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均一世界のイレギュラー  作者: 長崎 光
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 地球に「世界の果て」は無い。球体だからだ。地平線と水平線を幾度となく越えようとも、徒歩だけで地球という惑星からはみ出ることは無い。

 崖があるならば一度落ちてから歩き続ければ良い。壁があるならば垂直に登って行けば良い。溶岩があるならば熱さに耐えながら泳いで渡れば良い。とにかく、「先に進めない」などという状況は起き得ない。

 しかし地下都市には存在する。街中で一定の方向にひたすら進み続けてみると、川であったり、壁であったり、とにかく何かしらの障害で行き止まりになってしまうはずだ。

 そこから先は、東京帝国にとっての「世界の果て」である。その区画は制御区と呼ばれ、人々の暮らす居住区を囲うように存在している。制御区は地下帝国の最外殻であるので、それ以上外側に出ることはない。

 制御区の役割はその名の通り、居住区の各設備の制御・点検を行うことである。作業に不自由ない程度の照明は備えられているものの、太陽が見えないこともあってか、全体的に薄暗い印象を受ける。だだっ広い空洞の中に、制御施設としてのビルディングを詰め込んだような場所だった。

 外敵が入り込むような場所ではない。そもそも、防衛区を乗り越えられて制御区にまで外敵が入ってきているような状況は考えたくもない。

 そのような要因もあり、黒瀬は制御区を訪れる機会が殆ど無かった。が、そもそもが殺風景で薄暗く、生活的な音も殆ど聴こえないような空間である。好き好んで来るような場所ではないので、別に来たいとも思わなかった。

 要するにつまらない場所である。加えて後藤との会話で何となくアカネとの空気が悪くなってしまったので、さぞ静かで苦痛な時間がやって来るのだろう…と思っていたのだが、そんなことは無かった。

 というか、そんな暇が無かった。

 現在、黒瀬は軍事用の携帯端末で情報を確認しつつ、制御区内を駆け抜けている。後ろからアカネも付いてきている。

 先程制御区に到着するや否や、同階層で同任務に当たっている小隊から通信が入った。イレギュラーを捕捉、既に戦闘に突入しているので、増援を要請するとのことだ。

 帝国軍人の昇進欲求は凄まじい。このような任務においては、敵を捕捉したところで、自分の手柄にするために通信を送らないことも多い。今回通信を送ってきた浦賀少佐も、手柄を立てることに関しては手段を選ばないタイプの人間だったはずだ。

 しかし、それでも増援を要請したということは、やはり先日佐官がやられたことに対する衝撃が大きかったのだろうか。士官のイレギュラーに対する警戒心は、並大抵のものではないらしい。

 増援には同階層、同エリアの制御区にいる兵士全員が向かうようだ。居住区を囲むドーナツ型の制御区において、今回の作戦範囲は円の九十度ほどの広さのエリアだ。端の位置にいた浦賀少佐から最も離れた位置に居た黒瀬は、どうやら一番遅い到着になっているようだった。

 バイクを使えばもっと早く着けたのだろうが、制御区と居住区を出入りする為には少々面倒臭い手続きが必要である(もしかすると、このような非常時に於いては普通に通れるのかも知れないが)。その上、軍用宿舎か駐留基地にまで辿り着き、事情を話してバイクを借り、再び制御区に入る手続きを済ましてようやく目的地に向かえる…それならば、普通に走った方が面倒でないし早いのでは?という結論に至った。

 黒瀬自身は本気で走れば二、三番目には到着しただろうが、アカネが付いてこれないだろう。かなり加減している今でさえ、彼女はそれなりに息を切らして何とか付いてきている。それでも普通の人間からすれば異常なほどのスピードであるが。

 それに、少し前までは手柄の事ばかり考えていたが、今はそんなことはどうでも良くなっている。だから到着が遅かろうが早かろうが、手柄が取れようが取れまいが、黒瀬にとっては大した違いは無かった。

 最後に通信を受けた座標が近付いてきた。周囲にある建造物の中でも、一際大きいものの前で立ち止まる。上方から銃声や破裂音が聴こえてきた。平面の座標はほぼ同じである。

 黒瀬は建物の中に入り込み、階段を駆け上がる。その途中で後ろを見やると、アカネとの距離が開き、姿が見えなくなっていた。下から階段を上がってくる音が聞こえてくる。長い距離を走り抜けてからの階段、流石に体力が持っていないのだろうか。

 黒瀬は踊り場で立ち止まった。上から聞こえる戦闘の音は鳴りやみそうもない。急ぐ必要もあまり感じていなかった。

 暫くすると、アカネは息も絶え絶えという有り様で追い付いてきた。


「大丈夫か?」

「だ……だい、大丈夫、です…ハァ…ハ…」


 アカネは前屈みになり、膝に手をついて肩で息をしながら答える。これほど説得力の無い「大丈夫」が今までにあっただろうか。

 突然、頭上で轟音が鳴り響いた。暫くの間静まり返ると、再び銃声が聴こえてくる。男の怒鳴り声も聴こえてきた。浦賀少佐の声だ。

 黒瀬は踊り場の壁にもたれ掛かった。


「一分休む。それから上のやつに合流するぞ」

「でも、早くしないと…」


 アカネが心配そうに、また申し訳なさそうに言う。


「まだ浦賀少佐は生きてるようだし、そんなに急がなくてもおそらく戦闘は終わらない。俺達以外の増援が全員到着しているのなら、もう既に戦闘は優勢にあるだろう。そこに疲れ果てた体で入り込んで足手まといになるくらいなら、一分遅刻した方がマシだ」


 黒瀬は、腕を組んで壁に寄りかかったまま答えた。アカネは頷いて了承の意を示したものの、その顔には悔しさが浮かんでいた。

 アカネは息を落ち着かせながら、背中のライフルを手に取った。銃身をゆっくり撫で、それから緊張した動きで構えた。

 黒瀬はその様子を眺める。アカネは今回が初陣となる上に、出会ったのも昨日なので、カタログスペックでさえ良く分かっていない。後藤少佐は戦闘に関する「知識」だけは軍の中でも、特筆すべきものがある。彼女の下で学び、訓練所を出たならば、それなりの働きを期待しても良い筈だが。

 銃声と爆発音をしばし聞いた後、黒瀬は身体を壁から引き離した。


「行くぞ」


 黒瀬の言葉に、アカネは頷いた。階段を上がり、踊り場を四つほど通り過ぎると、突然階段は終わりを告げ、扉が現れた。どうやら建物の内部ではなく、屋上で戦闘を行っているようだ。

 扉を開けると、銃声は更に大きくなった。屋上は身の丈ほどの段差が幾つもあり、また機械の詰め込まれた小部屋なども見受けられる。そのせいで大分見通しが悪かったが、かろうじて奥の方で銃撃と爆風が見えた。

 黒瀬は携帯端末の通信をオンにした。


「こちら黒瀬。浦賀小隊、援護は必要か?」

《…黒瀬少佐!》


 ノイズの中から浦賀少佐の声が聴こえてくる。


《ああ、もう何人か殺られてる!援護を…いや……銃撃だ。銃撃のみによる援護を頼む!それ以外は手を出さなくていい!》

「…了解」


 黒瀬は通信をオフにする。


「銃撃のみによる援護…って、どういうことですか?」


 横に居たアカネは不思議そうに尋ねる。


「サポートだけしろ、とどめは俺が刺すから邪魔をするな。そういうことだ」


 黒瀬は感情のこもらない声色でそう言った。


「良いんですか?」

「別に手柄は要らん。仕事だけしてさっさと終われば俺は満足だ」


 アカネの言葉につまらなそうに答えると、黒瀬は扉の横に取り付けられていた梯子を登る。階段の出入口の上に立つと、戦場が見えるようになった。

 アカネが登ってくるのを確認すると、黒瀬は腰を降ろして胡座をかいた。


「少尉、ライフルで援護しろ。当てなくても良い。むしろ奴の小隊の奴に当たらないようにしろ」


 やる気のない黒瀬の言葉に、アカネは呆気に取られながら答える。


「え?…そんなので、良いんですか?」

「下手に手柄を貰って奴に絡まれたくない。俺はハンドガンしか持ってこなかったから遠方からじゃ何も出来ないしな。最初から近距離戦に持ち込んで片を付けるつもりだった。奴に先を越されたならもうおしまいだ。イレギュラーが此方に向かってきたときは俺が応戦する。射撃演習だと思って撃て」

「は、はい…」


 アカネは困惑しつつも、床に這ってライフルを構えた。スコープを覗き込み、意識を集中する。

 黒瀬は自らの腰に提げられた軍刀の柄を撫でた。

 今回は、お前の出番は無いかもしれないな。


《中尉、後ろだ!》


 通信が来た。どうやら、浦賀少佐の通信がオンになったままのようだ。

 だが、都合は良い。戦場を遠くから眺めながら、音声も聞き取ることができる。

 戦場を赤い影と黒い影が駆け回っていた。黒いのは帝国軍人の軍服だろうか。あの動きは神器を持っている者でないと出来ない。神器を与えられるのは佐官だけなので、黒い影は浦賀少佐だ。ならば、赤い方はイレギュラーという訳か。

 中尉と呼ばれているのは、マシンガンを乱射している女性隊員だろうか。


《後ろ…なっ!?》


 女性隊員の後方で爆発が起きる。炸裂弾でも投げ込まれたのだろうか。

 爆風で女性隊員は吹っ飛び、床を転がる。そこにイレギュラーが着地し、右腕で女性隊員の首を締め上げる。

 しかし、小柄だ。通常のオブシディアならば人より二回り以上大きいが、イレギュラーはほぼ常人と同レベルである。それに、オブシディアは黒いカラーリングの筈だ。自分で塗ったのだろうか。


《ぐぅううああああぁぁ…!》

《西崎中尉!》

《オラ、さっきまでの威勢はどうしたァ!その馬鹿デカい槍は虚仮威しなのかァ!?さっさと俺を貫いてみろよ!》


 女性隊員の呻き声、浦賀の声と共に、スピーカーから響くような男性の声が聴こえてくる。これがイレギュラーの声のようだ。確かに、これは感情が篭っているようにしか思えない。

 槍というのは、浦賀の手にしているものだろう。彼の神器だ。

 神器というのは、帝国軍人が佐官に成った時に東京皇帝から授与される武器だ。その形態は人の適性により様々であり、また性能も大きく異なる。

 神器を持っている者と持たざる者とでは戦闘能力に大きな差がある。そのため、佐官を有する小中隊では神器持ちの佐官が前衛を張り、 その他の人間は後方より援護射撃を行うことになる。

 浦賀小隊は上手くその陣形を崩されてしまったようだ。女性隊員を盾にしながら、イレギュラーはマシンガンによる射撃を行う。浦賀は槍で弾丸を弾きながら、激しく動いて回避を続ける。

 後方、横方向にそれぞれいる男性隊員二人のように、段差にカバーしておけば弾丸を弾き返す必要もない筈だが。しかし、下がれば女性隊員が用無しとされ殺される。何とか助ける方法を探っているのだろうか。

 その瞬間、黒瀬の横から銃撃音が鳴り響く。アカネが発砲したのだ。

 小隊員を撃つなと言っておいたせいか、弾丸はイレギュラーの少し後ろの地面に当たる。

 しかし予想外の位置からの攻撃だったからか、イレギュラーの注意が一瞬此方に向けられた。


《ぐっ!はぁっ!》

《おォッ!?》


 その隙を見逃す筈もなかった。女性隊員がイレギュラーの腹部に肘を入れ、体勢を崩すことに成功する。そのまま拘束を抜け出し、イレギュラーにマシンガンを向けた。

 イレギュラーはそれを見ると、ドロップキックで女性隊員の腹を蹴り飛ばした。男性隊員の一人がいる段差に向け、女性隊員が吹っ飛ばされる。女性隊員が離れていくのを確認し、浦賀少佐は再びイレギュラーに接近する。男性隊員は慌てて飛び出し、女性隊員を受け止めた。


《中尉、無事か……っ何!?》


 男性隊員の驚愕の声が聴こえてきた刹那、女性隊員の背中が爆発した。おそらく、どこかのタイミングで炸裂弾を括り付けられていたのだろう。二名の隊員は、軍服と手足を散らして絶命した。


《堺大尉!西崎中尉!》


 横目でその模様を確認していた浦賀は、二人の名前を叫び、爆発のほうを見る。敵に向かって突撃している最中に、余りにも隙の大きい行為だ。


《おいおい、俺と戦ってんだから此方を見ろよなァ!》


 イレギュラーは、腰に取り付けていた刃渡りの大きいブレードを手に取り、浦賀に向かって跳躍する。

 浦賀はそれでも反応した。直ぐにイレギュラーの方に向き直り、槍を横に薙ぎ払った。殺傷目的の攻撃ではない。槍のリーチを生かした、「当てる」ための攻撃である。今はイレギュラーを吹っ飛ばすなりして、体勢を立て直すことが先決である。

 向き直るとほぼ同時に行ったその攻撃、しかしその速度が仇になった。槍を薙ぎ払った後には、既に目の前にイレギュラーは居ない。

 イレギュラーの跳躍は超低空のものであり、直ぐに着地するとともに、スライディングで浦賀の足元を抜けていたのである。

 もし浦賀が向き直ってから少し視界を確認していたならば、イレギュラーの行動に気がついた筈だ。その上で攻撃の方向も変えられたかもしれない。しかしその場合、イレギュラーが素直に攻撃をしていたならば対応が間に合わない。結果的に、彼は読み合いに負けたのだ。

 イレギュラーは浦賀の遥か後ろにまで滑っていく。その向こうには段差がある。そして、残り一人の男性隊員が居る。


《あっ…くっ、来るなぁ!》

《しゃらくせぇ!》


 マシンガンを向けた腕ごと、男性隊員は胸部をブレードで切断され、絶命した。断末魔上げることすら叶わなかった。

 浦賀、黒瀬、アカネは、その様子を見て絶句していた。

 辺りに血の雨が降るなか、イレギュラーはゆっくりと立ち上がった。


《どうしたァ?早く来いよ、こいつらの元に連れてってやる。そしたら寂しくなんか無いだろォ?》


 イレギュラーは浦賀の方を見ると、挑発的にそう言った。


「浦賀少佐、本格的な援護が必要か?」


 黒瀬は通信で話し掛ける。奴の戦闘能力は圧倒的だ。今まさにそれを見せ付けられた。いくら浦賀少佐といえども、ここまでやられて手柄の事は考えていられまい。

 しかし、返答はない。

 嫌な予感がする。


《…浦賀少佐?》

《貴様…貴様アァァァァアア!》


 手柄のことは考えていなくとも、他のことに考えが回っている訳ではなかった。

 彼とて一人の軍人、同士が次々殺される惨状に激昂するのも、無理はない。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 ただその一心を持って、イレギュラーに向けて駆けていった。神器の力を得た、恐ろしいスピードで。

 しかしそれは、幾ら速くとも直線的で読みやすい行動であった。

 加えて、正気を失っている浦賀は、イレギュラーがスライディングした際に設置した爆弾に気がつかなかった。


《バイバーイ》


 イレギュラーのふざけた声に被さるように、爆発音が響いた。炸裂弾の威力とは比べ物にならない、大爆発。リモートタイプの設置爆弾だろう。神器による身体強化・回復力強化をものともせず、爆弾は浦賀の身体を粉々に撒き散らした。 

 アカネはスコープ越しに、黒瀬は肉眼で、その様子を眺めていた。

 お互い何も言わずに、ただ呆然としていた。目の前の事象を、どこか夢の中の出来事のように捉えていた。

 …悪魔。

 その言葉が、頭の中に浮かんできた。

 イレギュラーは男性隊員の死体に近づき、携帯端末を拾い上げた。そして通信をオンにすると、黒瀬達の方を見やりながらこう言った。


《さぁ、次はお前らだァ》

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