の方が小せーぞ」
《だからそれは、あんた達と一緒になるのが嫌だっただけ!》
《そういえば彼女が任務に向かう時も、色々と助言をしながら引き留めていましたね》
「まったく役に立たないことばかり教えてたけどなぁ」
《ひ、ひひひ引き留めてなんか無いわよ‼マイペースでバカなあいつの事が心配だったから…》
「あ、心配だったんだ」
《…っ!うっさい!うっさいうっさいうっさいうっさい‼》
ゴゴウは顔を真っ赤にして腕を振り回す。コクピット内の至る所にぶつかり、ゴンゴンと音が鳴る。
サンは満足げにフフン、と笑った。
《…お二人とも、静かに》
突然、ロクが真剣な口調になって言う。
《なによ!あんたが変な事言ったせいで…》
《生体反応です》
興奮状態のゴゴウの声が、ピタリと止まる。
生体反応。つまりは、敵を発見。
今回のターゲットを発見したのだ。
サンとゴゴウは、熱量レーダーを確認する。
《距離はかなりあるみたいね》
《ええ、おそらくこの区画の最奥部に潜んでいるのでしょう》
ロクのグラディエイターは歩行を停止する。見れば、ずっと一方通行であった通路は二股が分かれている。というよりは、通路に直角に交差するような形で、右に通路が現れていたのだ。
ロクは、通路が分かれる一歩手前で止まっている。
ゴゴウとサンの位置からは良く見えないが、ロクの言い方から察するに、右の通路の奥には巨大な制御区画があるのだろう。
「こいつ、動かないな」
レーダーを確認しながら、サンが言う。
《そうですね、外獣は地底に向けて激しく移動し続ける性質があると言われていますが》
ロクも反応する。さっきの一連の流れで、何だか喋る気になったようだ。
熱量レーダーの示す外獣は、一か所に留まったまま動く様子を見せない。
外獣とはその名の通り、地下帝国の外、つまり地上から侵入してきた生物である。一般的に地上に最も近い防衛区に出現し、地下を目指して進み続ける。
「外獣」と一括りにされてはいるが、その姿形は様々である。
三頭を持つ巨大な犬、両手が鎌になっている二足歩行の巨大トカゲ、痩せ細った巨大な人型の化け物…等々。共通点は「巨大」であるというところと、先ほど述べた習性くらいである。
もちろん都市にまで侵入されては困るので、防衛区で何としても駆除しなくてはならない。
今回その任務を負わされたのが、「新世代計画」出身のこの三人だ。
「まあ、実際に見てみないとどんな形態なのかもわからんからな。何か動かない、もしくは動けない理由があんのかもしれねぇ」
熱量レーダーと睨めっこしながら、サンは腕組みをして考える。
《そうですね、まずは小型カメラを先導させて偵察を》
《そんなみみっちいこと、してらんないでしょ》
サンとロクの話し合いが終わる間もなく、ゴゴウは動いていた。通路の左に寄り、サンの横を通り抜ける。
《ゴゴウ、待ってください。まだ敵の様子が確認できていません》
ロクは静止の言葉を掛けるとともに、ゴゴウのグラディエイターの腕を掴もうとする。しかし、ゴゴウはその手を払いのけてロクの横を通り抜ける。
《大丈夫よ、私達が何年間戦闘訓練をしてきたと思ってるの?脳味噌まで筋肉で出来た獣如きに、負けるはずないわ》
《しかし実戦は初めてです。慎重になるに越したことはありません。今回の外獣は通信を阻害するタイプの能力を持っているようです。現に今、本部とのデータ通信が途絶えました。このままグラディエイターを大破でもさせて帰投したら、教官に何を言われるか分かりませんよ》
ロクは何とかゴゴウのグラディエイターの腕を掴む。ゴゴウはフン、と鼻を鳴らして、ロクのグラディエイターを引きずりながらも進む。
《逆よ。どうせ成功する任務なんだから、早めに終わらせて帰ったほうが教官も喜ぶに決まってるわ。オブシディア仕様のグラディエイターまで貰ってるんだから、尚更よ》
ゴゴウは自信満々だが、ロクの頭はそのように簡単な構造をしていない。
《今回の作戦に関しては、成功率が高いとは言い切れません。外獣については分かっていないことだらけなのですから、どんな事態が起こるか予想できませんし。こちらから仕掛けるのは、私の持っている無人偵察機で相手の姿形を確認してからでも遅くないでしょう》
《相手がどんな格好してようと、グラディエーターのマシンガンを受けて立ってられる生物なんて居ないでしょ》
サンは、二人の会話を他人事のように聞いていた。実を言うと、あまり危機感を感じていなかったのだ。彼の心の中にも、「まあどうにかなるだろう」というような気持ちがあったのかもしれない。
三人は実戦というものを知らなかった。アカデミーと帝国軍の間に板挟みになるような難しい立場に居たことや、理論値ばかりを気にするアカデミーの管理下で育ったことが原因としてあった。
サンは熱量レーダーを眺めていた。外獣と思われる生体反応は、異様な動きをしていた。普段は丸い形をしているが、時々一ヶ所が出っ張ったり、引っ込んだり、とにかくぐにゃぐにゃと動いているのだ。とても普通の生物の動きとは思えない。アメーバか何かのようにも見える。
《もう、いい加減離しなさいよ!あんたが行きたくないなら私が一人で片付けて来てあげるから!》
《何を、馬鹿なことを言って…ゴゴウ!?》
ロクの押さえつけは、暴れるゴゴウによって振り払われた。ゴゴウはロクの言い分に耳を貸さず、曲がり角から制御区画を覗き込む。
悪夢が始まったのは、その時だった。
視界しか便りにしていなかったゴゴウは、言葉を失った。目の前にある明らかに危険度の高い状況を、上手く受け止めることが出来ずに立ち尽くした。
レーダーしか見ていなかったサンは、異変に気がつくことはできた。今まで点のように小さかった外獣が、一瞬でレーダーを横断するほどの長さに膨張し、線と呼べるほどの形になっている。なお高速で伸びていく先は、自分達の居る場所だ。
レーダーと目の前の状況を頭の中で整理できていたのは、ロクだけだった。コンマ数秒の間とも分からない判断力は、ただただ彼の卓越した才能だとしか言い様が無かった。
ロクはゴゴウのグラディエーターに全力のタックルをした。
ゴゴウはグラディエーターを吹っ飛ばされながらも、コクピットの映像に映るロクのことを見ていた。サンもレーダーから顔を上げ、ロクの方を見た。
ロクのグラディエーターはピンク色の触手に絡め取られ、区画内に引きずり込まれた。一瞬の出来事だった。
二人はしばらく思考回路を停止させながら、何も無い曲がり角を見つめていた。
数秒遅れでサンが我に返った。
「ロク!!」
操縦体制に入り、足を動かす。グラディエーターは恐ろしいほどの初速で走り出したが、壁の出っ張りを掴み、入り口の角を難なく曲がった。
制御区画に入るまで、十数メートルの通路があった。しかし、通路の入り口からでも見える、制御区画の最奥部の巨体がある。
触手を体に密着させ、歪な形に丸まっているその生物。自分の知っている生物に例えるとすれば…蛸だ。
通路を駆け抜ける間に、レーダーの反応が再び伸びる。視覚にも大きな変化が訪れる。外獣の触手が、高速でこちらに向かって伸びてきている。
ロクが咄嗟の判断力に優れているならば、サンは反射神経に優があった。腕部のブレードを展開し、自機の斜め前に構える。
直ぐに衝撃がやって来た。轟音と共に、機体が大きく揺さぶられる。触手の直撃だ。しかし、ブレードを斜めに構えていたために触手の攻撃は受け流され、機体の遥か後ろへと伸ばされていった。通路内という空間であり、攻撃の軌道が読みやすいものであったということも幸いした。
衝撃に負けることなくサンは進み続ける。通路を抜け、区画内に躍り出た。
区画内は、積み木遊びで荒らされた子供部屋のように煩雑だ。巨大な直方体の機械が、積み重なったり、交差したりして、さながら立体迷路といった様相だ。
意図的なものなのか、外獣の居る最奥部からサンの降り立った入り口までは、真っ直ぐに空間が空いていた。それによって触手は入り口にまで届き、また入り口から外獣の姿を捉えることが出来たようだ。
区画内を駆け始めたサンに対し、再び触手が接近する。サンは付近の機械にカバーをして、回避。触手は壁に激突して破片を散らした。
脚部ローラーを展開し、グラディエイターは疾り始める。途中、触手からの攻撃が何回かあったが、ローラー走行による速さ故に全てを避けることが出来た。
レーダーを確認。ロクは左前方数十メートルほどの位置で止まっている。
サンは腕部ワイヤーを射出、曲がり角に噛みつかせる。それを軸にしてグラディエイターは大きく回り、勢いを殺さないままに角を曲がった。背部ブースターによって姿勢制御し、また速度も増していく。
ローラー、ブースター、ワイヤー。グラディエイターを高機動で操るための三種の神器である。
前方から再び迫り来る触手を紙一重で避け、今度は右に曲がる。そしてようやく見えてきた。触手が壁に張り付いたように固定されている。
いや、触手が固定されているのではない。ロクのグラディエイターに巻き付いた触手が、ロクを壁から引き剥がそうとしてぴんと張っているのだ。
サンはロクに近寄り、ローラーの回転を止めた。
ロクのグラディエイターは、壁の機械の取手を掴み、なんとか触手の引き寄せを耐えている。
サンは巻き付いた触手を掴み、ロクから離そうとするが、予想以上に強い力を持って巻き付いている。グラディエイターの腕力だけでは何もできそうに無い。
「ロク、無事か!?」
とりあえず、焦ったまま安否の確認もしていなかったので、ロクに通信で呼び掛けてみる。
《ええ、私自身は無事です》
いつも通りの抑揚の無い声が聞こえたので、サンは安堵のため息をついた。しかし、次の一言は少し厳しい口調のものになる。
《…が、肝心のブースターがやられました。今私を繋ぎ止めているのは、グラディエイターの腕の力のみです》
サンは一気に体を強ばらせた。ロクは今、いつ引き寄せられてもおかしくはない状況にある。
《この外獣の力は、ワイヤーの強度で耐えられるものではありません。ブースターが無ければ最早抵抗する術は無いでしょう。次に私が引寄せられる事があれば、私を見限って逃げてください》
「何を言ってんだ、そんなこと…」
《お願いします》
「…!」
変わらぬ態度で言うロクに対し、サンは何も言えなくなってしまった。
いや、何を言う気も失せた、と言うのが正しいだろうか。
サンはロクの背後に廻り、触手を見やる。そしてグラディエイターの腕部ブレードを展開した。
「お前を見捨てるか見捨てないか、そんなことを考える状況にさせねぇよ!」
ブレードを振りかぶり、触手に向けて真一文字に降り下ろす。ブレードが触手に触れた瞬間、強い弾力とともに跳ね返されそうになる。が、グラディエイターの腕力とブレードの切れ味がそれを許さない。
「もう一踏ん張りだっ!」
さらに強い力を込めると、ブレードは触手を切り裂き、そのままの勢いで床にぶつかった。甲高い金属音が鳴り響く。
「……なっ!?」
そう、確かに切り裂いた筈だった。しかし何が起こったのか、触手は未だにしっかりと繋がったまま、ロクの事を束縛している。
優れた動体視力を持つサンには、切り裂いた瞬間の様子が事細かに見えていた。
触手は、ブレードによって切断された箇所から、驚異的なスピードで再生していったのだ。上部を切り裂き通り抜け、ブレードが真ん中辺りに達する頃には、既に上部は再生し、癒着していた。ブレードが下部を通り抜け、触手から離れる頃には、中部から下部の一部までは再生していたのだ。
異常な回復速度。今までの外獣の報告でも、ここまでおかしい物は聞いたことがない。
「こいつ…どうなってやがんだよ!?」
《サン、恐らくこの外獣に通常の攻撃は通用しません。腕部バルカン、マシンガン、ブレード、全てが無効化されました》
「じゃあ、どうやって倒すんだよ!?」
言いながら、サンは触手に攻撃を加え続ける。蹴り飛ばしても、撃ち続けても、引きちぎろうとしても、何の反応も得られない。
その時、後ろに何者かが着地した。
《二人とも、大丈夫!?通信は聴こえてたけど!》
ゴゴウだ。サンに続いて、区画内に侵入してきていたのだ。
「おう」
《はい》
二人が返事をすると、ゴゴウもロクに近寄っていき、触手を解こうとする。
《…ロク、ごめん。私が先走っちゃったせいで、こんなことに》
ゴゴウに似合わぬ、しおらしい台詞が聴こえてくる。
《後で聞きます。今はこの状況を何とかしましょう》
ロクはいつもの冷静な声で返す。実際、今は何を差し置いても現状況を打破することに専念しなければならない。生きて帰れば謝罪も思う存分出来る。
そして突然、頭上から触手が降り下ろされてくる。サンは咄嗟にステップを踏んで避けた。空を切り床に激突した触手は、するすると外獣の方へ戻って行った。
「あぶねぇ…」
《どうやら、この位置はあちらからは見えないようですね。狙いも正確で無いですし、追撃もありませんから》
「ああ、好都合だな」
サンは再び元の位置に戻る。ゴゴウと共に、触手を引き剥がすために出来ることをする。
直接ブレードなどで攻撃し、触手の異常さを目の当たりにしたゴゴウが、二人に向けて尋ねてくる。
《こいつ、本当に何も効かないの?》
「今んとこはな。炸裂弾でも埋め込んでみるか?」
中から一気に破裂させる事が出来れば、再生する暇もなく裂傷させられるかもしれない。
《表皮に結構な弾力があります。めり込ませるには厳しいでしょうし、ブレードで穴を開けた間に…というのも非現実的です》
「…そうかぁ」
この案は却下。
しかし、この切羽詰まった状況でよくそんな冷静な返答が出来るな。尊敬を通り越して、呆れさえする。サンは触手に何度もブレードを通しながら、そう思った。
一方ゴゴウは、炸裂弾という言葉を聞いて、一つの事柄を思い出した。
《じゃあ、これならどう?》
そう言うと、グラディエイターの腰に取り付けられている手榴弾を一つ手に取る。
焼夷弾だ。確かにそれはまだ試していない。
「試してもいいんじゃねえか?」
《それじゃ、早速!》
流石というか何というか、ゴゴウは考えと行動が同時に出ることが特徴である。サンに言われるがままに、即刻焼夷弾を触手に叩きつけた。
ロクに巻き付いている部分の触手が焼ける。…そして、黒ずんで焦げた後、ボロボロと剥がれ落ちたのだ。
「!?…っこりゃあ!」
《いけるじゃん!》
その様子を見たロクは、自身の腹部に対する肘打ちで触手の焦げた部分を砕く。そしてそのまま触手の束縛から逃れた。
ロクのグラディエイターが、壁から離れて少しよろける。サンが肩を支え、体勢を整えた。
「よっしゃあ!」
《やったぁ!》
二人して、感嘆の声を上げた。無敵だと思われていた相手に、一泡吹かせてやったのだ。それも初めての実戦で。
ロクも興奮と安堵からか、いつもより数段明るい調子で言う。
《まだ油断は出来ません。先程のように当てずっぽうの攻撃が来るかも知れませんし、早く戻って体勢を立て直しましょう》
「ああ、そうだな。じゃあ…」
ロクの提案にサンが返答しようとした時、言葉が止まった。サンの目に、見逃さないものが映ってきたのだ。
ロクは触手を破壊し、その支配から逃れることが出来た。そしてこの場所は相手から見えていない。つまりは、敵から正確な追撃を受ける要素は無い筈…皆がそう考えていた。
甘かったのだ。伸縮自在で再生可能な敵を相手にして、そのように安直な考えをする事自体が。
ロクのグラディエイターの脚に、細長くちっぽけな触手がくっついていた。それは先程の触手とは違って糸のように貧弱で、とてもグラディエイターを引寄せるような力を持っているとは思えない。
しかし、もしそれが違った意味合いを持っている物だとしたら。
…触手から抜け出されてしまった場合でも、位置を正確に把握できるように設置されていた、保険のようなものだとしたら…。
「ロク、そいつを引き剥がせ!」
《え?》
ロクがその意味を理解する前に、機械の壁の側面から飛来してきた触手が、ロクの脚を絡め取った。
「くそぉ!」
サンはロクの機体の胴体に、腕部ワイヤーを食い付かせた。瞬きをする間もなく、ロクの体が奥部に向かって高速で引き寄せられていく。サンはワイヤーを引っ張り、ロクを繋ぎ止める。
しかし相手の力は異常に強い。とてもグラディエイター一機で抑えられるものではなく、床を引き摺られるようにしてサンも引き寄せられる。
《ロク!》
その様子を見たゴゴウはサンの機体の胴体にしがみつく。しさかしさ機体の重さが一つ加わっても、触手の力には敵わない。ゆっくり、ゆっくりと床を移動していく。
「ゴゴウ、焼夷弾を!」
《しょ、焼夷弾なんてマイナー兵装、二つも三つも持ってきてないわよ!》
「…くっ!」
もう、どうにもならないのか。
サンとゴゴウの二人が思った、その時。
ロクは腕部ブレードを展開し、自身の顔の前に構える。
「ロク!?」
《…サン、ゴゴウ、後は頼みました》
ロクはやけに落ち着いた口調で、そう言った。
「ロク、何を言ってんだよ!?」
《そ、そうよ、変な事言わないでよ。まだ何も終わってないじゃない!》
サンの問いに答えることもなく、ロクは通信回線を切った。そして、ブレードを構えた腕をゆっくり上げていく。
サンはロクのやろうとしていることを理解した。それでも、ワイヤーを引っ張っているこの状況では止めることもできない。
「やめろロク!よせ!俺達はまだいける!まだやれることがある筈だろうがぁっ!」
コクピットに響く叫びは、繋がりを断ち切ったロクには聴こえない。
いや、あるいは聴こえていようが聴こえていまいが、同じ事だったのかもしれない。ロクならば、サンの言いそうな言葉くらいは分かっていたのかもしれない。それとも、分かっていても聴きたくは無かったのだろうか。
ロクは、密室となったコクピットの中で小さく微笑んだ。
降り下ろされたブレードが、二人を繋ぐワイヤーを切断した。
「ロクッ!」
《ロク!》
ロクは猛スピードで引き摺られ、区画最奥部へと引き込まれて行った。
サンは急いで立ち上がり追いかけるも、追い付く筈は無い。角を曲がり高台に登った所で、外獣の全貌が見える位置に着いた。その地点で絶句し、脚を止めてしまう。
ゴゴウも後ろから付いてきたが、同じように動きが止まる。
ロクのグラディエイターは、外獣の頭上に掲げられていた。無数の触手に絡め取られ、最早手足を動かすことすら難しい状況になっている。
ロクの真下で、アメーバのように広がっているピンク色の巨体に、大きな穴が開いた。その中には鋭利な牙が、円状の穴に沿うように無数に生えている。奴の口だ。
ロクは触手に押し込められるようにして、その穴に入っていった。機体が8割ほど穴に入った所で、穴の入り口が塞がれる。
ボキボキと、牙と機体がぶつかり合う音が聴こえてくる。穴からはみ出ていた機体の腕が千切れ飛んだ。胴体がひしゃげて、醜い鉄の塊へと姿を変える。穴の中に入っている部分の事など、考えたくもない。
胴体の隙間から、赤い液体が噴き出した。その瞬間、サンとゴゴウの頭は、人が予め備えている様々な感情を失って…ただただ、その惨状を見て立ち尽くした。
その時、爆音と共に外獣の体が蠢いた。爆音は一つだけではなく、何度も何度も鳴り響く。その度に外獣の体は震え、苦しみもがくように蠢いた。
ロクが、奴の体内で炸裂弾を放っていたのだ。タイミングからして、外獣に喰われてから放った物だろう。最期の瞬間まで、ただ奴を倒すことだけを考えて。
サンは固まっていた頭と体を奮い立たせ、ゴゴウの機体の腕を掴んだ。
「逃げるぞ!」
《…え》
「あいつは俺達に、こういうことになったときは逃げろって言ってたじゃねぇか!今だってその手助けをしてくれた!だから早く逃げるぞ!」
《…あ…うん》
今一はっきりしない答えのゴゴウを引っ張って、サンは区画内を駆ける。ロクの炸裂弾が効いているのか、触手による妨害は無い。一心に出口に向かってローラーを回し続ける。
駄目だ、あいつには勝てない。
勝って帰らねばならない任務である。初任務の初戦闘、これで自分達の評価が定まってしまうかもしれない。
だけど駄目だ。不可能なものに自ら突っ込んでいくことは出来ない。ロクはやられてしまった。ゴゴウも恐らく平静ではいないだろう。自分だって膝の震えが止まらない。
とりあえず本部に戻ろう。今まで報告されてきた外獣と比べても、こいつはかなり異質な存在の筈。もしかしたら、退却したことだって許されるかもしれない。
出口が見えてきた。ローラーの速度を速める。早く帰ろう…自分達の居た場所は、快適では無かったし、楽でも無かったし、悲しいことだって恐いことだって沢山あった。でも、それでも黒い塊を心に押し付けられるような、こんな感覚を味わったことは無かった。例え普通とはかけ離れた環境であったとしても、一応は暖かくあったのだ…。
サンは出入り口の前で脚を止める。が、そこは先程までの光景とは全く違うものとなっていた。
「なんだ…これ…」
出入り口の上部の壁が、触手が衝突したのだろうか、抉り取られるように砕かれている。そしてその影響で、崩れ落ちた外壁が入り口を塞いでしまっているのだ。
しかもかなり大きく抉り取られたようで、とてもマシンガンや炸裂弾で吹き飛ばせる大きさではない。
「!?」
サンはレーダーによって、背後からの攻撃を察知する。ゴゴウを押し倒すようにして、横にあった巨大な機械の後ろに隠れる。触手はサンの居た位置に降り下ろされ、再びずるずると戻っていった。
ゴゴウは機械を背もたれにして座り込み、その横にサンが立った。
「はぁ、くそ…これからどうすりゃ良いんだよ…」
サンが何とはなしにそう言う。別に誰に向けて言ったものではなかった。しかし開きっぱなしの通信回線は、その言葉をゴゴウの元に届けていた。
《…ごめん》
「あ?」
《私のせいで、私があんなことしたから…皆を危険な目に…》
「えっ?いや、違う、今のは…」
サンは慌てて弁解をしようとする。そうか、確かに今の言葉では、ゴゴウを非難しているものに聴こえなくもない。
「そういう意味で言ったんじゃ無ぇって」
《それでも、私の責任なのは変わんないよ…》
「いや、そんなこと」
《あるよ》
「…無い」
《ある》
二人の口調は、互いに駄々をこねあう子供のようだった。通信を通じて、軍服の擦れる音が聴こえてくる。ゴゴウはコクピットの中で、膝を抱えて顔を埋めた。
《死んじゃったんだ》
顔を埋めているせいで、声が籠って聴こえる。しかし通信のノイズと声の籠りがあっても分かるほど、ゴゴウの声は震えていた。
《私のせいで、ロクは死んじゃった。死んじゃったんだ。そうだよ、死んじゃったんだよ…》
確かめるように、そう言い続けるゴゴウ。その言葉を通して、サンの心にも事実が突き刺さってくる。
そうか、死んだのか。
ロクは死んだのか。あの触手野郎に潰されて死んだのか。コクピットごとぺしゃんこになって死んだのか。
もう二度と話すことは出来ないのか。もう二度と気だるげに歩いている姿を見ることは出来ないのか。もう二度と手を握りあうことは出来ないのか。もう二度とあの不器用な笑顔を見ることは出来ないのか。もう二度と仲間達が揃うことはないのか。
もう、ロクはこの世から居なくなってしまったのか。
そうか。
人が死ぬとは、こういうことなのか…。
通信機から、漏れ出たような嗚咽が聴こえてくる。静寂を保っているサンのコクピットに、ただその音のみが反響している。
いつもの何倍もの重さになっている心は、胸の内で黒ずんで、いつ爆発してもおかしくないほど熱くなっている。
それでもサンは、ロクが最期に見せた姿を脳裏に映し出し…深呼吸をして、操縦体制に戻った。
「ゴゴウ」
《…ぅ…》
微かに嗚咽が聴こえてくるのみである。
「ロクが死んだのは、俺達を生かすためだ」
《……》
「俺達であの外獣を倒そう」
《……》
「そうしなけりゃ、ロクの命が無駄になる」
《………》
嗚咽は止まらない。サンはグラディエイターのローラーを展開し、マシンガンを構えた。
ゴゴウは今、自責の念と絶望感に駆られて動ける状態に無い。自分で何とかしなければ。何か希望を見いだせる要素を探しだし、絶望感だけでも薄れされてやれれば。
「お前はここで待ってろ。俺は偵察してくる」
《…あ……》
サンはゴゴウから離れていくと、機械の山の中を進んでいった。なるべく外獣の視界に入らないよう、遮蔽物を常に確保しながら進んでいく。
一つ、機械が沢山置かれていてごちゃごちゃしている高台を見つけた。ここなら奴の姿を覗いても見つからないかもしれない。
ワイヤーを使い、なるべく音を立てないようにゆっくりと登っていく。高台に乗ると、機材の山にカバーし、そこからゆっくりと顔を出した。
相手は触手を使ってこちらの位置でも探っているのか…と思いきや、固まってじっとしている。体の中心辺りでは、触手がもぞもぞと世話しなく蠢いていた。良く見ると、未だに口が開いたままで、殆どの触手は口周りに集まっている。そして多数の裂傷が加えられた部分からは、幾つもの煙が立ち上っている。
もしかして奴は、炸裂弾によるダメージを修復仕切れていないのか?だからこうして触手を集めて防壁を作り、こちらを攻撃しようともせずにじっとしている…とか?
単なる裂傷ならば、先程の触手の回復度合いからして簡単に治癒できる筈だ。考えられる原因としては、奴の口は触手と違い治癒能力が高くないのではないかということ、そして焼夷弾だけでなく、炸裂弾も有効なのではないかということだ。
焼夷弾のように露骨に燃やすためのものでなくとも、炸裂弾は爆発することで、その爆発の衝撃と拡散される破片でダメージを与えるものだ。奴が熱に弱いとするならば、爆発によって焦がされた表皮が破片によって傷つけられた、とも考えられる。
これだ、これしかない。
サンは確信した。あの外獣を倒すためには、熱という弱点を突くしか無いのだと。
そして安堵した。自分の敵は、無敵の化け物などでは無いのだと。
また、絶望の淵に居るゴゴウを励ますための要素が見つかったという意味でも、サンは安堵していた。
しかし、ゆっくりしている暇はない。あの外獣の再生速度は異常だ。こうしている間に口の治癒が完了してしまうかもしれないのだ。折角のチャンスタイムを逃す手はない。
サンは通信機に向かって話し掛ける。
「ゴゴウ、今からそっちに戻る。そのまま動かないで…」
しかし言葉が途中で止まる。通信回線が繋がっていない。いつの間にか、ゴゴウが通信をオフにしている。
サンは一気に頭が冷たくなる感覚を覚えた。この状況で、わざわざ通信を切るなどという選択は有り得ない。だとすれば、それは、そういうことになるのだろうか。
機体を反転させ、即座に道を戻っていく。機械にぶつかって何度か派手に音を立てるが、気にしてはいられない。最低限の遮蔽物は見つけながらだが、行きとは比べ物にならない速度で駆け抜けていく。
まだ、最悪の結果になったと確定したわけではない。泣いている声を聞かれたくないから、一時的に通信を切っている可能性だってある。いや、普通に考えたらそのパターンとしか思えないだろう。
…もし触手に襲われていたとしたら、派手な音がして気がつく筈だ。通信機器をピンポイントで壊される事などほぼ…多分無いだろうから、通信を自ら切ったということになる。危険な状況に陥ったのならば、自分から通信を切るのはおかしいではないか。安全だからこそ通信を切ることが出来たのだ。
そうだ、何も心配する要素は無いんだ。大丈夫。サンは自分に言い聞かせる。
だがそれでも、いくら自分の感情を押さえ付けようとしても。
もう二度と、仲間を死なせたくない。その思いが、サンをひたすらに焦らせた。
角を何度か曲がり、ゴゴウの居るであろう場所にたどり着く。
…居た。五体満足だ。先程と同じように、壁にもたれながら機体を座らせている。
サンはほっと息をついた。どうやら杞憂であったようだ。
ゴゴウの機体に近寄っていき、肩に手を乗せる。こうすることで、強制的にコクピットと通信することができる。
もし、悲しみに暮れた声を聞かれたくないがために通信を切っているのだとしたら…この行為はいささか不躾なものとなるだろうか。
それでも、時間が無い。自分達が生き残るために、一刻も早く連携を取る必要があった。
通信回線を開く。
「ゴゴウ、聞こえるか?話がしたいんだ」
《…》
「奴の攻略法が見つかったんだ、俺達助かるかもしれねぇ」
《…》
「何か言ってくれゴゴウ、頼む、時間が無いんだ」
《………………………》
何も聞こえてこない。
最初はただ無視されているだけかとおもったが、しばらく聞いていると違和感がある。
先程の通信では聞こえていた衣擦れの音や、嗚咽の声が聞こえてこないのだ。いや、それこそ一切動かずに泣き止んでいたらそうなるのだろうが…些か、無理があるような…。
「おい、ゴゴウ?聞こえてはいるんだよな?」
《…》
「返事をしろ、ゴゴウ」
《…》
「今すぐ返事をしねぇと、コクピットを蹴り飛ばすぞ」
《……》
「ゴゴウ」
《………………》
「ゴゴウッ!」
ただならぬものを感じたサンは自機のハッチを開け、外に飛び出した。ゴゴウのグラディエイターの前に立つと、ハッチ部分の隅にあるランプを確認する。
緑色。開放体制。
今なら、外からでも手動で開けられるようになっている。戦場で、そのような設定にしているということは。
サンはランプ横のカバーを開け、パネル操作でハッチを開ける。ハッチは機械音と共に、ゆっくりと開いていく。
中は照明が点いていない。狭い暗闇が、段々と姿を現していく。果たしてゴゴウはそこにいた。
ハッチが開くとともに、足元でガチャン、と音が鳴った。拳銃がコクピットから転がり落ちてきたのだ。
心臓の鼓動が、一際大きくなっていった。
視線をコクピット内に向けて、ゆっくりと上げていく。
まず足が見えて。両手が見えて。腹が見えて。胸が見えて。
顔が見えて。
真っ赤に染まった、顔が見えて。
額には、穴が一つ空いていて。
サンの目の前にあるのは、ただ虚ろな目をしてぐったりとコクピット内にもたれている、
ゴゴウだったものの、姿だった。
サンの呼吸は止まった。
サンが認識しているちっぽけな空間の中で、時が止まった。
人の死について、サンが未だに知っていないことが一つあった。人の死の象徴であり、証拠であり、結果であるもの。
死体。
死体というのは、単に「動かない人間」という意味ではなく、「眠っている人間」ともまた一線を画すものであり。頭の中でぼんやりと想像することは出来ても、実際に見てみぬことにはその本質は分からないものだ。
その肉体からは「生」が失われている。
ああ、もうこの人間は生きていないのだな、と。
意思を持っていないのだなと、魂を失った抜け殻なのだなと、骨と肉と皮の結合物なのだなと、そうあっさり理解できてしまうほど生物的でない物質なのである。
そしてその「元生物」である物質が、かつて自分に身近な人間だったならば…そのショックは、計り知れないものとなるだろう。
サンは耐えてきた。まず第一に、ロクという友人の死について耐え、第二にゴゴウという少女を励ますという立場に耐えてきた。しかし、無慈悲にも三つ目の試練が待っていた。
ゴゴウの死、初めて目にした死体、そして突如として訪れた孤独。彼の中に、それら全てを受け入れるような容量は残っていなかった。
「…………う……」
サンは突然の嘔吐感に、口元を抑えた。そのまま苦しむようにして前のめりになり、床に頭を突いてうずくまる。しかし、吐くことはなかった。変わりに涙が出てきた。
「……ううぅ…うぁ…うぅ…」
一粒落ちれば、後は止まらなかった。両目からボロボロと涙が零れ落ちていき、床を濡らす。口元を抑え、声をくぐもらせたまま泣き続けた。
誰に何の遠慮もすることなく、ただ利己的に泣き続けた。軍も教官もアカデミーも関係無かった。ただ、幾つもの絶望を重ねてぶつけられた、この理不尽な状況に対して泣いた。
何故ロクは死ななければならなかったか。何故ゴゴウは自ら死を選択してしまったか。分からない。
そしてその問いは逆説的に彼自身に問い掛けてくる。何故俺は生きている?
考えてみればそこに意味など無かった。既に運命を決められた状態で生まれ、示された道を進み、間違えれば矯正され、そこに自分の意思などは無く…。
果たしてそれは、生きていると言えたのだろうか。ただ都合が良いから生かされ続けて、他人の思惑通りに動かされるこの人生が。
視界の端に、先程コクピットから落ちてきた拳銃が映る。あの引き金を引けば死ねる。簡単なことだ。自分を取り巻くしがらみとか、運命とか、鬱陶しい感情とか、そういう全てのものから解放される。
きっと死は救いだ。生という地獄のような試練からの、唯一の抜け道なのだ。
元々、生きることに対して執着など無かった。夢は無かった。趣味は無かった。想い人は居なかった。家族などもちろん居なかった。生き甲斐を見つけることなどしようともしなかった。
だから、俺は。
だけど、それでも俺は。
サンは床に手をつき、拳をぐっと握りしめた。
皮肉にも、サンはその時初めて自分の「生」を感じた。死に晒されることで、彼は自分が生きようとしているのだと強く感じた。苦しみ、悲しみの耐えない「生」を、迷いもせず選んでいることに気がついた。
彼を安楽の死から遠ざけたものが一つある。彼の頭から消えないイメージ。訓練所を出る前夜、仲間達で集まり、何をするでもなく話し続けた。その時の皆の笑顔、それが脳裏に焼き付いて離れない。
その時のメンバーが全員集まることは、最早叶わない。いや、そもそも自分の立場では、個人に会うことすら出来るか分からない。
それでもその記憶は、彼の心の中で一番大切なものだった。
そうか、自分の人生の中でも、このような温かさを感じることが出来たのか。
案外、この世界も捨てたもんじゃない。
そう思えるものだった。
サンは涙を拭った。視界が開けた。
自分がどんなに悲しみに暮れようとも、世界は変わらない。自分は制御区画に閉じ込められているし、外獣は倒せていないし、ゴゴウは生き返っていない。
サンは立ち上がる。ゴゴウの死体が目に入り、再び彼の心は痛んだ。数秒間目を瞑り、サンなりの追悼とした。
自機のコクピットに乗り込み、ハッチを閉める。いつものように画面が照らし出され、様々な情報が目に入ってくる。サンは深呼吸をした。
レーダーを見るに、外獣はまだ隅に寄ったままでいる。傷は多少なりとも修復されただろうが、まだ万全とはいかない筈だ。攻めるなら迅速に行動すべきである。
サンはゴゴウ機の肩に触れている事を思い出した。肩に触れていることで可能なのは通信だけでなく、様々な情報がやり取りできる。とりあえず、どれだけの装備が積まれているのかをデータで確認する。
グラディエイターとしては平凡な装備だったが、高火力兵装が好きなゴゴウらしく、炸裂弾が何個か余っていた。有り難く頂いておくことにしよう。
サンはゴゴウ機に取り付けられていた炸裂弾を全て取り外し、自機の腰に装着する。そして少し考え、ブースターも取り外した。
左手にブースターを持ち、右手はブレードを展開して、グラディエイターは立った。
「…これから、作戦を敢行する。実行部隊は新世代特別小隊、戦闘員は一名、実験体A3号」
サンはコクピット内で、一人呟く。宣誓にも似たその言葉によって、彼は覚悟を決めた。人生一番の大勝負となるだろう。
コクピットの静寂が耳に煩く感じ、少しだけ怖くなる。俯いて、息を吐いた。
「…どうか、お守りください」
それは誰に対しての祈りだったのか。死んでいった仲間か、別の任務に当たっている同胞か、自らの教官か、それとも、神か。
彼にとっては、誰でも良かったのかもしれない。
前を向く。怖じ気づいてしまう前に駆け出した。
制御機械の陰から飛び出し、入り口と奥部を繋ぐ大通路に走り出る。外獣は未だに蠢きながらうずくまっている。
ローラーを展開し、一直線に駆け出した。加減はしない。触手の相手をしていたところで、すぐに治癒する上に本体へのダメージもおそらく無い。ならば触手はなるべく相手にせず、全速力で近づいて奴の中心部を叩く。
駆け始めた時は、外獣に動きは見られなかった。しかしある程度の速度が出てきた段階で、此方側にある触手がピクリと動いた。
サンは左手を構える。外獣の触手による攻撃は、今まで見た中では二つしかない。巻き付くか、叩きつけるか。
見ると、触手は高く振り上げられていた。ならば今回は、後者が来るという訳か。
触手が振り下ろされる直前、自機の左手からワイヤーを射出する。ワイヤーは制御機械に食い付いて縮み、機体の進行方向を斜めにずらす。触手の叩きつけは、攻撃対象を僅かに逸れて床に激突した。
その瞬間、サンはワイヤーの食い付きを解除し、またローラーの回転も停止する。触手の直ぐ側で立ち止まると、触手をブレードで床に串刺しにした。
勿論それだけでは対したダメージにはならない。床に突き刺さったブレードを腕から切り離し、また信管を抜いた炸裂弾を置いて再び駆け出す。
背後で爆発音がした。成功しているのならば、ブレードで貫かれた部分の周辺は、凝固するか崩れ落ちるかしているだろう。少なくとも炸裂弾が脅威になる、ということは相手にも分かった筈。
触手の横を沿うように走り続けるが、巻き付いてくることも、打撃を加えてくることもない。恐らくはブレード周囲が凝固し、床に固定されてしまっているのだろう。
しかし、それだけで攻撃が止む筈もなく、前方から再び触手が迫ってくる。今度は直線的に突っ込んでくる。しかも二本だ。
サンは手榴弾を右手で腰から取り、前方に掲げた。投げはしない。本当に掲げただけである。それだけで、触手は突進を止めて急停止する。
サンは安堵した。これでも気にせず巻き付いてきたら、最悪自爆して抜け出さなければならないところだった。
あの外獣が視力を持っていることはほぼ間違いない。ロクが拘束されているときの攻撃も当てずっぽうであったし、自分達が隠れている間は、傷ついていたにしても全く攻撃が来なかった。それに、サンが物陰から飛び出した瞬間に反応してきたということもある。
そして、恐らくはかなり眼が良い。ゴゴウが制御区画を覗き込んだ瞬間に触手を飛ばしてきたのだ。結構な遠さがあるにも関わらず、距離感を間違えることもなく。
ならば、手榴弾を脅威であると見せつけることが出来れば、それを見た途端に攻撃を躊躇してもおかしくはない。例えそれが、炸裂弾では無かったとしても、相手には見分けがつかないだろう。
サンは通路を駆けながら、手榴弾を外獣に向かって投げつけた。手榴弾は外獣の本体めがけて、放物線を描いて飛んでいく。外獣は触手を使ってそれをはたき落とすが、その衝撃で手榴弾は爆発した。
しかしそれは、殺傷目的の炸裂弾ではない。目隠し用の煙幕弾である。外獣の前方が煙で包まれ、お互いの姿を認識できなくなる。
サンは煙幕の中へ、手持ちの炸裂弾を幾つか投げ込んだ。煙幕の影響で、触手を使ってはたき落とす事は出来ないだろう。恐らくは外獣の直ぐ付近で爆発した。
そのまま直進し煙幕の中へ入ると、右手を上方に向け、ワイヤーを射出した。ワイヤーは天井に食い付き、機体を一気に引き上げる。サンは急激な高度変化による負荷に耐えながら、天井に機体を密着させ、安定させた。
天井からの景色を見る。ロクの残した傷はまだかなり残っているようで、その部分を上から見ると、焦げ付いた跡がくっきりと残っていた。
このままじっとしていても、奴に見つかるのは時間の問題である。やるなら迅速に、正確に。
サンは、自機の左手に握られていたブースターを手放し、外獣の上に落とす。同時に左腕のバルカンを展開し、銃口を落ちていくブースターに向けた。
ブースターが外獣の本体に着地するタイミングで、サンはバルカンを発射する。ブースターは弾丸の雨に晒され、数秒と経たずに大爆発を起こした。
外獣の本体の真上で、火柱が上がる。本体上部の殆どの部分が黒く焦げ落ち、見るも無惨な姿へと変わった。
「へ…へへへ…」
サンはコクピットの中で、一人笑った。あの野郎に、一泡ふかせてやった。
しかし、まだ動きを停止した訳ではなかった。動いている。本体の真ん中で何かが動いている。外面の肉が剥がれ落ちたことで、内側が見えるようになったのか。
中にあるのは、楕円型の…肉?いや、違う。ドクンドクンと波打つそれはまるで…心臓のようである。
奴はまだ生きているのだ。そして恐らく…想像でしかないが…あれを叩けば完全に生き絶えるのだろう。サンは腰から炸裂弾を取り出す。先程贅沢に使ってしまったせいか、最後の一発になってしまっていた。これで終わらせる。奴の心臓部を叩き、この戦いに終止符を打つ。
しかし、優位に立ったことが彼の注意力を削いでしまった。真下から触手が高速で接近してきていたのである。右手はワイヤー、左手は炸裂弾を取り出そうとしている、…抵抗することができない。
触手は機体に巻き付き、引きずり下ろそうとしてくる。機体を支えていたワイヤーが悲鳴を上げる。
「…ああ、くそがっ!」
サンは炸裂弾の信管を抜いた。同時に、ワイヤーが重みで千切れる。機体が地面に落下する前に炸裂弾が爆発し、触手を切り裂くと共に機体を吹き飛ばした。
重力の方向が分からなくなる。空中を回転しながら落下しているのだ。サンは衝撃に耐える体勢を取る。程なくして地面に激突するが、意外にも衝撃は少ない。
揺れたコクピットの中で顔を上げてみると…なんと、自機は外獣の上に落下していたのだ。柔らかい肉体に落下していったことで、幾らか衝撃が吸収されたようだ。
そして目の前には…あの、巨大な心臓が脈打ちながら存在している。ここは奴の中心部だ。
そんな場所に落下して、外獣が黙っている筈もない。無数の触手が至るところから振り上げられる。サンは急いで自機の上体を起こし、心臓に向かってバルカンを撃つ。殺られる前に殺ってやる。しかし攻撃したところから再生していき、まるでダメージが無い。やはりこれも、熱を使わなければ駄目なのか。
考える暇も無い。触手の一つがサンに向かって振り下ろされる。座っているために回避も満足に出来ず、胸部に直撃を受ける。前方の装甲が大きく破損、目の前のモニターがノイズで覆われる。
次の触手が来る。サンは苦し紛れに煙幕弾を掲げるが、触手によって手から弾き飛ばされる。煙幕弾は空中で爆発し、サンはその煙の中に入っていくように転がった。視覚に頼れないからか狙いは正確でなかったが、触手による追撃が来る。胸部は外したが、左足を砕かれてしまった。
煙幕は広がっていき、無数の触手は当てずっぽうに体を叩き始めた。このままでは死を待つばかりである。どうにか、奴に致命傷を負わせなければならない。
…どうやって?ブレードは置いてきた。焼夷弾、炸裂弾はおろか、煙幕弾でさえ使いきってしまった。バルカンでは奴にダメージを与えられない。ワイヤーが千切れ、左足が無くなり、逃げることも叶わない。何か無いか。逆転の一手が、何か。
サンは両手を使って機体を起こしながら、心臓に近づこうとする。近づいたって何ができる訳じゃない。だが、そうしないことには、絶対に奴を殺すことはできない。
片足だけでは上手く進めないので、ブースターを吹かして勢いを付けた。そして気がついた。まだあるじゃないか、特大の爆薬が。
勢いを付けすぎたせいで、心臓に思いきりぶつかる。しまった、これでは場所が丸分かりになる…と思ったが、意外にも攻撃はやってこない。
というか、触れた部分で位置が分かるのなら、奴の上に乗っているこの状況で攻撃されないのはおかしい。もしかすると、心臓周りの体内器官は酷く鈍感なのだろうか。
どういう理由があるにせよ、好都合な事に変わりはない。サンは自機のブースターをパージすると、右手で持ち上げて心臓の真横に置いた。これで後は、少し離れて起爆すればいい。それで全てが終わる。
しかしその瞬間、足が触手に絡め取られる。しまった、もう既に煙幕が晴れてきていた。
一つ取り付けば、二つも三つも、多数の触手がグラディエイターに巻き付いてくる。このままでは身動きすら取れなくなってしまう。サンは覚悟を決め、銃口をブースターに向けた。これほど近距離の爆発を受ければ、損傷している自機もどうなるか分からない。絶好のチャンスにして、絶体絶命の危機という訳である。
サンは力の限り叫ぶと共に、バルカンを撃った。
「くたばれえええええええ!!!」
腕にも触手が纏わりつき、銃口がぶれる。しかし弾丸は確実にブースターに届き、着火剤としての役割を果たした。
間もなく、ブースターは大爆発を起こした。
外獣の心臓は炎によって焼き焦がされ、衝撃も加わって破裂した。どす黒い血が炎の渦に巻き込まれる。
サンのグラディエイターは爆発によって吹っ飛ばされ、制御機械の一つにぶつかって床に転がった。爆発は思ったよりも大きく、胸部装甲は破壊され、コクピットが剥き出しになっていた。サンの体は火傷を負い、金属の破片が幾つも突き刺さり、息をするのも苦しい状況となっていた。
「う…ぐぅ………ゲフッ、ゲフッ!」
サンは大きく咳き込み、意識を何とか保とうとする。顔を上げると、先程まで見つめていたモニターは無く、制御区画が直接見てとれた。
そして、外獣の心臓は開花した花の様に開き、血の海を作っていた。触手は既に動いていない。外獣の体の端の辺りから、段々と灰色になっていく。
程なくして、外獣の体は完全に石化した。血液だった部分は、砂となって積もっている。外獣は絶命した場合石化してしまうので、生体解析が難しい…そんな言葉を、聞いたことがある。サンはぼんやりとそう思いながら、操縦席にぐったりと寄りかかった。
最早、体は痛みしか感じていない。血もかなり流れている。外獣が息絶えたことで、自分の位置を把握した救援が来てくれるだろうか。いや、グラディエイターがこの様ではそうすることも出来ないのか…?
でも、もうどうでもいいか。
サンは、石の詰まったように空気の通りづらい気管を奮い立たせ、大きく息を吐いた。軽く咳き込むが、気分が幾らか良くなってくる。そのまま、ゆっくり目を閉じた。
もしかしたら、これが自分の最期となるかもしれない。
そうならなければ、次起きたときには再び任務が待っているだろう。
どちらにせよ、今は。
サンの耳に、仲間達の声が聞こえてきた気がした。閉じた瞼の中に、仲間達の姿を見つける。皆笑っていた。
サンも微笑んだ。今は夢を見ていよう。今だけは、この温かさを感じていよう…。
半壊し静寂に包まれている制御区画の中で、サンは一人、眠りについた。