夜
「良し、これで全部入ったかな」
必要な工具類を詰め込んだ箱をポンポンと叩き、安堂は一息つく。部屋の中を引っ掻き回して何度も確認をしていたので、室内がすっかりごちゃごちゃになってしまっている。汚いのはいつものことだが、今回ばかりはゴミ屋敷にしか見えないレベルだ。
いつもはある程度酷くなった時点でアリサが片付けてくれるのだが、もうそんなことをしてもらう必要も無い。箱の取っ手を両手で掴み、腰に力を入れて持ち上げる。そうすると床が箱に隠されて見えなくなるので、足で掻き分けながら、ゆっくりと進んでいく。
「手探りならぬ足探りって感じだな、こりゃ」
下らない事を言いながら扉に近づいていくと途中で、小さな棚の上にある、写真立てに入った写真を見つけた。
何となく気になったので、箱を扉の前に置いて、その写真を手に取った。
「懐かしいなぁ」
学院生時代の、雅、黒瀬、安堂、アリサが四人揃った写真だった。安堂と雅は全力の笑顔、アリサと黒瀬はつまらなそうな無表情と、完全に正反対なのが面白い。
結婚してから、アリサは沢山笑うようになった。だが、黒瀬の方はいつまでたっても同じだ。といっても、一年前まではずっと軍の仕事に打ち込んでいて、会うことすら稀だったのだが。
この写真を黒瀬が見たら何と言うのだろうか。同じく、懐かしいと言ってくれるのだろうか。
「多分、違うんだろうなあ」
一人で思い出に耽っていると、部屋の扉が開かれた。
「亮二、ここに居ましたか。何です、それは」
アリサは安堂の横に歩み寄り、写真を指差す。安堂は二人で見られるよう、写真をアリサの方に近づけた。
「ああ…懐かしいですね」
アリサは思わず頬を緩ませた。
「そうだろ?この頃は未来もあって、夢もあって、元気もあって…楽しかったなぁ、本当に」
「何を老人みたいなことを言ってるんですか」
「いやいや、もう気分はご隠居だよ。出来ればベッドで余生を過ごしていたい」
「べ、ベッド…」
アリサが顔を赤らめ、頬に手を当てる。
「いやいやいや違うから!そういう意味じゃないからね!?」
「もう…まだ日も落ちきっていませんよ、あなた」
「そういう時だけ『あなた』呼びするの!?っていうか…」
いつの間にか腕に巻き付いてきたアリサを宥めながら、安堂は窓の外の様子を見つめる。
「日、もう沈んじゃってるし」
「そ、そんな…まだ準備が出来てませんから、せめてシャワーだけでも…」
「違う!催促してるわけじゃないからね!?」
安堂はやんわりとアリサを振り払い、工具箱を持ち上げる。
「時間が無いってこと!あとこれだけだから、早く行こう」
「さっき陛下から知らされた作戦決行時刻までは、半日とちょっとくらいありますよ?」
「まさか半日前に知らされるとは思わなかったから、ブラッドストーンの整備が済んで無いんだ!工具だって積み込んで無かったし!」
「それは、どうしますか?」
無意識に工具箱の上に置き、一緒に持ち運ぼうとしていた写真を、アリサは指差す。安堂は写真に視線を向けたまま考える。
「…持って行こう。もう黒瀬の姿を見ることも無い」
「…そうですね」
二人して声色を暗くしながら、部屋を出た。無駄に思えるほど広い廊下を歩きながら、二人は先日の事について語りだす。
「しかし、この前黒瀬がここに来たときは酷かったですね。亮二の誘導があそこまで下手だとは思いませんでした」
「あっ…あれは焦ってたんだって!アカネちゃんと黒瀬がくっ付けば、黒瀬はアカネちゃんを助けたくなって、そしたら俺達に相談してきて、じゃあ俺達と一緒に来るかい?なんてことが出来たかもしれないのに!」
「二人の問題なんですから、無理に展開を早めるのは野暮ですよ」
「…まあそうだけどさ。俺の個人的な思惑以上に、今のあいつに対しては強行手段を取らなきゃ駄目な気がしたんだ。それこそ、突然アカネちゃんが告白するレベルのさ。そうじゃなきゃ、あの二人は十年くらいは余裕で何も無しで過ごしそうじゃん!その前に異動されちまうよ!」
「確かに、それはありそうですね」
アリサは上品にクスクスと笑う。
「でも、黒瀬がそういう男だと知っているのなら…付いてきて欲しいって、自分から言えば良かったじゃないですか」
「それは、なぁ」
安堂は渋い顔をする。
「いくらなんでも、帝国を敵に回すような反乱に加わってくれ、なんて俺の口から言えねえよ。あいつが自分から望んで付いてこないなら、俺からは何も言えない」
「そうでしょうか?意外と心の中では、誰かに背中を押されるのを待っているだけで、望みは決まっているのかも」
アリサが言ったところで、安堂がポケットに入れていた携帯端末から着信音が鳴り響く。一旦工具箱を置き、相手の名前を確かめてみると。
「噂をすれば、だ」
黒瀬だった。二人は顔を見合わせて小さく笑った。恐らくは、今生の別れになる。これが、黒瀬の声を聞く最後の機会となるだろう。音量の設定を変えて、アリサにも聞こえるようにした。
「あーもしもし、天才発明家だけど」
《安堂、悪いがそのギャグに付き合っている暇は無い》
「…一応、嘘では無いんだけどなぁ…」
出鼻を挫かれた安堂がしょんぼりとする。
《相談がある。今から何処かで会えないか?》
「あー…」
安堂はアリサと目線を合わせる。
「すまん、ちょっと今後用事が詰まってて会えないんだ。電話で出来る相談ならするけど」
《…そうか。電話でしていい相談かどうかは分からないんだが》
「ま、とりあえず言ってみろって」
少し沈黙が挟まれる。
《…今から言うこと、全部本気の事だからな。さっきお前が言ったような冗談じゃない》
「だから俺のも冗談じゃないっての。分かったよ、茶化さない」
《その言葉、信じるぞ。いいか、本気で尋ねるんだが…》
「はいはい、何でございましょ」
安堂は、この意味の無い問答でさえも楽しく感じていた。アリサも微笑んでいたから、同じように思っていたに違いない。冗談の言い合いも、けなし合いも、からかい合いも、これで最後となる。
この数年間、苦しんでいる黒瀬を見ながら何もしてやれなかった。せめて最後の願いくらいは、出来る限りのことをしてやりたい。そう思って次の言葉を待っていると。
《帝国から、このコロニーから抜け出したい。何か方法は無いか?》
信じられない文章を頭にぶち込まれた安堂は、携帯端末を手から滑らせて床に落とした。そのままアリサと一緒に、呆然として顔を見合わせた。
《…おい、何かでかい音がしたぞ。どうした?》
眼下の携帯端末から声が聞こえる。それに返答することすら忘れて、二人はただ立ち尽くし、そしてやっと先程の言葉を理解した途端に。
「…は」
《は?》
「あーーーっはっはっはははははははははははは!!!」
大笑いした。腹を抱えて、床に蹲って、最早耐えきれないという風に、転げ回りながら笑った。
アリサも口元を必死に抑えて、耳を赤くして笑い続けた。
《なっ!?どう考えても笑ってるだろ!だから、こっちは冗談じゃなく真面目に言ってるんだよ!》
「いや、分かって、分かってるんだが…あはははははは!!!」
どうにも、自分ではこの笑いを抑えきれそうに無かった。
ああそうかい。
やっぱり俺達は、似たもん同士だったんだな。
笑い声は、大きな屋敷に暫くの間響き渡っていた。
* * *
「お待ちしていました、黒瀬、アカネさん」
「…」
既に夜の帳が降りている門前で、アリサは腰を折って礼をした。黒瀬は何の反応もせずにその姿を見つめる。アカネは二人の姿を見比べながら、とりあえずアリサに向けてお辞儀をした。
「用事があるから会うことは出来ないと言った直後に、自分の家に今すぐ来いって…安堂もお前も俺をからかっているのか?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
そう言ってアリサはクスクスと笑った。アリサ達の意図を得ない黒瀬は、不審に思いながらその様子を見守る。
「たまたま、貴方の用事と私達の用事が合致した、というだけのことです」
「俺の用事と合致?安堂は新兵器の開発でもしてるのか?」
「そんなところです。説明するより見た方が早いでしょう、案内します」
アリサは踵を返して歩き始めた。二人は怪訝に思いながらも、付いていくより他は無かった。
途中、アリサは横目でこちらを見てきた。アカネと黒瀬の両方を交互に見つめる。
「手を繋いだり、しないんですか?」
「手っ!?手ぇーっ!?」
「落ち着け」
アカネが両手を振り回して混乱するので、黒瀬が宥める。アリサは楽しそうに笑う。
「どうしていきなりそんな話になるんだ」
「え?だって、貴方達は何というか、男と女の関係というかそんな感じになったから来たのでしょう?」
「あわ、あわわわわわわわわ」
「バグるなって」
錯乱しているアカネの頭を、黒瀬が軽く叩く。
「違うのですか?」
「違くはない」
「いっ、言っちゃうんですか!?」
「隠すものでも無い」
「で、」
アリサは一転して、真面目な表情になる。
「もう貫通しました?」
「お前頭おかしいんじゃないのか?」
「貫通?」
アカネが首を傾げる。
「知らんなら反応しないでいい」
「淫らな行為はしたのかということです」
「せっ…!?」
アカネは顔を真っ赤にして震え出す。
「おい落ち着けと言ってるだろ。アリサは『せ』から始まる単語は言ってないぞ」
「言いましょうか?」
「やめろ。お前ら両方とも一旦黙れ」
アカネの頭を掴んで落ち着かせ、アリサの方を睨む。アリサは笑って「はいはい」と言った。遊ばれているようで、何だかすっきりしない。
改めて周りを見渡してみると、アリサの向かっている先は先日訪れた屋敷では無い。正門から真っ直ぐ行くとたどり着く屋敷を迂回し、庭の中を突っ切ってアリサは歩いていく。
「どこに向かっているんだ?」
「あれです」
アリサの指差す先を見てみると、屋敷の裏側、庭園から離れた場所に大きな倉庫のような建物がある。工場か飛行機の格納庫のようにも見えるが。
「あんなところに、見せたいものがあるのか?」
「はい」
アリサは簡潔に返事だけをして、多くを語らなかった。とりあえず実際に見てみろ、ということなのだろうか。
それから三人は、とりとめのないことを話し、時々黒瀬の制止を貰いながら歩いていった。
* * *
倉庫に入った途端、黒瀬とアカネは固まってしまった。
「あ、さっきぶりだね陸~!」
「おゥ、相変わらず辛気臭い顔してんなァ軍人さんよォ!」
大きなコンテナの上に座り、足をブラブラと揺らしている二人の姿があった。リンは両手をブンブンと振りながら、イレギュラーは肘関節を高速回転させながら黒瀬に声を掛ける。リンの方はまだ愛らしく見えないこともないが、イレギュラーの動きは完全に異常である。
イレギュラーの四肢は完全に修理されており、傷一つ見当たらない。状況が全く理解できなかった。
「お前ら…どういう、ことだ?」
「なァに、お前も亮二も俺達もォ、一人の男のバカバカしい計画に賛同する羽目になっちまったってことさァ」
「計画?…というかお前、安堂と知り合いなのか?」
「おゥ、俺の整備は殆どあいつの仕事だぜ」
「そう、なのか…」
「という訳で、今の瞬間から私達は仲間ってことね!」
リンがピースサインを作って笑う。完全にそこら辺にいる普通の女の子になってしまっているが、先程の戦闘での禍々しさはどこへ行ってしまったのだろうか。
「そんなことを言われても、すぐに割り切れるわけが…」
「良かったぁ~、じゃあもう戦わなくて良いんですね!」
割りきっている奴が隣に居た。イレギュラーはククッと笑う。
「お前の部下は物分かりが良いみてェじゃねェか」
「ただのバカだ」
「ばっ、バカじゃないです!」
アカネがポカポカと黒瀬を殴り始めたので、適当に顔を手で引き離して止めさせようとする。リンとイレギュラーがその様子を見て笑っていると、コンテナの横からやってくる人影があった。
「黒瀬!よく来たな!」
「ああ、来てやったぞ。さっさとこの訳の分からない状況を説明しろ」
「その前に見て貰いたい物があるから来てくれよ!」
「はぁ?お、おいっ!」
黒瀬は安堂に腕を引っ張られ、無理矢理連行させられる。コンテナの裏側に回り、入り口からでは見えなかった倉庫の内部に出ると…息を飲んだ。
「これは…」
殺風景で物が隅に纏められている倉庫の中心に、とんでもなく大きな物体が存在していた。控えめに見ても、それなりに大きい一軒家並の大きさはある。
先端が角のように尖り、後方にはブースター、下部には人の丈より大きなローラーが取り付けられている。赤と黒を基調にして塗装されたそれは。
「戦車…じゃないよな、まさか」
「大当たりだ!さすが軍人だな、黒瀬!」
安堂は大笑いしながら黒瀬の肩を叩く。テンションがやたらと高い。うざい。
「いや、当てずっぽうだからな?狭い区画内の戦闘が多いせいで、帝国軍の主力はグラディエイターだし、戦車なんぞそうそう見ないぞ。というか、こいつの造形は普通の戦車ではないしな」
「名前が聞きたいか!?」
「とりあえず何のために作ったのかと性能を教えろ」
「名前が聞きたいよな!?」
「…ああ、聞きたいな」
何となく、最近感じたことのある面倒臭さのような気がした。
「そうか、じゃあ教えてやる!こいつの正式名称は…」
安堂は戦車の前で手を広げ、嬉しそうに目を輝かせながら言った。
「外世界探索用装甲戦車、『ブラッドストーン』だぁああああああああああ!」
「へえ」
適当に返事をして流したつもりだったが、安堂はドヤ顔で手を広げ微動だにしないまま、黒瀬の方をチラチラと見ている。どうしろと言うのだ。
「かっ…」
いつの間にか黒瀬の横にアカネがやってきていた。ブラッドストーンに釘付けになりながら、何か声を漏らしている。
「かっこいい!」
「えっ?」
黒瀬は思わず疑問の声を上げる。反応すべきところ、そこなのか?
一方の安堂は、一瞬で満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「そうか、かっこいいかアカネちゃん!」
「はい、なんか大きくて、強そうで、ロマンが溢れてます!」
「ああそうだ!この戦車はロマンなんだよ!よく分かってるじゃないか!」
「随分と中身の無い会話をしているな」
黒瀬は呆れたような声を出しながら、安堂の顔を掴んで自分の方に向ける。
「それで、こいつは外世界探索用とか言ってたが、どういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ、外の世界の過酷な環境下でも耐えられように設計してある。居住スペースも勿論あるぜ」
「…俺が連絡してからここに来るまでに作った訳じゃないよな?」
「流石の俺もそこまでの天才じゃあないなぁ。製作期間一年ってところか」
「…待ってくれ、訳が分からない。お前はいつからこんなものを作る必要に駆られたんだ?こいつが使えるとしてどうやって地表に送り込む?あとは…」
「何の話してんのー?」
後方から、コンテナを降りたリンが話し掛けながら近づいてくる。イレギュラーも一緒だ。
「何故、あいつらが居る?」
「え、お前リンちゃん達と知り合いなの?」
「知り合いというか、討伐対象だ」
「あァ、俺の四肢をボコボコにした軍人ってのはそいつだぜェ」
イレギュラーが黒瀬を指差して言う。
「まじかよ、意外と修理費用が嵩むんだぞ!?」
「あー、私のジャケットに穴開けたのも陸じゃん!」
便乗してリンも、自らのジャケットの腕の部分を見せつける。小さな布で補修してあった。
「本当ですか?修繕に手間が掛かりましたよ」
いつの間にか横に居たアリサから責められる。
「俺のせいか?それは俺のせいでは無いだろ?こっちは命掛けで戦闘をしていたんだぞ」
「てか何で戦闘してたの!?話が見えないんだけど!?」
「それはこっちの台詞だ!」
『はいはいそこまで、皆一回落ち着いてね』
「えっ?」
「あっ」
「ククッ」
「来たな」
「早いですね」
「な、何ですかこれ!?」
全員の頭の中に、一斉に響いてきた男の声。黒瀬は驚き、アカネは戸惑い、その他のメンバーは冷静だった。
『ああ、八号くん…アカネちゃんって言った方が良いのかな?君はテレパシーを通しての会話は初めてだろうね』
「頭の中に、声が…」
アカネは不思議そうに自身の耳に手を当てる。
『でも黒瀬君、君は経験したことがあるだろう?大分昔の事になるだろうけど、忘れてはいない筈だ』
そう、覚えのある感覚だった。忘れることなんて出来ない、あの出来事で味わった。
「…貴方は、まさか」
『ああ、そうさ。初めまして、僕は東京皇帝だ。君達が来るのを待ち侘びていた』
「東京、皇帝…」
アカネは、聞き慣れない単語を口に出して反芻する。
黒瀬とアカネは、呆然として状況を受け止めきれなかった。
「何故、皇帝…陛下が、俺達に関与するのです?」
『順を追って説明するよ。質問は最後に受け付けるからとりあえず聞いてくれるかい?』
アカネと黒瀬は顔を見合わせるが、特に異論を唱える意味も見当たらなかった。
「はい」
『ありがとう。僕は、君達にこの帝国から脱出してほしい。その理由については、まあ、皇帝の家系は帝国軍に支配される運命にあるからだね。臣民まで完全に傀儡となってしまったら、僕達天皇家の自由を取り戻す隙間さえ無くなってしまう。その前に、帝国の管理体制と権威に綻びを生ませるのが目的だ』
「それなら何故…」
黒瀬は口を挟もうとするが、先程の注意を思い出してすぐに口をつぐむ。
『良いよ、言ってみなよ』
「…申し訳ありません。何故、このような少数で…このメンバーなのですか」
黒瀬は周りを見渡す。戦闘力だけで言えば、自分とリンとイレギュラーは佐官と比べても遜色無いだろう。だがアカネはサポート能力はあってもタイマンには向かないし、残り二名は知識に優れているだけで身体能力はそこまで高くない。この六人で帝国を抜け出すなど、とても可能だとは思えない。
『少数である理由は、多すぎると僕だけじゃ把握しきれないから…っていうのもあるけど、実際は君達くらいしか候補者が居なかったからだ』
「自分達だけしか?そんなことは」
『あるんだよね、これが』
皇帝は溜め息をつく。
『今の帝国に、脱出に荷担しようなんて思う人間は殆ど居ないよ。そんな馬鹿なことをしてくれるのは、君達みたいに訳ありの人達くらいだ』
「…」
確かにこのメンバーは、一人一人が問題を抱えていそうな感じはある。
『敵だったはずのイレギュラーやリンが突然仲間になって驚いただろうけど、それはただの偶然だからしょうがないんだよね。イレギュラーは本来なら君とは戦わせたく無かったんだ、君どころかどの佐官ともね。貴重なメンバーの一人だって言うのに、やたら前線に出たがる』
「狭い倉庫の中で燻ってたらァ、その内関節が固まっちまうかもしんねェだろォ?」
イレギュラーが面白そうに笑いながら言う。
『こっちとしてはたまったもんじゃない。君のハッキング能力は、作戦の要と成り得るんだからね。…イレギュラーは、自意識を確立した段階で偶然見つけられたんだ。あ、見付けたって言っても千里眼でだけどね』
「千里眼」
「千里眼っ!?」
黒瀬が言葉を繰り返し、アカネが激しく反応する。
『説明してなかったねそういえば。僕は初代東京皇帝みたいに攻撃的な力は持ってないけど、テレパシーとか千里眼とか、小細工する能力はだけは沢山あるんだ。今も君達の事を見ているよ』
「へぇー…」
アカネはきょろきょろと周りを見渡す。ずっと見られているというのは、不思議な気分だ。
『で、イレギュラーに色々知識をあげる代わりに僕の手伝いをしてもらう事になった。帝国軍人への攻撃も僕が命じたんだ。挑発程度で良いって言っておいたんだけどね』
「危険を感じたら自衛しろとも言われたなァ」
『自衛で左官を殺せはしないだろう』
イレギュラーは相変わらずの軽い口調で答えている。
『あとのメンバーは別に説明しなくて良いかな。適当に良さそうな人員を見つけたからスカウトしただけだよ』
「んな適当な…」
安堂は苦笑混じりに言う。
『君達で適当に語り合うが良いさ。さあ、何か質問はあるかい?』
「はい、三つほど」
黒瀬が待ちかねていたかのように、きっぱりとした口調で答える。
『何だい?』
「リンの持っている神器、あれは陛下が直々に授与されたものなのですか?」
『いや?何というか、使いのものにやらせたって感じだね』
「そんなことが可能なのですか?」
『可能だね』
「…そうですか」
何となく腑に落ちないような気もするが、神器については科学的にも解明されていない部分の方が多い。授与する本人、つまりは専門家に口出しするような事でもないか。
「次に、最初陛下は『待ち侘びていた』と言っていましたが、何故自分に直接コンタクトを取ることをしなかったのですか?」
メンバーが不足しているなら尚更、勧誘できるところはしそうなものだが。
『君は亮二君の友人だろう?だから一応相談してみたんだ、君を勧誘してみるのはどうかってね。でも彼から反対されたのさ、自分から言い出さない限りは駄目だと。そうでないと「友人だから」とか気を使った理由で付いてきてしまうからってね』
黒瀬は驚いて安堂の方を向く。安堂はそっぽを向いて口笛を吹き始めた。よく見ると耳が赤くなっている。分かりやすい奴だ。
『それに、全くアプローチをしなかった訳じゃないよ。例えば、さっきイレギュラーにやらせた演説とかね』
「ああ、あれですか。イレギュラーの考えた物かと思っていましたが」
『いや、指示したのは僕だけど、内容は殆どイレギュラーの自作だよ』
「その話はやめろ!あんな恥ずかしいことはもォしたくねェんだよ!」
イレギュラーが頭を抱えて叫ぶ。ああいう適当なキャラの奴が真面目なことを言うと、恥ずかしいと感じるのだろうか。
だが実際、あの演説が無ければ自分はここまで思いきった行動が出来ていなかったかもしれない。結果的には皇帝の思い通りだったということか。
「最後に、先程陛下は、自分がテレパシーを受けたことがあると、知っていました。陛下は…翠のことを、知っていたのですね?」
聞き覚えのない名前に、周りの人間が疑問符を浮かべる。しかし会話はそのまま続けられた。
「そして翠と自分が関わっていることも知っているということは…その時から」
『ああ、「視て」たね。その時から』
「…」
『それがどうかしたかい?』
「…いえ、何でもありません。何となく、確かめたかっただけです」
『そう、か』
胸を刺す痛みが、ほんの少しだけ蘇ってきた。最近は翠の事を考えることも少なくなっていたが、やはり完全に忘れ去ることなど出来ないらしい。
『ああ、もうすぐ将軍が戻ってくるみたいだ。あいつとの会話は疲れるから、こっちの会話は一旦止めにさせて貰うよ。計画の内容は亮二君に全て伝えた筈だ!それじゃあ!』
唐突に会話が打ち切られてしまった。六人の間に静寂が訪れる。そして最終的に皆の視線が向いていったのは、最後にやたら適当に指示を託されてしまった安堂だった。
「えー、あー」
挙動不審になりながらも、何とか言葉を探す。
「とりあえず、明日の朝七時から下準備は始まる。それまでには、全員ブラッドストーンに集合していてくれ。イレギュラーはハッキングの準備を頼んだ。俺はここでブラッドストーンの整備をしてる。他の皆は…屋敷でゆっくり休んでてくれていいよ」
何だか締まらない指示だったが、とりあえずの役割は決まり、それぞれのポジションへと散り散りに向かって行った。
* * *
屋敷の部屋の一つ一つはやたらと大きい。二人しか住んで居ないこともあり、家具も少ないので、余白もかなりの部分を占めている。というか、何故二人暮らしでここまで大きいのだろうか。アカネはベッドの上で枕を抱えながらそんなことを思う。
先日安堂の誘いで泊まったときは女子と男子で部屋を分けていたのだが、今日はアリサと安堂が夫婦の寝室で寝るらしい。まあ例えそうであろうとも、アカネと黒瀬は部屋を同じにする必要は無いのだが、
「私はここで寝ますけど、しょ」
「じゃあ俺もこの部屋で寝るか」
というような感じで、先程同室で就寝することが決定してしまった。「少佐殿は別の部屋にしますよね?」という言葉が見事に遮られた。わざととしか思えない。
しかも言った本人は「ちょっと出てくる」と言って部屋を出たきり帰ってこない。これだけ動揺させておいて放置するとは、これもわざとやっていることなのだろうか。
そして全く関係ないが、寝巻きが気に入らない。アリサが用意してくれた物なのだが、小さな熊さんがいくつもプリントされたとても可愛らしい…子供っぽい物となっている。アリサは「ごめんなさい、これしか無かったの」と言っていたが、前に泊まったときは普通に無地の物を貸してくれたし、顔を火照らせて息を荒くしていたので、恐らくあの人の趣味だ。まさかこの為だけに新しく買ってきたとかそんなことは無いだろうが…いや、ありそう…。
自身の膝を見つめるだけで数体の熊さんが目に入ってくる。一つ一つを指で弾きながら見つめた。
黒瀬もアリサも、いや周りの人間は全体的に、自分を子供扱いしている気がする。黒瀬が怒っている自分を宥める時は子供をあやすようにするし、アリサはやたら「可愛い、可愛い」と言いながら頭を撫でてくる。
やっぱりこちらから何かのアクションを起こす必要があるのだろうか。だとしたら何をする?大人を意識させる行動って何?
そういえば、…そう、「そういえば」で思い出すくらい何も変わっていないのだが、先程を持って自分と黒瀬は恋人となった。…うん、なったはずである。流石にあそこまで言われて勘違いということは無いと思う。
しかし年齢差というのは大きいのだろうか。恋人を意識するようなことはまだしていない。恋人って何だろう?そう考え始めると、あることを思い出した。
…まだ、呼び方が「少佐殿」のままである。
任務中はそれでいいのだと思うが、プライベートまで持ち込む必要は無いだろう。それに、リンは初対面から「陸」と呼んでいる。このままでは置いてけぼりだ。
よし、ちょっと練習してみよう。
息をすぅ、と吸い込んで。
「…り、陸…さん」
「何の練習?」
後ろから唐突に声が聞こえた。
「いやぁああぁぁぁああああああ!!!」
ベッドの上を側転して距離を取り、叫びながら後ろを見た。いつの間にか、リンがアカネの後ろに座っていた。
「な、何でいきなり出てくるんですか!」
「結構前から居たよ?集中してて気がついて無かったみたいだけどね」
「ひえぇぇええええぇぇぇ…」
今までの葛藤の一部始終を見られていたことを知り、アカネは枕に顔を埋める。そのままベッドを飛び出して逃げ出そうとしたが、リンの右手に襟を掴まれ、再びベッドの上に引きずり込まれる。リンの脚の間に、抱き寄せられるようにして入っていった。
「ねぇねぇ、何を悩んでたのかな~?」
枕のガードが顔の正面を覆っているので、リンはアカネの両頬を両サイドから突っつきまくる。
「何も悩んでないです!」
「陸さん、とか言ってなかった?」
「あぁぁあああぁぁあああああ!!!」
枕を投げ出し、手足を振り回して逃亡を図る。が、腹を右手でがっちりとホールドされ、身動きが取れない。
「もう駄目です!最早これまで、死なせてくださいぃぃいいいい!!!」
「ここで死なれたら、私が陸に殺されちゃうよ」
リンは笑いながらアカネの動きを抑える。ジタバタと動き続けていたアカネも、暫くすると緊縛を解くことが不可能だと悟り、ぐったりとリンに寄りかかってしまった。
リンは、そんなアカネの右手を持ちあげて眺めた。
「八号、ね」
静かな口調でそう呟く。アカネは掴まれている右手と、それを見つめているリンを交互に見やる。
「知ってるんですか?私達のこと」
「んー…知らない」
「へ?」
至って真面目に答えるリンに、アカネは間の抜けた返事をしてしまう。この数字を見て「実験体8号」だと分かるのに、知らないとはどういうことなのか。
「アカネちゃんの手の甲を見せてもらったお礼に、私のも見せてあげるよ」
「あ、はい」
異論を挟ませる暇も無く、リンがアカネの首の後ろから、目の前に両手を突き出す。
「…ええと」
果たしてその表面には…何も書かれていなかった。綺麗な肌が普通に存在していて、まっさらだ。リンはその反応を見て、妖しく微笑んだ。
「ねえアカネちゃん、一つ問題出していい?」
「いいですけど」
アカネには、何が何だか分からなかった。
「神器を持っている人が、手に落書きをしたとして…その手を負傷した後に治癒能力が働いたら、どうなると思う?」
その問いを聞いて、アカネはハッとした。リンの言わんとすることが分かった。
「まさか、リンさん」
「うん。手の皮、剥いだ」
「…!?」
アカネは絶句した。リンはアカネの顔の横から覗き込んできていた。その笑みが、狂気の混じったもののように思えた。
リンは、自らの右手の甲を指差す。
「ここにね、『1』って文字が刻まれてたんだ。神器を貰った後に歯で肉ごと齧り取って、消した。凄く痛かったけど、十数秒くらいで治っちゃった」
「…う」
その様子を想像し、アカネは思わず声をこぼす。
「私は実験体1号なんだ」
「でも、1号と2号は開発中に不具合が起きたって聞きました」
「開発中、ね。私達の『生育』はそう呼ばれてるんだ」
リンは苦笑した。アカネも、至って普通にその言葉を使ったことに自分で驚いていた。今まで、疑いもせずにその言葉を受け止めていたのだ。
「1号の私は、研究所から訓練所に連れていかれる時に脱走した。だから2号に厳しい教育を施したところ、耐えきれずに死亡してしまったと。かくしてアカネちゃん達の世代が訓練を始める前に、ある程度の『加減』を学んだんじゃないかなぁ、研究者さん達は」
「加減…ですか」
「うん。死なない程度の加減をね。私が脱走した後は皇帝に目を掛けられて、あの人の導きで何とか生き延びて来られたって感じかな」
「…」
「だからアカネちゃん達と出会う前に出てっちゃってたんだよねぇ。もしかしたら訓練所で会えたのかもね」
「…私は、何て言えば良いんでしょうか」
「んー…多分何も言わなくて良いよ。というか、何で私こんなこと言ったんだろ」
リンは自嘲するようにして笑った。悲しい笑い方だった。
アカネはそんな様子のリンを見て、自分の目の前にあるリンの両腕を優しく抱き締めた。
「決まってるじゃないですか」
「え?」
「リンさんが寂しかったからですよ。私は一応訓練所の仲間達が居ましたけど、リンさんには誰も同じ境遇の人なんて居なかったんですから。だからリンさんは今、私に甘えているのです」
ムフ、と偉そうにふんぞり返って、アカネはリンを見つめ返した。リンは呆然として聞いていたが、再び笑った。
「そっかぁ、今私はアカネちゃんに甘えてるんだぁ」
今度は嬉しそうな笑い方だった。二人は笑いながらベッドの上でゆらゆら揺れていた。
* * *
「よう」
「ん?ああ、黒瀬か」
倉庫の中で一人、ブラッドストーンの外装甲を点検していた安堂に、後ろから黒瀬が呼び掛ける。安堵が脚立から降りようとすると、黒瀬が片手で制止する。
「立ち話で充分。整備は続けてていい」
「はいよ」
安堂は目線と手を整備する箇所に戻す。黒瀬は、安堂が休憩用に用意したのであろう椅子に腰掛け、煙草に火を点けた。
「アリサは居ないのか?」
「イレギュラーの方を手伝って貰ってるんだ。俺の傍にいると身体の心配ばっかりしてくれるから、余計に疲れさせちまう」
「それはまた、贅沢な悩みだな」
「だろ?」
安堂は本当に誇らしげに笑った。黒瀬はその笑顔を見て、特に何も言わずに煙を吐いた。
「一つ、聞きたいことがあるんだが」
「何だ?」
「何でお前は帝国の外に出たいんだ?」
安堂の、装甲を弄っている手が止まった。細かな金属音が鳴り響いていた倉庫内が静まり返っていた。黒瀬が息を吐き、煙が立ち上った。安堂の手も、再び動き始めた。
「俺と、アリサの為だよ」
「ほう」
黒瀬は興味無さげに呟き返した。しかしその反応は、次の言葉を待っているものなのだと、安堂は知っていた。
「親の思いとか世間体とか、全部捨ててアリサと結婚してさ。金も稼いで、でかい屋敷立てて、そこで二人で暮らしてさ…。幸せだったよ。今でも幸せだ」
安堂はいつもの通りの明るい口調だった。
黒瀬は、安堂のようなタイプこそ一番感情が読みにくいと思っていた。アカネやイレギュラーのようなタイプは分かりやすい。感情がすぐ表に出る。自分やアリサのようなタイプは、一見分かりにくそうに見えるが、感情が言葉の節々や行動に影響を及ぼしやすい。
安堂やリンのようなタイプは、いつも明るい。自分から感情を出そうとする時は露骨に怒ったり、笑ったりするが、本当に悲しい時にも無邪気に笑っていたりする。感情を隠そうとした時に、最も分かりにくいタイプだ。
「だけどな、結局変わらないんだよ。本当に些細な事なんだ。近所の人と鉢合わせる時。仕事先と話すことになった時。…送り主の書いていない手紙を受け取った時とかな。所々で感じるんだよ。『違う』ことに対する侮蔑とか、忌避とか、色んなもんをさ…」
「…そうか」
安堂はひたすら手を動かし、整備を続ける。黒瀬は煙草を咥えたり離したりして、その度に煙を吐く。二人は目線を合わせることもせず、不思議な雰囲気を作り出している。二人の間は、そこだけ時間の流れが遅くなっているようだった。
「俺でさえ感じてるんだから、アリサはその何倍も苦しんでる筈だ…。だから俺はこの帝国から抜け出して、不純物の混じってない、本当に二人だけの…繋がりというか、幸せというか?そういうものを感じたいんだ。例え外の世界が住めるような場所じゃ無くってもさ」
「…」
黒瀬は自身の吐いた煙を見つめながら、目を細めて安堂の言葉を噛みしめた。
「幸せ者だな」
「そうだろ?財産も綺麗な嫁さんも、帝国から抜け出そうとするくらいのポジティブさも持ってる男だ」
「いや」
おどけたような口調で言う安堂に、黒瀬が否定の言葉を重ねる。
「お前みたいな夫を持てた嫁さんが、な」
安堂は振り返って黒瀬の方を見る。黒瀬は目を合わせようとせずに煙草を吹かしていた。安堂は苦笑して、再び前に向き直った。